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みなさんの感想


このページでは、箱庭ワークショップ(旧箱庭研究会)に参加されたり、個人セッション、体験セッションを受けられた方に書いていただいた感想を順次掲載していきます。箱庭作りをするとき、内面でどんなプロセスが展開していくのかを感じてみて下さい。(※体験セッションは現在は行っていません)

Hさん[New!]
実に楽しかったです。
夏→砂浜→海→鳥取砂丘
のイメージがそのまま乗り移ったかのようでした。
砂の感触もよくて、触っているだけで気持ちよかったです
自分でも思いもよらなかった「ちょっと寂しい」という言葉が
するりと出てきたのは驚きました。
誰かとこの綺麗な光景を楽しみたいのに、誰もいないので
「ちょっと寂しい」決して一人が嫌なわけではないけれど
そんな感じでした

Tさん(箱庭体験セッション)
黙って見守られながら“自由に”作ることは、初めは難しいと感じ緊張しましたが、そのうちに何となく「自分で自分の心を感じるしかないんだな」という気がして、イメージがどんどん膨らんでいきました。いちばん不思議だったのが、動物はたくさん使ったのに人形(人間)の棚から選ぼうとしても、どうしてもひとつも手に取ることができなかったこと。そして完成後に中野さんと話して、人間を置きたい気分になってどんどん選びだした瞬間は本当に楽しく、自分の行き詰まりを少し楽にするカギを見つけられました。

Mさん(第9回箱庭ワークショップ)
前からずっと気になっていた箱庭とこんな形で出会えるとは夢にも思っていませんでした。村上春樹さんの小説から河合隼雄先生を知って、何冊か本を読ませていただきました。

実際にどんなことをするのか、どういった道具を使うのか、ということはまったく知りませんでした。中野さんのところで部屋に入ると、棚に並んだおもちゃ達が出番待ちの俳優みたいで、見ていてドキドキしました。

2種類の砂の触った感覚の違いも面白くって…。ゆっくりと右にうずまき円で動かしてゆくと、本当に心が落ち着いて、深いところから何かがわきあがってくるような気がしました。

他の人が箱庭を作っているとき、また、砂を動かしている時に、自分も動かされていうる感じがダイレクトにして、びっくりと感動です。

よく色々な本などに“つながっている”とか、“現実は映し絵”だとか“相手は鏡だ”とか言われていますが、「なるほどナー」と実感する手ごたえみたいなものがあって、こんな仕組だったのか!!みたいな喜びがありました。

この世界は自分が創っているんだナーと、妙に感心、納得です。

毎回の箱庭で、こんな感じがいいナーと思いながら作っても、砂をいじっていると全然違う作品になってしまう。棚のおもちゃ達を見ていると「今日は私を使って!!」と呼びかけられているような気がする。妙ですが、嬉しかったです。

なんだか不思議です。

箱庭の深い意味も知らず、おもちゃ達の隠された意味もわからず、の私だったから、好きに自由に作れた気がします。(知識が先行しちゃうと、私はつい頭でっかちになって、分析してしまうクセがあったから…。)

4ケ月、2クールという私の箱庭体験だったのですが、Bestのタイミングで中野さんに出会って導いていただいたように思います。そのまんまの私達をそのまんま受け入れて下さって本当にありがとうございました。

あの場所では、自分と違った他の人の意見も素直に意見として聞くことができました。(つい「反論された!」と、とらえている時期だったので)

最後の作品で、つながった白い線がもっと太く大きくなってゆくように、これからの生活を楽しんでいきます。

部屋に入ってから箱庭を作り始めるまでのドキドキした気分や、作り終わってからのホッとした気分が、わたしまでビシビシ伝わってくるようでしたよ。

感想に書かれていますが、他の方が作っているときにも、とても多くのものを受け取っていました。それだけ、自分自身の内面の動きを感じ取る能力が優れていました。

置くものの意味を知っていると作りにくかったのではないか、という感想がありましたが、Mさんくらい内面を感じる力を持っていれば、知識は知識として理解しながら、自分の感じるところを素直に感じながら作ることもできると思います。

