例年のように11月30日の夕方から12月8日まで臘八接心がありました。この2、3年、
臘八接心が近づくと、全部坐れるかどうか、不安を感じます。接心の差定は、安泰寺
と同じく朝4時から夜9時まで14炷ですが、私は4、5年前に椅子に坐り始めて
からは、昼食後、YMCAに行き、1時間ほど歩いて、ストレッチをし、シャワーを
浴びることにしています。お寺に戻ってから、少し休み、3時から坐禅堂に戻りま
す。2炷抜けますので、14炷ではなく、12炷です。椅子に坐り始めたのは、膝
の痛みのために半跏趺坐でも坐れなくなったからです。19歳で坐禅を始めてから
40年以上、坐蒲の上に足を組んで坐るのが一番安定した楽な姿勢だったのですが、
60歳を超えてから膝の痛みがだんだんと強くなって、坐禅をやめるか、椅子に坐
るかの選択を迫られました。できるだけ坐禅の現場にいたかったので、椅子に坐る
ことを選びました。幸いに、椅子に坐り始めてから、膝の痛みはかなり改善されま
した。

しかし、椅子に坐って楽なのは膝だけで、体重を一点で支えなければなりませんの
で、腰に負担がかかります。坐蒲の上に座る場合は両膝と尻との3点で上半身を支
えますので、安定しバランスを取りやすいのですが、椅子に坐るのは、何と言って
も不安定です。1炷や2炷でしたら、問題はないのですが、1日に14炷、3日、5
日ないしは7日間、椅子に坐るのは本当に難行です。それで昼食後、体をほぐすた
めに歩行とストレッチをすることに決めました。それでも、最初の一年間ぐらいは、
これが坐禅だろうかと考えておりました。やはり何かが違うのです。また、途中外
に出ますので、どうしても接心の最初から最後までが1中の坐禅というような感じ
はありません。最近は、これも坐禅だと考えるようにしております。しかし、結跏
あるいは半跏で坐れるのならば、その方がいいと思います。椅子に坐るのは、どう
しても足を組んでは坐れない時の方便だと思います。

逆に、歩いて15分、車なら2、3分の距離にYMCAがあることにも助けられてい
ます。午後、学校や仕事が終わってからの時間は結構混みますが、昼食直後には、
あまり人がいないので、気が散ることも少ないのです。

ともあれ、今年も臘八接心が無事に円成して、ホッと一息つくことができました。
シカゴ、ロスアンゼルス、マイアミなど遠隔地から来てくれた人達を加えて、おお
よそ10人の人が一緒に坐ってくれました。毎年言うことですが、私は1970年
の12月8日、接心が終わった日に内山老師から得度を受けましたので、臘八接心が
終わった日は、初心に帰るいい機会になっています。しかし、あれから46年もの
時間が経ったとは信じられません。ともあれ、今でも接心を続けられることに感謝
せずにおられません。安泰寺から出てからは既成の僧堂や道場にはほとんどいたこ
とがないのに、一緒に坐ってくれる人たちが、この長年の間、必ずいてくれること
が不思議なくらいです。

今年の6月に、弟子の法光・カーネギスの副住職就任式がありました。三心寺の後を
ついでくれる人ができて、まず一安心です。法光は8月にそれまで住んでいたミネ
ソタの宝鏡寺からブルーミングトンに移転しました。それから副住職としての仕事
をしてくれています。私は、寺という組織の運営に関しては全くの無関心を装い、
無能力者で通してきましたので、彼女がしなければならないことは山積しています。
三心寺が将来共にアメリカでお寺として、参禅道場として存続していくにはまず組
織として安定したものにならなければなりません。私は、とにかく坐禅と道元禅師
の教えの参究を第一とし、後のことはあまり考えずにきました。私が組織の運営に
関わっても、ろくなことはできませんし、創立の最初は、まず坐禅修行と仏法の参
究に専心することが大切だと自分に言い聞かせてまいりました。二代目が、組織と
しては実質的な創立者になると存じます。

