三宅島の児童・生徒受入れについて
OBの出来る事

8月30日の産経新聞にて「秋川高 最後の“ご奉仕”」というタイトルでOB掲示板を記事にして頂きました。

記事を読まれメールを頂いたOB以外の方々のご意見はこちら


現状報告(2000/9/2 16期小島さん)
はじめに、三宅島から避難する児童・生徒の受入れ場所が報道になる前に、既に秋川高校へは東京都から通達があり、秋川高校の教職員総出で寮や教室の掃除、近隣学校からの机・椅子の搬入等がありました。
受入れに際して、秋川高校には一時的に「東京都教育委員会」「三宅島教育委員会」「秋川高校教職員」が同じ敷地内に籍を置く事となっています。
避難した児童・生徒も慣れない事ばかりですが、上記委員会・教職員も初めての事で考え方もそれぞれ、言い分も違います。

現在(9/2)、救援物資はあきるの市の皆様からの援助、企業や個人から、ぞくぞく集まっていまして、充分に足りているまでの報告を受けています。
また、飲食物につきましてはO-157や毒物混入事件等の前例がありますので、極力避けて下さい。
また、東京都教育委員会ではボランティアの募集は一切行っていませんので、ご注意を。
義援金につきましては岩崎先生の掲示板書込みにもありましたが、秋川高校内の「三宅島教育委員会」へお問い合わせ下さるようお願い致します。

いろいろな問題点
急きょ決まった受入れで各教育委員会・教職員の間で考えがまとまっていません。
受験を控えた34期生の隣棟では、学習時間にTVを見ている同年代の生徒も居ますし、女子寮もあります。
三宅島の教職員の中には「小学生ではシーツのたたみ方が解らないので指導して欲しい」と言う話も出ています。
慣れない場所での共同生活で、親から離れて過ごす子供達のホームシックやストレスがこれから心配になってきますが、現在各期ごとに色々な案が出ています。例えばお祭りシーズンでもあるので「金魚すくい」や「ヨーヨーつり」等のイベントをOBでやるとか...
OBに出来る事
現在、解っている事は、避難した子供達が三宅島に戻る良き日の荷物搬入や誘導等、去った後の教室・寮の清掃や救援物資の始末、近隣学校からお借りした机・椅子等の返却などなど、秋川教職員および34期生達だけでは手が回りません。
その時はOBの力を必要とする時ですので、何とぞご協力をお願い致します。


三宅島から避難する児童・生徒の受入れ場所が、母校である秋川高校に決定したのを知って一番喜んでいるのは秋川OBの方々ではないでしょうか?
実は私もその一人でして、連日テレビで放映さる母校をくい入るように見ています。

掲示板の書込みや電話での問い合わせで「避難した児童や生徒のために何かしてあげたい」「募金や義援金を秋川高校に」という意見がありましたが、秋川高校では募金や義援金の受入れを致しておりません。
募金・義援金・寄付金に関してのお問い合わせ先は前記に述べた「秋川高校内三宅島教育委員会」または下記をご覧下さい。

私個人的な意見ですが、1982年(あってますかね?)の三宅島の噴火、1986年の伊豆大島の噴火とはまったく違う噴火をしています。両方とも噴火後に現地を訪れ、伊豆諸島の溶岩や火山灰の様子を知っているつもりですが、今回の噴火は火山灰がきめ細かい...つまり今までにないタイプの噴火でして、島に降りそそいだ火山灰の撤去や道路の復旧等にかなりの時間とお金が掛かると思います。義援金をするのなら行政や三宅村にした方が、三宅島全ての方々=子供達に役立つと思うのですが、いかがでしょうか?

