アジャシャンティ「あなたの世界の終わり―目覚めとその"あと"のプロセス」 第7章 人生それ自体が、私たちの目覚めのために鏡を差し出す 本当の自分とは、この身体や心ではなく、すべてであり何でもないという認識を得る体験をしても、エゴはその思い込みを簡単にあきらめることはない。 なんとかして自分のアイデンティティを見つけようとするエゴ的傾向を根こそぎにしてしまうのは、スピリチュアルな修行や瞑想を通してではなく日常生活の中で実際に起こる苦しみの体験であることが多い。 私たちの多くは、人生を避け、自分が本当に見る必要があることを避けるためにスピリチュアリティを使ってしまうことがある。そんなとき、人生それ自体が私たちの最大の教師になる。 そのプロセスから抜け出していくには、自分自身に対して根本的に深く真実であること、自分自身に対してもっているあらゆるイメージを手放すことが必要。 ----- 悟りはただ素晴らしい経験のみからやって来ると考えることは、自分自身をだますこと。私たちのほとんどにとって、悟りへの道はバラ色ではない。 多くの人が求めているのは本当に目覚めることではなく、夢の状態の中で幸福を感じること。それもOKだが、悟りへの本当の誠実な衝動とは、自分の夢の状態をよくしたいという欲望をはるかに超える何か。 この衝動は怖いものでもある。コントロールの幻想を手放すこと。 とはいえ、目覚めが困難でなければいけない、という別の考えを確立したくはない。ただ、目覚めの定着は自分が想像できる以上のことを私たちに求めることが多い。 進んでする必要のあることは、自分自身と出会い、自分自身の不確定さに直面すること。これは何かになる旅ではなく、自分がずっといた場所を完全に違って見るというだけ。 ----- 第8章 目覚めのエネルギー的要素 目覚めとは自分が"ある人"であるという幻想から目覚めることだが、その人にエネルギー的、身体的な変化を起こすこともある。 夢の状態、エゴ的分離の状態を維持していくには途方もないエネルギーを必要とする。目覚めが起こると、内なるダムが開きエネルギーの解放が起こる。皆が同じ強度でエネルギーを経験するわけではなく、非常に強いこともあれば、微妙なこともある。 私たちのシステムは生のエネルギーが通過することになれていないので、目覚めのあとしばらくは自分のシステムが「燃えている」ことに気づくこともある。 肉体レベルだけでなく、マインドのレベルでもエネルギー的変化が起こる。マインドが再配線されるような感覚。数年後、明晰さとシンプルさがずっと拡大した。また、マインドが自然に静寂になることも起こった。 これらの変化に混乱を感じることもあるかもしれないが、これらは自然のプロセスで、妨害したり改善しようとしたりしなければくつろぐことができる。再方向プロセスが起こるにまかせること。 こういったエネルギー的展開が起こるとき、私たちの存在全体が開きつつある。 ----- 他の人が感じていることを感じるかもしれない。そのことに必要以上に関心をもたなくてもいい。 目覚めによってヒーリング能力を獲得することもあるが、重要なことは、その能力をめぐって自己感覚が構築されることを見抜くこと。それがまた別のスピリチュアルなわなになることがある。 ----- ・気づく、ゆるす、開く、くつろぐ もしこれらのエネルギーに特に圧倒されるようなら、鍼療法や指圧、ただ裸足で歩き回る、などのシンプルなものごとが役にたつ。ただ、そのエネルギーをコントロールする必要はない。 エネルギーが動き、流れるとき、肉体的なブロックに対抗して身体の中の圧迫として感じられることがある。そのとき重要なことは、これが起こっていることに気づき、くつろぐこと。静かに座って、自分の注意をそこに向けること。 もっとも役立つことは、起こっていることから考えるプロセスを閉め出しておくこと。 |