三心通信 2012年11月、12月

 

11月の初めに5日間の眼蔵会が有りました。「正法眼蔵恁麽」の巻の
私の翻訳をテキストにしました。凡そ20名が参加してくれました。南
米のコロンビア、スコットランド、日本、アイスランドなどの外国か
ら来てくれた人たち、フロリダに住むキューバ人、ブルーミングトン
に在住している中国人の大学院生、インド人など、国際色豊かな眼蔵
会になりました。アメリカ国内からも、フロリダ、ミネソタ、コロラ
ド、ウィスコンシンなど遠方から正法眼蔵の参究のために、中西部の
小さな町に来てくれました。道元禅師の教えと坐禅修行が、今や国境
を越えて広範囲に広まっている事が分かります。しかしまた、外国人
が「正法眼蔵」を翻訳を読む以上に深く参究したいと願っても、そう
出来る機会や場所がまだ殆どないことの証明でもあると思います。
2003年に三心寺を創立してから、三心寺で年に2回、その他の禅セン
ターで2回、毎年4回の眼蔵会をしてきました。私自身の勉強として、
続けてきましたが、参加してくれる人が多く、励ましをいただいてお
ります。今後とも、私の体力、脳力が許す限り、続けて参りたいと願
っております。

 

1時間半の英語での講義を1日に2回、それを5日間続けるのは、衰退の
一途をたどる私の脳力としては、やはりかなりの苦行です。特に、日本
語でも難しい「正法眼蔵」について話すのですからなおさらです。最近、
話の途中で英語が出てこなくて困ってしまう事が何回も有ります。日本
語では何を云いたいかは分かっているのですが、その英語の単語がどう
しても出てこないのです。それが必ずしもそれほど難しい単語という訳
でもないのです。ど忘れも老いの兆候なのでしょうが、今後何年続けら
れるか考え始めております。2014年からは、年に四回でなく、3回
に減らすつもりで居ります。

 

来年2月には、ノースカロライナ州のチャペルヒル・禅センターで眼蔵会が有
ります。「授記」の巻を参究する予定で、11月の眼蔵会が終わってからその
翻訳を作成しております。2ヶ月近くかかって、ようやく第1稿が出来
た所です。「授記」の巻を理解するには、「法華経」の知識が不可欠で
すので、「法華経」も読み直しております。

 

昨年から始めていた「宿無し興道法句参」の新しい翻訳は、一応全体の翻訳
が完了した所です。平成18年に大法輪閣から再刊された版を底本にして
おります。一つ一つの法句と参についての私の説明やコメントを付けま
したので原本よりもかなり大きな本に成ります。沢木老師、内山老師の
鋭く、深く、簡潔な表現に私の注釈を付けるのは蛇足以外の何物でもあ
りませんが、日本の歴史や文化、これを書かれた1960年当時の日本
の社会事情など、そして、仏教や禅、得に道元禅師の教えに余りなじみ
のない外国の人たちには役に立つのではないかと考えております。両老
師とも仏教用語をなるべく使わず、平言葉で語られるので、その平易さ
にごまかされて分かったような気になりがちな所も有ります。仏教の専
門用語はたしかに、缶詰食品のようなもので、缶をあけて食べてみなけ
れば、味は分からないのですが、保存や、持ち運びや、翻訳をするのに
は便利です。平言葉はその言葉や言葉が出てくる背景や地盤を共有する
人に取っては味わい深く、すぐにピンとくるものですが、英語に訳した
とき、意味的には間違っていないとしても、使われている英語の表現に
は、日本語とは全く違う語感や文化的背景がありますので、違った意味
に理解される事も有ります。10ページ程の、沢木老師の短い伝記も書き
ました。これから私の弟子でエディテングをしてくれている浄瑩・ホワ
イトヘッドが全体の見直しをしてくれます。来年の春頃までには原稿を
出版社に送れるようになると存じます。出版されるまでには原稿を送っ
てから凡そ1年はかかりますので、2014年中には発行できると存じます。
遅くても沢木老師50周忌、内山老師17回忌にあたる2015年までには出版
が出来るようにと願っております。

 

11月の眼蔵会が終わってから、「授記」の巻の翻訳、参究と、「宿無し
法句参」の翻訳だけで手一杯の状態で、殆ど毎日、数時間は机というか、
コンピューターに向かっております。お寺から外へ出るのは、YMCAに
行くときだけという状態です。

 

11月30日の夕方から12月8日の朝まで、例年通り臘八接心が有りました。
10人程の人が一緒に坐ってくれました。膝の痛みの為に椅子で坐禅する
ようになって2年程が経ちました。椅子に坐るのも坐禅だと思えるよう
になりました。アメリカには、坐る習慣がないのでどうしても足が組め
ない人、あるいは、身体の故障や、高齢になって、結跏趺坐や半跏趺坐
が出来ない人々が沢山有りますので、その人達の為にも、私が椅子に坐
る事に少しは意味が有るものと考えております。膝や腰を動かす為に、
昼食後YMCAに行って、1時間程歩き、ストレッチをする事は続けており
ます。

