相模原市域の石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代の遺跡を紹介


相模野台地は扇状地!

これらの遺跡は主に相模原の五つの河川沿い、一つの丘陵および三つの段丘付近に分布しています。河川は西から相模川、八瀬川、鳩川、姥川、道保川そして境川です。丘陵は多摩丘陵です。段丘は相模原段丘、田名原段丘そして陽原段丘です。

(注)内容は当HP作成者の主観で記述していますので、事実とは異なる場合があります。
補足 関東ローム層---約6万年前から約1万年前までに箱根山・富士山・浅間山の火山灰が堆積して形成されました。
土器製作事例
<石器時代(一部 縄文時代、古墳時代等含)>
津久井城跡遺跡
■津久井城跡(城山町NO8遺跡)
  城山山麓右下付近の道沿い斜面
  城山登山口から徒歩 約5分
<城山町NO8遺跡からの出土した遺物類>
 ・2007年9月8日現地遺跡説明会に於いて

■旧石器時代の石器類
・細石刃!も見つかった
・水晶製の石器!
■縄文時代早期の土器
■縄文時代前期の土器
■縄文時代中期の土器
■縄文時代後期の土器
<A区 北寄りから旧石器時代の遺物が発掘>
A区 北側の地層
 ・B2層
 ・AT層 約2.6万年〜2.9万年前
 ・B4層
約3万年前の石の遺物
上記の姶良丹沢地層(AT層)は、約2.6万年〜2.9万年前のものであるが、このAT層よりさらに1m以上下から旧石器時代の石の遺物が発見された。加工の痕があるという。
■約3万年前の石の遺物(拡大)
 石器?
■石片類
 石器工房跡か?

B4層よりさらに下には、河床の礫層等が見え始める。この城山山麓斜面は、かって相模川か串川が流れていたことになる。
■埋没谷 掘割等の遺構
<A区B,D区の境付近>
 ■地下ムロ
  4室のムロが細い穴で繋がっている。江戸時代に植物を栽培していたらしい。
<D区 縄文時代 遺構・遺物が多い>
 ■落し穴地帯
■落し穴
 ・逆木を刺した穴が見える。
史跡田名向原遺跡
■史跡田名向原遺跡公園
 ・2007年11月10日に、田名向原遺跡公園事業にて、市内ウオークラリー約200名の大勢の方が見学された。クイズを当てると地元の農産物が頂け盛況でした。で
■橋本遺跡
■相原地区の約2万年前、旧石器時代の遺跡です。境川沿い。
■長久保遺跡
■上溝地区の約3万年前、旧石器時代の遺跡です。
下九沢山谷遺跡
■1万5千年前、旧石器時代の遺跡です
■横山坂遺跡
■1万5千年前、旧石器時代の遺跡です。
■元橋本遺跡
■古淵B遺跡
■境川沿いに分布する旧石器時代の遺跡です。
下森鹿島遺跡
■境川沿いに分布する旧石器時代の遺跡です。
■中村遺跡
■境川沿いに分布する旧石器時代の遺跡です。
<縄文時代>
勝坂遺跡
勝坂遺跡 ■かなり広々とした細長い場
 *詳細は別なページに掲載しています。
左の矢印をクリックしてください。
■相陽中学校南方遺跡
■相陽中学校南方遺跡9
 谷戸みたいな森に囲まれた窪地
■市道横山磯部内遺跡
■市道横山磯部内遺跡10
 交差点脇
■新戸 五味ヶ谷遺跡第8地点
■縄文時代 後期(BC1000〜2000年)の遺跡です。
 神奈中バス 武井バス停から徒歩5分の東側高台にあります。
 道路工事のため東西に細いI字型トレンチです。
 西側にまばらな配石遺構がありました。この配石のところから縄文土器片が多数出土しました。
 
