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陰陽師

      愛ひとすじ       


鈴虫が鳴いている。
高く、低く、草むらのあちこちから、他の鈴虫に和するように、己の存在を告げている。

源博雅は、安倍晴明の屋敷にある濡れ縁に胡座をかき、杯の酒を飲み干そうとしていた。
ふと、隣に座る晴明を眺め、手を止めた。じっと晴明の白い横顔を見つめていたが、やがて「むむむっ」と、低い声を漏らした。

晴明は、いつものように白い狩衣を着て、膝の上に右肘をのせ、その手に首をあずけていた。野原のように荒れた庭へ顔を向けていたのであったが、博雅の声に我に返ったかのように、目だけを博雅の方へ動かした。その赤い唇には、笑みのような気配が漂っていた。

「どうした、博雅よ」
そう言いながら、やっと晴明は博雅へと向き直った。
「いや、何」
博雅は、訳もなくうろたえた。
「口ではうまく伝えられんのだがな、その、つまり、晴明、おまえと鈴虫の音がな、一つになっているような気がしたのだよ」
「何かに聞き惚れるというのは、そのような事であろうよ」
晴明は、杯に口をあてながら言った。
「おれは、お前が笛を吹いている時に、そのように感じておるぞ」
「そうか。おれも、そうなっているのか」
博雅は、嬉しくなった。
「なっておるぞ、博雅」
晴明は、励ますようにうなずいた。
「そんなに、嬉しい事か」
「うむ、何かに夢中になれるというのは、生きている一つの証しのような気がしていたのでな」

「何かあったのか、博雅」
晴明は、興味深げに問いかけた。
「いやな、この頃、宮中に勤めていても、若くして世をはかなんで職を捨て、山に庵を設けて暮らそうとする者がおってな。しかし、晴明、人としての行き方とは、そうではないと思うのだよ」
「うむ」と、晴明は、先をうながす。
「人には、何か、その人なりの目的とか理由があって、生を受けたと思うのだよ。その目的とかを成しえてこそ、世を捨てられるのではないかな。例えば、まだ何もわからんような童子が、はやり病で死んでしまったとしてもだ。その親に一つの試練を与えるためにと考えられはせんか」
「そうであったとして、おまえは、まだ己の目的を成していないと言いたいのだな」

博雅は、大きくうなずいた。
「そうなのだよ、晴明。おれは、何かのために生まれたとは思うのだが、それが、どのような事なのかわからんし、成し遂げたという気がするわけでもない。帝にお仕えして、全うする事がそうであるのかもしれないし、もっと別の事であるのかもしれない。しかし、人の世がどれほど辛く、苦しく感じられるとしても、その何かを成すまでは、人との交わりをやめてしまおうとは考えないつもりなのだ。まあ、いずれは蝉丸殿のように、俗世を離れて、庵に籠るとしてもな」
博雅は、これだけ一気に喋ると、手元の瓶子から杯に酒を注いだ。

「やはり、おまえは良い漢だなあ」
晴明は、静かに言った。
博雅の顔に、すねたような表情が浮かんだ。
「晴明は、良いなぁ。もう、お前には、妖かしや鬼を静めるという、生きる目的がはっきりしているではないか」
晴明の目元は、心なしか寂しげだった。
「しかし、博雅。目的が定かであっても、成し遂げられるとは限らんぞ。何かを一心に追い続け、それを喜びとする人は、滅多におるまい。ましてや、それを成すなどとは、よほどの人であろうよ。そして、おれはな、そのような人とは縁のない男なのだよ。おれが相手をしているのは、この世に未練を残して、一心に恨みを晴らそうと祟りをなす怨霊や鬼などであるのだからな」
実直そうな博雅の顔に、哀れみが広がった。
「おまえも、たいへんなのであったな、晴明」


突然、晴明が鋭くつぶやいた。
「客だな」
いつの間にか、晴明の横には、藤色の唐衣装を着た女が立っている。蜜虫である。その横顔に不安ともとれる表情が宿っているので、博雅は、驚いた。蜜虫は、人ではない。晴明の操る式神であり、精霊のようなものであるので、心の機微を顔に出すとは思ってもいなかったのだ。
「晴明様」
そこまで言って、蜜虫は、言葉を詰まらせる。
晴明は、やさしく微笑んだ。
「おまえは、さがっていなさい」
博雅の右手が、我知らず、脇に置いた太刀を求めた。
晴明が、小さく首を振り、言った。
「それほどには、なるまい」
 