 

自分としては19歳から62歳まで40年以上坐り続けたので、まあ良いかと
納得はしております。沢木老師は60歳代で、天暁禅苑の摂心を毎月坐っ
ておられましたので、老師と比較すれば生易しい修行で申し訳有りませ
んが、こんな事を他人と比較してああだこうだという事の方が情けない
とだと思っております。上を見て劣等感を持つという事は下を見て
優越感を持つという事でどちらにしても何にもならない坐禅をただ
坐る事からは外れていると思います。

 

ともあれ、2012年もあと2日で終わります。今年も無事に過ごせた事を
感謝せずに入られません。

 

どうぞ、よいお年をお迎えくださいませ。

 

12月29日

 

奥村正博 九拝



三心通信 2012年10月

ハリケーンから温帯低気圧になったサンディが東海岸に接近してから、
この4、5日、CNNのテレビのニュースはサンディ一色です。後1週間
ほどで投票日になる大統領選挙の影は薄くなってしまいました。50人
が死亡、800万所帯が停電、ニューヨークに地下鉄に浸水し、復旧に
1週間近くかかる、等々大きな被害をもたらしました。

27日(土)、28日(日)と三心禅コミュニティの理事会の会合が有りま
した。普段は電話でミーティングをしているのですが、年に2回、春と
秋に理事全員がブルーミングトンに集まります。土曜日1日と、日曜日
午前中、様々な事を話し合いました。理事の一人がペンシルベニア州の
フィラデルフィアに在住しています。

日曜日の午後、帰途につく時には、フィラデルフィアの空港は既にサン
ディの影響で封鎖されていましたので、家に帰り着けるかどうか心配し
ていました。飛行機の便をかえて、ワシントンDC行きにのり、ワシント
ンの空港でレンタカーを借りて自宅に帰り着いたのは真夜中過ぎだった
という事でした。それでも無事に帰り着き、家族も無事だったとの事で
胸をなぜおろしました。

テレビの天気図を見ると、私が住んでいる中西部のインデアナ州あたり
まで、影響が有る事がよく分かりました。被害が出るほどではなく、や
や強い風が吹き、少し雨が降った程度でしたが。これで、紅葉していた
木の葉が殆ど落ちてしまいました。毎年同じ、晩秋の風景になりました。
葉がなくなった樹々の間から広々とした空が見え、世界が明るくなった
ような感じがします。

昨年9月から少しずつ進めていた「宿無し興道法句参」の新訳、及び私の
解説は、72章ある法句と参の部分が完了しました。日本語の本のページ数
でいうと、206ページのうちの155ページまで終わった事になります。残り
は、第二篇「沢木興道老師の坐禅について」で内山老師の2つのエッセイ
が収録されています。それと、この本の為に沢木老師の短い伝記を書き下
ろす予定にしております。来年春頃までに原稿が出来て、出版社に送り、
沢木老師の50回忌、内山老師の17回忌にあたる2015年までには出版が出来
るようにと願っております。

11月7日から12日まで5日間の眼蔵会が有ります。今回は「正法眼蔵恁麽」
の巻に私の翻訳を講本にします。20人ほどの人が参加する予定です。後1
週間ですが、準備に追われています。

10月31日

奥村正博 九拝



三心通信 2012年9月

 

5日から10日まで5日間の摂心。摂心を椅子で坐ることに漸くなれてきました。
やはり坐蒲の上に脚を組んで坐るのよりも椅子に坐る方が難しい点が有ります。
足を組めないので、背骨を真っすぐにすることを大切にしていますが、上体を
一点だけで支えますので、どうしても姿勢が不安定で、腰と尻に負担がかかります。
両膝と尻の三角形で支えるのとは安定感がだいぶ違います。その為に、毎日、
昼食後2炷休みをもらって、YMCAにいって、1時間ほど歩き、ストレッチをする
ようにしています。最近では、この1時間の歩行も、早めで、長めの経行として、
休憩というのではなく、摂心の一分という感じになってきました。

 

一昨年まで、ノースカロライナのアパラチアン・トレイルで年に一度歩行禅の
リトリートをしましたがその経験が生きて来ています。やはり5日間を1炷の坐禅
として行ずるのとは違いが有りますので、歩行禅を摂心に取り入れた方がいい
とは思いませんが、何らかの身体の問題でそうしなければ摂心が通れ無い人
には、薦めてもいいと思うようになりました。

 

摂心の後、正道・スプリングの伝法が有りました。8月に伝法をした法光・カーネギスに
次いで7人目の嗣法です。これまで私から嗣法したのは、最初がメキシコ生まれの
アメリカ国籍を持つ女性、次は南アメリカのコロンビア人が二人。一人はコロンビア
の首都ボゴタに在住の男性、もう一人は、アメリカ国籍を取得してフロリダに住んで
いる女性。4人目がフランス生まれで、アメリカに40年住み、アメリカ国籍を取得、
現在はフランスに帰っている女性。5人目はカナダ生まれでテキサス育ちの
アメリカ人男性と、国籍も人種も性別も様々でした。今回嗣法した二人ははじめて、
アメリカ生まれのアメリカ人でした。

