2.九沢地区の自然と文化財
名称 相模原市 九沢地区
アイコン場所 上九沢/下九沢
アイコン交通  ■京王線 橋本駅又は、JR横浜線 橋本駅
   橋本駅南口 神中バス 望地キャンプ場行き    六地蔵下車徒歩5分
メール アイコン最新記録日 2006年6月 
■相模原北公園
  六地蔵坂上の北側に郷土の森(クヌギやコナラの雑木林)や花園そして池が広がります。
■花は、春はもっこうばら・シャクナゲ・ツツジ 梅雨時にはあじさいが見事に咲きます。

■相模原北公園の北側には、北の丘センターがあり、温水プールや浴室でゆっくり
楽しむことも出来ます。

■相模原北公園は6月になると約1万株の紫陽花か゜咲き乱れます。午後4時でしまります。先週
の紫陽花フェスティバルの日は時間切れでみれませんでしたが、今日は午後一番に入園し、白
い紫陽花を初め林の木陰にの中に咲くものや、葡萄の房型のもの等いろいろな種類を堪能し
ました。

6月 アヤメも咲いていました。
■春は新緑が気持ちよく散策がたのしめます。
■北公園の梅 2007.2.5
■相模・下九沢温泉 湯楽の里
 下九沢2385−1に位置し、“北公園入口”バス停から徒歩1分のところ。六地蔵 
バス停からだと、北公園を北西の方角に六地蔵の徳本念仏塔を見て、中村 バス停
を過ぎていけば、徒歩 約10分程で着きます。白壁の和風造りです。駐車場は狭いが
あります。
平成16年11月にお湯が出て、平成17年3月から開店。
・朝9時から午後0時迄営業。
・平日大人700円休日900円。回数券がお得なようです。
・2階には、お休み処、いやしの間があり ゆっくり休息できます。
・1階にはレストランがあり、日本そば、魚、ビールもあります。
地下1700mから、昔、この辺りが海だった頃の海水が熱せられて噴き出すとのことです。
アルカリ性単純温泉。効能としては筋肉痛、五十肩、疲労回復、健康増進が
挙げられるそうです。
北の丘センター
相模原北公園の北に北の丘センターがあり、温水プール(大人2時間400円)や浴室
(おとな200円)があります。また、有料予約制の会議室もあります。
はけ坂
相模原北公園 南側入り口付近の掘り割り道に繋がるはけ坂
相模原北公園の西側入り口付近の段丘に、はけ坂という坂があります。旧鎌倉街道の
なごりか現在も地元の人や子供達が使用しています。木立に囲まれた涼しい小径です。
■六地蔵坂上
六地蔵の坂から遙か西南(左上)に大山(別名 天降山)がかすかに見えます。
■下九沢分水池
相模ダムはS22年頃に完成したそうですが、下九沢分水池は戦後間もないS24年に完成
しました。津久井隧道で津久井分水池→相模隧道で下九沢分水池へ導かれ、ここから横浜
と川崎へ分水されます。市民の飲み水となる大変重要な施設です。
■金比羅さん
■奉納された俳句
■弁財天
  県道508号線沿い稲毛屋の西方近く。
■庚申塔群
 県道508号線沿い稲毛屋 南方の右側にあります。かなり風化している。
<小泉利角 芭蕉の句>
相模原にはいたるところに芭蕉の句碑があります。左記の句碑は旧下九沢村 名主で
あった小泉家(現 子孫 小泉幸重氏)庭園にあります。
石碑には小泉家の祖先「利角建之」とあるようですが、摩耗していて良く判別できません。

