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瀬戸際のメトロノーム       

メトロノームの針が、右に左にと揺れている。
ずっと、それを見ているのは、僕だけだ。

部屋には、誰もいない。
勿論、見回す余裕はない。けれど、気配で分かる。
ただ、メトロノームの針が右に振りきれた時、『カチ』という音がして左に振りきれた時、『コチ』という音が聞こえるだけだ。
『カチ』と『コチ』の間には、ただ静寂の中にいる。

僕以外には、誰もいない部屋。広ささえはっきりしない。
僕は、じっとメトロノームを見つめている。


「早く死んでしまえ」と、右の『カチ』が言う。そう伝えているのが分かる。
「どうせ、人間は死ぬのだから。それは、避けられないのだから。生きていたとしても、毎日が同じことの繰り返しだとしたら、そんな意味のない生活などは、価値がないのだから」


「そうではない」と、左の『コチ』が語りかける。
「お前が存在する事は、それだけで意味があるのだから。運命に、あえて逆らう事はない。ただ、あるがままに生きていけば良いのだ。自分で価値が分からなくても、それが自然の摂理なのだから。意味など考えずに、ただ生きることを感じていれば良い」


僕には、分からない。
どちらが優しくて、どちらが気まぐれなのか、分からない。
どちらが悪意を含んでいて、どちらがつぶやきなのかが、分からない。


『カチ』と『コチ』の間にあって、僕の心は、二つに裂けてしまいそうだ。
だから、メトロノームから目を離す事ができない。
離した瞬間、メトロノームが止まってしまうような気がするから。
メトロノームが止まった時に、自分がどうなってしまうのか、それが怖くもあり、安らぎへの期待でもある。


いつまでも、じっと見つめていると、気持ちが痺れてくる。
心が麻痺してしまいそうだ。
麻痺すると、『カチ』と『コチ』の声も聞こえなくなるような予感がして、歯を食いしばるように、メトロノームの動きを目で追い続ける。

何時間も、何日も、何ヶ月も、何年も、そうしていたような気がした。



チーンと部屋中に、響いた。

「もう、良いのだ。おまえには、もう無理なのだ」
部屋がそう伝えて、僕を包み込む。少し緊張が緩むと、今までの体中に込めていた力を感じられるようになった。
「そうか、もう良いのだなあ」と、ぼんやりした時、メトロノームの針は、真ん中に静かに止まった。

(終)


copyright Emm Micheal 2001/06/12

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