 

インド、中国、日本と伝えられて来た仏法が、様々な人種的、文化的背景を
持つ人々に伝わって行く、その接点に私が居ることは、偶然と言えば偶然なの
でしょうが、仏教の将来にとって、積極的な意味をもつものであってくれるように
と願わずにはおれません。

 

しかし、師匠と弟子との関係は日本の師弟関係とはだいぶ違います。道元禅師は
師弟の関係は、良工と良材のようなものだと言われています。「縦い良材たりと
いえども、良工をえざれば奇麗未だ彰れず。縦い曲木といえども、若し好手に
遇えば、妙功忽ちに現ず。師の正邪にしたがって、悟の偽真あり。」

 

私の場合は、人生に対する疑問ばかりが有り、未だに自分の人生観などが出来
上がる以前の、17歳で師匠の本を読み、師匠のような生き方がしたくて、駒沢大学
で仏教を学び、大学在学中に弟子になりました。私のものの考え方や、仏教の
理解の仕方、生き方の基本的なところはすべて師匠の影響下で形成されました。
しかし、殆どのアメリカ人は、成人し、自分自身の考え方や行き方が出来上がって
から仏教の勉強や坐禅の修行を始めます。師匠に出会う前に既に人格が出来上が
っています。それから始まる師弟関係の中で、どのように仏法が伝わって行くのか、
私自身不安なところと興味津々なところが半ばしています。

 

お彼岸という行事がアメリカには有りませんので、秋分の日と言うべきでしょうが、
とにかく9月も終わり、秋が来て、木々の紅葉、黄葉が始まりました。例年通り、
一番早いのはクルミの木です。クルミの実が地面のあちらこちらに堕ちていて、
リスたちがそれらを集めに忙しそうに走り回って居ます。毎年同じ秋の初めの風景です。

 

9月30日


三心通信 7月、8月

 

7月の4日から9日まで禅戒会が有りました。禅戒会では、受戒する人の為に
「教授戒文」を講本にして十六条戒について話す事が多いのですが、いつも
時間が足りなく、十重禁戒の
第五不あたりまで話すのが精々で、後の5戒は、
夫々10分づつくらいしか話す時間がありませんでした。それで今回は、最後の
三つの戒、
第八不慳法財戒、 第九不瞋恚戒、 第十不癡謗三宝戒に焦点を
当てて話す事にしました。この3つの戒は、三毒心である貪欲、瞋恚、
愚痴についての戒ですから、仏教
中では最も大切な戒めであるはず
ですが、社会的な規範として重要な最初の四性戒、殺、盗、淫、妄ほど
には注意され無い面が有ると思います。
禅戒会の最後の日には例年通り
受戒会があり、四人の人が受戒しました。

 

禅戒会が終わってからは、旅行が多く、三心寺で休む時間は余りあり
ませんでした。7月13日から16日ま で、ニューメキシコ州にある
ウパヤ・禅センターでの道元禅師シンポジウムに6人の発表者の一人
として参加しました。30−40人ほどの人が参加し、朝夕の 坐禅と、
午前と午後の発表と言う内容でした。1970年代のなかば、初めて
アメリカに来てバレー禅堂にいたころは、『正法眼蔵随聞記』以外には、
まともな 翻訳は殆どなかったのですが、この40年足らずの間に主要な
著作のほとんどが英語に訳されました。発表者の一人であった、
棚橋一晃氏は最近、「正法眼蔵」 の全訳を完成されました。
隔世の感が有ります。多くの参禅者が道元禅師の教えを真摯に学ぼうと
しておられる事は私にとっても何よりの励ましです。

 

7月25日から8月5日まではカリフォルニアに滞在しました。サンフランシスコ
禅センターの3つの主要な道 場の一つグリーンガルチ・ファーム蒼龍寺で5日間
の眼蔵会が有りました。今回は拙訳の「唯佛與佛」を講本にしました。
20人ほどの安居者を含めて 40−50人の参禅者が、私の英語での、
1日3時間の講義を真剣に聞いてくれました。そのあと、バークレイ・
禅センターで1日のワークショップが有り、良 寛さんの和歌の話をしました。
サンフランシスコで眼蔵会が有る時には、その後いつもバークレイによって、
良寛さんの詩の話をすることがならわしのように なっています。「正法眼蔵」
で苦しんだ後に良寛詩の話をするのは、救いでもあります。

 

カリフォルニアからブルーミングトンにかえって、2日間休息し、8月8日に
ヨーロッパに行きました。フラン ス、オランダ、イタリアの3つの禅センター
での首座法戦式に助化師として随喜する為でした。フランス、イタリアでは上堂
もありました。現在ヨーロッパ国際 布教総監をされているフォルザーニ・慈相さん
を始め何人かの古い友人に再会する事が出来ました。またパリ、ヴェニス、ローマ
では少し自由な時間があり、案 内してくれる人があって、あちらこちらを見て回る
事が出来ました。少し前までは、ヨーロッパに行く事が有るとは思わなかったので、
夢のようでした。ただ、 2週間で8カ所、眠る場所が違うというのは、少々ハードでした。