それに、たとえ知識がじゃまをしたとしても、それがそのときの自分なのですから、それは全然問題ありません。

本当に、まさしく出会うべきときに箱庭に出会った、というMさんでした。(なかの)

のーりんさん(第9回箱庭ワークショップ)
箱庭ワークショップを申し込んだきっかけは、その1ヶ月前に一人暮しを始め、自分のことをゆっくり見つめてみたかったのと、これから先どうやって生きていくのかの方向性が欲しかったからです。前からユング心理学に興味がありましたが、箱庭にいろんな物を置いていく作業で、一体心の中の動きなんて分かるんだろうか?と半信半疑でした。

初回の箱庭では子供の頃に戻ったような楽しい気分で作り始めましたが、中野さんの質問に答えているうちにだんだん苦しくなってきました。帰り道ではやたら眠くなり、家に帰ってからは何も出来ないほど疲れていました。その週の最後には全身にじんましんが出始め、3日間かゆみがとまらず、眠ることができませんでした。箱庭で心が動くことによって体も解放されるといろんな症状になって現れると聞いていましたが、その時は心と体の微妙な繋がりまでは理解できず、ちょうど会社でもでも嫌なことがあったので、それが拒絶反応として出たのだ、と思ってました。

次に行った時、中野さんたちに「前と表情が違うよ」と言われました。2回目の箱庭も自分のイメージ通り淡々と作りましたが、途中でノドのあたりがとても苦しくなりました。自分を表わす女の子の前に、小さなキューピーを4つ並べたのですが、そこに触れられた時にノドのつっかえが取れたような気がしました。中野さんに「今、気分はどうですか?」と問われ「ちょっとすっきりしました」と言ったら「今、ふっと表情が変わったから」と言われビックリしました。(そんなに表情にでるの?)2回目の後は次の日から5日間高熱が出てしまいました。じんましんに引き続きだったこともあり、ただの疲れとは思えず、やはり箱庭効果で自分の中で押さえていたものが爆発したような感じがしました。

3回目の箱庭では乗り物をたくさん使ったのですが、自分でも逃げ道を作れるようになったな…と思いました。終わった後も1日頭痛がしただけで、心も軽くなっていました。

最終回は自分でもビックリするほどエネルギッシュな箱庭になりました。作り終わった時にすごい満足感があり、スッキリしたという感じです。

私は一人暮しを始めて、自分では気づかなかったけど自分の居場所がなくなってしまったように思っていたようです。仕事や会社の人間関係でも行き詰まってて、家に帰っても一人ぼっちで、どこにも逃げ場がないように感じていましたが、最後に箱庭が「逃げ道は自分でつくったらいいよ。乗り物に乗ってどこにだって行けるし、道もいろいろ好きな道を選べばいい。」と言ってくれている様に感じました。すてきなメッセージをもらえたな〜と思います。

もうひとつ気づいたことは、中野さんも何度もおっしゃってましたが、心と体は繋がっているということです。私のように激しく体に出る人は珍しいかもしれませんが、何か心で押さえていることがあると、体のどこかでそれがブロックされ、痛みとなって現れるような気がしました。一人暮しを始めてから激しい腰痛に悩まされていましたが、じんましんの後、腰痛がすっかり消えていました。また、うれしことに中野さんたちに「1回ごとに顔の表情が良くなってきた」と言われました。(最初、そんなに暗かったんでしょうか…?)

