三心通信2015年12月




本年4月以来、三心通信を休ませていただいておりました。書くことがなかったの
ではなく、書く時間的、心理的余裕がなかったのだと思います。例年と同じように
、様々なことがあり、様々なことを考えましたが、それを短時間に文章にまとめる
ことが難しくなっているようです。加齢による、脳力の低下がその一因だと思います。

本年、5月以降のまとめを書かせていただきます。

5月には、眼蔵会がありました。「渓声山色」を講本として参究いたしました。前半の、
渓声は仏の声、山色は仏の姿、世界中のすべてが、仏法を説いているというような
いわば汎神論(汎仏論)のようにも聞こえる書き振りと、後半の同時代の人々への
手厳しい批判とのギャップの大きさに、今更ながら驚きました。そのことを中心に参究
いたしました。




6月には、5日間の接心がありました。いつものように10人ほどの参加者でしたが、
坐禅だけに専念集中できる有難い接心でした。21日には首座法戦式がありました。
今年は無相・Biggsが首座を務めました。 長年、前角博雄老師が創立されたロスアン
ゼルス禅センターの系統で参禅してきた人です。 私が、ロスアンゼルスに住んでい
た1997年からの知り合いで、1998年に内山老師が亡くなられた時に私がいた禅堂
で行った5日間の報恩接心に一緒に坐ってくれました。また、1年間サンタモニカの
無相さんのアパートに住まわせてもらい、毎朝、一緒に坐ってから勤めに行っており
ました。二人だけの週末接心をしたこともたびたびありました。前角老師の嗣法の弟
子の方に何年も前に得度を受けたのですが、 事情があって4年前に師匠替えをして
私の弟子になりました。法戦式もすでにすませていたのですが宗務庁に届けていな
かったので、もう一度しなければならなかったのです。




7月3日の夕方から5日間の禅戒会が始まりました。毎年、「教授戒文」を講本にして、
十六条戒の様々な面に焦点をあてて参究しています。これまで3年間、それぞれ,意業
についての、第8不慳法財戒、第9不嗔恚戒、第10不痴謗三宝戒、 口業についての、
第4不妄語戒、第6不説過戒、第7不自賛毀他戒、 身業についての、第1不殺生戒、
第2不偸盗戒、第3不邪淫戒の話をしました。今年は、これまで後回しにしてきた
第5不酤酒戒に焦点をあてました。この戒についての道元禅師の戒文、「不将来莫
教侵。」については長年、どう理解すればいいのか、悩んできました。今でも明確に
理解できているか自信がないのですが、現時点での私の理解の仕方について、
話しました。15名の参加者があり、うち7人が受戒致しました。




例年の通り安居中は、5月は眼蔵会、6月は坐禅に専注する接心、7月は禅戒会と、
戒、定、慧の三学を主とした5日間の行持を行いました。坐禅堂や、宿泊の場所、
台所の大きさなどから、定員を20名としているのですが、5月の眼蔵会はやや無理
をして25人の人たちを受け入れました。カリフォルニア州、ミネソタ州、フロリダ州、
メイン州などアメリカ各地のほか、南米コロンビア、ベルギー、イタリアからの参加者
もありました。「正法眼蔵」の参究に興味を持ち、遠方から多くの人々がこの小さな町
の小さな禅堂に来ていただけることを本当に有り難く存じております。ただこのことは、
「正法眼蔵」を英語で深く、じっくりと参究できる場所があまりないということでもあります。




禅戒会で、夏期安居が円成した後、2人の弟子の伝法の儀式がありました。それぞれ、
8日間がかかりますので、アイオワ州の龍門寺の法戦式に助化師として随喜した以外
は、7月はほとんど、伝法のことで終わってしまいました。




8月には、カリフォルニア州のグリーン・ガルチ・ファームで7日間の眼蔵会がありました。
「法華転法華」を講本にしました。50−60人の人たちが私の拙い英語での話を聞いて
くれました。以前から、「現成公案」で「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法す
すみて自己を修証するはさとりなり。」とある、自己と万法との関係の仕方と、「心迷法華転、
心悟転法華」との主客が正反対になっていることに興味を持っておりましたので、そのこと
を一つの焦点として話をしました。それにしても、7日間、1時間半の講義を13回、英語
だけで話すのは、大変でした。また、私の英語を聞いていた人たちにとってもかなりの苦
だったと思います。