やがて、力強い足音が聞こえてきた。すでに、蜜虫は、いなくなっている。
濡れ縁の先にある角から、使い古した僧衣姿の男が現れた。精悍な顔立ちの大男で、長く頑丈そうな杖を手にしている。二人のそばまで来ると立ち止まり、まず、博雅に目を向けた。
博雅は、腰を抜かしそうになった。視線が、尋常ではないのである。ぐっと睨まれたら、一寸の動きもできなくなってしまった。まさに、金縛りである。目をつぶる事さえかなわず、脂汗を流しながら、座っているだけで精一杯だった。

ふと、僧の視線が、晴明に移った。そのとたん、博雅の全身から力がすうっと抜けていった。博雅は、肩で息をしながら、横目で晴明を見た。晴明は、涼しい顔をして、酒を飲みながら、庭を眺めている。
「猛々しい眼力を、お持ちですね」
晴明の声も、普段と変わらない。
「ふふん」
僧は、勝手に、どしんとその場に座った。
「そう言う晴明殿の心を、この眼力が擦り抜けて行くわい。さすがに、帝にお仕えする陰陽師。拙僧の及ぶところではないな」
そして、立てるように持っていた杖を右に置き、正座して床に手をついた。

「申し遅れた。拙僧は、藤原兼家様の遠縁にあたる藤原長次様に世話になっている晃是という修行中の者でござります。実は、この度、晴明殿にお助けいただきたいと存じまして、まかりこしました。先程の無礼は、どうかお許しいただきたい」
晃是は、そう言って頭を下げ、博雅を振り向いた。博雅は、身構えたが、今度は何も感じなかった。

「私が、貴僧をお助けできましょうか」
晴明の問いかけに、晃是は、大きくうなずいた。
「うむ。話だけでも聞いてくだされ」
晴明も小さくうなずき返した。博雅は、ぽかんと口を開けて、二人のやり取りを見ていた。


晃是は、話し始めた。
「先程も申したとおり、拙僧は、藤原長次様の世話を受けておりますが、その一子であります長良様に妖かしが、とりつきましてな。この妖かし、なかなかのもので、拙僧には、強い妖気を感じられるのですが、実態まではつかめません。これは、いかにしたものかと思うているうちに、長良様が日に日に衰えてきてしまいました。ついには、この冬を乗り切れるかどうかさえ危うい有り様。拙僧も、何とかその妖かしを退治せんものと、心を砕いておりましたが、ついに少しずつながら結界を張り巡らし、強めていく事ができましてな。やっと、明日の晩、望月が欠けたる刻に、僅かの時ではありますが、その妖かしの動きを封じ込められます。しかし、拙僧にできるのは、そこまでの事。その妖かし、祓えるのは、晴明殿、貴殿をおいて他にはござらん。ぜひ、共に出向いて、力を貸していただきたい」

「さあて」
晴明は、庭を見やった。考えているというよりは、むしろ、鈴虫の音を聞いているように、博雅には、思えた。しばらく、その場の動きが止まり、ややあって、晴明が、晃是の方を向き直った。
「では、明日の夕刻、迎えに来ていただければ、ご同行しましょう。その際には、この博雅も同行いたしますぞ」
晃是は、大きく頭を下げた。
「それは、ありがたい。ぜひ、長良様をお助けいただきたい。乗り物を用意致しましょう」
「いや、それには及びません。牛車を、こちらで用意しますゆえ、案内を願います」
晴明は、落ち着いて答えた。