西側北側の全体に茶色の地層です。
 赤みがかったつぶつぶの火山灰は、移植ゴテで引っ掻くとザラザラと音がします。
LS:関東ローム層のソフトな火山灰層
LH:関東ローム層のハードな火山灰層
■堀之内式と加曽利B式縄文土器が出土しています。
■打製石斧
■磨製石斧
 そうとう使い込んだようで、かなり刃の部分が破損していました。
■漁労の石の錘
 綱を巻く細長い溝が縦方向に掘られています。
■落とし穴 
■平安時代の土器
東側から約8mの所です。赤い色をしていました。
■田名塩田・西山遺跡
■縄文時代 後期の遺跡です
■田名塩田遺跡群2
■縄文時代 中前半期の遺跡です
■当麻亀の甲・西原遺跡7
■縄文時代 後期の遺跡です。
■夢が丘陸橋近くの遺跡跡
 縄文時代の住居跡が斜面に発見されたが、現在は道路が掘り割り状に開通し、遺跡はない。
■当麻亀形遺跡
■縄文時代 後期の遺跡です。
■下中丸遺跡
■縄文時代 中前半期の遺跡です
■上中丸遺跡
■縄文時代 中後半期の遺跡です
■下原遺跡
■縄文時代 中前半期の遺跡です
■下溝鴨川遺跡
■縄文時代 後期の遺跡です
■下溝上谷開戸遺跡
縄文時代 後期の遺跡です
■橋本遺跡
縄文時代の遺跡です
■清水原遺跡
■縄文時代 中前〜後期の遺跡です
鍛冶谷県道より東側の清水保育園から日々神社にかけての畑で石器や縄文土器が出土した。石器には打製石斧、磨製石斧、磨石、凹石、石錘、石槍等がありました。特に、石錘は多量に出土し、相模川で漁労をしていた事がうかがえます。一方、土器には勝坂式、加曽利E式が出土しました。ゴボウを掘った時に1m〜1m20pの深さから現れたらしい。篠崎さんが保管していた。また、篠崎さん宅からは、かってかなり大きな配石遺構らしいものがが見つかっている。
清水原遺跡に続く古清水2332付近からは、縄文時代中期の遺物が発見され、山口さん宅裏の祠からには、石棒、石皿が安置されている。
また、上大島坂上、島牧場から相模川に掛けての台地縁辺からは、敷石住居祉が発掘されている。
■当麻遺跡3号
■当麻3号遺跡
■当麻3号遺跡
■当麻3号遺跡
 表面採取した縄文時代中期土器片
 金粉のように光る雲母が混じっている。
 (2005.10.19)
■当麻遺跡456
■縄文時代 中後半の遺跡です
■当麻・下溝遺跡群
■縄文時代の遺跡です
■山王平遺跡
■縄文時代の遺跡です
■相原森の上遺跡
相模原市北西に位置し、西側は関東山地・丹沢山地と相模川が流れ、東には関東平野・多摩丘陵と境川が流れ東京都町田市との境界を造っています。南面は南北に細長い3段の河成段丘から構成された相模原台地で、現在は湧き水の少ない乾燥した土地ですが、12万年前の間氷期までは相模川が境川付近を流れており海が厚木まで迫り、やがて氷期になると相模川は富士山・丹沢山系の砂礫を運び細長い扇状地を形成していきました。その後、箱根山が噴火し火山灰が関東平野に降り積もりました。→さらに、寒冷化により氷河が広がり海が後退して段丘が生成されていきました。→富士山の火山灰が相模原台地に積もりました。→1万年前〜6000年前に氷河期が終わると厚木下流まで再び海が進み、相模川沿いに扇状地が広がりました。南北の高低差は北が高く約100mもあります。南はもちろん相模湾になります。

■太古の昔からこの相模原台地に生活し、石器、土器、住居跡そして多くの文化財を残してきた人々の姿を知ろうと思い立ったわけです。相原森ノ上遺跡は、上記の相模原台地の北西部 相模原市相原4丁目の住宅地の畑の中に所在しています
■出土したものは、約1.5m下から深鉢型縄文土器4個、炉跡1個、竪穴式住居跡2軒および倒壊し逆さになった木の根跡1個でした。住居跡は一部が重なっており、東側に延びていますが発掘範囲外のため、掘り進めることが出来ず残念です。又、石器とか土偶等は見あたりませんでした。当時の地層を実際に見て、当時の植物や木製品は腐食していてきれいな黒土に変わってしまっている事でした。ゴミ一つないきれいな過去の空間です。ただし、付近に住んでいる人の話によると、畑の表面からゴボウ・山芋とかを掘ると土器のかけらが沢山見つかるとの事でした。この付近は当時、食物に恵まれていて、一大縄文集落であったかも知れません。
約4,000年前の縄文時代を思い浮かべますと、現在の気候は年間雨量1,590o、月平均雨量は1月40o〜9月約210o、月平均気温は4月約4℃〜7月約27℃ですが、当時は雨量が多く温暖で、常緑広葉樹林帯だったようです。まだ、稲作がない採取・狩猟の時代ですから、多摩丘陵のドングリや境川・相模原の魚を食べていたのかもしれません。相模川沿いに遠く甲府・信州や相模湾まで出かけていたかも知れません。石器が少ないのである季節だけ住む中継地点だったかも知れません。
出土した縄文土器の種類は八ケ岳〜関東地域に分布する曽利式と、関東地方に分布する加曽利式Eです。また、私は炉跡にもどのように使用していたのか想像すると、興味があります出土した縄文土器の種類は八ケ岳〜関東地域に分布する曽利式と、関東地方に分布する加曽利式Eです。また、私は炉跡にもどのように使用していたのか想像すると、興味があります
■川尻石器時代遺跡
■川尻石器時代遺跡
約5千年〜3千年前の大島地区の北方 神奈川県城山町にある遺跡です。
■相模川を見下ろす景観の良い高台にあります。遺跡はどこも見晴らしが良く川や泉のそばにあります。生活し易く眺めがよい場所を選ぶのは昔も今も変わりません。
■敷石の住居跡が見つかりました。定住に近い生活をしていたのでしょうか。
<弥生時代>
<古墳時代>
■当麻東原古墳
■当麻東原公園
■当麻東原古墳
■当麻東原古墳
■当麻東原古墳
■当麻東原古墳のなん゛いに歯水田が広がる
■当麻谷原古墳群
■当麻谷原古墳
■当麻谷原古墳
■当麻谷原古墳
 金山神社脇にある小さな塚
■当麻遺跡
■宗祐寺古墳群
■田名堀ノ内遺跡
■田名塩田遺跡群
■御所ノ入横穴墓
■古淵横穴墓
■道正山横穴墓
<奈良・平安時代>
■田名堀ノ内遺跡
■田名塩田遺跡群
■当麻遺跡
■橋本遺跡
■矢掛久保遺跡
■中村遺跡
■瓦尾根窯
[参考文献]
 ・「わが町の歴史相模原」座間美都治、神崎彰利 昭和59年1月
相模野の自然と文化財