三心禅コミュニティの沿革

Sanshin Zen Community:

正法山三心寺

(1)沿革
安泰寺
駒澤大学在学中の1969年1月に初めて、
京都市にあった安泰寺の接心に参加した時、
大勢の外国人が坐っているのを見て強い印象を受けました。
その後、1970年に安泰寺住職であった内山興正老師について得度を受け、
1975年老師の引退まで安泰寺に於て修行をさせていただきました。
毎月の5日間接心の参禅者が
50人ないし60人はありましたが、その3分の1は、外国人でした。
駒澤大学を卒業して、安泰寺に安居する時に、老師から、
これからは英語で仏法を説き坐禅の指導ができる人が
是非とも必要なのだから、
英語を習うようにと言われました。老師の弟子のうち3人が、大阪の英語学校に通いました。

パイオニア・ヴァレー禅堂
1975年に老師が引退される時に、
アメリカのマサチューセッツ州に行って、
坐禅の道場を設立するようにその三人が送られました。
市田高之師、池田永晋師と私との三人でした。
パイオニア・ヴァレー禅堂は、宗教法人になったのは
1973年ですが、もともと1970年に渡米した、
内山興正老師の弟子、唐子正定師が創立されたものです。
坐禅修行だけを専一に続けているので規模は小さいですが、
創立の年代から言えば、アメリカにおけるもっとも古い曹洞系坐禅道場の一つです。

京都曹洞禅センター
私は、1981年までバレー禅堂に居ましたが、身体の故障のために帰国いたしました。
その時に、内山老師から、坐禅のテキストを
英語に翻訳する仕事をするようにとの指示を受けました。
また、安泰寺を継いでいた法兄の渡部耕法師から、坐禅と、
宗乗の参究と翻訳を中心にした坐禅の道場を作るようにとのすすめを受けました。
それ以後、1984年まで3年間、

京都市北区 清泰庵に留守番として居らせてもらいながら、
大通・トム・ライト師と共に、
毎月の接心、翻訳、英語での講義と坐禅の会などの活動をしました。

1984年夏から1992年までは、

京都市
宗仙寺の細川祐葆方丈の御後援を得て、
「京都曹洞禅センター」の名のもとに、
園部町 晶林寺の
留守番としておらせていただきながら、
毎月の接心、長期、短期の外国人参禅者の受け入れ、
宗仙寺での英語での講義と坐禅の会、翻訳などの活動をいたしました。

その間の翻訳の成果として、

*「Shikantaza – an introduction to Zazen -」(坐禅の手引書)

*「Shobogenzo Zuimonki」(正法眼蔵随聞記)

*「Dogen Zen」
(「学道用心集」、面山「自受用三昧」、内山老師「宗教としての道元禅」」

*「The Zen Teaching of ‘Homeless’ Kodo」(宿無し興道法句参))

*「Bendowa – Wholehearted Practice of the Way-」(「辦道話を味わう」)

等 が宗務庁からの助成金を得て同禅センターから出版されました。
最後のものを除いた4冊は、現在宗務庁からでております。
(「辦道話」はアメリカの出版社か ら刊行。)

アメリカの出版社から出版された、

*「Opening the Hand of Thought」(内山老師著「生命の実物」の英訳。),

*「Dogen’s Pure Standard for Zen community」(永平清規の英訳)、
等も、京都曹洞禅センターにおける翻訳、勉強会の成果です。

ミネソタ禅センター
京都曹洞禅センターの活動は、細川方丈の御遷化によって、中断のやむなきに至り、
1993年再び渡米して、ミネソタ州ミネアポリスにある
ミネソタ禅センター願生寺に開教師として赴任いたしました。
開山の片桐大忍老師御遷化の後、後継者が決まらないために、
3年間、ヘッド・ティーチャーとしてきてほしいとの要請に応えたものです。
片桐老師とは、内山老師を通じての御縁がありましたし、
1988年の大乗寺における特別接心に於て、1月間御一緒に弁道させていただいて
教えをうけるという有り難い法恩をいただいておりましたので、
お役にたてればと思って引き受けました。

