三心通信 2017年12月

2017年も残すところ3日となりました。ここ数日、寒い日が続いています。ブルーミントンの
今朝の気温はマイナス7度Cです。最低気温がマイナス8度Cで、最高気温がマイナス5度C
ですので、一日中気温がほとんど変わらないようです。先日、ここよりもっと寒いミネソタ州
では、マイナス38度Fになり、1924年以来の最低気温を記録したとのことです。これくらい
の低い気温になると、摂氏と華氏はあまり違わないとのことです。要するにマイナス40度C
くらいになったということです。私がミネアポリスに住んでいた間にも、マイナス30度くらいに
なったことがありましたが、低温には慣れている町でも学校や公共施設は閉鎖になりました。
この冬は寒くなりそうです。

11月27日に曹洞宗宗務庁で行われた宗典翻訳事業の英訳「伝光録」の完成と曹洞宗国際
センター設立20周年を記念してのシンポジウムに参加するために東京に行きました。5人
の発表者の一人だったのですが、私以外は皆さん高名な学者さんたちで大きな翻訳事業に
携わっておられる方ばかりでした。私のように個人で細々と翻訳をしているものが出る幕で
はないと、余り気乗りがしなかったのですが、国際センターの20周年でもあるので、お断り
することができませんでした。それでも駒澤大学で英語を教えていただいた小笠原隆元先生、
国際センターで仕事をしていた頃にお世話になった何人かの方々、旧友や知人に会うことが
できてシンポジウムの間以外は楽しい時間を過ごさせていただきました。

そのあと、大学時代の友人2人と広島に行き、車椅子で生活している学生の頃からの友人
のお寺を訪ねました。そのうちの一人とは30年ぶりくらいに会うのでしたが、昔に帰ったよう
な気がしました。そのあと、尾張一宮、京都、大阪で安泰寺のころに一緒だった人たちを訪ね
たり、今年亡くなった友人の御墓参りをしたりしました。今回もまた駆け足旅行で、毎日新幹線
で移動し、違う場所で眠るということになりました。限られた時間の中でなるべく多くの人たちと
会いたいのでそうならざるを得ないのですが、大きな荷物を引きずって旅行するのは、ぼち
ぼち限界だという感じがしました。

広島の友人から、大中寺時代の内山老師が写っている写真をいただきました。近くのお寺
の先代か先先代の方が大中寺で修行されたとのことでした。勿論コピーをしたものですが、
老師は1941年に29歳で沢木老師から大中寺に於いて得度を受けられましたので、30歳
になられたばかりの頃の写真です。

また京都の鷹峰道雄さんの泉谷寺を訪問させていただいた折、思いがけなく内山老師の
ご揮毫をいただきました。一つは「水鳥樹林念仏念法念僧」と書かれたもので表装をしてい
ただいて、掛け軸になっているものです。もう一つは、浜坂の安泰寺の本堂の前の「帰命」
の額のために書かれたもので、使われなかったもののようです。老師は揮毫を頼まれても
いつも断っておられたので、このようなものがあることさえ私は全く知りませんでした。です
ので驚くとともに、道雄さんのご法愛に深く感謝いたしました。三心寺に帰って、私の書斎に
内山老師の折り紙の観音様、沢木老師、内山老師、浄心さんのご遺影をお祀りしてある壇
の上に掛けさせていただき、毎朝坐禅の後に三拝をしております。

1996年に出来た私の唯一の日本語の本「般若心経を語る」が再刊されることになりました。
カトリックの信者の人たちが自主的に仏教とキリスト教を勉強するために結成された東西の
会の集まりで私が「般若心経」について話したもののテープ起こしをしていただいたものに
加筆訂正をし、会員の方々が手作りで製本されたものです。今年、三心寺で得度を受けた
高橋慈正さんの努力で港の人という出版社から出していただくことになりました。私は日本
では全く知られておりませんので、自己紹介を兼ねて、これまでの歩みを書いたものを追加
した方がよりいということで、日本から帰ってから「只管打坐の道」という題で書き始め、第
一稿を書きおわったところです。

そのあと、今年の1月まで3年ほどかかって翻訳した「正法眼蔵随聞記」の20ページ足らず
のイントロダクションを英語で書きました。1988年に面山本の英訳を京都曹洞禅センター
から出し、今でも宗務庁の教化資料として出ていますが、今回は長円寺本を底本として訳し
たものです。弟子の一人の道樹さんが現在、エディットしてくれています。アメリカの出版社
から出るように願っております。