長くなりましたが、箱庭体験によって得た気づきを大切にしたいと思います。また、時間をおいて箱庭に参加させていただきたいと思いますので、その時はよろしくお願いします。

箱庭作りの後、便秘や頭痛が直った、ということはときどきありますが、のーりんさんほど激しい身体の変化として出てくる方は珍しいです。だれでもが箱庭で腰痛が直るわけではありませんが、のーりんさんにとっては、箱庭という技法がまさしく今ぴったり合っていた、という感じですね。

それに、変化のプロセスを見ていて何より嬉しかったのは、感想にも書かれていますが、毎回毎回、どんどん表情が明るくなっていっていたことです。箱庭をきっかけにして、エネルギーの流れを止めていたブロックが次々にはずれていったようでした。(なかの)

花柄猫さん(第9回箱庭ワークショップ) ※花柄猫さんの箱庭の写真はこちらでご覧になれます
HP更新のついでに、今までの箱庭をあらためて見ると、
本当に沢山作ったなあ、と言う気持ちと、
それにしては、写真が少ないような気がする・・・という
両方の気持ちを感じました。
どうやら、10作作ったのは「たくさん」で、
写真の枚数10点は「ちょっと」という気持ちのようです。(^^ゞ

それにしても、10作の箱庭を眺めて、感じたのは、
やっぱり共通項は多い、ということです。
箱庭の雰囲気が、「花柄猫」しているように思います。
共通項があまりないものとしては、
1作目と5作目であるように思いますが、
その2つはそれぞれ白さという点で似ているように思いました。
作品を多数作っていくと、何かが見えてくるものなんですね。
(まだはっきりとはわかりませんが・・・)

それはそれとして、
今回の箱庭ワークは、とても楽しく作ることができました。
その時々の状況が、反映されるものだと、
自分自身でも感じられるようになりました。

絵では表現できない世界、
言葉にならない世界、
それが箱庭の中に凝縮して反映される。
また、箱庭を作り終えたときの、
満足感は、他のものでは代えられないように思います。

箱庭は、私にとってまさしく、
It's A Small Worldです。
ありがとうございました。

花柄猫さんの箱庭で特に印象に残っているのは、いっしょに作った他の参加者の方々からとてもよい影響を受けてきたな、ということです。体験セッションで作った第1作目はちょっと寂しい印象でしたが、グループで作り始めた2作目以降は他の方のエネルギーに触発されて、花柄猫さんの中に眠っていたエネルギーが活性化したような印象を受けました。(なかの)

N.T.さん(第6回箱庭研究会)
箱庭表現における無意識の頭角の存在は、そのつくった本人ですらなかなか気づかないもので、今回の研究会では、その存在を少しでも、自分なりに、また人からのフィードバックによって認識できたら良いなあと思っていました。でもやはり、自分のつくった箱の説明にすらろうばいしてしまう場面も少なくなく、今だにストレス発散の場としての利用という形の表現になってしまう事もしばしば。でも他の人の箱庭の変化や、多彩な表現は、お互いの心情へのアプローチとして、それぞれの心の奥深くに何らかの種をまいたかと思います。その事がこれから先の箱庭表現に限らず、日々の日常の中でどの様に反映し、育っていくか、ちょっとした課題かなぁ、と思います。

箱庭がストレス発散になるというのは、かつてわたしもよく体験しました。自分でも意識していないレベルで内面に抑圧されていたものを表現するので、思いがけないほどのカタルシス(浄化)の体験をすることもあります。ほんとに「すっきりしたー」という感じですね。ストレス発散の場として箱庭を使うことはまったく問題ないと思いますよ。そのための箱庭でもありますし。

それから、いっしょに箱庭を作る、ということが、お互いに影響を与え合い、それぞれのメンバーの心の奥に新しいものを芽生えさせる、ということは、最近ますます強く感じるようになりました。箱庭を通しての、言葉を超えた出会いが起こっているのですね。(なかの)

H.M.さん(第6回箱庭研究会)
今回は知らない人達と、不安もあり、期待もあり、男女2組で、そして色々と意見がでてきて活発に、それと、ずいぶんと違う箱庭をシンプルに表現する人達だなと、気にするくせに、モノマネはしたくないし。

影響をもらうより与えたかったのに、その兆候もなく、マイペースで作っている人々。それに自分も自分なりに、ゴチャゴチャとスキ間なくおいていく。落ち着かないのでか、おくことにたのしいからか、しっかりと表現をされた、というか、人の作品は人の作品。自分もどう、自分もどうかな。人にいわれても、ピーとしないと納得できない。あらわせれない。こうなの、とつい説明してしまう。