眼蔵会が終わった後、同じくサンフランシスコ禅センターの施設であるタサハラに参
りました。ここでは、一度、道元禅師の和歌の話をした以外は、温泉に入って休養させ
ていただきました。 次の週には、シリコン・バレーの真っ只中にあるマウンテイン・ビュ
ー・禅センター、そして次に土曜日には、バークレー・禅・センターでそれぞれ「道元禅
師和歌集」の話をさせていただきました。




8月30日に三心寺に帰り、9月3日から、6日まで、週末の接心がありました。接心が
終わった後、9月10日にヨーロッパに出発しました。11日にパリに到着し、曹洞宗ヨ
ロッパ総監部に’拝登しました。法兄の関口道潤師が、総監として赴任されていました
ので、ほぼ20年ぶりでお会いすることができました。残念ながら、体調のせいで、
総監の職を辞して、1週間後には日本に帰国されるということでした。そのあと、私の
弟子が主催するフランス南部の法水寺に滞在、ついで、海抜1000メートルほどの山
の中にあるLa Demeure Sans Limites という道場で週末の接心をし、そのあと、イタリ
アのローマに飛びました。ローマから列車で3時間ほどの距離にあるアッシジを訪問
しました。聖フランシスコが住まれたところです。ローマ時代のもの、フランシスコの頃
のもの、ルネッサンスのものなど様々の時代の石造の建物が、そのまま残っているの
で驚きでした。例外はあるものの、何十年かの間隔で立て替えなければならない日本
の木造建築の文化との違いを感じました。1週間ほど滞在して9月28日に三心寺に帰
りました。




10月は、例年通り、ピッツバーグでの接心があったほかは、11月の眼蔵会の準備に追
われました。「夢中説夢」を講本にしましたが、眼蔵会が始まる間際まで、焦点が定まら
ず、苦労しました。眼蔵会が9日に終わると、すでに臘八接心が目の前に迫っておりま
した。私は、1970年の12月8日に得度を受けましたので、今年は、45年目になりま
す。ちょっと信じられないくらいの年月ですが、これまで様々な人々に支えていただい
て坐禅修行を続けてこられたこと、アメリカ中西部の田舎町の小さな禅堂ですが今で
も接心を一緒に座ってくれる人たちがいることに、感謝せずにおられません。




11月の眼蔵会が終わってからは、日曜日の法話の準備、水曜日のダルマ・スタディの
ための長円寺本「随聞記」の翻訳、次の私の著作「坐禅箴」の原稿作成に集中しており
ます。毎月の電子ニュースレターのための「道元禅師和歌集」の翻訳も進めております。




ということで、今年も接心、眼蔵会、禅戒会、日曜の法話、水曜日のダルマ・スタディ、そ
の間を縫っての旅行で、一年が終わってしまいました。




来春、3月には、家族と一緒に日本に帰りたいと願っております。




皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。







12月26日




奥村正博 九拝


三心通信 2015年4月


4月10日から12日まで、テキサス州のオースティン市に行きました。
11日に行われたオースティン禅センターの 晋山式に出席するためです。
オースティン禅センターには何度か招かれて眼蔵会をしました。今回晋山
されたのは、この5年 ほどオースティン禅センターで指導されてきた古松
McCall さんです。もとはプロテスタントの牧師さんでしたが、サンフランシ
スコ禅センターやタサハラで20年ほど修行されました。西堂として日本か
ら鈴木抱一老師 がご子息とご一緒においでになりました。鈴木老師は、
サンフランシスコ禅センターの創立者である鈴木俊隆老師のご子息
す。永平寺の単頭及び後堂もお勤めになりました。また鈴木老師の法話
の通訳として、この3月まで北アメリカ国際布教総監 を勤められていた
ルメ・大岳師も来られました。その他、サンフランシスコ禅センターの方々
が20名ほどもカリフォルニア から来られていて、式の当日は200名
ほどの参会者がありました。建物の中の仏殿兼坐禅堂では到底収容
しきれないので、 庭にテントをはって、仮の法堂をこしらえてありました。
私は、式の進退ことは殆どわかりませんので、なるべく目立たない よう
にしておりました。

