三心通信2011年8月
 
 
残暑お見舞い申し上げます。
8月も末になって、日中は まだかなり暑くなりますが、朝晩は涼しさを感じるようになりました。
 
7月、21日から8月3日まで、スエーデンに行きました。今回は3回目でした。最初の3日程、ルンドの知人のアパートに泊めてもらって、時差ぼけから回復するのを待ちました。26日から30日まで、ルンドの町から自動車で4時間程の場所にあるキリスト教系のリトリートセンターで5日間の眼蔵会がありました。スエーデンの人達は殆どが英語ができるので、通訳無しで英語で話しても問題はありませんでした。今回は十二巻本の「発菩提心」、私の英訳を講本にしました。今年の2月の眼蔵会は、チャペルヒルの禅センターで、「発無上心」を参究したので、道元禅師の菩提心についての教説をなるべく総合的に学びました。「学道用心集」第1則の「菩提心を起こすべき事」では、無常を観ずる心が菩提心だと説かれたました。また「知事清規」監院の章での「道心」についての教えでは、「いわゆる道心とは、仏祖の大道を放散せず、深く仏祖の大道を護惜するなり。ゆえに名利を抛ち来たり、家郷を辞し去り、黄金を糞土に比し、声誉を涕唾に比し、 真を瞞かず、偽に順わず、規縄の曲直を護し、法度の進退に任す。ついに仏祖家常の茶飯をもって賤価に売弄せざるは、乃ち道心なり。」と定義され、仏祖道の伝統を地道に護り伝えて行く事の大切さを説かれています。「発菩提心」の巻では、「自未得度先度他」の心を重視し、「およそ菩提心とは、いかがして一切衆生をして菩提心をおこさしめ、仏道に引導せましと、ひまなく三業にいとなむなり」と言われています。智慧の面から、慈悲の面から、また伝統を受け継いで行く修行の面から様々に菩提心について説いておられることを紹介しました。
「随聞記」の中で無常によって菩提心を起こしたけれども、比叡山では、本当の師や先輩に恵まれず、大師などの高名な僧になるように教えられたこと、けれども「高僧伝」等を読んで心を入れ替えたことが書かれていますが、十代の頃から「菩提心」がご自分の問題として切実な、重要な問題であった事、それを十二巻本を書かれた頃まで、ずっと胸の中に置いておかれ、後世に人に書き残しておかねばと考えられていた事などを学びました。
 
私がスエーデンに着いた日か、其の前の日にノルウェーの首都オスロでテロリストによる爆弾と銃の乱射により何十人もの人々が殺された事件が起こりました。私が居たルンドからオスロまでは自動車で数時間の距離ですので、スエーデンの新聞は此の事件の報道で持ち切りでした。スエーデンの人々も身近な事として様々に影響を受けていたようです。日本やアメリカから見ていると、北欧の国々は平和な所のように思えるし、実際に訪問しても、森と湖の国と云った印象なのですが、聞いた所によると、ノルウェーと同じような社会的背景がスエーデンでもあるようです。その他のヨーロッパの国々でも同じような事態を抱えているとの事です。たとえばスエーデンではアフリカや中近東からの移民が全人口の一割を超えているのだそうです。現政府は移民に対して寛容な政策を取っているのですが、文化、宗教、言語などの違う人々が在る程度以上の人口比率になって来ると、ことに民族主義的な人々は、伝統的な文化や価値形態の崩壊に危機意識をもち、貧しい層の人々にとっては、仕事や福祉に関して競争者と映るようです。そのなかで狂信的な人が今回のようなテロ事件を引き起こしたのですが、是が本当に個人的なものか、背後に組織的な勢力があるのか、多くの人々が心配していました。
 
スエーデンから帰ってからは、次ぎの著書の原稿の最終的なチェックに集中しました。私の仕事は、原稿の全体を読み、日本語の長母音の上に音声記号を入れなければならない言葉を総て選び出して記号を入れる事(譬えばDogenを Do?genに)でした。作業としては単純なのですが、一語も見逃さないように注意しなければなりません。念のために、3回繰り返して全体を読みました。なかなか時間がかかり大変でしたが、私にしかできない仕事ですので文句は言えません。
 
それがようやく終ると、17日からノースカロライナに行きました。山の中の静かな所で数日間、家内と過ごす事が出来ました。
 
本日夕方から、9月5日まで、5日間の接心です。また日常の坐禅生活が始まります。
 
8月31日
 
奥村正博 九拝
 
 
 






三心通信2011年3月−7月

長らく、ご無沙汰をしても申し訳ありません。
暑中お見舞い申し上げます。

日本では猛暑の上に、節電をしなければならないので、厳しい夏になるとのこと、どうぞご自愛くださいませ。当地、ブルーミングトンでもこの2、3日、最高気温100°F(37.8℃)に近い熱さです。しかし、内陸ですので昼と夜との気温の差が激しく日が暮れるとそれほどの熱さは感じません。昔住んでいた京都の夏の、真夜中でも暑苦しくて眠れないような事はありません。

