三心通信 2010年1月・2月
2010年が始まって、あっという間に2月も中旬になろうとしています。
1月は6日から11日まで、摂心がありました。摂心が終わって2日休んで
14日に日本に出発しました。19日に東京の宗務庁である会議に出発する
ためでした。15日の夕方に成田に到着。川口の鈴木龍太郎氏のお宅に
宿泊させていただき、翌日京都に行きました。
京都駅で鷹峰道雄さん、トム・ライトさんとお会いして、宇治木幡の
能化院に内山老師の奥様をお訪ねしました。道雄さん、トムさんと
ご一緒に、老師のお墓と御仏壇のお位牌の前で、お経を上げさせて
いただきました。今年は老師の13回忌ですが、そのために日本に来る
ことは到底できない私にとっては、何よりも有り難いことでした。
しかし、老師が亡くなられてもはや12年が経つてしまったと云うこと
に驚かされます。1998年には私はロスアンゼルスに住んでおりました。
一月遅れの涅槃会摂心があり、オレゴン州の禅センターに行っており
ました。私は「正法眼蔵八大人覚」の講義をし、その中で、内山老師
の「生死法句詩抄」のなかの、<結びの詩> 「光明藏三昧」を引用
したことを覚えています。
貧しくても貧しからず
病んでも病まず
老いても老いず
死んでも死なず
すべて二つに分かれる以前の実物――
ここには 無限の奥がある
その摂心が終わって、ロスアンゼルスの当時住んでいた禅堂に帰ると、
鷹峰道雄さんから老師が亡くなられたと云うメッセージが留守番電話
に残されていました。あわてて道雄さんに電話をすると、その日に
お葬式が行われたとのことでした。自分の母親もマサチューセッツ州
のバレー禅堂にいたときに、脳血栓で倒れて一週間ほどで急に亡くな
ってしまって、死に目に会うことも葬儀に出ることも出来ませんでし
たので、こういう事が起こることは心のどこかで覚悟しておりました。
「病んでも病まず、死んでも死なない」老師の「おんいのち」を私なり
に受け継いで行かなくてはと思いを新たにしました。
その後まもなく、トム・ライトさん、アーサー・ブレイバーマンさんも
一緒に老師の追悼の摂心をその禅堂で出来たことだけが唯一の慰めでした。
現在、老師の「現成公案を味わう」の本の英語訳を、西有禅師の
「現成公案啓迪」、鈴木俊隆老師の「現成公案」の提唱の英語訳と一緒に
一冊の本にする計画が進んでいます。3月の13回忌までには間に合いま
せんが、出来れば今年中に出版されればと願っております。
お墓参りをさせていただいた夜、道雄さん、トムさんと夕食をご一緒に
しました。久しぶりに京都玄啄の安泰寺の頃の懐かしい思い出に浸る
ことが出来ました。
19日の宗務庁での会議が終わって、20日には成田からロスアンゼルスに
飛び、21日から、宗立専門僧堂が行われている陽光寺に30日まで滞在し
ました。先月には、3日目にぎっくり腰になり、殆どベッドの中で過ごす
という情けないことになりました。今回も腰と膝が回復していないので、
坐禅も正座をしなければ行けない朝課、その他の行持も免除していただき、
8回の「知事清規」の講義に専念させていただきました。坐禅、その他の
修行を参禅者と一緒にし、その上で講義を聴いてもらうというのが私の
スタイルでしたので、今回のようなのは大変居心地の悪い気がしました。
しかし、身体が云うことを聞いてくれないので仕方がありません。ここで
無理をすると、坐禅が出来ない身体になってしまうかも知れないと、自分
に言い聞かせております。
1月31日に三心寺に帰ってきて、最初の何日かは留守中に山のようにたまっ
ていたEメールを読んで、必要なものに返事を書く事に追われました。
その後、国際センターのニュースレター「法眼」に連載中の「正法眼蔵
摩訶般若波羅蜜」の記事を執筆し、本日ようやくこの三心通信が書ける
ようになりました。またまた1月・2月合併と云うことになって申し訳ありません。
先日、雪嵐があり、首都のワシントンでは降雪の新記録だったそうですが、
ブルーミングトンではそれ程ではなく、10−20cmほど積もりました。
まだまだ一面の雪景色です。しかし、日照時間は日に日に長くなり、
太陽の光も明るくなっています。朝には鳥の声も聞こえるようになりました。
春がすぐそこまで来ている感じがします。
2月8日
奥村正博 九拝