今年は気候が温暖な所為か薔薇の発育がよい。昨年購入した大苗が今年になって、見事な黄色い大輪の薔薇を咲かせている。 なにも私の薔薇はデモンローズだけではない。様々な品種の薔薇を育てるのは私のライフワークの一つになっている。
今年はじめて咲いた黄色い薔薇をテーブルに飾って、ティータイムの準備は整った。
そろそろ時間だな――
あの御方が私の薔薇を踏みしめて下りてくる。
「この様にまどろんでいると時間が止まっている錯覚をおこしそうだ」
見晴らしの良いテラスでハーブティーを飲みながら、サガは緩やかな癖のある髪をはらはらとなびかせている。
それをうっとりと満足げに見つめているアフロディーテ。この瞬間を独り占めに出来て満足げに口元をほころばせている。
聖域はシエスタで静まりかえっている。
大半の聖闘士は公務で出払っているし、下の宝瓶宮の守護者もいないはずだ。
教皇サガ――
彼こそが私の神そのもの……私の薔薇以上に美しく、何人よりも強い。まさしくこの地上の平和の象徴だ。
そよ風に乗って、サガの匂いがアフロディーテの鼻腔に届く。
「教皇、乳香を変えましたか?どこか密やかですが、いつもと少し違う甘い花の匂いがします……何だか良い香りですね」
切れ長の瞳を眇めながら自らの手首を嗅ぎ、サガはふっと笑みを浮かべている。
「カミュから、イランイランの精油を貰ったのだ。マダガスカル産で香りが強いだろう?以前使用していたジャスミンに似ていると思って使っているのだが、鋭いな」
確かに、イランイランはジャスミンとネロリを合わせたような香り……性欲促進効果もあると言われているが、まさか!あいつは子供のくせに何を考えているのだ!!
「眉を寄せてどうしたのだ?何かあったのか?」
不思議そうな顔をして覗き込む深い蒼の瞳。私の顔が映っている。
「……新しいお茶を作って参ります」
彼が私以外の他の聖闘士の話をすると、胸が薔薇の蔓で巻かれているかの様に、ちくりと痛む。
ただ、彼の微笑みが、すべて私に向かっていたらいいのに。私の方が美しくて強いに決まっている。
私の薔薇の蔓でがんじがらめにしてみたい――。
棚の奥から小さな陶器の瓶を出しながら匂いを嗅いでみる。
試すには丁度よいのかもしれないな……。
双魚宮の上空で雲雀が高らかに鳴いている。
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「お待たせしました。新しいローズティーです」
「いつもと違う香りがするな……カモミールでもブレンドしてあるのか?」
にっこり微笑みながらポットからカップへお茶を注ぎ入れるアフロディーテ。
「最近指先が冷えるとおっしゃっていたので、体が温まるハーブをブレンドしてみました。どうぞ」
カップに長い指を絡ませてそっと淵に唇を寄せて飲もうとするサガは、その姿を確認しながら口角を満足そうに上げ、目を細めてほくそ笑むアフロディーテに気付かない。
「インドの香辛料みたいな味が少ししたな」
「ええ、体を温める効果の他に、イランイランと同じ効果を与える薬草をブレンドしてみました。体が若干、火照るかもしれませんが」
「?」
もちろん、その言葉の真意にもサガは気付かない。
暫く後……
椅子にもたれて、まるでまどろんでいるかのようなサガの姿を見受ける事が出来る。
顔はほんのりと紅色に染まり、切れ長の瞳は潤み、遅れ毛がぱらぱらと顔を纏い妖艶そのものである。その瞳はテーブルの上に飾られている、黄色い一輪の薔薇に注がれている。
「教皇、少し体を休まれてはいかがですか?」
「アフロディーテ……この薔薇はずいぶん黄色いな……どこか……艶やかだ」
「今年の初物ですよ。サガ、黄色い薔薇の花言葉はご存知ですか?」
とろとろに潤んだ蒼い瞳をアフロディーテに向けるサガ。
アフロディーテは、蠱惑的な微笑みを浮かべながらサガの両肩にしなやかな腕を滑らせる。
「さあ……。教えてくれ」
うなじから香る薔薇の香りに浸りながら、うっとりとサガは睫毛を緩やかに閉ざそうとしている。
「嫉妬ですよ――薔薇の香りで貴方を包んであげましょう」

耳元でこの囁きを聞いた時、意識があったかどうか……。
崩れ落ちたサガの顔をアフロディーテは恭しく額に接吻した後、壊れ物の様にそっと彼を抱き上げた。
そして彼ら2人双魚宮の奥に消えてゆく姿は、春を謳う鳥達のみ知っていた。
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暖かい海の中を漂っているかの様な心地よい倦怠感に浸りながらアフロディーテはふっと覚醒した。
すでに日が傾き始め、薄暗い部屋の中を窓からオレンジ色の夕日が部屋の奥まで差し込んでいる。
周りを覆っている薄い天蓋の幕にも暖かい夕日があたっていて、さながら床の中は繭の中の様だ。
そうか、既に夕方か……。
あまりの心地よい温もりの中、ブランケットをすっぽりと被り再び眠ろうとしたが、異変に気付き、はっと飛び起きた。
ここは一体どこだ?