4月6日から、例年の通り夏季安居が始まりました。7月6日までの
3ヶ月間続きます。私自身としては、すき好んで しているわけではな
いのですが、得度して僧籍を宗門に登録しても、首座法戦式を10年
以内にしないと僧籍が抹消されてし まいますので、弟子をもった責任
として、少なくとも希望する人には首座法戦式をする機会を作る必要
があると感じて始めま した。これまで8人のひとが三心寺の夏季安居で
首座を勤めました。首座の人には、3ヶ月間三心寺に安居し、毎日の
坐禅と 法戦式のほか、安居中の日曜日の坐禅会には、法話をしても
らうことにしています。だいたい、毎年、7−8回の法話を首座 がする
ことになります。
今年の首座は、無相・ジム・ビッグスさんです。長年、前角博雄老師が
創立されたロスアンゼルス禅センターの系統で 参禅してきた人です。
前角老師の嗣法の弟子の方に得度を受け、法戦式もしたのですが宗門
に届けていなかったので、もう一 度しなければならないのです。公案禅に
馴染んできた人ですので、無相さんの法話も公案についての話です。こ
れまでに首座 をしてきた人や、いつもの私の話に慣れている人々にとっ
ては、戸惑いと興味が相半ばしているようです。

5月6日から5日間の眼蔵会が始まります。25人の参加者があり、今回
も眼蔵会中は小さな坐禅堂は満杯になりま す。正法眼蔵に興味を持つ人
がこれほどたくさんいて、カリフォルニア、ミネソタ、フロリダ、メイン、ニュー
ヨークなどア メリカ各地から、遠路飛行機や自動車で来てくれます。ベル
ギーとイタリアからの参加者もあります。
今回は「渓声山色」を講本として参究いたします。数年前にも一度眼蔵会
で講読したのですが、その時は別の人の英語 訳をテキストにしました。
今回は、自分で訳したものを使います。学生時代から、谷川の流れの音
が佛の説法の声、山の色が 佛の全身だというような、いわば汎神論
(汎佛論?)か、あるいはアニミズムのようにも聞こえる表現と、初期仏教
の四諦八 正道のような教えと、同じ宗教とは思えないほどの違いを感じ
ていました。長年のあいだ、疑問でした。最近ようやく、少し ばかりのつ
ながりが見えてきました。今回はそのような視点から、「渓声山色」を読
み直してみたいと考えております。

2015年4月30日


三心通信 2015年 3月

 去年ほど極端な寒波はありませんでしたが、寒くなったり温かくなった
りをくりかえしながら、かなり長い冬でした。ようやく春の日差しになり、
小鳥たちが賑やかに鳴き始めました。水仙があちらこちらに咲いています。

 道元禅師和歌集の中から、四季の和歌を 十四首選び、英語訳と私
の解説をつけた、Zen of Four Seasons: Dogen Zenji’s Wakaが昨年の
11月に刊行されました。10周年記念の時に内山老師の「生死法句詩抄」
の小冊子を製本していただいたジム・カナリーさんに今回もお願いしまし
た。ネパールから取り寄せた手漉きの紙に印刷し、分厚い表紙をつけ
た和綴じ本で、1冊づつの手作りです。500冊印刷する計画でしたが、
5ヶ月かかってようやく半分の250部が出来たばかりです。お陰様で
好評で、すでに200部ほど買っていただきました。ファンド・レイジング
の一環として作成し、手間暇かけた製本ですので、1冊50ドルとかな
り高価なものになりました。買っていただけるかどうか不安でしたが、
多くの人々に趣旨を理解していただけました。

1月末から2月初めにカリフォルニアに行って、5つの禅センターで
法話をした時にこの本の中の和歌の幾つかについて話しました。
この本のイントロダクションに、有名な

春は花、夏ほととぎす 秋は月
 冬雪消えで すずしかりけり

 を選びました。この和歌がどうして「本来の面目」と題されるのかから話しました。

 「従容録」の第1則は「世尊陞座」です。ご存知のように、ある日釈尊が
説法のための高座に上がられ、人々は法話が聞けると待ち構えてい
たのですが、釈尊が何も言われない間に文殊菩薩が白槌して、
「諦觀法王法。法王法如是。( 法王の法を諦觀せよ。法王の法は
是の如し。)」と宣言された。すると釈尊は何も言わずに法座から
降りられたというお話です。