 

22日にブルーミングトンに帰って来てすぐに、弟子の一人のカーネギス・法光の
伝法式が有りました。7日間の加行をし、すべてが終わったのは8月31日でありました。

 

長く、暑く、忙しい夏がようやく終わり、またブルーミングトンで落ち着いた
坐禅生活に戻る事が出来ます。

 

8月31日

 

奥村正博 九拝






三心通信 2012年6月、7月

6月に入って、当地では、暑い日が続いて居ます。雨が降らないもので、
乾燥した暑さです。特にこの1週間程は最高気温、華氏90度ないし100度
になる日が続いています。今日のブルーミングトンの最高気温は華氏99度(摂氏37度)
です。町中の芝生が茶色くなっています。今朝未明、少し雷がなり、雨が降った
のですが、文字通り、焼け石に水という感じです。

先週末、アイオワ州の竜門寺というお寺の首座法戦式に助化師として随喜
しました。この2月にも書きましたが、なだらかな丘が地平線まで続き、見渡す
限りトウモロコシ畑の真ん中に、純日本風の、本堂、僧堂、庫裡を建設し、
もうすぐ、衆寮の建設工事が始まるとの事でした。トウモロコシの発育も、
高温と乾燥のせいで、今年は余りよくないとの事でした。

今回の法戦式の公案は、碧眼録第87則、「雲門、薬病相治す」。今回の
安居の首座を勤めているのは50代の尼僧さんでした。脳の中の癌が発見
され、その為に開頭手術をされたとのことでで、頭に手術の跡が大きく有り
ました。手術は成功し、この2年間、癌は全く見つからないとの事です。ただ、
手術の時に脚の動きをコントロールする部分に傷が着いたとのことで、ビッコ
を引かなければ歩けません。とても明るくて、冗談をよく言う人でした。日本の
法戦式の首座は大概、首座も、問いをかける方も若くて元気な修行僧です
から、「薬病相治す」といっても、全く仏教、或は禅の教えの観念としてしか
扱われないでしょうが、今回のように、まさに生と死の間を行き来した人が
首座で、一座の人々も60歳前後かそれより上の人が多数でしたので、
「薬病相治す。尽大地是れ薬。那箇か是れ自己。」という公案は実に身
にさしせまったものでした。

私が、本則行茶の時に、本則について話をするように頼まれていたの
ですが、堂頭の彰顕・ワインコフ師から私に連絡があったのは、従容録
第94則「洞山不安」でした。洞山禅師が病気のときの話です。
僧問う、「和尚病む。還って病まざる者有りや。」
山云く、「有り。」
僧云く。「病まざる者は還って和尚を看るや否や。」
山云く。「老僧他を看るに分有り。」
僧云く、「和尚他を看る時如何。」
山云く、「則ち病有ることを見ず。」
「病むもの」と『病まざるもの』、生老病死のプロセスの中で、様々な条件を背負い
ながら生きている五蘊の集まりの私たち、とそういう条件と関わり無く、五蘊皆空、
「不生不滅」の自己。高齢者の端くれになった私としても、是は今後、参究を続けて
行かなければならない問題です。

内山老師の「生死法句詩抄」に、「光明蔵三昧」という詩がありました。
貧しくても貧しからず
病んでも病まず
老いても老いず
死んでも死なず
すべて二つに分かれる以前の実物ー
ここには 無限の奥がある

無限の奥に向かって、一歩ずつでも進んで行きたいと願っております。
沢木老師も、「人間、七十や八十で死ぬいのちを生きてはつまらんぞ」と内山老師
に語られていたという事です。

準備して来たのとは違う公案について話さなければならない事を1時間ほど前に
知らされた時には、一瞬目の前が真っ暗になりましたが、共通する主題でしたので、
なんとかアドリブで話しました。

6月初旬に、私の新しい著書、Living By Vowが出版されました。1993年から96年迄、
ミネアポリスのミネソタ禅メディティション・センターで毎週土曜日の参禅会や摂心の時
に話したものを基に加筆訂正したものです。同センターで使っていた日課教典に含まれる、
「三帰依文」、「懺悔文」、「四弘誓願文」、「搭袈裟偈」、「行鉢念誦」、「般若心経」、
「参同契」、「開経偈」について「誓願」を基盤として話しました。ほとんど20年前の物ですので、
読んで赤面するところもありますが、これらは、各地の禅センターで活動している人たち
にとってはもっとも身近な仏教文献で多くの人々が暗記しているものですが、その意味
の説明は余りなされては居ないので、西欧で坐禅をしている人たちに、役に立つように
と願っております。