三宅島義援金受付一覧(8/30調べ)
東京都島しょ災害義援金口座(東京都)
 郵便振込先 00150-1-100220
日本赤十字社東京支部(日本赤十字社)
 郵便振込先 00130-5-7883
東京都島しょ災害義援金口座(東京都)
 富士銀行・東京都庁出張所 2334133
七島信用組合三宅島支店
 当座 2000122
 東京都三宅島三宅村収入役


OB以外の方々のご意見


2000.9.3 Hさん
徳島県立城東高校北島分校(定時制)の教員をしております。
私の勤務している北島分校も、徳島県では唯一の企業内定時制高校として高度経済成長期の労働力を支える女子労働者に高等教育をと紡績会社の工場内に昭和40年度から開校された昼間二部制の高等学校です。
私の学校も全寮制(最近は自宅から通っている生徒もいる。)の女子校で、秋川高校と同じく、平成13年度に最後の卒業生17名を送り出して廃校となります。
ちょうど三宅島の噴火が激しくなって、三宅島の子供たちを廃校が予定されている 秋川高校でとのニュースを頻繁に耳に付け、インターネットで調べて見ると、自分の勤めている学校との共通点も随所にみられ、今回投稿しました。

やはり、自分の通っている学校がなくなるのは、寂しいものですね。現在の在校生からもその様子ははっきりと伝わってきます。現在の在校生は43名。学校行事をするにもだんだんと規模を縮小して行うことが多くなっています。北島分校の全盛期は全校生徒も500名を超えていたそうです。
15歳で親元を離れ、4年間(定時制なので4年間の学生生活を送ることになります。)、仕事と学校の両立をしながら、最も多感な時期を過ごすというのは、今の生徒たちには少々酷かなと思うところも多いです。私はまだこの学校に赴任して2年目なのですが、現在残っている3,4年生の在校生は寮生活や会社での人間関係の大変さや、働いてお金を得ることの大変さも知り、精神的にも他の全日制の高校生よりはずっとたくましく生きていると思います。
しかし、学校と会社以外の他の世界をあんまり知らない、ものの見方が狭い生徒が多いです。
現状に不満を唱え、高校を卒業した後、本当に苦しく大変なことはいっぱい待っています。
残念ながら「4年間もここで頑張ったんだから卒業したらゆっくりしたい」という生徒が多いのも現実です。大学へ進むような気概を持っている生徒は、昔は多かったですが、今は少ないし学力的にも難しいのが現実です。
私たちの学校も廃校を記念して記念碑をたて、記念誌を作ろうと少しずつ動き出しています。
また廃校後の校舎の有効利用も会社の方に考えてもらっているところです。
秋川高校のOB掲示板の方にも、そのような廃校後の記念行事の記載がありましたので、読ませていただきました。
学校を思う卒業生方の思いをはじめ、いろいろと参考になりました。ありがとうございました。


2000.9.2 Sさん
実は三宅島からの避難児童のボランティアとして近日中に秋川高校に行くことになったのでホームページを訪れました。
そこで廃校を知り驚き、その経緯を読むにつれさらにショックを受けました。
初代校長の「当初は質のいい生徒が集まっていたのだが」と言う言葉には同じ教育に携わるものとして疑問を感じました。
セリフのその部分だけ抜粋されているので彼の真意ではないと思いますが。

私は英会話学院を経営する20代の者ですが研修で訪れる英国では優れた全寮制学校が多数あります。
そこでは優れた教育法で優れた生徒を長年輩出しています。
各生徒の長所や得意分野を見つけて伸ばすというプルアップ教育が実践されているからでしょう。

ですから秋川の初代校長は自らの生徒を批判することによって、自らの教育方法に何らの自助努力もし得なかった事を露呈してしまったようです。

なんて、第三者の私が長々と余計なお世話ですが、言いたかったのは秋川の卒業生、在校生の皆さま、母校と自分自身に誇りを持ち続けてください。

私は厳しい女子校時代の十数年間、先生に問題児と言われ続けてましたが今や立派な(?)教育者です!

それでは秋川高校にお邪魔するのを楽しみにしています。


2000.9.2 Mさん
神津島に在住しているものですが、家の娘どもは(二人で、小学2・4年)です。
島で生まれ育ったものですから、内地に比べると、知能が足りないように思います。
体力は抜群ですが・・、こちらまだ関係ありませんが・・・

三宅島の子供たちも、似たり寄ったりだと思います。
(親たちも同じだと思います)

島の生活と、内地の生活は違うと思います。
離島から内地へと言う重圧が、親にはかかりますが子供たちは、憧れの?内地です。
親と、子供のギャップが心配です。

よろしくお願いします。