これまで何年か、三心寺の電子ニュースレターに道元禅師の和歌の翻訳と短い解説を連載
してきましたが、今月で「道元禅師和歌集」に収録されている和歌を完了しました。これも弟子
の浄瑩がエディットしてくれています。いずれ本にしたいと考えております。

来年からは、面山さんが「永平広録」から選ばれた道元禅師の漢詩を集めた「句中玄」の中
の漢詩を毎月紹介する予定です。

12月29日

奥村正博 九拝






三心通信 2017年10月、11月

例年通り、10月6日から8日まで、ペンシルバニア州ピッツバーグの在家の禅グループ、
スティル・ポイント サンガが主催する週末の接心がありました。今年もオハイオ州との州
境にあるカトリックのリトリート・センターで行われました。このグループとの接心は1995
年、私がまだミネソタ禅センターで教えていた頃からですので、20年以上続いています。
在家得度式も2回行いました。最初に来た時にいた人たちがまだ2、3人続けて参加して
くれています。この辺りは禅や仏教に関しては後進地域なのですが、小さなグループで、
長年静かに坐り続けている人たちがいます。私の願いは、大きな禅センターをつくること
ではなく、そのような地道に坐り続けている人たちを支援することです。ただ気になるのは、
参加者の高齢化です。ほとんどが、50代以上の人たちです。30代・40代の人たちはちら
ほら、20代の人はほとんどいないような状態です。

今回も、私が訳した「道元禅師和歌集」から3首について話しました。和歌を使って話すの
は、道元禅師の教えの様々な方面を「正法眼蔵」や「永平広録」ほどには難しくない言葉
で表現されていますので、いい方法だと考えています。

この接心から帰ると、11月の眼蔵会の準備に追われました。今回は拙訳の「正法眼蔵
葛藤」を講本にいたしました。「葛藤」という言葉は中国語や日本語の常用語としても、あ
るいは仏教用語、禅語としても否定的な意味でしか使われていません。
一般語としては、一人に人の中に互いに矛盾した二つあるいはそれ以上の願望があり、
どちらとも決めかね、悩んでいる状態、あるいは家族や職場などでの対人関係で、絆があ
って離れられないけれども、常に対立しているような状態のなかでのおたがいの心理的状
態、という意味で使われます。仏教語としては、愛結つまり煩悩に基づいた執着のことを
指します。禅語としての独特の意味は、言語、概念、論理を使った思考、表現、対論など
を否定的に指す場合に使われます。別の仏教語で言えば戯論や虚妄分別のことです。
それら執着や概念的思考を断ち切って、自由になることが悟りだと言われます。

しかし、「眼蔵葛藤」で道元禅師は「嗣法」という禅の伝統の中ではもっとも重要で肯定的
な、師弟関係、兄弟弟子の関係をさして「葛藤」と呼ばれています。一般的には否定的な
意味で使われる表現を肯定的に使うのは道元禅師のある意味では常套手段です。「空華」
「画餅」「夢中説夢」などがその例ですが、巻名にはなっていなくても、同じような手法を使わ
れているところはいくつもあります。読者に通常の常識的な概念的思考を断念させ、思いが
けない世界に目を開かせるためなのでしょう。

しかし、「葛藤」の場合は、嗣法ということについて、通常連想するような師資一体、一器の
水を一器に移すような、ただただ親しい関係というだけではなく、否定的な意味での「葛藤」
も裏面から透かして見えるようにしておられるのだと私には思えます。その例として、パーリ
のサミュッタ・ニカーヤ16、Kassapasamyuttaに含まれる、摩訶迦葉とアナンダの葛藤の物
語を、「葛藤」の巻の最初の文、「釈迦牟尼仏の正法眼蔵無上菩提を証伝せること、霊山会
には迦葉大士のみなり。嫡嫡正証二十八世、菩提達磨尊者にいたる。」について話す時に
紹介しました。