今年も残り少なくなりました。皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。

2016年12月28日

奥村正博 九拝





三心通信2016年10月, 11月

一昨日、5日間の眼蔵会が円成いたしました。今回は「正法眼蔵仏教」の拙訳を
講本にしました。今年は、3回の眼蔵会で「看経」、「道得」、「密語」、「仏教」
と仏法の言語表現についての4巻を参究しました。

10月末は、その準備のために「三心通信」を書く余裕がありませんでした。11
月も、月末の30日から臘八接心が始まりますので、今月中に書くことは難しいと
存じます。それで10月と11月の通信を一緒に書かせていただくことにいたしま
した。

10月の第2週末には、例年のようにペンシルベニア州での週末接心に行きました。
この2、3年道元禅師の和歌を毎月一首づつ、三心禅コミュニティのニュースレター
のために英訳し、短い説明をつけています。今回はその中から、三首について話し
ました。

一昨年まではピッツバーグ市内のカトリックのリトリートセンターで接心をしてい
たのですが、昨年からそのセンターが外部からのリトリートの受け入れを停止しま
した。修道尼の数が減少したために使われなくなった修道院内の建物の一部を活用
するためにリトリートセンターとしていたのですが、修道院のシスターのもっとも
若い人が60歳を超える状況で、その事業をする人員がなくなったのだそうです。

それで昨年からペンシルベニア州とオハイオ州の州境にある小さな町のリトリート
センターを会場にすることになりました。オハイオ州から参加する人たちにとって
はピッツバーグまで行くよりも1時間以上近くなるので帰って好都合だそうです。
五大湖のすぐ南のミシガン州、インディアナ州、オハイオ州、ペンシルバニア州西
北部は、今回の大統領選挙で知られるようになった、いわゆるラストベルト(錆び
の帯)と言われている地域の中にあります。

ミシガン州はデトロイトの自動車産業で有名だったのですがすっかりさびれてしま
いました。オハイオ州のクリーブランンドやペンシルバニア州のピッツバーグなど
も、50年ほど前、私が中学、高校生だった頃、地理の授業で重工業が盛んな都市
として習った記憶があります。ピッツバーグは鉄鋼業で有名だったのですが、重工
業の工場がなくなって一時衰えましたが、最近はIT産業で繁栄を取り戻しています。
インディアナ州はこれといった産業はなく、農業が主な、保守的な土地柄です。こ
れまでもずっと、共和党の地盤でした。この度、副大統領になったのがインディア
ナ州の知事です。ミシガン州はかつては自動車産業の労働組合が強く民主党が優勢
でした。オハイオ州やペンシルバニア州は両党がいつも競っていました。今回の大
統領選挙で、これら4州全てで、トランプ候補が勝つとは予想もされていませんで
した。

今回接心をしたカソリックのリトリートセンターは広大な敷地とたくさんの大きな
建物があって、禅センターでは考えられないほど立派な施設でした。ただ修道尼の
方々も高齢者が多く、引退した聖職者の施設という感じがしました。リトリートに
くる人々の世話や、宿泊施設の管理などをしているのは、聖職者ではなく、一般の
人々が雇用されているようでした。食事を作るのも近くのホテルが入っているとの
ことでした。訪問者としては、大きな静かな施設で週末を過ごせて、まさに忙しい
日常生活からのリトリート(避難所)という感じです。しかしそこに住んでいる人
たちにとっては、地域全体がさびれつつあり、活気がないと感じているように見え
ました。盛んな頃に立てた大きな建物をこれからどのように維持管理していけばい
いのか、という問題を抱えているようです。

アメリカで仏教や禅に興味を持っている人たちで、共和党を支持している人はおそ
らく少数だと思います。座禅に来る人で今回の大統領選挙の結果を喜んでいる人は
ほとんどないと思います。全部合わせるとかなり広大な地域ですがこれら4州では、
大きな禅センターは全くありません。大きな都市にも小さな禅グループが散在して
いる程度です。曹洞宗に寺院として登録されているのは、三心寺とペンシルバニア
州にある、大円・ベナージュ師の平等山禅堂だけです。両方とも禅センターとして
はごく小規模です。この辺りは、アメリカ全土の中で、仏教や禅に関しては後進地
域、あるいはフロンティアです。私が三心寺をインディアナ州ブルーミングトンに
創立したのは、そういう場所で坐禅をすることに意味があると思ったからでもあり
ました。ですから、三心寺が成長して大きな禅センターになることは全く期待して
おりません。