三心禅コミュニティ創立
3年間の任期が終わった時、京都曹洞禅センターで行っていたような活動が
出来る坐禅の道場をつくりたいと願って、三心禅コミュニティを創立いたしました。
当時アイオワ・シティにいた横山泰賢師には、その創立から助けていただきました。
1996年に三心禪コミュニティを法人にして、その設立地を探しておりましたところ、
1997年4月に、新たに創設された、「曹洞宗北アメリカ開教センター」の所長として、
ロスアンゼルスに赴任するようにとの要請を受けました。
(2003年に、曹洞宗国際センターと改称されました。
パートタイムではありますが、現在も所長の職にあります。)

開教センター赴任
せっかく新しい道場の設立に取り掛かったところでしたので、
中断するのには、非常な躊躇がありました。しかし、ミルウォーキー禅センターの
秋山洞禪師や、横山泰賢師は、坐禅をアメリカに広めるために受けるべきだとの御意見でした。
またこのようなセンターは、以前に片桐老師から提唱されていたものでもあり、
宗仙寺の細川方丈ともその必要性を話していた事でしたので、
御両師への報恩としても、他に人がいないのであればと考え、
五年間だけやらせていただくと言う条件で引受けました。
家内と学齢期にある子供達をミネアポリスに残しての
単身赴任でしたので、たいへんに難しい決断でありました。
横山師も、奥さんと幼い子供さんたちをアイオワ・シティに残して、
一年間離れてすごさねばなりませんでした。
(現在横山師は曹洞宗ヨーロッパ総監部において勤務しておられます。)

何とか三心禅コミュニティを生かしておきたいと願って、開教センターの公務の合間に、
三心ZCの活動を細々と続けました。そのために、家族と会うために2乃至3ヶ月に一度
ミネアポリスに帰る事と、開教センターの公務として各地の禅センターを訪問する事とあわせて、
いやが上にも他出が多くなり、ロスアンゼルス、あるいはサンフランシスコにいる時には、
週に7日間休まずに出勤するような生活が5年半続きました。

そのような状況にありましたので、両方やるのは不可能ではないかと
あきらめかけた事もありましたが、横山師と、片桐老師の法嗣の一人で、
ノースカロライナ州に女性のための道場を創立された、貞静・ミュニック師および、
その他の熱心なアメリカ人の坐禅修行者の助けをいただいて、なんとか続けることが出来ました。

2000年から、インデアナ州のブルーミングトンという町 に、
三心禅コミュニティの道場を作ろうと言う計画が具体的になってきて、
2001年3月に現在地に用地を購入いたしました。
1エーカー足らずの、建物が何も立っていない空き地でした。
2002年4月に、グランド・ブレイキングの式を行い、同年の冬から工事に着手いたしました。

ブルーミングトン移転
2003年4月に私は、サンフランシスコから、
家族が住んでいたミネアポリスに5年半ぶりに帰りました。
そして、6月22日、ミネアポリスからブルーミングトンに移転いたしました。
お寺となる建物は、まだ居住可能な段階に達して居らず、同時にロスアンゼルスから移転してきていた
智光・コロナ師が借りたお寺の隣の小さな家に私たち夫婦と息子の正樹が同居させていただきました。
新築の建物に入居できるようになったのは8月の半ばになってからでした。

最初は2階の私の仕事場になる予定の部屋で坐禅 を始めました。
地下室の坐禅堂が使用可能になったのは8月も末になってからでした。
結局、建物がほぼ完成して、市当局からの監査を受けるに至ったのはほぼ一年後の
ことでした。それまでは、工事が続行中の現場に無理やり住み着いていたというのが正確な表現でした。

それでも、2003年9月のはじめから、
5日間のリトリート(泊り込みの研修会)を開始しました。
それから現在に至るまで、2年が経過しております。お蔭様で、
この間、安泰寺と同じ差定の坐禅だけの接心、講義や作務も交えたリトリート、
1日に2回正法眼蔵の講義をする「眼蔵会」、講義の時に禅戒を学び、最終日に在家得度式を行う
7月の禅戒リトリートなど、の行持を続けてまいることが出来ました。

この間に、智光さんはじめ、7,8人の人がアメ リカの各地から三心寺で
修行するためにブルーミングトンに移転してまいりました。智光さんは昨年
嗣法を受けましたが、残念なことについ最近、健康上の理由で家族が住むカリフォルニアに
帰りました。また、これまでに4人の人たちが出家得度を受けました。