 今回のグループを通して、一番大きな変化があったのがH.Mさんでした。びっしりすき間なく置いていた箱庭にゆったりとした空間が出来るようになった。空間を空間としてそのままにしておけるようになったということは、とても大きな力だと思います。(なかの)

M.K.さん(第6回箱庭研究会)
始めは久しぶりに箱庭にさわるという事で、少しドキドキしながら置いていました。回をかさねるごとに、どんどん変わっていくのもわかり、後半は連続ものになっていて、それをフィードバックされた時にはすごくビックリしました。今回のシリーズの間、タイミングよく自分的にもいろんな事が起こっていたので、箱庭を置くことによって、またそれをフィードバックをしてもらうことで、いろんな意味で整理ができ、よかったと思います。箱庭のイメージも「奥が深い」から、「奥が深くておもしろい」になりました。いっぱい勉強になりました。

多くは語っていただけなかったけれど、箱庭の変化と現実生活での変化が見事にシンクロされていたようでしたね。箱庭作りによって内面が動き始めると、否応なしに現実が動き始めることが多いのですが、まさしくそういう体験をされていたのでしょう。

静的な作品が続く中、最後の作品では大きなスパンでの「動き」が表現されましたね。最後の最後に将来へ続く新しい動きが登場したのがとても印象的でした。(なかの)

K.K.さん(第5回箱庭研究会)
とても楽しいコースでした。
最後の日はゆとりを持って作ることができたので良かった。体験の時と合わせて6回、箱庭を作りましたが、今回の箱庭は特別に気に入っています。

グループで作ることで、自分にはないものを生で見ることができて、それも良い経験になったし、思いがけない発想を見て、新しい表現として参考になりました。

作るときのクセとか、他の人と比較することが出来て、自分でも面白かったです。

H.M.さん(第5回箱庭研究会)
やっぱり最後に白い砂(となり)でもう一度作りたかったな。アピールの仕方、うーん甘え方のへたさ、うーんやっぱり進行役の人にクリアリングしたことで、次知らない人との出会いの不安さ。同じ者たちと続けるのはなー、と思ってもみたが、いなくなると、なんか仲間、仲間なんだと思ってしまった。

最初は、エー○○さんいるの、といっていたのに、でもずいぶん影響(意識)していたと思う。先輩だから、よく自己アピールしていたから。○○では聴き役だから、異なった点を多面で見れたから。アーそういえば中野さんでもなんか同じかなー。

1人で創作した時はスカーとしたが、どうしてもグループだと影響、比較、している。今度には一人の人の作品を変化させてみたい気になる変化。まーずっと写真写りを気にしていた。残るものだから。まー、継続して共通項、新しい発見をシェアして下さい。また、よろしく。はい。

匿名希望さん(第4回箱庭研究会)
3回目までは鬱蒼とした木の茂る山と渓流のイメージでしたが、4回目で何かうっとうしい感じがして、それを捨ててみると、少し胸のつかえがとれたようで、呼吸が楽になりました。

流織さん(第4回箱庭研究会)
どんなものをつくろうか。。。とイメージしても、砂に触れるとかわってしまう。砂の中に手を突っ込んでみる。棚にあるものの中で気がひかれるものを手にとって、やぶからに置いてみる。こっちの角度から、あっちの角度から、、、。3回かなあ、作ったのは。めっちゃ楽しくて、、、。自分は自分なりに悩んでいたりするのだけど、どうもどの作品を観てもたいした問題にはなっていないような。。。そんな「楽しい」ものが目の前に広がっていた。他のひとのコメントはぴったり来るものとそうでないものとあるなあ。まだ気付かない自分がいるのか、それとも”そう見える”コメント者側になにかあるのか。。。

コラージュや絵を描くものは、一度貼ったり描いたりしてしまうと、元のものを消す為になにかをつかってそこをつぶす必要があるのだが、箱庭はきれーに消す事ができるのが、また新鮮だった。どちらがいいとかじゃなくて、どちらにもそれなりにいろんな味わいがあるのだと観じた。

