相模野の台地を流れる六河川
名称 相模野の六っの河川
アイコン場所 神奈川県相模原市
アイコン交通 JR横浜線/相模線/京王線
メール アイコン 相模原市には河川が北から南に向かって6本流れています。
相模川
■相模川は、山梨県山中湖と忍野八海を源流として、北から相模野の西側を南に向かい平塚市で相模川に注ぐまで、総流長約110kmの大きな1級河川です。
山梨県では最近では桂川と呼ばれていますが過去には時と場所により焼橋川、宮川、横川と呼ばれました。中流域の相模原市域では相模川、そして、下流の寒川町では馬入川(ばにゅうかわ)と呼ばれています。
■相模原市域では相模川と呼ばれ市内で一番大きな川です。昔は田名辺りで鮎が沢山捕れたので鮎川と呼ばれていましたが、ダムが出来てからは魚もいなくなり現在は6月頃、放魚されています。相模川は自然の村沿いを流れ大島、田名方面に流れ下ります。
■かって、小倉橋から河口にかけては帆掛け船で物資が運ばれました。
■江戸時代から相模川には鮎がいますが、明治のある時代までは、サケが遡上していたと記録に残っているそうです。ウグイもいます。山梨では、“まるた”と名付けられているそうです。
■1万8千年前の石器時代には信州の黒曜石が田名向原遺跡にもたらされました。また、神津島、箱根および伊豆半島の黒曜石もそれぞれの時代に相模原を通って山梨や長野に運ばれました。戦国時代、武田信玄は相模原を通って小田原の北条軍と戦いました。両軍の戦いの結果、残党や供養する僧がこの地で、相模原市域北部大島界隈には武田軍縁の者が住み着き、南部には北条軍の縁の者が住み着きました。相模原は河川を伝わって、あるいは野原を近隣諸国の人々が行き交い多くのドラマを残しました。
・2004年に開通した新小倉橋から、旧小倉橋と下流方面を望む。
■木々の間からのぞいた蛇行する相模川。
■諏訪森下橋
 鮎の解禁時期になると、沢山の釣り人と竿で川が埋まります。
□大島キャンプ場付近
■神沢の淵です。相模川自然の村にちかい河川敷には釣り堀もあります。
 
■宗祐寺山王坂付近の相模川
渡し
 相模川には渡しが、神奈川県内30ケ所、相模原市域内6ケ所もありました。
  @神沢の渡し
  A滝の渡し
  B久所の渡し
  C望地の渡し
  D当麻の渡し
  E磯部の渡し
滝の渡し
磯部 三段の滝あたりで八瀬川が注ぎ込む
境川
■昔、境川は高座川と呼ばれました。
真ガモの雄
真カ゛モの夫婦。
雌は茶色ぽく地味な色です。
カワセミもみられます
大サギです。羽がすだれのようになっているのが特長です。餌を探していました。
おなじみの鳩ですが、自然の中にいると意外ときれいですね。
真鯉に緋鯉が悠然と河上に向かって泳いでいます。
町田から古淵まで約5kmを約1.5時間かけて歩きました。
道保川
■上溝地区丸崎を源流とし、約3.7kmと短い河川です。下溝地区では三の沢とか東川と呼ばれています。
しかし、上溝地区辺りの清流には源氏ホタルが生息するなど昔の川の風情が残っています。
姥川
■姥川は下溝地区では、中ノ沢または二の沢と呼ばれています。
鳩川
■江戸時代には、鳩川は籏川と呼ばれました。明治時代に入り鳩川と呼ばれるようになりました。上溝地区では流れが緩やかな長瀞と、下溝地区では、鳩川・姥川・道保川の中で一番目の川である一の沢と呼ばれています。
 孟宗竹が川の土手沿い特に九沢辺りには茂っています。江戸時代には江戸城の煤払いように献上されていました。
八瀬川
直線上に配置
相模野の自然と文化財