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念願のロードスターを手に入れた「かもかも」です。
ロードスターを買うまで私はMR信者でした。
前所有していたMR2(SW20)の思い入れはそれはそれは、たいそうな
ものでした、そんな男がロードスターに興味が惹かれ手に入れるまでの
経緯をお話しなければなりませぬ。
前半はMR2ぞっこんって感じだけどそこの駄目人間がなにをいっちょるか
って程度で軽く流してください。

平成元年

学校(その昔フジカモとはクラスメイトで有った)を卒業し故郷札幌を離れ千葉
のとある会社にに就職した。その会社には幸運?にも私と同じ趣味の
車好きの連中が多かった。
当時の私の趣味は俗に言う走り屋連中の好む車=ターボ付き
高出力命、200psだの280psだののRX7とか180SXとかだった
もちろん以後長年乗りつづけたMR2(当時AW11)も大好きな車であった。
当然就職したての若造にそれらの車はポンと買える代物では無かったが
それでもマーチターボ、180をを買った友人に連れられ幕張メッセのゼロ4
とか船橋港でのドリフト、湾岸市川パーキングで最高速トライの車を観に行った
ものです。
刺激的でした、スキール音と爆音とウェストゲートを響かせていく
車たちを観ていると。

後年このことをフジカモに話したら、やっぱりそうだろうね言ってました。
当時の私の趣味とフジカモの趣味が決定的に違うようでした。
走るフィールドの差異が嗜好を換えていったような気がします。

その年の秋に東京モータショウが開幕された、当然近くなので観に行くこと
となるがその時発表されたSW20との出会いが以後の私に影響を与える
こととなる。
それからというもの毎晩部屋に張ったMR2のポスターを眺めて寝たものだった。

その冬フジカモはコダチュウと赤と青のロードスターを買ったらしいという
うわさを同じく上京していた友人から聞いて、彼らは車好きで走り屋と
思っていたのになんでそんなナンパな車を買うのか当時の私には理解できず
にいました。
なにせ、
ただのオープンカーと思ってましたから...

平成2年

やっとのことで少々の頭金が貯まり私はそろそろ自分の車を買おう
とディーラ回りをしました。
まずターゲットは本命のMR2グレードはもちろん225PSを誇るGT。
次の候補はRX7グレードは走り追求仕様GTXでした。
値段的にはRX7はフルモデルチェンジもささやかれ値引きを考慮すると
MR2を買うのとほど変わりません。

そんな頃に会社の先輩(チンさん)がロードスター(ミアータ)はどうだろって
確か雑誌か何かを持ってきて話をしてきました
最初は軽くチンさんの話しを聞き流していましたが
ダブルウィッシュボーンとなんだよ。とかフロントエンジンとリアが
パワープラントフレームで繋がれているよ、チンさんはそれをサブシャーシ
が有ってすごいよねって熱く語る。
聞いてるうちなるほどこの車は芯のしっかりした車だと思い始めました。

次の週末に彼はに早速V-specialのカタログを見せてくれました。
ちんさんはアルファにも乗っておりでこういうのが好みだったようです。
盛り上がったところで試乗をやっているという流山のユーノス店に行って
運転してみました。そのロードスターはパワステ仕様でとてもクイックだったの
を強烈に覚えています。
その時が私とロードスターの最初の接点かもしれません。
ちなみに関係ないのですがそのユーノスの営業のおねーさんはキレイな人
だったなあ。

それでもしばらくの間迷ってましたがしばらくして、我孫子にいる友人が
黒いMR2を買ったということで平日の夜だというのに私のところまで
見せに来ました。
最初にあこがれていた車でしたから、実車を見て乗ってもうそれは
シビレました。特にそのイカレタ加速にはメロメロ状態です。
ここでひとつひらめきました。札幌ではフジカモがこだちゅうは
ロードスターを乗っているそうだと聞いてたので、カワカモは
千葉でその友人とMR2でブイブイやるというのも面白いと思いました。