規模としては小さいですが、眼蔵会などには、アメリカの西海岸、東海岸、ミネソ
タなどの北部、フロリダ州などの南部等、遠隔地からも参加者があります。また、
カナダ、ヨーロッパ、南アメリカ、などから来てくれる人たちもあります。今月の
眼蔵会には、イタリア、スエーデン、オーストラリアからの参加者がありました。
アメリカ在住ですが日本人も2人の人が参加されました。しかし、三心寺がこの場
所で坐禅の道場として存在していくには、今のままでいいとは考えられません。私
が引退した後のことも考えて、この地域の人々に来てもらえる場所にしていかなけ
ればならないと考えております。

紅葉していた木々の葉もあらかた落葉し、眼蔵会の間にすっかり晩秋の風景になり
ました。少し休養すると、すでに11月30日から始まる臘八接心が迫っています。
また一年が終わってしまったと感じております。

11月10日

奥村正博 九拝






三心通信2016年9月


秋分が過ぎて、秋めいてきました。週5日、月曜日から金曜日まで、朝5時から
7時まで2炷の坐禅を続けておりますと、日に日に明るくなるのが遅くなってく
ること、温度が低くなってくることがわかります。最近は虫時雨の中で坐ってお
ります。


この数年三心寺のEニュースレターに、「道元禅師和歌集」から、毎月一首ずつ
道元禅師の和歌を翻訳し、短いコメントを書いております。今月は、

声づから        
耳の聞ゆる        
時されば        
吾が友ならん        
かたらひぞなき

について書きました。この和歌についてのコメントを書いている時に、遠い昔、
東京で下宿していた学生時代に一度だけ聞いたことのある邦楽の歌詞に「我も
虫なる虫時雨」という一節があったことをフト思い出し、この言葉について書
きました。虫時雨の中で坐っていると、このセリフそのままの感じがします。

もっとも、そのラジオを聞いていた時には、私は世田谷区の環状7号線に面した
三畳の下宿に住んでいました。夜中になっても交通の騒音が途切れないもので、
騒音を中和するためにラジオを付けっ放しにして本を読んでいたのでした。です
からその番組も聞きたくて聞いていたわけではありません。邦楽に全く興味がな
かった私は、謡曲だったのか、義太夫か長唄かなんかだったのかさえその時も注
意しませんでした。なるべく本を読むのに邪魔にならないように、意識をそらさ
なくて済むように、意味のない交通騒音を消してくれる別の音がありさえすれば
よかったのです。その時、この一節だけが、意味があるものとして耳に入ってき
たのでした。自動車の騒音を聞いているのと虫時雨を聞いているのとえらい違い
だと思いました。おそらくそれで、この言葉が記憶に残っていたのだと思います。

虫たちは私が坐っていることなど知りもせず、ただ生命の営みの一つとして鳴い
ています。私は、ただ虫が鳴いているとも思わずにただ坐っている。その時に、
「私」が意図的に虫の音を聴覚の対象として聞いて、それについてあれこれ考え
ているのではなく、「耳」がただ「声」のままに聞いている。ただ共時、共生、
共存している。その時に、「吾が友ならんかたらひぞなき」ということが現成し
ているのだと思います。

三心寺の副住職に就任した法光・Karnegisが8月にブルーミングトンに移転し
てきて、1月半ぐらいが経ちました。2018年までは、ハーフ・タイムの副住
職です。その間は、主に、組織面、運営面の整備、充実に力を注いでもらうこと
になっています。接心やリトリート、日曜参禅会の法話、毎週水曜日のダルマ・
スタディなどの修行や勉強の活動は主に私が続けることになります。法光には、
毎年4月と10月のリトリートを担当してもらい、日常的には、これまで私がし
てきた禅堂の活動に必要な様々な細かいことを世話してもらいます。また、地元
の初心者を主な対象とする会も来年から始めてもらいます。これから三心寺の組
織運営面も、修行・教化面も新しい展開が出てくると存じます。