様々な手法のものを通じて思うのだが、何年後かに、ふっと「わかる」事があったりするのだろうと。。。今までの自分の体験を思うと「これからのわたし」がとっても楽しみです(^^

ゆかぴょんさん(第4回箱庭研究会)
私が、箱庭を知るきっかけになったのは、河合 隼雄・中沢新一著の「ブッダの夢」という本からでした。それまで、何かを作ることによって自己表現をするということには、無縁だった私でしたが、箱庭を作ることによって、何らかの気付きの生まれる期待や、もやもやした気持ちを整理するのに役立てられないかと思ったことと、自分で作り、自分自身で癒す、ということに大変興味を持ちましたので、初めて参加してみることにしました。

頭で描いているイメージと、実際出来上がったものとのギャップで、我が表現力のつたなさにガッカリしたことも有りましたが、逆にイメージを越えて、無意識が自分の 深いところの願いをかたちとしてあらわせた喜びも体験する事が出来、箱庭を作った 後の気分が、毎回違っていたのも発見でした。もやもやした気持ちの整理においては、箱庭を始める前より、すっきりしましたので、効果があったものと思われます。

癒されたかどうかという事に関しては、自分が生きていく上で、何を大切に思って 生きているかという、根本的な深いところを表現していったことによって、「このま までいいんだ」という、どこか自分に安心したというか、もう、この自分の基本的な 人生のテーマをしっかり見たなら、他のものやことがらは、喜んで手放しましょうと いうような、不安感の少ない、ゆったりした気持ちになりました。

自分のことが箱庭を作る前より、好きになれた気もします。

また、白い砂と青い箱の底を見て触っているだけで心地良く、それだけでも癒されて る気分にもなれました。毎回、箱庭を作った後にすぐ片付けて、きれいに真っ白な砂を最初の状態にならす作業が好きで、砂曼荼羅のイメージといつもダブらせていました。どんなにいい出来であろうと、サッと一瞬にして消してしまい、作品として残さない、いつまでもそこで執着してとどまらない、無常が仏教と通じるところがあって、その辺も箱庭の良さの一つでもあるとも思いました。

最後になりましたが、皆さまとの御縁にも感謝しています。
ありがとうございました。

K.K.さん(第4回箱庭研究会)
今回のシリーズでは、前回と違って個人的にわずかながらも進展が見られた様な気がして有り難かったです。

毎度ながら、他の参加者の方に多いに助けていただきました。

箱庭用素材が毎回増えていくのが嬉しかったです。

シリーズを通じて、他の参加者の方々が皆ポジティブな方向に進んでいかれたみたいで、感慨深いものがありました。(少なくとも最終回の箱庭を拝見した限りでは)

箱庭セッション後の会話などを通じても、中野さんや他の方々から色々と学ぶことがあり、こちらも大変有難く思いました。

H.I.さん(第4回箱庭研究会)
箱庭とはどんなものなのか、興味はあっても体験する機会が今までありませんでした。今回のセラピーでは気軽に体験させていただきました。毎回作っている時、作った後、他のグループの人たちに感想を話してもらっている時に感じることが、なんとなーく、いつもは眠っている部分を呼びさましてくれるというか、どこかからのメッセージというか、何かははっきりとわからないのだけれど、自分の中の何かが動いた、と確信できる、そんな時間を過ごすことができました。グループの人たちの作品を見せてもらうのも楽しかったし、終わってからのおしゃべりや、カレーもおいしかったです。ありがとうございました。

(カレータイムは第5回をもって終了いたしました。ごめんなさい。(_o_)〜中野注)

匿名希望さん(第4回箱庭研究会)
(この文章は主に最終回の箱庭について書かれたものですが、ご本人の承諾を得て、研究会全体の感想としてここに掲載いたします。〜中野注)