もう決めました、そうです迷いはありませんMR2ですMR2なのです、どーん。

週末即効で決めました。色はイメージカラーの赤。
納車は年の瀬もいいとこ12月中旬でだったなあ。

我孫子の友人とよくつるんで走りました。
そのころまだまだそんなにMR2は走ってませんでしたから
2台で走ると注目度抜群です。
そういうことも有ってほんと楽しかったです。

 フジカモはそのころロードスターでCRXのハシモ、赤ロードスターの
コダチュウと札幌近郊の峠によく走り行ったそうです。
うらやましい限りでもありますが、もしその時私が札幌に居たらと考えると
ちょっと恐い気もする。というのは若気の至りと皆の性格を考えると熱くなり
限界を超えた走りとなり私も含めて誰かが大怪我かここに居ないことになっていたかも
しれません。

私は峠(筑波山)にもごくたまに行くことはあってもさすが
に千葉から茨城の奥地までの距離であるのでさほどHOTでは有りませんでした。
けど決して山走りが嫌いでは無くむしろ興味は有ったのですがやはり
ステージは幕張メッセ前の0−400M、首都高湾岸線B1、環状C1
なんかでした。もっともギャラリーとしてのほうが大部分でしたが...

平成3年

この頃は御満悦にひたっております。
カッコ良いです。(ちなみに、通産省のGデザインを受賞してるんだよ)
リアから聞こえるエンジン音、アホになる程の加速度。

そのころめずらしい16インチ偏平率45のタイヤと
100Φのマフラ、ポテンザGの4段ショックとかいれて
調子こいてました。


そのころちょうどドリコンGPの織戸とかが船橋でイカレていたころ
でしたから、私もドリフト走行(ローリング走行)にもイカレてました
船橋の埠頭近くの倉庫とかがある広い道でドリフトの練習をしてました
LSDも入ってないのにさ。(なにも知らなかったなああ)
で、うまく行かないなあと思い(未熟なのも当然あって)何度もやっているうちに
破綻をきたし、巻き込みでスピンし縁石にリア、フロントをヒット
足回りが折れてしまいました。
それ以降懲りてドリフトはやめ、MR2はグリップ高速命走り(まあ正しいか)
になり、限界のコントロールを知らないままC1と峠へ通う日々が続き
ました。(おっかねーやつです)

平成4年〜平成10年

相変わらず、MR2は絶好調です。少し大人としての分別も付き始めて
この車の良いところ、悪いところが少々解ってきます。
乗りこなすこつは、リヤエンジンなのでフルブレーキで車全体が
沈み込む感じで非常に安定しています。そう、コーナ入り口でアンダーが
出ない程まで減速してクリップまではオンザレール、ノーズが出口を向いた
ところでリヤに225psを全開でくれてやります。
これが一番早い。フロントが軽いのでクリップ手前で踏み気味にして
しまうとプッシュアンダーで後半せっかくの全開が出来ません。
あと間違っても、テールスライドしてはいけません常人にはコントロール
不能でしょう。(少なくとも私は恐い目に何度もあいました)

全然関係ないのですがMR2は受けいいですなあ。
いろんな意味でけっこう良い思いもしました。
フフフ。(2人乗りのメリットもあるな)

内装はトヨタの作りで普通の乗用車的感じもありますが、適度にタイト感
を演出しているといえましょう。
途中マイナーチェンジとか有りましたが、MR2は一生の車と当時思うほど
の車でしたただ、あのいまわしい事件が起きるまでは...

平成10年/7月

信号無視の車の土手っ腹ににまともに突っ込んでしまい長年のっていた
MR2がイッテしまった。壊れ方はフロント回のフレームが多少曲がり
フロント回りの部品も一通り交換する感じ。
いままでそこまでの事故が無かっただけに悲しい。
とりあえずJAFを呼んでいきつけのビスタに運び修理を依頼する。

次の週あたりに様子を見に行くと、営業がニヤニヤしながら近づいて来て
ビスタアルデオワゴンの試乗車にのってみませんかと言ってくるではないか
まあ乗るだけだよって感じで、乗ってみると...
「何がリヤガラスハッチ...ラクラくぅー、ひろびろー」
今まで不便でスパルタンな車に乗っていた反動だろうか非常に心地よい
オヤジになってきたのかな?
ああそれにスノーボード行くときでも沢山の人数でも行けるし。
海にキャンプとか...