おそらくこれは、「維摩経」の「入不二法門品」の維摩の一黙の話
に基づいて作られた、禅文学に多く出てくる同類の話の一つなの
でしょう。諸法実相、絶対の真実は言葉や思惟を超えたもので、
何かを言葉で言えばすでにはずれている。沈黙以外に表現の方法
はないというメッセージなのでしょう。ただ注意しなければいけない
のは、釈尊や維摩の沈黙がそのような相対を超えた絶対的な真実
を表すものだと、狂言回しの文殊菩薩によって「説明」されなければ
これらの話は成り立たないということです。「言辞相寂滅」ということ
すら、言葉で言わなければメッセージとして伝わらないからです。
ところで、この則に宏智禅師がつけられた頌は次のようなものです。
 
一段の眞風見るや也麼や。
 綿綿として化母、機梭を理む。
 古錦を織り成して 春象を含む。
 東君の漏泄を奈何ともすること無し。

この頌は、言葉や思惟を超えた絶対の真実、は現象界を超えた何か
神秘的な原理ではなく、むしろ現象そのものだということだと思います。
「化母」、造化の主が間断なく機織り機を操作して、布を織りだしている。
その、縦糸(時間)と横糸(空間)で描かれている模様が、春なら春の
様々な風景だということでしょう。
 「東君の漏泄」というのは文殊の発言は要らざる口出しだということな
のでしょう。しかし、もう一つ言わなければならないのは、文殊の口出し
さえも、時間と空間の中で、因縁、縁起によって、描かれる春夏秋冬の
模様の一部分なのだということです。それを排除しなければ諸法実相に
ならないというものではないということだと思います。

 道元禅師が「正法眼蔵」その他の膨大な著作を残されたり、和歌を書か
れたのも、文殊の口出しも、諸法実相の一部だということ、あるいは諸法
実相はそのように表現されなければ諸法実相として認識されないというこ
とでしょう。

3月1日から16日まで、研鑽僧として永平寺から深沢亮道さんが三心寺
に滞在されました。日本からの修行僧が来られたのは今回が初めてで
した。永平寺のような大きな修行道場とは違って、中西部の小さな大学
町の、小さな禅堂ですので、その違いに驚かれたことと思います。週末
の接心、水曜日夕方の勉強会、日曜日の坐禅会などに参加していただ
き、お袈裟の把針もしていただきました。イタリア人の弟子が嗣法のた
めに滞在し、一緒に過ごしていただいたので、ヨーロッパの曹洞禅の様子
を少しは理解されたと存じます。真面目な若い修行者にお会いすることが
できて、頼もしく感じました。今回の滞在が亮道さんの将来にとって意味
のあるものであるようにと願っております。

 4月5日に降誕会があります。その次の日、6日から7月6日まで3ヶ月
の夏季安居が始まります。


 3月31日

 奥村正博 九拝





三心通信 2015年 1月、2月

 

2015年も既に2月が終わろうとしています。 正月は穏やかだったので
すが、1月下旬からまた寒くなりました。いまでも最高気温が0℃を越え
ない日々が続いています。例年よりも降雪は少なく、駐車場の雪かきを
頼まなければならなかったのは先週の週末一度だけでした。日照時間
は毎日少しずつ長くなり、春が確実に近づいているのを感じます。

1月22日から2月3日までおよそ2週間、 昨年と同じくカリフォルニアに
滞在しました。モントレィ・ベイ・禅センター、サンタクルーズ・禅センター、
マウンティン・ビュー・禅センター、ソノマ・マウンティン・禅センター、
グリーン・ガルチ・禅センター、を訪問して話をさせていただきました。
今回は、昨年出版された The Zen Teaching of “Homeless” Kodo
(「宿無し興道法句参」の英訳)と Zen of Four Seasons: Dogen Zenji’s Waka
を紹介することが主な目的でしたので、どのセンターでも沢木老師の法句、
内山老師の参について、あるいは道元禅師の四季の和歌の幾つかに
ついて話しました。おかげさまで両書とも好評をいただいております。