確か、自宮で薔薇の香気に包んで愛しいサガを優しく抱いていたはずなのに……明らかにここは双魚宮ではない。
そしてこの褥から漂う香気は私の薔薇の香りではなく――密やかな甘い花の香り。
「気がついたか」
声の主らしき影が、天蓋の薄い幕の外に見える。
「あ、あなたは……そしてここは一体?」
今更ながらブランケットをたぐり寄せ、慎重にアフロディーテは影を目で追う。
「ふふふ……何処だと思う?」
幕の間を割って、黒に程よく近い艶やかな銀髪を気怠そうにかきあげながら、ルビーの様な紅い瞳の男が、不敵な笑みを口元に含ませ、猫の様に忍び込んで来た。
「サガ……。そ、それでは」
私の方がサガを抱いていたつもりだったのに……。
もしや???
「幻朧魔王拳……。アフロディーテよ、私に一服盛り、眠らせて戯れようなど笑止千万!100年早いわ」
「うわあ!!」
あわてて首や胸などに手を当てて、どこか恥ずかしい箇所に情事の痕跡がついていないか、大慌てで探しはじめた。羞恥心で体中が火照るのが手に取る様に感じる。
どうやら、サガを自室の床に横たえた後から記憶が斑になっている……ここ双児宮まで飛ばされたことすら覚えていない。
うろたえていた私にとって、再び組み敷かれ弄ばれる事は、純粋悪のサガにとっては赤子の手を捻るのも当然の事で――。そのまま、成すがままに事に更けたのは言うまでもない。
嗚呼、この御方にはかなわない……。
解放されたのは、日が暮れて月がかなり高い位置まで昇ってからの事だった。
12宮の階(きざはし)を月明かりに頼りながら自宮に戻る道筋、巨蟹宮で共に公務から戻ってきたばかりのデスマスクとカミュに出会った。
「おう、どうしたんだ?ふらふらして、えらく疲れているじゃないか?」
「……君は公務から帰ってきたばかりだが元気そうだな」
「何だかやけに機嫌が悪そうだな?薔薇でも枯れたか?」
首を傾げて話を黙って聞いていたカミュが、アフロディーテのうなじに何か見つける。
「ここ、何だか出来ているぞ」
自分のうなじに指を当てながら、箇所を示そうとしている。
「……薔薇の手入れの時に、私とした事が虫に喰われたみたいだ」
意味不明な微笑みを残し、アフロディーテは2人を追い越して昇って行った。
「何だあいつ?やたら見下した笑いを残していたな」
「……あの方の匂いがした」
おもむろにぎょっとした顔をして、デスマスクはカミュを捉える。
「おっ、おい!その薄ら寒い凍気をひっこめろ!!」
「……すまん」
傍目から見たら、ありきたりな平和な春の夜が過ぎようとしていた。
翌日――
宝瓶宮からの凄まじい殺気とも云える凍気の所為で、双魚宮の薔薇がほぼ立ち枯れし、それが原因でカミュとアフロディーテの間で千日戦争が勃発しそうになったのは、また別の話。 |
| SS by ヘーゲルさん |
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