今日の箱庭は、面白かったです。これが置きたいという強い気持ちも無く、なんとなく棚から選んだものたちなのに、あとから振り返ると、ちゃんと物語があったのが不思議です。箱庭の物語は創るのではなくそのときの私自身の物語だから、どんな風に置いたとしてもみんな私が現れてくるんですね。作った後の話し合いで微妙な感じを言葉にするのは難しかったですが、それはたしかに自分が感じているものでした。

話し合いを通してあの箱庭に納得がいったのは私もなかのさんと同じですが、なかのさんがはじめに感じた不思議さが私になかったのは、箱庭はその人自身であり、意識できていなくても、置かれたものの選択や配置には私自身が現れているからなんですね。そもそも私は箱庭を通して自分を知ることに興味があり、それが箱庭療法なんだと考えていた節がありますが、それはまた別のことであり、とにかく「つくる」ということこそが箱庭なんだと思いました。そして、そこには必ず「ひと」がいるということが必要だとも思いました。ひとの前で作るからこそ、「つくる」それだけで意味をなすのだと思います。たぶん「私」の宣言なのでしょうね。

半年近くの箱庭体験を通して、「ひと」というもののとらえ方が少し拡がった気がします。その分くつろげるようにもなってきました。お世話になりました。

今度またいつか、理解しようとせず「つくる」ことを目的に箱庭作りをしてみたいと思います。「知ろう」とする小さな自分を捨てて任せる、ゆだねることなんだと思います。

Y.Hさん(第3回箱庭研究会)
初めて箱庭を創る機会を持って、初めての時は「どんなものをつくろう…」を考えていました。2回目までは、創る前に「こんなイメージで…」というものをあらかじめもって行っていたのですが、だんだんそれが、わざとらしい、というか、自分があまり出せていない気がして「箱庭って何?」「何のためにあるん?」という疑問でいっぱいになり、創りに行くのが少し嫌になりました。

また、見られてる、という自意識も強く「こんなエネルギッシュなものを使ったら、何か解釈されるのではないか」「今○○という状態なのでは?と、思い込まれるのではないか」と、周りの目を気にしてしまい、本当に2回目は、自分が創ったものながら、自分らしさがあるとは思えなくなっていました。

でも、ある時1人の方が、何かすごくつらそうにしながら、ぽつりぽつりと迷いつつ置いておられ、作り終わった後「途中でやめようかと思いました」と言われた時、私はすごく感動しました。箱庭の中に本当に自分を出してるんだなあ、と思ったのです。

3回目のときは、何かをイメージして作るのをやめて、置きたいものを置きたい形で使うことにし、前の2回とは大分ちがうものを作りました。その時、とてもすがすがしい気分になったことが印象的でした。

周りに人がいるのも、初めは気になっていましたが、そのうち、みんなが言ってくれる感想に力づけられたり、気づきを与えられたりして、良かったと思います。自分を表現できるということは、周りを気にせずに自分の思うように表現出来るということは、本当に何か、胸の中にたまっているものを出す出口を作れる、という気がします。それを実感できて、それだけで参加した価値がありました。ありがとうございました。

匿名希望さん(第3回箱庭研究会)
自分の心でおこっていることって案外自分は知っているようで知りません。箱庭をとおして見えてくる自分に(それは、やはりどこかでは知っている自分なのだけれど)支えられて2カ月半をすごしたという感じです。

最初は興味から参加した箱庭研究会ですが、しばらくの間(自分に納得のいくまで)とりくんでみたいなあと思っています。人は皆、その人自身のプロセスをもっているけれども、今、箱庭は私にとってそのプロセスを進めてくれる(よりはっきりとさせてくれる)ものです。

 最近私は自分の心をひ弱に感じます。ものごとをきちんと受け止めず、嫌がっているのを感じます。心の体力がないというか。箱庭といっしょに自分のそのあたりのこともきちんと感じとっていかれたらいいなあ、感じ取っていきたいなあと思います。