それと、「葛藤」の巻の主題は、ダルマから法を継いだ4人の弟子たちが全て平等にダルマ
の仏法を継いだのであって、一般に理解されているように、皮肉骨髄の間に深浅の差別は
ないということなのですが、それでは、釈尊の法を継いだのは摩訶迦葉だけだとどうして言
わなければならないのかという疑問も提出しました。釈尊の初転法輪の時、まず陳如尊者
が釈尊の教えを理解した時、英語訳ではthe pure, immaculate vision of the truth (清浄
法眼)を得て阿羅漢になったと言われています。他の4人の比丘についても同じことが言わ
れ、その時この世界に6人の阿羅漢が存在するようになったと言われています。最初期に
おいては釈尊と弟子たちの間に、そして阿羅漢となった弟子たちの間に上下の区別は無
かったようです。釈尊の入涅槃のあと、500人の阿羅漢があったと言われています。その
人たちはみんな清浄法眼を得ていたはずです。道元禅師が「葛藤」の巻で主張されている
論理を使えば、摩訶迦葉と他の阿羅漢との間にも差別は無かったはずです。なのに、道元
禅師はどうして、釈尊の法を伝えたのは、摩訶迦葉だけで、ダルマの場合は4人の弟子が
平等だと言われるのでしょうか?

古い禅のテキストでも伝法を表現する時「清浄法眼」を得たといわれていたのが、「正法眼蔵」
という表現にかえたのは9世紀にできた「宝林伝」からだと言われています。これは禅の伝燈
を他の仏教諸宗の伝統よりも価値づけ、釈尊から伝法されたのは摩訶迦葉だけで、それを
受け継いでいるのは禅宗だけだと主張するためだったように思えます。

道元禅師がこの巻で、4人の弟子が深浅の差別のないダルマの法を平等に継いだのだと
いわれるのは、歴史的にダルマの門下でおこったことについていわれているだけではなく、
道元禅師ご自身の弟子たちへのメッセージだと私には思えます。あるいはすでにご自分の
サンガの中に、三代争論に至る不和合の萌芽を察知されていてのかもしれないと。

「葛藤」の巻が1243年の7月7日に、興聖寺での最後の著作として書かれたことの意味も
考えなければならないと思います。7月16日、越前に旅立たれる9日前です。7月15日に
夏安居が円成した解制の翌日、17日の如浄禅師の忌日も待たずに興聖寺を離れられた
のには、余程逼迫した事情があったような気がします。

11月の眼蔵会は、5月と同じくTibetan Mongolian Buddhist Culture Centerの施設をお借り
して行いました。参加者は約30名でした。三心寺では収容できない人数です。2018年は
三心寺創立15周年ですので、それを記念して、特別な眼蔵会を予定しております。私以外
に2人の講師をお呼びして、「眼蔵行仏威儀」を講本にそれぞれ3回ずつの講義をする予定
です。

11月27日に東京の宗務庁で催されるシンポジウムに発表者の一人として参加するために
明後日、23日に東京に出発します。曹洞宗国際センターの20周年と曹洞宗の翻訳事業で
ある「傳光録」英語訳完成を記念してのシンポジウムです。

11月21日
奥村正博 九拝








三心通信 2017年8月、9月



7月10日に夏季安居が円成したあと、例年通り、アイオワ州龍門寺の首座法戦式に助化師
として随喜させていただきました。法戦式の本則は三心寺の今年の法戦式と同じく「南泉斬猫」
でした。龍門寺の堂頭の彰顕・ワインコフ師のお弟子さんは全員法戦式を済まされたという
ことですので、等分の間、龍門寺に助化師として行かせていただくことはないようです。
 
8月10日から28日までカリフォルニア州に滞在致しました。主な行事は11日から18日ま
で7日間のサンフランシスコ禅センターでの眼蔵会でした。今回は拙訳の「正法眼蔵柏樹子」
を講本と致しました。比較的短い巻きですので7日間、13回の1時間半の講義には足りない
かと、念のために、時間が余れば道元禅師の著作のなかで、趙州禅師について書かれてい
るところを抜粋して、第2の講本といたしました。ところが予想に反して、「柏樹子」の巻だけ
で13回の講義が終わってしまいました。参加者は80人ほどありました。禅センターでの宿
泊可能な人数を上まわっていましたので、通いで講義にだけ参加する人も何人もありました。
私の拙い英語での「眼蔵」の講義に、禅センターに安居している人のみならず、各地から参
加していただいた人々に感謝しております。道元禅師の「正法眼蔵」、「永平広録」その他の
著作における教えを理解したうえで、坐禅修行をしていただきたいと願う私にとってはたいへ
んに有難いことです。私の長年の努力にとって、何よりの励ましであります。

眼蔵会のあとは、スタンフォード大学の近くの知人宅に泊めていただき、カーメルにあるモン
トレイ・禅センター及び、サンタ・クルーズ禅センターを訪問して道元禅師の和歌について話し
ました。そのあと、グリーン・ガルチ禅センターに週末滞在させていただき、土曜日に1日接
心の参加者の人たちに講義をさせていただきました。

