ドビュッシーとシューシューのために その子はシューシューと呼ばれた 「キャベツちゃん」といった娘の呼び名なのだ 父は音楽家だったが いつも新しい音を捜す開拓者の十字架を 時代の五線紙の上で背おっていた けれどシューマンもそうしたように シューシューのために 彼もまた子供のための その心に届く 音をたぐり寄せ集め いくつかの曲をつくった それは子供の心を持った大人のための音楽ともなった そして新しい世代の音に窓を開いたものでもあった 聞く者の時間のなかで時を超える響きがあった 父は少女のシューシューしか知らずにこの世を去った そしてシューシューもみじかい生をジフテリアで天に返した 残された者の悲しみは今は言うまい (ソレガセラビナンダ) だが父の そしてシューシューのための音楽は 今 生き続ける そのピアノの旋律からたちあがる歌と感情は あたらしく なつかしい |