  
陽炎や 柴胡の(糸)原の 薄曇り
<小泉茂兵衛幸隆屋敷の黒門>
江戸時代1790頃 作の口 小泉茂兵衛宅に、剣術天然理心流の道場がありました。
天然理心流開祖 近藤内藏之介長裕が小泉茂兵衛幸隆宅に剣術を広めるため逗留し、
指南免許を授けました。黒門は黒塗りの格式ある門でしたが、
昭和60年に国道129号改修工事で取り壊されました。
1980頃、129号線の工事により屋敷は移転され その時 黒門も取り壊されたとのこと
です。現在は車屋さんになっています。天然理心流は実戦的な剣法だそうです。ふと、
今年の1月に帰省して訪ねた熊本の宮本武蔵二刀流を思い出しだしました。
作の口の赤門
黒門に対抗したという赤門は、風格のある構えでした。
庄屋か武家屋敷のイメージです。
塚場の大山道 道標
 九沢橋の塚場のシンボル庚申塔の手前
塚場のシンボル庚申塔
 元は武州大山街道と甲州久保沢街道の交差点にあったが、昭和5年頃、
県道小野相模原線/上溝城山線拡張工事で北側の九沢橋交差点際に大
きな庚申塔があります。へ写されました。
古刀が発掘されたと言います。
1775年 安永4年の建立。庚申は60日毎に巡ってくる かのえ申です。
■庚申塔の脇には、出羽三山供養塔があります。寛政7年講中が建立。
■九沢橋たもとの一石六地蔵
■塚場のよ夜泣き地蔵
 九沢橋から塚場自治会館よりの坂道の途中 右側に祭られています。
江戸時代中期の頃の建立と云います。夜泣きが早く治るように願をかけお参りすると
良く治ったそうです。子供の成長と幸せを祈ったそうです。
■塚場自治会館
■日枝神社祠跡(山王社)
  塚場自治会館の裏庭にあります。明治41年に御嶽神社内に遷座しました。
  日枝神社は山王権現ともいわれ天台信仰として塚場村の鎮守でした。
山王信仰とは、比叡山東麓に鎮座する日吉神社のことで、祭神は大山咋命、
大巳貴神で山の守護神、山麓村落の守護神、国造りの神(氏神様)を信仰するもの。
塚場の子育て地蔵
 神道坂と神明坂との分岐点にあります。右側のお地蔵様です。疱瘡神とも云うそうで、
種痘がよくつくようにお願いしました。
■瘡守稲荷大明神(かさもりいなり)
 下九沢派出所脇道を少し行った右手にある小さな社のお稲荷様です。
 幕末から今日まで、絵馬を奉納して、病気平癒や家内安全および入学祈願等 
願をかけました。実際に絵馬が何枚かかけてありました。
戦時中は武運長久を祈願しました。祈願にあたっては、最初に土の団子を年の数
だけ上げ、目的がかなえられると米の団子を上げたそうです。
■金泉寺
■宮下にある八王子 薬王院の末寺 真言宗智山波寺院で山号は
九澤山と号し、本尊は薬師如来像です。1402年に再建。
■山本作左衛門の墓誌銘。1848年下九沢名主 山本家に生まれ
戸長となり、板垣退助の自由民権運動をした自由党に入党し県会
議員となり、相国社をつくり民権派の政治家として活躍したが39歳で没。
■宝篋印塔 1743年に造立。
■金泉寺本堂
■金泉寺の案内板
■山本作左衛門の碑
  金泉寺境内にあれます
■宮下の徳本供養塔
■宮下の弁才天
 今井氏宅内。
日枝神社
■日枝神社角の石造物
  日枝神社の角にあります。
■百番観音
 以前は作の口 観音坂の大山道標と同じ辻にあったが、
 129号線改修工事により、日枝神社入り口に移設された。
高座郡九沢
・129号線の観音坂辻から作の口方面付近
 実際の観音坂辻は、左側道の中央部で、台座、百番観音等があった。。
■作の口大山道道標
 作の口観音坂の辻にあった。
■大山道道標の本来の台座
作の口観音坂の辻にあった。
作の口の観音坂にも停車場があったらしい。
道標は終戦前に観音坂の辻にあったが、道路拡張工事で129号線の下に埋もれ、
昭和59年8月に道標の台座を発見したといいます。今は個人宅に保管されています。
大山街道、八王子街道、神奈川街道と三つの方向が彫られています。
上部部分は未発見とのこと。土に埋もれているかも知れません。百番観音は、
七沢産出の石を用いているとの事でした。砂岩のようでもろく表面が剥がれ掛
けているが、風雨にまかせるのも一つの考え。
・大山道を表示している面。
 
・神奈川道を表示している面。
・八王子道を表示している面。
■もう一つの台座
 作の口観音坂の辻
大山道道標
 日枝神社よこの129号線の坂を登った右手にあります。
金刀比羅神社
御嶽神社
応永元年創建、蔵王大権現から明治2年に御嶽神社となる。
祭神は日本武尊、祭日8月26日です。
■蔵王池灯籠
■馬持中の灯籠(内出(塚場)の鎮守 日枝神社(山王社)前)。
山王信仰とは近江国 比叡山の東麓に鎮座する日吉神社のことで、
平安時代から言われ、祭神は大山咋神と大巳貴神で山の守護神、
国造り神として氏神様とです。
■下九沢の獅子舞 1818年頃から舞われる。
■下九沢御嶽神社 例大祭の境内
  2006年8月26日
■塚場はやし連
 下九沢御嶽神社 例大祭の日
■神前舞の笛太鼓
 下九沢御嶽神社 例大祭の日
■神前舞 神楽殿左手より登場
 下九沢御嶽神社 例大祭の日
■神前舞 3人がそれぞれ舞われました。
 下九沢御嶽神社 例大祭の日
■神前舞
 
