私は思春期の頃に過呼吸症候群になることが しばしばあったので、呼吸には少し恐れがありました。 1時間も自分が深い呼吸が出来るのだろうかと。 けれど誘導に合わせて呼吸をしている自分を度々客観的に観察していると 深い呼吸を苦しくもなく出来ている自分に驚きました。 腕と下肢はしびれが襲ってきました。 どちらも肘・膝関節の上部5cmぐらいのところを 掴まれているような感覚がやってきて その後、腕・下肢は下に押さえられるような感覚がありましたが それらを気にするよりも それらを排除して、自分の中心感覚を感じるほうが強くなりました。 そして、自分が深い深い海の底にいる 手のひらほどの黒い石のようなイメージが浮かんできました。 息はしてないようで、確実にそれも楽に息をしていて 穏やかで、絶対的な幸せに包まれていて 在ることだけを唯、感じている永遠の存在になったようでした。 死というのはこんな感じなのかもしれないと思いました。 そして、非常に自分が死を恐れてきたことを感じました。 沢山のチューブに繋がれて、癌に蝕まれた母の姿は 子どもには壮絶な死の姿として焼き付いて、 息が止まること=死 と言う恐怖を助長させていたのかもしれません。 思春期の頃はよく、息が出来ないという恐怖がありました。 だから、必死になって吸い込むことをし、吐くことが出来ないでいました。 ワークの途中で私は何度か息をしていない感覚に襲われましたが 全く苦しくなく、 呼吸をしなくても生きていること を感じました。 グラン・ブルーのジャック・マイヨールやヨガの行者もこんな感覚なのだろうかと そして、改めて海の石は 産みの意思 胎児のような感覚でもあるのかもしれない とも今書いていて思ったのでした。 死んでいく不思議 生きている不思議 私には非常に大きな、そして、これから生きていく上での 大きな支えになるような体験をさせていただきました。 ありがとうございました。 (兵庫県 主婦 30代 女性 Yさん) |