8月28日にブルーミングトンに帰ると間も無く9月の接心がありました。そのあと、日本から
来られている高橋あいさんの出家得度式が17日の日曜日に行われました。今年の3月に
ニューヨークに長年住まいし、アメリカの市民権も取得している小山一山さんの出家得度式
をしましたので、日本人として三心寺で得度したのは二人目です。法名は慈正です。アメリカ
で得度して日本で僧侶として修行して行くのはなにかと不便なこともあると思いますが、旧来
の檀家制度に基づいた寺院体制にとらわれない仏弟子としての修行の生活を創造してくれ
るように願っております。


そのあと、21日から25日まで、曹洞宗国際センターの行事の参禅指導として、アーカンソー
州の北部、ミズーリ州との州境の近くの山のなかにある行仏寺を訪問いたしました。私の弟子
の一人の正龍が6年まえにはじめた道場です。お寺とは名ばかりで、山小屋のような小さな建
物を禅堂兼台所兼食堂とし、参禅の人たちはトレーラー・ハウスに住んでいる全く浮世離れし
た場所です。水道も井戸もなく、雨水をためてフィルターで濾過して地下の貯水槽にためたも
のを使っています。現在は正龍と三十歳のカナダ人の参禅者と二人だけが住んでいます。私
が来るというので、フロリダからもう一人の私と同年代の人が来ていました。1975年から81
年まで、私が住んだパイオニア・バレー禅堂の初期の頃の屯田兵のような生活を思い出しま
した。

そういう状態ですので、お寺で話をするという訳にもいかず、近くのキングストンという町の図
書館を会場にかりて、一般の人を対象に公開の法話をいたしました。私としては、正龍が人
知れず修行していることを少しでもこの地域の人々に知ってもらいたいと願っておりました。
キングストンは人口260人の本当に小さな町というよりも村です。それに謂わゆるバイブルベ
ルトの一部ですので、図書館で仏教の話をすると言っても誰も来てくれないのではないかと思
っておりました。ところが案に相違して、30人ほどの参加者があり、小さな図書館の部屋はほ
ぼ満員になりました。中には結構遠くの町から来てくれた人たちもありました。

ブルーミングトンに帰って来るとすでに9月も末になり、お寺の境内には落ち葉が積もり始め
ております。これから11月まで、いくら落ち葉掃きをしてもすぐに元どおりになります。

10月は、初旬に例年通りピッツバーグのスティルポイントの週末接心があります。そのあと、
11月はじめの眼蔵会にむけて準備をしなければなりません。「正法眼蔵葛藤」の拙訳を講
本にいたします。この春に引き続いてチベッタン・モンゴリアン・ブディスト・カルチャー・セン
ターの施設をお借りしての5日間の眼蔵会です。

数日前から、右目の端に糸くずのようなものが飛んでいるのが見えるようになりました。家内
に話すと、齢のせいで起こる飛蚊症というのだそうです。そんな名前すらも知りませんでした。
七十歳寸前になるまで、目医者にも歯医者にも数えるほどしか行ったことのないのは、両親
に感謝しなければならないことなのでしょう。


2017年9月27日
 


奥村正博 九拝







三心通信 2017年6月、7月


暑中お見舞い申し上げます。
 
日本では猛暑に加えて九州などで記録的な大雨が降り大きな被害が出たとのこと。
お見舞い申し上げます。当地では、降雨量はそれほどではありませんが、短時間雨が降る
日が多く、湿気が適度にあって、苔庭に水を撒かなくてもきれいな緑色が保たれています。
アメリカの中西部では今年は比較的穏やかな天気が続いています。

7月10日、5日間の禅戒会の最後に在家得度式があり、今年は5人の人たちが受戒して
仏弟子になりました。これにて4月10日から3ヶ月間続いた夏季安居が円成いたしました。
この間、首座を務めた光雲・Levyが日曜日の法話をしました。アメリカ人が自分の言葉で
話す法話には、私には話せない経験から出て来る、新鮮な表現があります。

例年の通り安居中は、5月は眼蔵会、6月は坐禅に専注する接心、7月は禅戒会と、戒、
定、慧の三学を主とした5日間の行持を行いました。5月の眼蔵会は「正法眼蔵阿羅漢」を
講本としました。三心寺の坐禅堂、宿泊施設、台所などが手狭になりましたので、近くにあ
るTMBCC(Tibetan Mongolian Buddhist Culture Center)の施設をお借りしての眼蔵会とな
りました。例年のようにアメリカ各地のほか、ヨーロッパからの参加者もありました。