2005年2月には、曹洞宗宗務庁より、海外寺院として認可 されました。
これにより、年に一度首座を置いた夏期安居を行うことが出来るようになりました。

まだまだ発足して間もない道場ですので、
いろいろと問題を抱えておりますが今後とも、
坐禅修行と道元禅師の教えの参究に努力をいたしてまいります。


(2)三心寺の活動
私が三心の活動として願っているのは、
20年前に本師内山老師によって示された、
坐禅と、宗乗の参究、テキストの翻訳を中心とした道場を創立する事であります。
様々な紆余曲折の中で、場所はあちらこちらと変わりましたが、その間変わる事なく、
アメリカ人をはじめ、外国人との坐禅修行、宗乗の参究、翻訳の活動を行って参りました。
これまでに7冊の翻訳書が出版されました。

開教センターの仕事としては、以下のような書物が発行されました。

*「Nothing is Hidden」
  (道元禅師生誕800年記念啓賛事業として、
   永平寺刊「典座教訓の参究」の中から、
   外国人に分かりやすいものを抜粋して英訳したもの。)

*1998年に行われた開教センター接心における7人の講師による講義の記録である、
  「Sitting Under the Bodhi Tree 」。


*1999年道元禅師生誕800年記念事業とし てスタンフォード大学を会場として行われた
  道元禅師シンポジウムの10人の人々の発表をまとめた、
  「Dogen Zen and Its Relevance for Our Time」

*また、太源・ダン・レイトン師と共同で1999 年から進めていた
 「永平広録」の英訳が2004年にウイズダム・パブリケーションから出版されました。

その他に、私が、ミネソタ禅センターにいた時に行った、
「普勧坐禅儀」の講義のテープ起 こしをして本にしている人、
私がした「般若心経」の講義と、内山老師の「正法眼蔵摩訶般若波羅蜜」の提唱の英訳とを
一冊にして本にする計画を進めている 人、私が、在家得度式をした時に、
「教授戒文」をテキストにして行った講義のテープ起こしをしている人などがいます。

これらの英訳書および、英語で作られた出版物を集めれば、
結構実践的な道元禅入門のテキ ストが揃う事になります。
これらと、現在宗務庁で行われている宗典翻訳事業の成果を利用すれば、
道元禅参究のテキストに困る事はないと存じます。

道場の創立に必要なのは、テキストと指導者ですが、
私は、1969年の最初の接心以来、30年以上にわたって、
外国人とともに坐禅修行をし、共に道元禅師の教えを参究してきた経験があります。
アメリカに於ても、日本に於ても、坐禅を共に行じ、講義や翻訳を通して、
外国人参禅者と接して参りました。この経験を生かして、今後より一層努力して、
道元禅師の教えを、坐禅の実修とともに学ぶ事ができる道場を作りたいと願っております。

この基本的な願いにもとづいて、三心禅コミュニティ:三心寺では以下のような活動を行っております。

  1. 年に10回の5日間の接心、リトリート、眼蔵会。
    内山老師が始められ、私が、1993年 に渡米するまで、
    20年間行ってきた、坐禅だけに専注する摂心を年に2回。
    少し差定をゆるくした接心を2回。
    講義 や作務を交えたリトリートが年に3回。
    正法眼蔵の講義を一日に2回行う「眼蔵会」を2回。
    禅戒を学び、在家得度式を行う7月の禅戒会、など。

  2. 継続的な道元禅師の教えの参究。
    「正法眼蔵」、「永平広録」、「永平清規」、「学道用心 集」、「随聞記」その他、
    宗乗の理解に必要な仏教や禅一般についての勉強を、リトリート中の講義や、
    眼蔵会、日曜参禅会、月曜日の勉強会などを通じて行っ ております。

現在は、様々な制約があって、進んでおりませんが、翻訳の仕事もしていきたいと願っております。
宗務庁の宗典翻訳事業で、「正法眼蔵」、「伝光録」、「行持規範」、「勤行聖典」などの
翻訳が進んでおりますが、そのなかには含まれない、実践的な、
修行者の役に立つテキストの翻訳をする必要があります。