僧は、一礼すると帰っていった。
足音が聞こえなくなると、博雅は
「おれも行く事になったのだな。で、どうなのだ、晴明」と、声をかけた。
「長良殿に憑いた妖怪を祓えるのか」
「おまえは、長良殿を知っているのか」
「うむ、長良殿は、直接、宮中勤めをしておあれれるのではないので、歌会などで幾度か顔を合わせただけだが、なかなかの好人物であったぞ。優しい心根が感じられる人柄でなあ。とても、恨みを買うわけもないし、なぜ、妖かしなぞに憑かれるのかなあ。ここで鳴いている鈴虫のように、そばにいる者の心を和らげる若者の命が失われるとすれば、何のためのこの世であろうかなあ」

「先程、博雅も言ったではないか」
晴明は、ため息ともつかぬ仕草をして、杯を見つめた。
「どのような人であっても、この世に何か目的があって生まれてくるのだとすれば、天命は、計り知れぬという事であろうよ」
「信じられぬ」
博雅は、まだこだわっていた。
「あの僧の眼力でも、正体を明かせられぬという物の怪とは、どのようなものであろうかな。ただの鬼や狐狸などの類いでは、あるまいよ」
晴明は、独り言のようにつぶやいた。
博雅の目が驚きで丸くなった。
「晴明、お前でも分からんのか」
「分からん」
あっさりと晴明が答える。
「おれでも、役に立てるかどうか」
「まさか、おまえがか」


その時、庭の隅から鼠の鳴き声がした。
「また、客だ。これは、なかなか侮れぬ」
晴明の声には凄みがあった。
博雅は、思わず太刀を引き寄せる。
「危険か」
「どうかな。とりあえず、これを懐に忍ばせておけ」
晴明が、小さく畳んだ白い紙を、博雅に投げてよこした。
「御法印だ」
晴明の顔は、いつになく緊張している。
「ほうら、博雅」

先程、僧が去っていった濡れ縁の先を見ると、いつのまにか艶やかな紅葉をあしらった唐衣を着た女が立っていた。三十半ばのように見えるが、背が高く、くっきりした目元をしている。その女には、僧の眼力とは異なった威圧感があった。女は、音もなく二人の前に近づいて来た。そして、縁にひざまずき、澄んだ声で言った。
「これは、晴明様、初めてお目にかかります。私は、藤原長良様のお側にお仕えしている楓葉と申す者でございます」
ゆっくりと頭を下げてから、博雅へ向き直った。
「博雅様の笛の音、日々聞き及んでおります。主人が、心の素直な、正直なお方だと、羨んでおります」

「不思議な方ですね」
晴明が、ぽつりと言った。
「貴方に争う気が無くとも、この庭の式どもが圧倒されておりますよ」
その時、やっと博雅には、鈴虫の音が止んでいるのに気がついた。式とは、晴明の操っている式神のことなのだなと、ぼんやりと考えていた。

「ほっ、ほっ、ほっ」
楓葉は、優雅な仕草で口を抑えた。
「何もかも、晴明様には、お話しいたしましょう。それ以外に道は、ございません。百年ほど前でございます。夢絃という陰陽師が、おりました」
「夢絃殿ですか」
晴明は、言葉を切ってから、
「聴いた覚えがあります」と続けた。
「私は、夢絃様の式神だったのでございます」

「式神だけが、生き残ったのですか」
晴明の声は、低くなった。
「夢絃様の五歳になる娘が亡くなった時、その魂だけを私に移しました。以来、私は、人とも式神ともつかず、歳を経てまいりました。そのうち、何やら妖力を持つようになり、このような姿で、縁あって長良様にお仕えしております」

「その仕えた主人を、取り殺そうとするのですか」
楓葉は、寂しげにうつむいた。そして、力なく答えた。
「人の生き死には、天の定めでございます。私ごときが、操れるものではございません。確かに晴明様もご承知のとおり、人魚の肉など捜しだして、寿命を延ばすこともできましょう。けれど、天命を背けば、必ず障りを生じます。それが長良様の幸せになるとは、どうしても思えないのでございます」
「長良殿を想うているのですか」
「私は、長良様に会って、生きる幸せを知ったのです」
楓葉の声は、くっきりとしていた。