3 月10日に日本に到着し、その翌日に大震災が発生しました。私は11日の午前中に東京から京都に移動し、その後ずっと近畿、中国、九州など西日本に滞在していましたので、地震の影響は全く受けませんでしたが、毎日テレビの映像で見る惨状に眼を覆いたくなりました。被害地の方々は未だに厳しく、不便な日々をお送りの事と存じます。一日も早い復興をお祈り致します。
三心寺でも6月に、ブルーミングトン在住の日本人の方々と共同で、震災復興のための義援金を集める為に、ヤードセールがありました。多くの方々に様々な品物を寄付していただき、それの売り上げを二つの機関を通じて日本にお送りしました。一日で約2000ドル(約16万円)の浄財が集まったとの事です。
私達は静かに坐っているだけで、宣伝活動をほとんどしないものですから、日本人の人々もブルーミングトンにお寺があるとはご存じなく、私達もこれほどたくさんの日本人が住んでおられるとは知りませんでした。このことを機会に在住の日本人の人々とつながりが出来た事を大変喜んでいます。ヤードセールの後、坐禅に来られる人も何人か居られます。

私が日本にいた頃、カソリックの信者さんを中心にしたグループの人々に「般若心経」の話をしたものをテープ起こしをし、手製で和綴じの本を作っていただきました。少部数でしたが、本を作ったグループの人々が、その本を受け取った人々から、アメリカに移った私に送る予定でカンパを募っておられました。 それが1995年の神戸の震災の頃でした。そのお金を神戸のカトリック教会を通じて義援金として寄付していただくように私からお願いしました。雀の涙程の金額でしたでしょうが、少しでもお役に立てた事を、本を作ってくださった方々に感謝しました。特に神戸は、よく托鉢に行かせていただいた所でしたので、見覚えのある町や通りの悲惨な状況を写真などで見て心を痛めておりましたので、私にも小さな事ですが、何かが出来た事を感謝しました。

今年は、アメリカの南部、中西部各地でも、例年になく多く、50回以上竜巻が起こり、500人以上の人々が無くなりました。観測史上最多だそうです。ブルーミングトンには人的な被害はありませんでしたが、真夜中に竜巻警報のサイレンが鳴り、強風で大きな木が何本も倒れて街路を塞いだ事がありました。世界各地で天変地異が起こっているようです。この5月に世界が終るというキリスト教の牧師さんの予言は外れたようですが、人間の文明のあり方が、自然に影響を与えて、気候や天候の異常が発生しているのだとしたら、我々の生き方をかえなければ、遅かれ早かれ人類の破滅は現実になるかもしれないという不安は感じさせられます。ましてや原発の事故は天災ではなく人災ですので、電気に頼りすぎている私たちの毎日の生活の仕方を考え直さなければならないのだと思います。

三心寺の夏期安居は7月4日の受戒の式をもって無事に円成いたしました。今年は首座を置かない安居でした。4月のコミュニティ・リトリート、5月の眼蔵会、6月の坐禅だけの接心、7月の禅戒会と、その間の日常の坐禅、勉強、作務、絡子の把針など、例年と変わらず、熱心に行じ、充実した安居になりました。今年は6人の人が受戒して佛弟子となりました。そのうち4人の人がブルーミングトンに住む人達でした。昨年までは、どちらかというと遠くから来る人のほうが多数だったような気がします。三心寺がブルーミントンに創立されて8年が経ち、それだけ、この町の人々に知られて来たのだと感じています。昨年曹洞宗国際センターを退職して、なるべく旅行を控え三心寺に居るようにしています。その影響が出てきつつあるようです。
一昨日の日曜日の午後には、ブルーミングトンにあるTMBCC(Tibetan Mongolian Buddhist Culture Center)に招かれて2時間の講話をさせていただきました。曹洞宗の伝統のなかでの坐禅と作務の意義について、「普勧坐禅儀」と「典座教訓」を紹介しながら話しました。このような形で、チベット佛教と日本の仏教との交流がアメリカでなされている事を日本の人々に知っていただきたいと願っております。 TMBCCは、かってインデアナ大学で教えておられたダライラマのお兄さんが創立され、2003年にその敷地のなかに寺院が建てられました。その落慶式にはダライラマも来られ、約5000人の人が集まりました。実はその前日に三心寺の開単式をしたのですが、こちらは約20人の参加者でした。

膝関節痛がすすみ、昨年の6月の接心が終った後、これ以上足を組んで5日間の接心は出来ないと観念しました。それ以来、坐禅堂で椅子に坐っています。10年程前から坐禅中に痛みが出始め、60歳を過ぎてからそれが、坐禅中だけでなく、歩く時にも痛みを感じるようになりました。2年程、接心が出来なくなったらどうしようかとかなり悩みました。この一年間椅子で坐って来て、ようやく椅子坐禅も坐禅なんだと思えるようになりました。足を組んで坐ることのできない人、あるいは坐れなくなった人がどのように修行を続けられるか、その実験材料になっているのだと考える事にしています。内山老師は坐禅が出来なくなったら「南無観世音菩薩」の称名でいくといっておられましたが、私には少なくとも今はまだ称名は出来そうにもありません。椅子にも坐れなくなったらどうするかは、その時になってから考える事にして、一緒に坐っている人たちの邪魔になっているなと感じるようになるまでは、椅子に坐る坐禅を続けて行く所存で居ります。老齢化社会での新しい修行の仕方の可能性を探って行くという課題を与えられたのだと考えるようになりました。此処に据わりが出来て、老耄の弁道に一つ迷いが解消しました。

7月12日

奥村正博 九拝