6月18日には首座法戦式がありました。本則は「従容録」第9則「南泉斬猫」。カリフォルニ
アから秋葉玄吾総監老師、曹洞宗北アメリカ国際布教総監部の宮崎良高師、国際センター
から伊藤大雅師の御随喜をいただきました。特に秋葉老師は、天平山プロジェクトで日本
とアメリカを往復し、アメリカ国内でも席があたたまる暇もないほどのご多忙な中、法戦式に
助化師として臨席していただくためだけに遠く中西部の田舎の小さな寺院にまで御出でいた
だいて、誠に有り難く、申し訳なく存じました。宮崎師、伊藤師共に三心寺に来ていただくの
も、お目にかかるのも初めてでした。若い方々が、国際布教のためにアメリカで働いていた
だけることに頼もしさを感じました。

7月の禅戒会では毎年、「教授戒文」を講本にして、十六条戒の様々な面に焦点をあてて参究
しています。今年は「三帰戒」を取り上げました。「正法眼蔵帰依仏法僧宝」のはじめの部分
を英訳して、それにそって話しました。特に、現前三宝の歴史的な釈尊の初期の布教活動
において、サンガがどのように確立され、それに伴って仏、法、僧が三つの宝とされていった
過程について、パーリ語の「律蔵」の記述にもとづいて話しました。勿論英語訳を使ってです。
中村元先生の「ゴータマ・シッダルタ:釈尊の生涯」の英語訳を使わせていただきました。そ
れと道元禅師が「正法眼蔵帰依仏法僧宝」の中で引用されている「大乗義章」の四種三宝
と「教授戒文」の三種三宝の比較も興味あるものでした。

私がアメリカに初めてきたのは二十七歳だった1975年でした。先月22日に六十九歳に
なりましたので、あれから40年以上の年月が経ってしまいました。途中1981年から93年
までは日本で活動しましたが、その間も、主に外国から日本に来る人たちと坐禅を行じ、
道元禅師や内山老師の著作を英語に翻訳することを主な活動にしておりました。

思えば、1972年に駒澤大学を卒業して安泰寺の内山老師の元で修行を始める時に、
老師から英語を勉強するようにと言われたことが、今日に至るまでトボトボと歩んできた
狭い一本道の始まりでした。1960年代の後半から70年代前半にかけて、多数の欧米の
若い人たちが坐禅をするために京都にきていました。安泰寺の近くや京都市内のあちら
こちらに住み、毎日の坐禅や毎月の接心に通って来る人たちがたくさんありました。英語
を習い始めてから、その人たちと話す機会が多くなり、親しい友人となりました。その人たち
の何人かとは今でも付き合いが続いております。特に、大通・トム・ライトさんとは、1969年
の1月に私にとって最初の安泰寺の接心で出会って以来半世紀近くになる付き合いです。

80年代に京都にいたあいだには、一緒に接心をし、内山老師の著作を翻訳する仕事をし
ていました。「生命の実物:坐禅の実際」と「現代文明と坐禅」を中心とした内山老師の著作
を英訳したOpening the Hand of Thoughtがそのころの共同作業の成果でした。その後、
1993年に私が再度アメリカに来てからは、一緒に仕事をする機会はありませんでしたが、
それぞれに道元禅師、内山老師の著作の英訳作業を進めておりました。この度、トムさん
が長年かけて訳してこられた内山老師の「正法眼蔵有時・諸悪莫作を味わう」がWisdom社
から出版されるのに際して、私がミネアポリスにいた頃に訳した「摩訶般若波羅蜜を味わう」
も一緒に入れていただくことになりました。今年の秋にも出版されるとのことです。トムさん
の長年にわたる絶え間ないお仕事に敬服いたします。またその本のために南画家のマイ
ケル・ホフマンさんに挿画を描いていただきました。マイケルさんは、私が英語を勉強し始
めた頃、毎週安泰寺に来て英語を教えてくれた人です。

私の眼蔵会の講義を基にした「正法眼蔵山水経」の解説書も来年には出版される予定です。
この2、3年三心寺の勉強会のために少しづつ訳して来た長円寺本の「正法眼蔵随聞記」
の第一稿もできました。現在、英語を見直してもらって、出版社に提出できる原稿を作成
する作業をしてもらっています。三心寺のニュースレターに毎月連載して来た「道元禅師
和歌集」の英訳と解説も、あと2首で完了いたします。これも出版できるように英語を添削
してもらうように予定しています。まだまだしなければならない仕事があります。

