トップページアジャシャンティ勉強会(読書会)のご案内レジメ目次>第1、2章

アジャシャンティ「あなたの世界の終わり―目覚めとその"あと"のプロセス」勉強会(読書会)レジメ第1、2章


アジャシャンティ「あなたの世界の終わり―目覚めとその"あと"のプロセス」

第1章 目覚めのあとの人生を探求する

今、多くの人々が「自分がその存在を知っているどんなものをも越えた何か」へと目覚める瞬間を経験し始めている。

それは、「揺すぶられてそこから出されるまでは、自分がその中にいたとは知らなかった夢」から目覚める体験。

自分が現在認識しているよりも、人生にはより多くのことがある。

-----

・目覚めの始まり

自分についての考え、信念、イメージから作られている自己感覚は本当の自分ではないことに気づく。

私たちが「エゴ」と呼んでいるものは、マインドがありのままの人生に抵抗するために使うメカニズムにすぎない。

目覚めとは「自己認識の変化」。自分を孤立した個人と感じることから、宇宙的な何かと感じることへの認識の変化がある。あらゆるもの、あらゆる人、あらゆる場所が自分と感じる。

目覚めは個人的なものではなく、一なるもの、スピリットが自分自身に目覚めていく。

-----

・定着する目覚めと定着しない目覚め

目覚めの経験はほんの一瞥のときもあるし、ずっと続く場合もある。完全なる目覚めとは、常にスピリットの視点から認識すること。

とはいっても、瞬間的一瞥を得た人と、「定着する」覚醒を得た人が見ているものは同じもの。

「定着しない目覚め」、目覚めの一瞥を体験する人はますます普通になりつつある。

明確に見る瞬間が実際に起こったら、それを完全に忘れることはできない。それを見ることであなたの中の何かが永遠に変えられてしまう。そこから偽の自己感覚の消滅が始まり、その結果、自分が認識していた全世界の消滅が起こる。

-----

・目覚めとは、こうだと自分が想像しているものではない

目覚めることで何を得るか、ということよりも、何を失うのか、について語る方が正確である。

世界というものが実際に存在するわけではなく、そこには「あなたの認識」があるだけ。目覚めることは、自分がそうだと思っていたものの解体。

目覚めとは私たちが想像しているものとは異なるはずである。なぜなら、目覚めについての私たちの想像はすべて、夢の状態の中で起こっているから。自分の意識が夢の状態の内部にあるとき、その外側を想像するのは不可能。

-----

・目覚めのあと、あなたの人生はどう変わるのか

目覚めのプロセスが始まると、しばしば方向感覚の喪失を体験する。「一なるもの」としてのあなたが目覚めても、肉体、マインド、人格という人間構造は残っているので、目覚めはこの人間構造にとって、かなりの混乱として経験されることが多い。

目覚めたあとの人生についての情報は、これまではスピリチュアルな教師と生徒たちの間だけで分かち合われることが多かったので、多くの人が目覚めを体験しているのに、必要な情報がなかなか得られなかった。

目覚めたあとに起こることは目覚める前に起こることにも当てはまるので、この本はまだ目覚めていないと思っている人にとっても役に立つ。

目覚めの体験をしたからといって、分離にもとづいた認識をしなくなるわけではない。目覚めたあとにも私たちの中に残っている執着を解消していく必要がある。それは、目覚めるための道と変わらない。

ただ、それを分離の視点で行うか、ワンネスの視点で行うかが違うだけ。

目覚めのあとでは、私たちの肉体とマインドの条件づけは個人的なものとは感じられなくなるので、間違った思い込みに取り組むことがずっと簡単に、ずっと怖くなくなる。
-----

・あらゆることをすすんで疑う

私の教えは真実そのものではなくて、目覚めに対する戦略と、目覚めたあとに起こることに対して、あなたを助けるための戦略。

「月を指している指を、月そのものと間違って思ってはいけない」

私が言う何も、あなたが自分の本質を知るという現実的で直接的経験の代用にはならない。

自分が本当は何も知らない、と自分が気づくことを許すと、自分の存在の中に何かが開く。

-----
第2章 真正なる目覚めーそして、そのあとで起こりえる方向感覚の喪失

スピリチュアルな目覚めに関する誤解。

目覚めとは永遠の至福状態ではない。目覚めにともなって至福があるかもしないが、それは目覚めの副産物。スピリチュアルな修行の中では、目覚めそのものがないのに、その副産物だけを得るという結果に終わることがある。

目覚めとはある種の神秘体験ではない。神秘体験はエゴ的自己の構造を根本的かつポジティブに変えることが多いので、価値があるものだが、目覚めそのものではない。

目覚めとは「自分」"からの"目覚め。他の人にとっては異なった別のものに見える物事が、本質的には同じだと認識されること。

-----

・本当の目覚めの証明の一つは、探求の終わりである

真実で真正な目覚めによって、私たちが何であるかが明らかになり、探求が終わる。

探求者の仕事は、スピリットが夢の状態との一体化から抜け出し自然な状態に戻るための推進力を提供すること。

探求者のアイデンティティのあるがままが見られ、抜け落ちる。

-----

・目覚めの蜜月(ハネムーン)

探求者が抜け落ちることはとほうもない安堵感。肉体的に重荷が肩から取り去られたような感覚。笑い出したり、泣き出したり、感情的解放を経験する人もいる。

この蜜月(ハネムーン)は1日から数年続くこともある。

昔はこういった経験をしている人たちは僧院のような守られた場所に入った。現代の私たちはこういった経験を理解して守ってくれる環境にはいない。

-----

・目覚めのあとにしばしば起こる方向感覚の喪失

目覚めのプロセスが始まると、それまで自分を方向づけていたエゴ的動機の多くが消え始める。それは人格が消えてしまうわけではなく、特定の人格との同一化が消え始めるということ。

以前楽しかったことが魅力を失ってくる。

目覚めの体験=エゴの消失ではなく、目覚めはプロセスの開始にすぎないが、究極的には、一旦リアリティを一瞥したら、エゴの消失を防ぐためにできることは何もない。

エゴの消失はとほうもない方向感覚の喪失になりうる。それは目覚めのプロセスの一部であることを理解することが大切。

方向感覚の喪失は目覚めの本質ではなく、マインドが方向を見つけようとするから。目覚めた観点にはどんな方向性もない。もし方向性があるとすれば、あらゆるものをあるがままにしておく方向性。

重要なことは、エゴ的消滅のプロセスが起こることをゆるすこと。

トップページアジャシャンティ勉強会(読書会)のご案内レジメ目次>第1、2章
Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2012/08/28