長年乗っていたMR2が壊れなかばヤケになっていただけに2つ返事で
値引き交渉もそこそこにこれ下さいといつの間に契約していた。
以後それがカモカモ丸となる
修理したMR2は下取りに出そうとしていたのだが、弟のMR2(AW11)が不調気味
ということで格安にて譲りました。

平成10年/8月

カモカモ丸(ビスタアルデオワゴンSセレクション)がやってきました。
純正ながらもエアロ出っ歯で決めてなかなかカッコイイです。
極悪17インチホイルにローダウン、バカデカウーハを付けて
今流行りのワゴニストにしようかと夢は膨らみます。
なにせ、その頃フジカモのフルスモーク極悪SM−Xは馬鹿デッカイウーハ付けて
日本音圧協会認定のCD「バススピン」をアホのように鳴らして
いたのを見てますからねえー。

ちなみに実家にカモカモ丸に乗っていったら、何故か親がよろこんで
いました。(多分落ち着いてくれるのだろうと勘違いしたのか)

平成10年/8月それから一週間後

カモカモ丸は非の打ち所が無い快適な車です。
当初の夢のように極悪にしても良いかもしれません。
でも私には何か足りないのです。(もわーん)

平成11年/正月

休みに弟コジコジの車MR2でドリフト遊びをやりに行かないかと誘われた。
場所は彼が行く某大学の駐車場だ。
何故だかきちんと除雪がされており、しかも休みだから車は一台も止まってない
ので格好の遊び場となる。
最初運転はコジコジがしていたが、元の乗り手である「かもかも」もハンドル
をにぎらさせてもらった。がしかし長年乗りなれていたはずのMRは予想以上に
難しくドリフトアングル維持どころかリヤが流れると既にハーフスピンに
陥ってしまう。何度もトライする、しかしうまく行ったと思えるのは
10回に一回有った程もなかった。
このような、限界を探ることは何度もした気がするがこんなに私が未熟だった
のか、それともこの車が気難しい車なのか...
その時またこのような車に乗りたい(MRに限らず)と再び思い始めていた。

平成11年/1月初旬

正月以降の私のそういう気持ちを察してかそうでないかは解らないが、弟が
MR2が最終マイナー型(現行いわゆるY型)は良いねと何故かカタログ
を見せて来た。それは次期MR2(MRS:ミッドシップスパイダー)
が出ると解っていたがそれよりも、
馬鹿の一つ覚えで8年余りも悪評高いじゃじゃ馬MR2(初期型)
に乗ってきたカモカモにとって、熟成の進んだ最終型はノンターボであっても
非常に乗ってみたい気もする。
買い換えに結構乗り気になって来た。(マジに)
ここで候補はMR2 Glimitedノンチャージャー。
それともうひとつは限界域でのコントロールする楽しみを手軽に
味わせてくれる軽めのFRの車そう、ロードスター。

平成11年/1月中旬

最初カモカモ丸は半年ぐらいしか乗っていないので250万を5年で
償却すると考えると200万で売れると考えて、追い金50万程で
新しく買い直せると思いディーラへ行ってみる。
行き先は近所のトヨタNetsとマツダアンフィニ直行だ。
とりあえず両店で、MR2とロードスターの見積もりとカモカモ丸の
下取り査定をしてもらうが。カモカモ丸の下取りの低さに意気消沈。
その夜たまたまフジカモと飲むことになるが、そのことを話すと
ロードスターは幸せになる車だと一言。
新旧ロードスターに関する膨大な資料を貸してもらいロードスターに
次第にはまることになってくる。

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