三心寺の副住職に就任した法光は、昨年八月にブルーミングトンに移転し、副住職と
オフィス・マネージャーを兼任してたくさんの仕事をしてくれています。お寺の運営はすでに
法光が主に担当してくれています。おかげさまで私は坐禅や講義、翻訳や著作により多く
の時間を使うことができるようになりました。

六十歳代の最後の一年、心を引き締めて老耄の弁道を続けてまいります。

来たる11月に曹洞宗国際センターの創立20周年の記念のシンポジウムが宗務庁で催
され、私も参加させていただく予定です。その折、時間がありましたら、なるべく多くの方々
をお訪ねさせていただけるようにと願っております


2017年7月13日
 


奥村正博 九拝




三心通信2017年 4月, 5月




今年もはや5月も下旬になろうとしています。このところ、雨が多く新緑が鮮やかで、晴れ
た日には散歩するのが心地よい季節になりました。4月10日から例年のように夏季安居
が始まりました。今年は、光雲さん、フロリダ州在住の60歳前後の女性が首座を勤めて
います。7月10日までの3ヶ月間は、接心や眼蔵会などのリトリートの期間を除いて、首座
が日曜日の法話をすることになっています。
私はその間、毎週法話の準備する責任から解放されます。しかし、5月の眼蔵会の講義、
7月の禅戒会の説戒の準備、8月にサンフランシスコ禅センターで行われる眼蔵会の準備
をすでに始めなければなりません。次の眼蔵会の講本は「正法眼蔵柏樹子」ですので、そ
の翻訳をはじめております。

2002年に初めての眼蔵会で行った「正法眼蔵山水経」の講義のテープ起こしに加筆、訂
正をしたものが、15年たって、ようやく出版の運びになりました。現在、英語のエディティン
グをしてくれている弟子がWisdom社の編集者と最終原稿の作成作業をしているところです。
今月中にこの作業が終わり、順調に行けば来年春には出版される予定です。
大通・トム・ライトさんが長年かけて訳してこられた内山老師の「正法眼蔵有時・諸悪莫作を
味わう」がWisdom社から出版されることになり、私がミネアポリスにいた頃に訳した「摩訶
般若波羅蜜を味わう」もそれに加えていただくことになりました。最終原稿の作成も終わり、
今年の秋には出版されるとのことです。

5月の眼蔵会は一昨日円成致しました。「正法眼蔵阿羅漢」を、途中出入りはありましたが、
参加者おおよそ20名の人々と参究いたしました。この眼蔵会の準備のために4月の三心
通信は書くことができず、今に至ってしまいました。眼蔵会の参加者が20名を越すと、三
心寺の禅堂、宿泊設備、食事を準備する台所や食事をする空間が限界を超えてしまいま
す。これまで何度も、受け入れの人数制限以上の申込者があり、お断りをしなければなら
ないことがありました。それで、今回初めての試みとして、三心寺ではなく、自動車で10分
ほどの距離にあるTMBCC (Tibetan Mongolian Buddhist Culture Center)の施設を使わせ
ていただくことになりました。TMBCCは数年前に亡くなられた、ダライ・ラマのお兄さんによ
って創立されました。インディアナ大学で長年教鞭をとられていたあいだに、寄進された広
大な土地をカルチャー・センターとされたのです。そこに、三心寺ができたのとおなじころに、
お坊さんが常住するお寺が建立されたのです。その竣工式にはダライ・ラマも来られて、5
千人ほどの出席者がある盛大なものでした。
それ以後、何人かのチベット人のお坊さんが常住されています。様々なリトリートや催しがな
い時には、カルチャーセンターの空間はあいていますので、今回お願いしてつかわせていた
だいたものです。100人以上の人がゆっくり入れるホールがあり、大きな台所や食堂もあり
ます。今回はそのホールを二つに区切り、坐禅堂と講義をする教場として使いました。2階に
数名が泊まれる客室があり、少し離れたところに宿泊者用のキャビンもあります。何人かの
参加者はテントに寝泊まりしたり、また三心寺に宿泊して毎日通う人たちもありました。
私は、夜は三心寺にかえり、朝の9時からの講義の前にあちらに行き、午後の講義と坐禅、
夕食が終わった後に三心寺に帰ることにしました。早朝及び夜の坐禅は坐りませんでした。
これは、今回が初めてでした。今までは、眼蔵会中も朝5時からの暁天坐禅、夜9時までの
夜坐を欠かしたことはありませんでした。この2、3年、眼蔵会の後は疲れ切って、2、3日は
なにもする元気がありませんでしたので、後6年間眼蔵会を続けるためには、少しやり方を
変えなければと考えて、はじめてのこころみとして、早朝の坐禅と夜坐は休ませてもらうこと
にしました。やはり、体力的にかなり楽になりました。