「あの方が、私に向かって微笑まれる時の喜び。お笑いくださいませ。そのわずかな一時のために、この楓葉は、歳を経てきたのです。天から生きるという意味を教えていただきました。何という幸せ者でございましょうか。けれど、長良様は、不治の病にかかりました。私が、少しでも苦しみを除いて差し上げようと、思わず呪をかけようとしてしまいました。そこを晃是様に、気づかれてしまいました。あの方は、誤解されているのでございます。何ゆえ、私が、長良様を取り殺したりいたしましょうか。けれども、たとえお伝えしても、信じてはいただけないでしょう。あの方は、結界を張り巡らし、明日の夜には、私の正体を知る事になります」

「それでは、困るのですね」
晴明の顔には、涼しげな笑みが浮かんだ。
「困ります」
楓葉は、きりっと答えた。
「私には、長良様を見届けなければなりません。それが、私の生きる総てなのです」

「一つ、教えていただけますか」
晴明が向ける楓葉への瞳に、畏敬の念が込められていた。
「幸せなのですね」
「私と長良様は、一つの心で結ばれているのです。私は、生きていくうえでの一番大切な意味を教えていただきました。そう、一番、幸せな生き方を与えられたのですよ」
博雅は、二人がじっと見つめ合うのを、ただぼうっと眺めていた。

ふと、晴明が視線を下げた。
「明日の夜に、月が欠けますな。それを過ぎれば、楓葉殿の力が晃是殿の眼力を凌ぎましょう。ここの博雅と、まいりましょう」
楓葉は、床に額を押しつけんばかりに御辞儀をした。顔を上げると、その目には、涙が光っていた。晴明と博雅も、挨拶を返した。


楓葉が立ち去ると、すぐに博雅は、晴明に問いかけた。
「どうするつもりなのだ、晴明。どのようにするつもりなのだ」
「なあ、博雅、言葉の力とは、たいしたものだな。これこそ、呪であるよ」
晴明は、博雅の問いかけには答えず、うまそうに避けに口を運ぶ。
「どう言う事だ。一体、何を言っておるのだ」
怪訝な顔をして、博雅も酒を飲む。
「先ほど、博雅が言ったではないか。人は、何らかの目的があり生まれてくるのだと。その生きる目的を知り、それを成し遂げようとする人が、話をするとすぐにやって来たのは、言霊の力であろうよ。おれは、いつも人の怨念とか執着心とかにばかり付き合わされているので、あのように愛する事に迷いなき方には縁のない事と思うていたが、博雅のおかげで会う事ができた。ありがたく、思うているぞ」
「本当か、晴明」
疑わしそうな、博雅の声であった。
「本当だ、博雅。良い話ではないか」

晴明が、庭を眺めた。
いつの間にか、鈴虫が、再び鳴き始めている。
「うむ。良い話だなあ」
博雅も同じだ。


牛車に揺られながら博雅は、外をうかがった。既に薄暗い道には、晃是が先に歩き、山への坂道を上っている。

「おい、大丈夫なのか」
博雅は、目の前の晴明に小声でたずねる。
「うむ」
晴明は、目を閉じて、腕を組んだまま動かない。
「月は、欠けるのか」
「欠ける。今宵は、半分ほど欠けるが、しばらくすれば元に戻るぞ」
「むむう、そのような事があるのだろうか」
博雅は、ゆっくりと首を振った。

ふっと目を開いた晴明は、懐紙を取り出して、博雅へ向けた。博雅が受け取り、広げてみると草を干したようなものが包まれていた。
「それを飲むのだ、ぐっとな」
そう言いながら、晴明は、竹筒を博雅に渡した。どうやら、水が入っているらしい。
「何なのだ。これは」
右手に懐紙、左手に竹筒を持たされて、博雅は、口を尖らせる。

「楓葉殿のために、博雅、頼む。おれを信じて、飲んでくれ」
晴明は、真剣な口調で言った。
「楓葉殿のためになるのか」
「なる」
「では、これは、どのような薬なのだ」
「一時の間、おまえに楓葉殿の事を忘れてもらう」
「何と」
博雅は、唸った。
「それでどうなる」
「おれを信じるか」
「むむう」
博雅は、晴明と目を合わせた。

