ここにある男がいる。名は特に秘す。
彼は19年前青雲の志を胸に抱き足立区の中学から都立秋川高校に入学し1棟46室に配属された。同じ時期に秋川の門を叩いた2百数十名と同じように彼は当時流行っていたドラマで見た全寮制の学校に大変憧れを持っていた。あたかもそこに行けば必ずや幸せが待っているという戦前の満州或いはブラジル移民のケースと全く同じレベルの幻影だった。彼は今迄親元でのんびりと過ごしていたのでこの寮での(部屋での)出来事に驚きの連続だった。というより恐れ慄いたといった方が適切かもしれない。
先ず四六時中同じ顔の男が常に間近にいるということ。まして就寝時に隣のベットに赤の他人がいることなど、今迄の自分なりに抱いていた生活観・人生観が次々と全て打ち砕かれるのを痛切に感じた。特に兄弟部屋と称する一見先輩が後輩の面倒を見る、という甘いイメージの制度も実は同じルームナンバーの先輩が後輩をゴミのように扱うということと全く変わらないということも全寮制に対する彼の甘美な思いを打ち砕くに充分であった。しかし彼は耐えに耐えた。彼をここまで頑張らせたのはもともと中学校時代は大して目立たなかったので見知らぬ土地で思いっきり自分を変えそして中学時代自分を馬鹿にした仲間たちを見返したいという気持ちだけであった。体力的に恵まれない彼は運動部ではその目的を果たせないのは明確であった。
そこで彼は勉強に活路を見出すことにした。何をやるか、彼はいろいろな学科の中から英語を選択した。猛烈に勉強をした、と書きたいところだがそうではなく猛烈に大量に参考書を購入した。ざっと列挙してみても「試験にでる英単語」は当然のこと、同じシリーズの英熟語、だじゃれで覚える連想シリーズの単語・熟語、英文解釈では新々英文解釈そして赤本シリーズ等々がある。
そして彼は教材購入に飽き足らず「共同学習」というゼミナール形式の学習会にも参加した。その学習会での教師は若い教師であったがこの教師は自分だけでなく秋川高校を進学校にしたい、進学率を高めたいという彼とは違った意味での野心を抱いていた。この教師は自分の事を熱血教師と思っていた。話は脱線するが後に政経を教える事になる教師も熱血漢という点では人後に落ちないものがあった。青空教室(その教師の命名による)という屋上で授業を行うということもあった。
話をもとに戻すと彼は参考書を大量に購入し且つ共同学習にも出席したが結論を述べるとその意気込みは長くは続かなかった。理由は2点ある。第一はその学習を行うに際して基礎学力が絶対的に不足していた事。(この点に関しては殆どのこの高校の生徒に当てはまる。)
第二に周りの足の引っ張りである。周りの者は巧妙に彼の足を引っ張った。「しこ勉」という言葉を浴びせることによりそれを行った。入学して数ヶ月も経ち彼はこの学校で生きていく術を完全に会得していた。それはとにかく自分を出さず周りと同調するという事だった。
彼はそれを忠実にそして完璧に実行した。次第に共同学習からも足が遠のいた。その代わり同僚と北辰館で購入したポテチを食べながらダベる(懐かしい言葉である)時間が増えた。勿論同僚は彼の態度の変化を喜んだ。そのうち彼もこのままの状態の方が心地よいことがわかった。このような態度の結果、彼は推されて応援団も務めた。この野蛮な学校で応援団を務めるということは大変な事であった。彼はこれを立派に務めたことにより自分の変身が完全に正しかったことがわかった。そして2年になり、3年になっても彼はこれを崩さなかった。英語の参考書を購入し続けるのも変わらなかった。常に自分を出さず(下手に自分を出すとこの高校では一番恐い言葉であるシャシャるという言葉を浴びせられ完全に無視されてしまう。)周りの意見に迎合した。しかし周りの者は彼を完全に仲間と思い予餞会では彼に独唱する機会を提供し彼は「長い夜」を熱唱した。この予餞会の数ヶ月後この秋川高校の負の部分だけを身に付けた男が実社会に飛び出した。
学力は向上しなかったが相変わらず英語に憧れを持っていた彼は英語の専門学校に進んだ。その時から彼は高校時代と異なり今に至るまで全く輝くことはなかった。
彼が今秋川高校に対してどの様な感情を抱いているかは、寡聞にして私は知らない。
(以上書き綴った事は“彼”に近いイメージの男性は実在しますが記述にはかなり誇張あるいは事実とはかけ離れている点も多数存在いたします。この点をお含みのうえお目を通して頂ければ望外の幸せです。)