今年になって、体力的な衰えがまた少し進んだように感じます。睡眠が浅くなり、夜中に目を
覚ますことが多くなりました。その分昼間は眠く、集中して仕事ができる時間が少なくなりまし
た。常時時差ボケ状態のような感じです。これではダメだからなんとかしなければという気力
もどこからも出てこないありさまです。とりあえず病気もなく、週5日、朝4寺半に起きて、5時
から2炷坐れること、また能率は悪くても翻訳、執筆、講義の準備等も曲がりなりにでもでき
ていることを有り難く感謝しなければいけないと思っております。

2017年5月19日

奥村正博 九拝



三心通信2017年 3月

 

本年も、すでにお彼岸が過ぎ、3月も終わろうとしております。

三心寺の境内では、桜や桃の花が咲き始め、木々の枝にも緑の葉がつき始めました。
本格的な春が始まっております。

今月は、2人の人の出家得度式がありました。一人は60歳過ぎで、30年ほどもニュー
ヨークに住み、アメリカの市民権も取得しておられる小山一山さん。もう一人は30歳の
アメリカ人で道樹・レイトンさんです。アメリカの禅センターでは、在家得度を受けるとき
には絡子、出家得度を受けるときにはお袈裟、絡子、座具を自分で縫うことになってお
ります。今回は、もう一人この夏かあるいは秋に出家得度を受ける日本人女性、7月の
禅戒会の時に在家得度を受ける人も加わって、得度式があった26日まで、毎日裁縫を
していました。

私から出家得度を受けた人が16人、師僧替えをして私の弟子になった人が7人、合計
23人の弟子ができました。そのうち12人が伝法を終えています。何人かは、アメリカ、
ヨーロッパ、南米、ハワイでそれぞれ禅センターあるいはお寺で僧侶として活動を始めて
います。在家得度を受けた人は、1995年にミネアポリスで行った在家得度式以来、
160人を超えています。長くやっているからというだけですが、いい加減なことになって
いないか、私自身の道心のタガが緩まないようにと自省しております。

私は、5月の眼蔵会のために「正法眼蔵阿羅漢」の巻を翻訳し、勉強を始めています。
阿羅漢という言葉の意味は、初期仏教、部派仏教、現在の上座部仏教、大乗仏教、
禅仏教、道元禅師の「正法眼蔵」など、それぞれの思想的な背景の中で、様々違った
意味で使われているので、道元禅師が「佛阿羅漢」、「真阿羅漢」、「大阿羅漢」と言わ
れる場合の意味合いを考えなければなりません。また現在の曹洞宗の毎日の朝課に
「応供諷経」があり、毎月「羅漢拝」があり、年分行事に「羅漢講式」があることの意味
なども考えなければなりません。「道元禅師全集」の中には「十六羅漢現瑞記」や「羅漢
供養式文」などが含まれていますので、道元禅師ご自身が羅漢講式をされていたとされ
ています。「瑩山清規」には現在の羅漢講式の原型となる式本が収録されています。十
六羅漢や五百羅漢の「羅漢信仰」は道元禅師、瑩山禅師の頃から曹洞宗の伝統の中
で行われていたようです。そのことの意味合いと、「正法眼蔵阿羅漢」に書かれているこ
ととの関連も理解しなければならないと考えております。私は、四十年ほども前に瑞応寺
僧堂に6ヶ月間安居させていただいただけで、僧堂の行持については、ほとんど無知な
ので困っております。「羅漢講式」の式本が手元にありますので、それを読み解くべく努
力をしております。