私のダルマ・スタディでは「正法眼蔵随聞記」の新しい翻訳を作る作業をしてい
ます。私が英語訳の第1稿を作成し、それを元に私が意味を説明し、英語を手直
ししてもらっています。「随聞記」は30年ほど前に岩波文庫の面山本を翻訳し、
現在も宗務庁から教化資料として出版されていますが、今回は長円寺本を底本に
新しい訳を作成しています。

私の眼蔵会での講義を元にした、「正法眼蔵山水経」の解説本の原稿はすでに出
版社に送付しました。来年あたりには出版できると期待しております。それに続
いて、「正法眼蔵坐禅箴」の解説書、「道元禅師和歌集」の翻訳並びに解説、
「随聞記」の新訳と、テキスト作成の仕事が続きます。加えて、年3回の眼蔵会
のための正法眼蔵の翻訳と講義の準備が私のこれから7年間の主な仕事になります。

すでに今年もあと3ヶ月しか残っていないのに驚かされます。気を緩めないように、
しかし無理をしないように、1日1日を過ごしていきたいと存じます。そのために
は、朝の5時から一緒に坐ってくれる少数の人々に感謝せずに入られません。


9月30日


奥村正博 九拝







三心通信2016年3月 — 8月

半年間ご無沙汰しました。すでに8月も末になり、ブルーミングトンでは夏の暑さも峠を越しました。
例年のように、気の早いクルミの木は黄葉を始めました。今年は例年になく雨が多い夏でした。湿気
が多く、苔庭に水をまく必要を感じませんでした。
この半年間、様々なことがありました。 3月には、5年ぶりで日本に帰りました。家族が一緒に
日本に行くのは本当に久しぶりでした。息子の正樹が、盛岡の学校で料理の勉強をすることになっ
たためです。多くの親族、友人、知人に会うことができました。慌ただしい旅行でしたが、久しぶ
りに日本の桜を見ることもできました。
4月初めに日本から帰ってからは、5月の眼蔵会の準備に追われました。5月の眼蔵会は「正法眼
蔵看経」を講本としました。例年のようにカリフォルニア州、ミネソタ州、フロリダ州、メイン州
などアメリカ各地のほか、ベルギー、ドイツ、日本からの参加者もありました。今年は、正法眼蔵
の「看経」、8月の「道得」、「密語」、11月の「仏教」など、言語による仏法の表現について
の道元禅師の教えを参究しております。
4月11日に始まった夏季安居は7月11日の受戒会を以って無事に円成いたしました。例年の通
り安居中は、5月は眼蔵会、6月は坐禅に専注する接心、7月は禅戒会と、戒、定、慧の三学を主と
した5日間の行持を行いました。今年の安居の首座は、浄宗・Tolandでした。首座の人には、3ヶ月
間三心寺に安居し、毎日の坐禅と法戦式のほか、安居中の日曜日の坐禅会には、法話をしてもらうこ
とにしています。だいたい、毎年、7−8回の法話を首座がすることになります。
浄宗は25年間ほど、チベット仏教、テック・ナット・ハンのベトナムの仏教、曹洞禅などを修行し
てきました。今年78歳になる女性の文化人類学者でもと大学教授だった人です。教職から引退して
からは、メイン州に移りご主人と住みながら、仏教の勉強と実践を続けております。得度して私の弟
子になったのは2年前、2014年です。高齢者の得度の可否については、様々な議論があると思い
ます。私としても、自分よりも10歳も年長の80歳に手が届きそうな人を弟子にして、どうするん
だろうと考えるところもあります。しかし、「正法眼蔵出家功徳」で道元禅師が福増長者の出家の話
を紹介しておられるように、高齢者だからといって仏弟子になりたいと願う人を拒絶できるような権威
は私にはないと考えることにしました。家庭や職業上の義務を全うした人々の老後の生きかたとして、
仏道修行をするというのは悪いことではないでしょう。古代インドでの、学生期、家住期、林住期、
遊行期の四住期の事を考え合わせても、これからの高齢化社会での有意義な生き方の一つだと考える
べきではないでしょうか。また仏道修行についてのイメージも変わっていくことと存じます。日本の