7月4日から5日間の禅戒会が始まります。今年は4人の人が受戒します。この禅戒会で
4月から続いていた夏の安居が終わります。安居の最中は、竜門寺の法戦式にでた以外は
旅行は無かったのですが、禅戒会が終わると、8月22日迄、殆ど他出しているという感じです。
7月13日から16日迄、ニューメキシコ州の禅センターである道元禅師シンポジウムに発表者の
一人として参加。25日から8月5日迄カリフォルニアに滞在します。5日間の眼蔵会と1日の
ワークショップがあります。5日の夜にブルーミングトンに帰って、8日の朝には、ヨーロッパに
出発します。フランス、オランダ、イタリアの3つの禅センターでの首座法戦式に助化師として
随喜するためです。

ですので、おそらく7月には三心通信を書く事は出来ないだろうと存じます。是を、6月、7月分
とさせていただきます。

日本では、梅雨に入って、鬱陶しい日々が続いている事と存じます。どうぞ、ご自愛くださいませ。

6月30日

奥村正博 九拝



三心通信 2012年4月、5月

今年は冬から春にかけてはとても暖かく、お彼岸には桜の花が満開になるほどでしたが、
4月に入ってから急に温度が下がり、涼しいと言うよりも、時には寒さを感じるほどの天気
が続いています。そして、雨の日が多く、湿気が気になります。

3月末にイタリアのローマに行った事は先回書きました。4月の初めから夏期安居が始ま
りましたので、今迄旅行は無く、ずっと三心寺に居ります。昨年もそうでしたが、今年も首座
を置かない安居ですので、普段とそれほど違いません。月曜日から金曜日迄、朝4時半に
起床し、5時から7時まで2?の坐禅があります。いつも私を含めて4、5人で坐ります。その
後、略朝課で、般若心経と大悲心陀羅尼を誦みます。朝課の後、20分ほど坐禅堂、その他
の掃除をして、7時40分頃に解散。

そのあと、大体一人で朝食。最近はヨーグルトにバナナやリンゴを切っていれたものとコヒー
か紅茶だけにしています。リビングルームで食べていると、窓の外の庭にある、小鳥の餌い
れに沢山の野鳥が来て、代わる代わるえさを食べているのが見えます。坐禅中は、小鳥たち
の歌声がにぎやかに聞こえます。この辺りは町中の住宅街ですが、樹木が多く、少し高い
ところから見ると、森の中に町があるようです。ですので野鳥の種類も多く、それぞれ違った
鳴き方で、本当にコーラスのようです。多くの家々の庭に、小鳥の餌を入れるフィーダーが
地面にさした鉄の棒にぶら下げられています。木々の間をこれも沢山のリスたちが自由自在に
飛び回っています。最近生まれたばかりのような、小さなリスたちが、遊んでいるのかけんか
しているのか、あちこちで追いかけっこをしています。また野生の鹿が多く、全く人間を怖がら
ないで、そこら中を歩き回っています。食べられる植物は何でも食べてしまうので、困り者でも
あります。

その後8時半頃から仕事を始めます。法話や勉強会や眼蔵会の準備、原稿の執筆、翻訳など
です。昨年秋から続けている「宿無し興道法句参」の新しい翻訳を作る作業は、半分を超した
ところです。沢木老師の法句、内山老師の参は、短くて簡潔な文ですが、中身は驚くほどに濃い
ものです。お二人とも平言葉で仏法の要のところを表現されていますので、仏教や禅についての
知識が無い読者には、言葉の意味は分かっても、それが仏教の文脈の中でどのような意味が
あるのかは却って分かりにくい面があります。それと、日本の文化や人物についての論評や伝統的な
表現は翻訳だけでは、それらになじみの無い外国の人々には意味不明な面もあります。それで、
章ごとに私の解説を入れる事にしました。解説を始めるとどうしても本文よりも長くなります。です
ので、元本よりもかなり大きな本になりそうです。

五月の三心寺の眼蔵会では「礼拝得髄」の巻を講本にしました。7月にはカリフォルニアのグリーンガルチ
で眼蔵会があり、「唯佛與佛」の巻を参究します。いい翻訳が見つかりませんので、自分の翻訳を
作っているところです。「唯佛與佛」は75巻本にも12巻本にも含まれていないせいか、註解全書にも
余り注解されていず、現代の解説も余りありません。岸沢惟安老師の「全講」くらいしか、私の手元には
ありません。他の巻に比べて、漢字が非常に少なく、仮名書きの部分が多いので、どこで句読点を
入れるべきなのか、考え込む箇所が幾つもあります。

毎週水曜日夕方のダルマ・スタディでは、この3月に2年間かかった「大乗起信論」が終わり、
「普勧坐禅儀」を始めています。只今回は流布本だけではなく、「禅苑清規坐禅儀」、「撰述由来」、
「天福本」、「正法眼蔵坐禅儀」、「辧道法」の坐禅の仕方なども読む事にしています。
現在「禅苑清規坐禅儀」を読み終えたところです。道元禅師がどの点を批判し、どのように
書き換えられたのかを考慮しながら参究しています。