「正法眼蔵」を翻訳だけでよんで、十全な理解を期待する事は不可能だと存じます。
勿論原文について参究する事が一番大切なのですが、
原文を読みこなすだけでも大変な事は御存知の通りです。
その助けとなるような解説の英訳も必要になってくると存じます。
私はこれまで、「正法眼蔵」の大切な巻を内山興正老師
の提唱とともに訳してきましたが、アメリカ人参禅者から好評を受けております。
これまで、信頼できる道元禅師の伝記も、曹洞宗の通史も、宗学の概要も、
近代および現代の曹洞宗の流れについても、信頼できる英語の本がありませんでした。
このような分野の本も、翻訳によるか、英語で書き下ろすかどうにかして、
提供していかなければ、曹洞禅が十分な深さをもってアメリカに根をおろす事はできないと存じます。
勿論私一人でこれら全部を手がける事は不可能でありますが、
日本人宗学者、実践者、アメリカ人の学者、修行者が共同で坐禅の実習と
参究ができる場が あれば、少しづつでも動いていくものと存じます。

そして、恒久的な本堂兼坐禅堂、及び宿泊施設が完成すれば、
日本の若いかたで、英語の勉 強をしたい人、
アメリカで坐禅修行をしてみたい人が滞在できる場を提供する事も可能です。
ブルーミングトンは、インデアナ大学が大きな比重を占める、静かな大学の町です。
インデアナポリス周辺には日系の会社も多くあり、国際空港もあります。
ブルーミングトンはインデアナポリスから自動車で約一時間の距離に有り、日本からの交通も比較的便利です。

2001年に刊行された、「21世紀の道元」への寄稿「『参 加する仏教』に向けて」の中で、
スタンフォード大学のカール・ビールフェルト教授は、以下のように言われています。

「僧院は道 元禅の伝統的形態と精神の中で訓練を与えることが出きる。
しかし道元禅の歴史と文献の教育を十分に与えることは出来ないし、
より広い仏教伝統の教育は言う までもない。アメリカの禅仏教徒は教育程度が高い傾向にあり、
ほとんどの者は大学を出ている。しかし、同時に、仏教の教育は哀れなほど受けていない。
僧侶 たちでさえ、仏教の歴史と思想をまじめに学んだものは殆どいないし、
仏教のテキストを原語で読める者は皆無に近い。

禅センターでは、知る価値のあるすべては坐禅の実践を通じて
知ることが出来ると言わんばかりに、反知性的体質もなしとはしないのである。
この体質のおかげで、アメリカの修行者は、
自分自身の伝統の教えさえ理解することが難しくなっており、
ましてや自分の伝統が仏教の過去、現在の他の形態と
どう関わっているかなどについては言うまでもないのである。

いくつかの禅センターは、クラス、講義、学習グループを拡充して、
メンバーたちに教えているが、教育を受けた
指導者層を確保するためにまだまだ多くのこと をしなければならない。
曹洞宗宗務庁は最近プロジェクトをスタートさせ、日常に読誦し、
あるいは儀礼に用いる偈や経文、「正法眼蔵」のような教義的テキス トの権威ある
英訳を創ろうとしているし、又、サンフランシスコに「教育センター」(Education Center)を設立した。
しかし、こうした努力が成功するには、アメリカの禅仏教徒たちが、
修行には自らが奉じる宗教についての知的理解が
含まれるのは当然だ、と思うようにならなければならない。
それ故、今や、禅の教育を施すアメリカの組織を考えるときが来ているように思う。
少なくとも当初は毎年のサ マー・スクールを開くことから出発し、
仏教の諸言語、テキスト、歴史、思想を教えるカリキュラムが組まれてよい。

そのような教育機関こそが、
禅は過去にどのような者であったかについて僧侶を訓練するだけでなく、
禅が未来にどのようにあるべきかという建設 的思想を発展させることを鼓舞するであろう。
換言すれば、質の高いアメリカ禅の「宗学」(theologies) の
発展を鼓舞するであろうし、私がここで提案を試みたのもその一つである。」

私が、三心禅コミュニティにおいてしようと願っていることも、
アメリカ禅の現状に対する同教授と同じ認識に基づくものです。
教授が言われるような公的な教 育機関を今すぐに創ることは難しいでしょう。
ですから、私塾的なものではありますが、
その先駆けになるようなものをはじめたいと願っております。
只私は、 学者ではありませんので、ビールフェルト教授が言われるものよりも、
より実践的に、只管打坐の行に基づいた宗乗の理解を目指しております。

どうぞ御理解とご支援の程御願い申し上げます。

                                奥村正博 九拝
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