■獅子舞の舞台に砂山
 下九沢御嶽神社 例大祭の日
■下九沢御嶽神社の獅子舞
  8月26日初めて御嶽神社の境内で舞われるのを
  見せて戴きました。
  
■獅子舞
■お疲れ様でした。

御嶽神社は応永年間(西暦1394〜1428年)足利義満が

室町幕府を開いた頃になります。このころは、−連歌・能楽の完成。

祭神は日本武尊で、祭日は1日早く、8月26日と決まっています。

下九沢御嶽神社の獅子舞」 記号番号は、登−6

 ・市登録無形民俗文化財 平成13年0401日登録

 ・県指定無形民俗文化財 昭和51年1019日登録

 ・保持団体:下九沢御嶽神社獅子舞保存会

拝殿前の大灯籠
 御嶽神社拝殿前の左右1対の大きな灯籠です。
■蔵王池の灯籠
 御嶽神社入り口にあります。
■あおばずく
 右手奥の榎木の大木に春先に来て秋にはまた暑い国へ飛んでいくんですよと管理人の方が
説明してくださいました。バードウォッチングの方も見学に来るそうです。
■御嶽神社の獅子舞由来巻物
 御嶽神社の獅子舞は、1821年(文政4年)8月 名主 榎本重蔵より獅子世話人小川忠三郎
以下5名が伝授の写しを頂いて、
と云います。戦争で中断していたが、昭和23年に復活し、相模原市と神奈川県の無形文化財指定。
左記の獅子舞由来巻物は名主家に代々伝わるもの。
■榎本さん宅の秋葉山灯籠(奉納秋葉大権現石檠)
 御嶽神社の西側にあります。明治30年3月25日、塚場地区で大火が発生46戸を消失した
 と伝えられています。その時、この秋葉山が消失した農家に鎮座していたと云います。
 また、「塚場火防の神の箱」があり、現在でも各家を1週間から数週間づつ回し、燈明を上げ防火と
 して大切にしているそうです。

鳩川沿いには立派な竹林が続いています。
■蚕室
  相模原市で1軒だけ養蚕を生業としている農家の蚕室概観。
蚕は春、夏および秋に育てるそうです。
蚕室の内部は寒い日には暖房をいれ約25℃に保たれています。
数万匹の蚕が育っています。軟らかい桑の葉を3回/日与えるそうです。
今、2齢から育てる部屋 今、3齢 静かに葉を食べています。
5齢から育てる部屋
■井戸
■地蔵菩薩 
  春5月

早春
講中で使用する備品を保管する倉庫脇
■六地蔵の六地蔵さんです。
 左端の一つは徳本上人供養塔です。
六地蔵(仏道には十の教えがあり、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の六道を巡りながら
教えを広め衆生を救う分身を六地蔵として信仰しました)
■下九沢六地蔵の徳本念仏塔
■梅宗寺
巨福山と号します。本堂は平成14年に綺麗に建て直されました。
所在地は上九沢264番地
春の梅宗寺山門付近です。

■梅宗寺境内の石造五重塔
境内は綺麗に手入れされ、石造物の宝庫です。
一石六地蔵
一石六地蔵
小さな供養塔1
小さな供養塔2
■梅宗寺観音堂
梅宗寺の入り口手前に古びた観音堂があります。初期の建物は1710年に創建され何回か
建て直されました。