昼食を食べた後は、昼寝をする事が習慣になりました。3時か4時頃、ほとんど毎日のように
YMCAにいって1時間ほど歩き、15?20分ほどストレッチをする事にしています。旅行以外では、
三心寺の境内の外に出るのはこの時くらいです。町を歩く事はほとんどなくなりました。
歳のせいもあると思いますが、町で何が起っているのか余り興味も無くなりました。YMCAから帰って、
風呂に入ると、既に夕食の時間です。夕食後には夕方の坐禅、ダルマ・スタディ、坐禅とQ&A、
ミーティングなどがあります。

日曜日の朝の参禅会では、この安居中、かなり長い坐禅の経験のある人たちに順番に話をして
もらっています。私が法話をするだけではなく、一緒に坐禅をしている人たちに話してもらう事によって、
どの用に考えながら坐っているのか、聞く事が出来て、私には有り難い事です。

静かですが、充実した生活です。

6月には、私の新しい本、Living by Vowが同じ出版社から刊行される予定です。ミネアポリスに居たときに、
禅センターで行った講義のテープ起こしに加筆訂正した物です。日課教典に含まれる、「三帰依文」、
「懺悔文」、「四弘誓願文」、「搭袈裟偈」、「行鉢念誦」、「般若心経」、「参同契」、「開経偈」について
「誓願」を基盤として話した物です。

5月31日

奥村正博 九拝


三心通信 2012年3月

今年の中西部は冬の間も余り寒くならなかったのですが、春になっても暖かい傾向が続いています。
お彼岸の頃には既に三心寺の庭にある2本の桜は満開になっていました。例年よりは2週間ほどは
早かったようです。お彼岸が過ぎて、23日からイタリアのローマに行きました。1週間ほど滞在し、
昨夜帰ってきたばかりです。帰ってみると、まだ4月は始まっていないのに既に新緑の景色です。

一昨年出版された私の「現成公案」の解説書、Realizing Genjokoan がイタリア語に翻訳されて、
最近Ubaldini Editoreという出版社から刊行されました。これを機会に、私のイタリア人の弟子、
行悦と道龍が主宰する安心禅堂に滞在し、一日の坐禅会に参加し、ローマの大学と、イタリア仏教協会で
話をする為にローマに行きました。3月23日にブルーミングトンを出発。ボストンで飛行機を乗り換えて、
ローマに着いたのが24日の朝7時頃でした。気候はブルーミングトンとそれほどかわらないようでしたが、
空気はずっと乾燥していました。

安心禅堂はローマ市内のテベレ川の近くにあります。すぐ近くに電車やバスの乗り場があって、便利なところです。
5階建てくらいのビルのアパートなのですが、1ブロックをぐるりと取り囲んで立てられています。真ん中の空間は
庭になっていて、一階の居住者が使っているようですが、外からの通路は全くありません。住人だけが利用
できるようになっています。その庭に古くからあった小さな建物の内部を、ベッド&ブレックファーストとして旅行者が
滞在できるように改造して、利用しています。アメリカでは考えられられ無いほどの小さな空間ですが、
日本のホテルのシングルの部屋よりはゆったりとしています。私はそこに泊めてもらいました。行悦と道龍は
カップルですが、二人とも舞踏家で、バレエを教えています。ダンスの稽古場が、坐禅堂に早変わりします。

ついた日、昼頃迄休憩し、昼食後、テベレ川の畔を1時間ほど散歩しました。向こう岸には、プラスチックの
シートで覆われたテント小屋にすんでいる人たちが見えました。

25日の日曜日には、安心道場で朝8時から夕方5時迄、坐禅会。27人の人たちが参加して、坐禅堂は
満員でした。2時半から4時迄、自分の紹介と、参加者からの質問に答えました。火曜日の大学での話では、
二人の教授が仏教について、道元禅師について15分ずつ、話をされました。そのうちの一人、トリニ教授は、
日本文学が専門とのことですが、道元禅師の著作もイタリア語に翻訳されているとのことでした。京都に留学
されていた時私に会ったことがあるとのことで、わざわざヴェニスから駆けつけてくださいました。私は、
『現成公案』から「仏道をならうというは自己をならう也。」について話しました。
木曜日の仏教協会では、坐禅と日常生活についての話をするようにとのことでしたので、道元禅師の戒律に
ついて紹介し、「典座教訓」の三心のことを話しました。多数の人々が来聴されました。ただ気になったのは、
大半の人々が、私と同年代か、40歳代より上の年齢に見えたことです。アメリカでもそうなのですが、若い人々が
余り居ないのが気になりました。

講演が無い日には、ローマ市内を案内してもらって、あちらこちら歩き回りました。これ迄。歴史や美術の教科書で
見慣れていた遺跡や建築、彫刻、町並みを実際にこの眼で見て、あらためて驚かされました。只全市が石やレンガで
覆われていて、自然と闘って、人工的な街をこしらえたパワーを感じましたが、自然との調和とか、共存とか云う面は
全く伺えませんでした。