伝統的な僧堂の修行は、若い人を将来有為な人材に育てるために鍛錬するということが主だったと思
います。しかし生老病死に向かって、老後を自己に親しみ、静かに過ごす生き方としての仏道修行が
あってもいいだろうと思います。
6月19日には、首座法戦式がありました。ペンシルベニア州から大円・ベナージュ老師に助化師とし
て御来山いただきました。ロスアンゼルスにある北アメリカ国際布教総監部の櫛田俊道書記にも、遠路
御随喜いただきました。 本則は「従容録」第47則「趙州柏樹子」でした。
7月6日の夕方から5日間の禅戒会がありました。毎年、「教授戒文」を講本にして、十六条戒の様々
な面に焦点をあてて参究しています。今年は「三聚浄戒」について、「瑜伽師地論」、「瓔珞経」、華
厳宗の法蔵の十重禁戒のそれぞれに摂律儀戒、摂善法戒、摂衆生戒が備わっているという考え方、そし
て「禅戒抄」の「三聚浄戒」は諸法実相を三つの方面から繰り返したもの、というような様々な考え方
を紹介しました。また「菩提薩埵四摂法」の布施、愛語、利行、同事を摂衆生戒の具体的なあり方とし
て話しました。
禅戒会の後、イタリア人の弟子、行悦・Epifaniaの伝法の加行がありました。嗣法した弟子の数は12
人になりました。また、例年の通りアイオワ州龍門寺の首座法戦式に助化師として随喜しました。8月
には、ノースカロライナ州チャペル・ヒル禅センターでの眼蔵会がありました。「道得」、「密語」の
巻を参究しました。
私は以前から75歳になる2023年には引退すると公言しておりました。6月22日に68歳になり
ましたので、あと7年間ということになります。自分で言っているだけでは物事は先に進みませんので、
昨年から、理事会の人たちにはかって、後継者の選定を始めてもらいました。中西部の田舎町の小さな禅
センターで、組織的にも十分に確立しているわけではなく、後を継いでくれる人を探すのは難しいと思っ
ていたのですが、幸いミネアポリスの頃からの知り合いで、2005年に私の弟子になった、尼僧の法光・
カーネギスが三心寺を引き継いでくれることになりました。6月の首座法戦式の前日に副住職の就任式を
行いました。ベナージュ老師のほか、中西部の禅センターの指導者、カリフォルニア州で活動している、
全慶・ハートマン老師のお弟子さん等に参列していただきました。首座法戦式とともに40名ほどの人々
に集まってていただきました。あと7年、段階的に引き継ぎをしていきたいと考えております。法光は、
8月半ばにブルーミングトンに移転してきました。9月からは、私が兼任していた禅堂の行持を全般的な
責任を持つ維那の仕事をしてもらうことになりました。その他にも、お寺の運営の様々な仕事を担当して
もらいます。私にはできない、または興味がないので出来ないフリをしていることが沢山ありますので、
これから三心寺の運営の仕方も整ってくることと期待しています。
三心寺は、アメリカや日本の多くの人々からの浄財によって建立されたお寺ですので、私がいなくなった
あとも、坐禅と道元禅師の仏法を参究する道場として機能していけるようにするのが、私の義務だと存じ
ます。体力も脳力もだんだんと衰えていくのを感じていますが、なんとかあと7年間老耄の弁道に精進し
てゆきたいと存じます。そのあとは、内山老師にならって、自分の老病死と静かに向き合っていきたいと
願っています。
60歳を過ぎてから、同年代の友人、知人の訃報を聞く機会が多くなりました。最近良寛さんの
「散る桜、残る桜も散る桜。」という言葉が頻繁に胸をよぎるようになりました。残された時間を
むなしく過ごさないように精進してまいりたいと願っております。内山老師の「生死法句詩抄」の
英語訳を三心寺の10周年記念として刊行しましたが、最晩年の内山老師の教えをようやく自分の
切実な現実のこととして学ぶことができる年齢になりました。ここまで、仏道修行を続けてこられた
ことに感謝せずにいられません。