K.Kさん(第3回箱庭研究会)
2シリーズ目は3回作らせていただきましたが、自分に関しては一言で言うと、停滞したままだったという気がします。1シリーズ目は自分の作品についてよくしゃべったものですが、今回はそんな気にもなれない事が殆んどでした。

しかし人前で作ることにはほとんど抵抗がなくなりました。

他の参加者の方の作品を見るのは相変わらず楽しかったです。
1シリーズ目では、作成中は目をそらしている事が多かったのですが(何となく気まずい感じで)今回は○○さんがプロセスについて色々と面白い指摘をされていた事もあり、出来るだけ見届けるようにしました。

Y.Nさん(第1回箱庭研究会)
全部で5回あった中で、私が参加できたのは、最初と最後だけでした。もっと出ていたら、私の中の変化がさらに出てよかったかな、とも思います。
1回目の箱庭は、原色使いが激しくて、混沌とした出来上がりでしたが、最後は静かで美しい感じになっていて、天使まで登場しました。
このワークは批判も分析もないので、少しもの足りない時もありますが、だから逆に何も気にせず、のんびりと自分を見つめられたと思います。

M.I.さん(体験セッション)
作っているうちに泣きたくなってきておどろいた。手が勝手に動いているみたいに簡単に、すぐ作れた。

Y.M.さん(体験セッション)
自分の中のいろいろな部分や状態がおもしろいなあと思いました。これを入口にもう少し深いセッションに入っていければいいかなあとも思いました。箱庭から今のかかえているいろんな問題がわかるので、特に痛いなあとかんがえているところに関していやしがもっとあればいいかな、と感じました。

N.M.さん(体験セッション)
今の彼女の心境がわかりました。日頃、気にかけていない面(心の部分)が少し見えた。自分が結構争いを好まない人間と、少し淋しい部分を感じることができた。

Y.S.さん(体験セッション)
初めての体験でした。箱に向かって立った時、色々な置物の前に立った時、子供(5〜6才)に戻った様な、子供の頃に感じた思いがよみがえってきました。 箱に向かった時には何かテストを受ける様な適度な緊張感、置物に向かった時にはおもちゃ屋さんに行っておもちゃを買ってもらう時のワクワク感を感じました。今日はほとんど私自身の理想を思い浮かべて作った様に思います。 自分自身が人として存在していないことに少し驚きましたが、それでいいと満足している自分も理解できました。

N.I.さん(体験セッション)
今現在の自分の心の状態がわかった。自分の心は今どんな事を感じているのか深く知りたい時にとても役立つと思います。造ってる時は、子供の心に返っている。ワクワクする感じで楽しいです。 今までいろいろなセラピーにいったりして、その中では色々自分の気がつかなかった点をセラピストから教えてもらったりもしました。その点では箱庭セッションでは強い解釈というものがないのが印象的でした。かわりに、人から言われて気づく気づきと自分の中での体験セラピーの気づきのちがいがこれからわかりそうで楽しみです。 創作意欲がわいてくる気がします。自分の奥とつながることが出来るような(今終わったばかりなのでわかりませんが)気がします。ありがとうございました。

N.I.さん(体験セッション)
空間を埋めるのに悩んだ。出来上がってみると少しさみしい様な感じになった。周りにはたくさん楽しい事があるのに真ん中はさみしい。なんだか殺風景な気がした。私の心の中がこういう型なのであれば楽しくしてあげなければなぁーと思いつつ、まだこのままでもいいとも思い…hーん。友人に「誰も居なくて気ままに暮らしてそう」と言われると、なるほど!!とか思い。私はどちらかと言えば1人で居るのが好きだったりするので、遠からずと言った感じ。でも先生が「たくさんの人の中に居て孤独を感じる時がある様な…」という言葉にピンと来たり。私はたくさんの人数で遊ぶと逆に1人を感じたりするので。2人で遊ぶのが一番安心するタイプだし。いろいろと自分について考えてみた。左にエネルギーを感じる物を置いているので、私のエネルギもたくさんあるのではと…今後このエネルギーをどこに向けて行こうかなぁーと思います。

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Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2006/08/23