3月31日

奥村正博 九拝





三心通信 2012年2月

 

この冬は暖冬で、幾度か雪は降りましたが、その度に消えてしまいました。むしろ雨が多く、湿度の高い冬でした。
その為に、裏庭の苔の色が鮮やかな緑になりました。2月も末になり、日照時間が日一日、少しづつ長くなってい
ます。朝方は野鳥のさえずりが聞こえるようになりました。

2月の4日から11日まで、テキサス州のオースティン市にあるオースティン禅センターに滞在しました。6日間の
眼蔵会で講義をする為でした。今回は涅槃会にちなんで、拙訳の「正法眼蔵八大人覚」を講本にしました。1時間半
の講義を1日2回、合計12回の講義をするには「八大人覚」の本文だけでは短すぎるので、パーリ語のアングッタラ・
ニカーヤの中にあるアヌルッダ経、安世高訳とされる、漢訳の大乗の「佛説八大人覚経」、及び「佛遺教経」のそれぞ
れ英語訳を参考に、初期仏教、大乗仏教の文脈の中での八大人覚、釈尊の遺言としての八大人覚、それと道元禅師
の「正法眼蔵」としての八大人覚を比較しながら参究しました。アメリカにいるおかげで、日本にいた頃よりもずっと広い
視野の中で、道元禅師の教えの意味を学ぶ事が出来ます。苦労は勿論多いですが、この事に関しては、アメリカに来
てよかったと思います。

18日にはアイオワ州の竜門寺の法戦式に助化師として随喜しました。助化師として竜門寺に行かせていただくのは
これで3回目ですが、今回は私の弟子が首座を勤めさせていただきました。竜門寺の開山である住職は故片桐大忍老師
の法嗣の彰顕・ワインコフ師です。1989年、彰顕師がはじめて四国の瑞応寺僧堂に安居される前、当時私が留守番を
させていただいていた京都のお寺に滞在されました。それから、およそ25年ほどのお付き合いになります。殊に1993年
から1996年まで、片桐老師が創立されたミネソタ禅メディティション・センターにいた頃はお世話になりました。彰顕師は
片桐老師のご遺志を継いで、アイオワ州に日本風の本格的な本堂、僧堂、庫裡を備えたお寺を創建されました。

ケヴィン・コスナーが主演したFields of Dreamsという映画を見られた方もおられると思います。アイオワ州のトウモロコシ
畑の真ん中に野球のグラウンドを作る話です。竜門寺もトウモロコシ畑や牧場がどこまでも広がるアイオワ州の典型的な
田園地帯のど真ん中にあります。どうして、こんなところに順日本風の僧堂ができたのか、不思議な気がします。しかし、
今回の法戦式にも、ミネソタ州、アイオワ州、イリノイ州、ネブラスカ州などから30?40人ほどの人々が集まっていました。

法戦式の本則は「碧巌録」第35則の文殊前三三で、本則行茶で私が話をさせていただきました。無著文喜禅師が五台山
の山中に文殊菩薩の神通力で作り出された幻のお寺に一泊し、文殊菩薩と問答をするという話です。公案の内容は
さておき、アメリカ合衆国の中西部、アイオワ州のトウモロコシ畑の真ん中に作られた純日本風のお寺での、真冬の
法戦式にはいかにもふさわしい話でした。 

既に3月が近づき、水仙の芽が出始めました。29日から3月の5日間の摂心が始まります。イタリアから2人、オーストリア
から1人、南アメリカのコロンビアから2人の参禅者があります。インデアナ州ブルーミングトンという、日本人はほとんど
知らない田舎の大学町にある、小さな禅堂に、世界各地から参禅者が来られるというのも、五台山の文殊のお寺の話と
同じくらい、不思議な事かもしれません。例年と同じと言えば同じ春の始まりです。