2016年8月30日

奥村正博 九拝







三心通信 2016年2月

時折寒くなり、雪が降ることもありましたが、それも、2、3日
すれば溶けてしまう程度で、今年は本当に暖冬でした。2月も最
後の日になり、日の出も早くなりました。暁天坐禅と朝課が終わ
る7時には、すでに外が明るくなるようになりました。昼間の空
の色も春めいてきました。今日は雨模様ですが、しばらく前まで
のような氷雨ではなく、暖かい春の雨です。境内にクロッカスの
花が咲き始め、水仙の葉が伸び始めました。2、3年前に、シア
トルに住む友人から蕗の苗をいくつかもらって、植えました。昨
日みると、蕗の薹が一つだけ顔をだしていました。また一つ、季
節が移ろうとしています。

三心寺の日曜日参禅会の法話を私がするときには、内山老師の
Opening the hand of Thoughtをテキストにして話をしています。
この本は、内山老師の「生命の実物」、「現代文明と坐禅」を
中心に、老師の安泰寺での最後の提唱、その他内山老師のお話
のテープ起こしの英語訳などをまとめて一冊の本にしたもので
す。話を始めたのは2006年の7月ですから、もうすでに
10年になります。昨日28日、日曜日の法話で丁度175回
目になりました。この本の本文は172ページですが、まだ
111ページまでしか話していません。最後まで話すには、
あと、2、3年はかかると存じます。法話はおよそ1時間です。
毎回、パラグラフ1つか、多くても2つくらいについて話をし
ています。それにしても、これだけの回数、話ができるだけの
内容があることに驚かされます。

一昨日の日曜日には、「現代文明と坐禅」の第6章「坐禅人の
宗教生活」の中の一つの段落でした。日本語の原文ではたった
3行です。

「そして却ってこのような人間的思いのすべてを手放しにして
しまう坐禅こそを、我々人生のご本尊さまとして、この坐禅か
らいつも見守られ、導かれ、そこに力を与えられて、わが日々
の生活および人生、社会をあらしめようというのが、仏教とい
う宗教なのです。」

「人間的思いのすべてを手放しにしてしまう坐禅」については、
前の第5章で書いてこられたことで、この1年ほどかけて話して
きたことなので、説明は必要ありませんでした。その坐禅を「人
生のご本尊さまとする」というのがどういうことなのか、説明す
るのに1時間かかりました。英語訳には「ご本尊」という言葉が、
直訳されていなくて、foundationと意訳されています。坐禅を、
人生の基盤、あるいは基礎とするという意味になります。英語に
直訳して、principal buddhaと訳しても、意味が通じないからで
す。しかし、人生の基盤とする、だけでは、日本語で「ご本尊」
という場合の語感やニュアンスは全く失われています。

それで、原文で内山老師が使われているのは「ご本尊」という
言葉で、その意味は、ということから話さなければなりません。
例えば、曹洞宗のご本尊は釈尊、浄土系仏教のご本尊は阿弥陀
如来、華厳宗では毘慮遮那如来、真言宗では大日如来、それぞ
れ一番大切な仏様で、これは個人の考えや嗜好で帰ることはで
きない。また本尊は、それぞれのお寺で一番大切な仏様として
祀られている仏像を指すこともある。曹洞宗のお寺でも、もと
もと浄土系の宗派だったのが転宗したお寺には、阿弥陀如来を
本尊にしているところももある。あるいは佛如来、ではなく、
観音菩薩などの菩薩や、毘沙門天などの護法神を本尊としてい
るところもある。それが何であれ、「ご本尊」は、宗派や、お
寺の中心になるもので、その他のものは動かすことができても、
「ご本尊」は動かせない。そして、ご本尊に帰依し、供養し、
礼拝するもので、私たちの信仰生活の中心だというようなこと
を話しました。私たちの場合は、そのご本尊が、特定の佛如来
や仏像ではなく、私たち自身が行ずる坐禅なのだということま
で話すのには、1時間は十分かかりました。