この3年毎週水曜日夕方の仏教勉強会では、長円寺本の「正法眼蔵随聞記」の翻訳を
進めながら、私の翻訳第1稿をテキストとして意味の説明をし、参加者に英語の手直し
をしてもらうというやり方で勉強をしてまいりました。3月でそれが一応完了しました。これ
から、もう一度私が全体の整合性を考えながら翻訳を見直し、 脚注をできるだけ多くつ
けるようにしております。私は、なるべく原文に忠実に訳すように心がけておりますので、
英語としては必ずしも分かりやすくない翻訳になっていると思います。その欠点を脚注の
説明でカバーできればと考えております。私の見直しが終われば、この前得度を受けた
道樹さんが、全体の英語を見て、出版社に送れる状態になった原稿を作成してくれるこ
とになっております。私の「岩波文庫本」からの翻訳は1988年に初版が出ております。
現在でも曹洞宗宗務庁から教化資料として刊行されていますが、一般の書店には出回っ
ておりません。新しい英語訳がアメリカの出版社から出るようにと願っております。

今年もあと10日ほどで夏季安居が始まり人々の出入りも多くなり、冬の間の静けさとは
違った雰囲気になります。

今年は特に副住職になった法光が、お寺の様々な方面でまとめ役になってくれています
ので、昨年までとは違った風景になりそうです。

2017年3月31日

奥村正博 九拝





三心通信2017年1月、2月





本年も、すでに2月が終わろうとしております。

今年は例年になく暖かな冬でした。ほとんど降雪がありませんでした。1月に一度だけ
うっすらと雪景色になりましたが、すぐに消えてしまいました。雪の代わりに、雨が多く
苔庭の苔の緑が綺麗になりました。

2月にはミネアポリスのダルマ・フィールド禅センターとアイオワ州の龍門寺に参りまし
た。両方とも例年でしたら、氷点下20−30度になることもありうる土地で、どうなること
かと心配していたのですが、殊の外暖かくて驚きました。ミネアポリスは普通だと、11
月のサンクス・ギビングから4月中旬までは雪や氷が消えないのですが、今回は雪が
ほとんどなくなっておりました。また接心中には氷が溶けてぬかるみになっておりまし
た。龍門寺はミシシッピ川の近くにあるのですが、ミシシッピ川の氷もほとんど溶けて
おりました。人々は、暖かいのは楽だけれども、何か悪い異常気象の前兆ではないか
と心配しておりました。新しい大統領や政府の主要な人々は、地球温暖化を否定し、
二酸化炭素の排出量の規制を緩めようとしていますので、それに対する自然からの
警鐘なのかもしれません。この4年間にどのようなことが起こるのか本気で心配して
いる人たちがたくさんいます。

ダルマ・フィールド禅センターでは、3日間の週末接心でした。4回の講義がありました
ので、道元禅師の和歌四首について話しました。昨年から、眼蔵会以外でよそのセン
ターで話をする場合は、道元禅師の和歌を教材に使うようにしております。道元禅師の
教えの様々な面が、比較的自由に話せますので、1時間でかなりまとまった話ができま
す。「正法眼蔵」ほど難解ではないので、喜んで聞いてもらえます。

ここ数年、三心寺の電子ニュースレターに連載で、毎月道元禅師和歌集の和歌を一首
英訳し、短い解説を書いております。春秋社の「道元禅師全集」には補遺も含めて66
首が収録されていますが、現在までに55首が終わりました。全部訳し終えてから、全
体にわたって、翻訳や解説を見直し、英語を添削してもらって、できれば一冊の本にし
たいと願っております。

龍門寺は、例年夏と冬の安居の首座法戦式に助化師として随喜しております。今回の
首座は私の弟子が勤めさせていただきました。「従容録」第55則、道吾漸源弔慰が本
則でした。この則と、これについての圜悟克勤の評唱に出る、「生也全機現、死也全機
現」に基づいて、道元禅師は「正法眼蔵全機」と「生死」の2巻を書いておられます。内山
老師の「生死法句詩抄」や晩年の生死についてのお教えもこの則と深い関係があると
思います。今回の話でも最後に、「生死法句詩抄」の<結びの詩>を紹介しました。

光明蔵三昧

貧しくても貧しからず

病んでも病まず

老いても老いず

死んでも死なず

すべて二つに分かれる以前の実物——

ここには 無限の奥がある

この詩を書かれた頃の老師の年齢に近くなって来ました。二つに分かれる以前の無限
の奥、その深さがようやく少しづつ見え始めて来たような気がしております。

2月は三心寺の接心はありませんでしたが、月が開けるとすぐに3日間の接心があります。
内山老師が始められたこの接心を坐り続けられることが、何よりもありがたく存じます。私
一人ではとても坐り切れないと思います、一緒に坐ってくれる人たちのお蔭です。

2017年2月28日

奥村正博 九拝