 2月25日


三心通信2011年12月

 2011年も残すところ2日だけとなってしまいました。毎年の事ですが、あっという間に
1年が過ぎ去ってしまったという感じがいたします。さほど時間を無駄に過ごしていると
いう自覚はないのですが。
今年は、3月末で曹洞宗国際センターから退職したのが何と言っても一番大きな変化でした。
1997年から13年間勤めさせていただきました。能力的にも、人格的にも、私の柄ではない
役目だったのですが、スタッフの皆さん方に支えていただいてなんとか勤める事が出来た
事を有り難く感謝しております。
6月には、国際センターの機関誌「法眼」に連載した「現成公案」の解説書がRealizing Genjokoan
というタイトルで、Wisdom Publicationsという出版社から刊行されました。
元々国際センター(当時は開教センター)の教化活動の一つとして1997年から始めた
「正法眼蔵」の勉強会での講義のテープ起こしに手を加えて、数年に渡って「法眼」誌に
連載したものです。2003年にブルーミングトンに移転してから、その原稿をもとにして
私の弟子の一人の正龍さんが、一冊の本になるように更に英語の手直しをしてくれた
ものです。幸いに、好評を得ております。
同じ出版社から2冊目の本が出ることになりました。これは、私が1993年から1996年
まで、ミネアポリスのミネソタ禅メディテーション・センターにいたときに、その禅センターで
使っていた経本(Sutrabook)に収録されている偈頌(懺悔文、搭袈裟偈、三帰依文、開経偈、
四弘誓願文)、行鉢念誦、「参銅契」、「般若心経」などについての講話のテープ起こしを
材料として書き直ししたものです。現在、出版社に送付する最終原稿を作成しているとこ
ろです。タイトルは、「Living by Vow (誓願に生きる)」とするつもりで居ります。ミネソタ禅
センターは1972年に片桐大忍老師によって創立され、アメリカの禅センターでも早く成立
したものですが、老師は寺号を願生寺とされました。誓願によって生まれ、誓願によって
生かされて生きている、菩薩道を修行するお寺という意味で名付けられたのだと思います。
1993年に赴任した時、まずその事を禅センターの人たちとともに確認するために、四弘誓願文と、
釈尊の誓願、片桐老師の誓願、内山老師の誓願、等々我々の毎日の修行の導きとなる
誓願について、毎週土曜日朝の参禅会に数回の法話をしました。それが終わった後、
経本に収録されている偈頌やお経についての話を3年間続けました。それらは禅センターの
人たちに一番なじみが有る仏教聖典であり、多くの人たちが暗記しているにもかかわらず、
その仏教的な意味合いや私たちの修行、信仰生活の中での意味を説明される事は殆ど
ないからです。私が話したものを何人かの人たちがテープ起こしをしてくれました。その後、
デーブさんという人が、原稿の整理を続けてくれました。その後私が開教センターの仕事を
するようになり、忙しくなったもので仕事は遅々として進まなかったのですが、ここ2、3年
ブルーミングトンに移ってから、少し時間が出来るようになったもので、作業を進めておりました。
2011年中には出版されるのではないかと存じます。
また、ミネアポリスにいた頃に内山老師の「現成公案を味わう」を一応英訳していたのですが、
これも開教センターでの多忙な日々のために出版するには至りませんでした。それでも、
サンフランシスコ禅センターにいたときに、そこのお坊さんたち何人かとその原稿を読んで
英語を手直しする勉強会を持つ事が出来ました。その人たちの発案で、西有禅師の
「現成公案啓迪」、同禅センターの創立者である鈴木俊隆老師の「現成公案」の提唱と
私が訳した内山老師の提唱を一冊の本にすると言うプロジェクトが出来ました。私は
その後、ブルーミングトンに移転しましたので、その仕事はサンフランシスコ禅センターの
人が主に進めてくれました。「啓迪」は、最近「正法眼蔵」の全訳を完成された棚橋一晃さんと
バークレー禅センターの宗純・ウエイツマン老師が訳されたものです。ともあれ、その本が
もうすぐ発行される事になりました。私のRealizing Genjokoanはこの本のための露払いで
あったと言えます。
アメリカでは、坐禅する人の数は増え、禅センターも全土に出来つつ有りますが、まだまだ
道元禅師の宗乗を理解して坐っている人の数は多く有りません。これからは、広める事と
同時に、深めて行く事も大切になって行くと存じます。そのために少しずつでも仕事を進めて
参る所存で居ります。

6月の5日間を坐った後、もう半跏趺坐で5日間の接心を坐り抜く事は出来ないと感じました。
右膝の痛みは確実に進んでいます。左膝の痛みはニンニク灸でかなりましになったのですが。
右膝は少し体重をかけるだけでも痛むようになりました。若い頃の無理がたたっているのだと
思います。バレー禅堂にいた頃、開墾作業や井戸掘りやその他の仕事でシャベルを使う事が
多かったのですが、殆ど右足を使っていました。ともあれ40年間、私の坐禅を支えてくれたの
ですから文句は言えません。
7月以降、坐禅堂で椅子を使って坐るようになりました。椅子に坐るのは、足を組んで坐る坐禅
とは大分違います。まだ、これが坐禅だろうかと感じる部分も有ります。だんだんとなれて来て、
9月には5日間、12月の7日間の臘八接心を殆ど椅子で座りました。体重を腰と尻だけで支え
ますので、どうしても不安定です。内山老師は坐禅が出来ない時には「南無観世音菩薩」の
称名をなさっていたとの事ですが、私はどうも、称名をする事は出来そうに有りません。一緒に
座ってくれる人たちの邪魔になっているなと感じるまでは、椅子の坐禅を続けるつもりで居ります。
老耄の弁道もやや本格的になってきました。

今年の冬は、例年よりも寒く、臘八接心が始まった日から雪が降りはじめ、一月近くなる今も、
雪が消える事が有りません。最高気温も氷点を上回る事はあまり有りません。日本でも、
各地で豪雪とのこと。どうぞ見なさま、よいお年をお迎えください。

12月29日

奥村正博 九拝