日本語で読む場合もそうですが、内山老師の御文章はあまり難
しい仏教用語を使わず、日常に使う耳慣れた言葉を多く使われ
ますので、一度読んだだけで分かったように思ってしまいます。
「現代文明と坐禅」は1967年に曹洞宗宗務庁から発行され
た小冊子です。私は大学時代に読んで、よくわかったような気
がしました。それで老師の弟子にしていただいたのです。また
この本を大通・トム・ライトさんと英語に訳した時にも、理解
できていると思ったからこそ翻訳したのだと思います。しかし、
原文と英語訳とを対照して、一段落づつ味わって読み、細かい
ところまでアメリカの人たちに理解してもらえるように話そう
とすると、これまで見落としていたこと、浅くしか理解してい
なかったことがいくつも出てきて驚かされます。この一つの書物
を10年間読み、語り続けることが、自分を深める上で、とて
もありがたい勉強になっています。

2016年2月29日

奥村正博 九拝





 三心通信 2016年1月


今年もすでに1月が終わろうとしています。時間の経過の早さに驚かされます。

月の半ば頃、かなり強い寒波がきました。最高気温が摂氏0度に達しない日が
1週間ほど続きました。東部では記録的な大雪だったそうですが、ブルーミン
グトンでは、10センチほど積もっただけで、大した影響はありませんでした。
そのあと、また気温が上がり、雨が降り、雪は完全に溶けてしまいました。昨日
は最高気温が摂氏16度、3月も半ばくらいの暖かさになりました。また暖冬に
戻りました。

私は予てから、2023年、75歳になった時点で三心寺から引退したいと考
え、人前でも言っていたのですが、私がそう言っているだけでは何も変わらな
いと思い、昨年夏に、三心寺の理事会に、後継者を選定するコミッティを作っ
てもらいました。私が後継の候補者を選ばなければならず、嗣法の弟子の一人
、法光・カーネギスを指名しました。コミッティの人たちに法光の意向をたづ
ねてもらったところ、意外にも、承諾してくれました。正直なところ、私は、
誰もこのお寺の後を継ぎたい人はいないだろうと考えておりましたので、ホッ
としました。このことも、昨年数ヶ月間三心通信を書くことができなかった
事情の一つでした。

何しろ、給料が払えるだけの、経済的な余裕がないのです。三心禅コミュニティ
を立ち上げたのは、私がミネソタ禅センターの任期を完了した1996年、ちょ
うど20年前でした。ブルーミングトンにお寺を建立するまでに7年かかりまし
た。予期せぬことに、1997年、宗務庁からの要請で、新設された北アメリカ
開教センター(現国際センター)の所長として、カリフォルニア州に移転しなけ
れがならなかったからです。2003年に三心寺が創立した時には、退職するつ
もりでしたが、後任が見つかるまでといいうことで、2010年までハーフ・タ
イム(非常勤)の所長として勤めました。その時点で私の月収は、常勤の時の半
分になりました。退職する以前は、三心禅コミュニティからの収入はありません
でした。つまり、1996年から2010年までは、無給で三心ZCの仕事をして
いたわけです。

零細な禅センターの経済状況はこれと似たり寄ったりで、指導者は、禅センター
以外からの収入のある人か、すでに引退して年金で生活している人が大半です。
日本の零細なお寺のご住職が、定年を迎えるまで兼業していたりするのと、同じ
ような状況です。

三心禅コミュニティでも、副住職が決まったのは幸いなのですが、経済的にどう
サポートしていけばいいのかが、これからの課題です。

法光は、熊本の聖護寺の国際安居に2回安居させていただき、岡山の洞松寺僧堂
に安居させていただき、日本での修行経験もあり、ミネソタ大学の大学院で仏教
の勉強をし、大学で東洋の宗教の講座を持ったこともあります。また秋山洞禅さ
んが創立された、ミルウーキー禅センターの住僧として2年間、禅センターの指
導者としての経験もあります。三心寺の後継者としては最適任だと思いますが、
今後7年間、副住職として、そのあと、次の住職として働いてもらえるだけの経
済的な基盤ができるかどうか、三心寺としては大きな試練です。

三心寺は、アメリカおよび日本の有志の方々の浄財でできたお寺ですので、私がい
なくなってからも坐禅の、そして道元禅師の教えを参究する道場として、継続する
ことができるようにすることが、私に残された課題だと認識しております。あと7
年間、精進してまいります。

2016年1月31日

奥村正博 九拝