「分かった。おまえを信じる」
薬草を口に放り込み、水を一気に飲み干すと、博雅は、大きく息をした。しばらくすると、何とも気持ちが良くなってきた。酒を飲んだ時のようだが、宿直の後に感じる眠気の心地よさもあった。
「おまえは、すぐに目を覚ます」
晴明が、博雅の耳元で囁いた。
「しかし、楓葉殿の事は、いっさい覚えていない」


深い森の中を小道が走っている。その途中に少しだけ開けた場所があった。その隅に、三人の男が立っていた。晴明と博雅、それに晃是であった。そろそろ亥の刻である。博雅は、背に矢を負い、そこから既に一本を右手に取り、左手の弓をつがえようとしている。その姿勢のまま、思わず、天を仰いだ。晴明の言うとおり、しばらく前に満月であったのに、闇に侵されたかのように、半分ほどが欠けている。まだ夏も終わったばかりなのに、冴えざえとしたような夜空である。

その時、道の彼方から、微かな気が流れてきた。晴明と晃是が顔を向けて、反応する。
「うむ」
博雅は、口元を引き締めて、晴明を見た。
「来たのか、長良殿に取り付いておる妖かしが」

道の向こうから、ぼうっと青白く光る何かが近づいてくる。三人の立っている開けた場所の中心まで来ると、光は、武士の形をとった。冠を被り、直垂を身にまとい、左の腰に太刀をさげている。それは、そこで進むべき道を失ったかのように、ぐるぐると回り始めた。
晃是が印を組み、鋭い眼光を妖かしへ向けている。妖かしの動きが、その眼力によって封じられている。武士の目が赤黒く光り、晃是を睨み返している。動きが抑えられてはいるものの、その力が衰えているようには見えない。晃是の張った結界も、その眼力も、だんだんと弱まっていくようだった。晃是は、歯を食いしばって、武士の姿をした妖かしと対峙している。
晃是の横にいた晴明が、低いが鋭い声で真言を唱えた。
「うっ」
武士の口から唸り声が漏れる。

「今だ、博雅」
晴明の声に、博雅は力の限り弓を絞った。弦を放つと、風を切って矢が武士の額に刺さった。どおっとばかりに、妖かしは、倒れた。
「おおっ」
晃是が、倒れたところへ駆け寄った。晴明と博雅も続く。かなりの歳を経た大猿が横たわっていた。
「やりましたぞ。晴明殿、博雅殿」
晃是が叫んだ。

「うむう」
博雅が、肩で息をしながら応じた。
「これで、長良殿も救われる良いが」
晴明は、涼しげな顔をして空を見上げた。月の陰りは、ほとんど消えていた。いつもと変わらぬ、望月の夜になろうとしていた。


「おれを騙したのだな、晴明」
博雅は、口を尖らせる。しかし、隣に座る楓葉の持つ瓶子から杯に酒を注がれると、口元を緩めた。
「騙したのではない。おまえが素直に晃是殿に応じてくれたので、信じてもらえたのだ。もう、晃是殿が妖かしに気づく事はあるまい」
向かいに座した晴明が答える。
「すまなかったな、博雅。おかげで、楓葉殿も救われたのだ」
晴明の屋敷の濡れ縁である。先程から三人は、ゆるゆると酒を楽しんでいる。秋を感じさせる日の光が、庭の風情を増しているようだった。


「本当にお助けいただきました」
楓葉は、心から言った。
「いやいや」
少し照れたように博雅は、杯をあおる。
「しかし、あれは、何だったのです。あの妖かしは」
「あれは、楓葉殿の式神よ」
楓葉の代わりに晴明が言った。それから晴明は、楓葉を見た。
「これから、どうなさるつもりですか」
「もちろん、長良様のお側に」
楓葉の言葉に、少しの迷いもなかった。

「私の命を注いでおりますのよ。少しずつ、障りのないように。春まで、桜の咲く頃までこの世にいていただければ」
それから、ふっと遠くに目を移した。
「その頃には、私の命も尽きるでしょう」
「うむむっ」
博雅は、目を細める。
「誠に幸せなお方だ」
晴明が呟く。
楓葉の顔に、これ以上ない笑みが浮かぶ。
「もちろんです」

(終)


copyright Emm Micheal 2001/09/05

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