堂内には本尊観世音が安置されています。
観音様
 観音堂内には百体の石造 観音様が左右に安置されています。
これら観音様は、板東三十三番、西国三十三番そして秩父三十四番の札所の観音を集め
たもので、この観音堂にお参りするだけで、全国の札所を巡礼するのと同じ効果が得られま
す。
縁日は10月の8日18日28日です。
白子観音様
 観音堂ないに安置されている百体の中で左手の銀色に塗られた白子観音様は、
安産の守り本尊として昔は、近郊か
ら崇められ沢山の人々がお参りし、霊験あらたかと伝えられています。
また、巡礼者の子供を思う亡霊が葬られるときに入れられた六文銭で飴玉を六日間開続
け残した子に与えたという観音堂伝説も伝えられています。
■南山禅師の碑
梅宗寺の横にあります。
顕彰碑は梅宗寺の入口に昭和37年 建碑されました。南山禅師は1756年上九沢名主
笹野家に生まれ、長徳寺で出家後、江戸 東禅寺で修行中、仙台藩主 伊達重村氏に
見込まれて38歳の時仙台 瑞鳳寺の住職に迎えられました。詩文や書に秀でていました。
1839年没
九沢の八坂神社(天王社)
 九沢の八坂神社は、内出の北西市営九沢団地の鳩川沿いにありましたが、
平成13年にこの六地蔵の地に遷座してきました。神社の境内はかって、天王森と
呼ばれていました。
祭神:素戔嗚尊
祭日:7月25日(現在は7月最終日曜日)
境内には芭蕉の句碑があります。
■下九沢 鳩川源流近く、県道厚木城山線
祭神は須佐之男命、祭日は天王祭といい7月最終日曜日に御輿が九沢囃子のって
日ノ宮に行きます。境内は天王森と呼ばれ神社は天王社とも言います。
■下九沢の俳人 西孤が1810年に建碑した芭蕉の句碑「秋深し隣は何をする人ぞ」
が境内にあります。裏面には西孤の「ものうきも是におさまれ虫の声」と刻まれていま
す。西孤は安西氏で、“ゆくゆくは あめになろふか 秋の風”と辞世の句を刻んだ自然
石が長徳寺安西家の墓地にあります。
芭蕉の句碑
 松尾芭蕉の『秋深し隣は何をする人ぞ』が当て字で刻まれています。1810年 文化8年に
建碑され建碑者は、九沢の俳人 西孤です。
裏面(写真)には、西孤の俳句『ものうきも是におさまれ虫の声』が刻まれています。尚、西孤の墓は
長徳寺にあります。西孤の辞世の句は、『ゆくゆくは 雨になろふか 秋の風』
■九沢 日ノ宮
バス停 中村の東側にあります。この境内は、お日の森と呼ばれています。
祭神:天照大神
祭日:7月25日(現在は7月最終日曜日)
九沢の八坂神社の御神輿は九沢囃子に踊らされて地域を巡った後、この日ノ宮
に到着します。
祭神は天照大神、祭日7月最終日曜日。中村バス停近くにあります。
境内はお日の森と呼ばれています。
伊藤家の子守観音
 508号線西側の屋敷内に小さな子供を抱いた観音様が鎮座しています。
明治初年5月、農家は養蚕で多忙な時期であった。子守をしていたおばあさんが背負っていた
子供と庭先にあった井戸に落ちて亡くなった。二人の菩提を弔うためこの子守観音を建て供養したと
伝えられます。今でも、おもちゃや玩具そしてお花が供えられています。
この辺りには、かって、養蚕をした赤トタン屋根の養蚕小屋がまだ残っています。
■鳩川沿いの竹林
 いつ見ても見事な青々しい孟宗竹です。
竹は水を好むと云います。川沿い、段丘、崖沿いに多い。
■大谷家の先祖 
 大矢平次左衛門の墓は、お日の森の下、鳩川近くの竹藪の中に隠れるようにあります。
1590年の豊臣秀吉が小田原を攻めた時、城山合戦の落武者と伝えられ、葉山島から
大島 会の坂付近で左目を射抜
かれたにもかかわらず敵からのがれ土着したと伝えられています。
■笹野家の長屋門
■上九沢の八坂神社
 笹野家の長屋門から鳩川近くを北に向かうと、上九沢児童館の隣にあります。
樹齢450年という大きな欅が目印です。上九沢村の鎮守でした。昭和57年に新築されたとき
京都八坂神社より改めて分霊を受けています。
祭神は太山咋命、祭日7月25日で旧上九沢村の鎮守。鳩川沿いの境内に大きなケヤキがあります。
■石灯籠(八坂大神)
酒まんじゅう屋さんを見つけました。
■石仏
上九沢自治会館入口の右側にあります。
■石造仏群
この石仏群の西側に、九沢八坂神社がありましたが、現在は都市化の波に追われて
六地蔵の所に遷座されました。
■職業訓練大学
■四谷の子育て地蔵
■鳩川源流
 内出交差点の北方に「籏川」と表記する石柱がたてられています。
この近辺が鳩川の源流と思われます。
■戻ってきた内出の道祖神
[参考文献]
 ・「相模原市史」 第1巻 
 ・「相模原の史跡」 第2版  著者:座間美都治 発行:昭和52年 8月
 ・「おおさわ風土記]      著者:笹野邦一 監修:長田かな子(おさだ) 発行:2000年 3月21日
直線上に配置
相模野の自然と文化財