日本では、昨年が沢木老師の五十周忌で、安泰寺で法要が行われたと
聞きました。アメリカ式の数え方では、今年の12月が沢木老師没後五十年
になります。 ミルオーキー禅センターの洞燃・オコーナー師 がフランス語訳
から英語に訳された沢木老師の「証道歌を語る」が、もう直ぐに出版されます。
私の The Zen Teaching of “Homeless” Kodoも「トライシクル」という仏教雑誌
に、私のインタビュー記事としてかなり大きく紹介されました。「証道歌を語る」
も、その抜粋がもう一つの仏教雑誌、「ブッダダルマ」に掲載されるとのことで、
沢木老師の紹介の文を書くように依頼されております。 

ヨーロッパと違って、アメリカでは沢木老師は余り知られておりませんでした。
内山老師の著作は「生命の実物」、「人生料理の本」、「辧道話を味わう」、
「現成公案を味わう」などの英語訳が出版されていますので、沢木老師より
も内山老師の方が広く知られています。これまで沢木老師の教えは宗務庁
の教化資料として出ていた旧訳の「宿無し法句参」だけでした。五十回忌を
機縁として、沢木老師の教えがアメリカの人々により広く知られるようにと
願っております。

ソノマ・マウンティン・禅センターに行った機会に、秋山洞禅さん、
大賀秀子さん、グラハム・ペティーさん、ハワード・ラザリーニさん、
マイケル・ホフマンさんなどの旧知の人々にお会いすることができました。
 秋山洞禅さんは、沢木老師の在家の弟子だった人で、老師の没後に出
家得度された太田洞水老師に出家得度を受けられました。その後転師さ
れましたが、沢木老師、内山老師の教えられた通りの坐禅をミルオーキー
の禅センターで指導されました。同禅センターをお弟子の 洞燃・オコーナー師
 に譲って、現在は悠々自適の生活をされています。グラハムさんは
鈴木俊隆老師の最初期からのお弟子で、西洋人として初めて永平寺に
安居された方です。50年前、沢木老師が亡くなられた頃、安泰寺でも
参禅され、沢木老師の49日間の接心葬にも参加された方です。その後、
東京と大阪で英語学校を運営されていました。私が1972年に安泰寺に
入って英語の勉強をさせていただいたのはグラハムさんの学校ででした。
大賀秀子さんは、グラハムさんの元の奥様で、私の兄弟子の故市田高之
さんの奥さん、みどりさんとは学生時代からのお知り合いです。マイケル
さんは70年代から安泰寺に来られていて、毎週一度、私と英語で話を
するために安泰寺に来てくれました。いわば最初の英語の家庭教師で
した。長年日本で墨絵の勉強をしていましたが、数年前にこちらに戻り
ました。 今回、The Zen Teaching of “Homeless” Kodo のために沢木老師、
内山老師、私の墨絵の肖像を描いてくれました。ハワードさんも同じ頃
安泰寺に坐禅に来ていた人で、私が1975年にはじめてアメリカにきた時、
バークレイに住んでいて、私と永晋さんをグリーン・ガルチに連れて行って
くれた人です。数年前からシアトルからブルーミントンの三心寺まで接心や
リトリートに来るようになり、一昨年三心寺で受戒しました。

長く生きていると、昔からつながりがある人と再会できることが何よりの
喜びです。もう一人、1980年代の初め、私が京都禅センターの活動を
始めたころ、一緒に坐禅し、私の一番最初の英語の坐禅の解説書
Shikantza: An Introduction to Zazen の翻訳を手伝ってもらい、坐禅の
仕方解説写真のモデルにもなってもらったレスリー・プラッチさんとも
30年ぶりに再会しました。シカゴに住んでいて、この1月から接心に
来るようになりました。

20日には例年通りアイオワ州の龍門寺に行きました。故片桐大忍老師
の法嗣で、瑞応寺、聖護寺で修行された彰顕・ワインコフ師が創建された
お寺です。アイオワ州の農業地帯の真ん中にあり、広々とした風景ですが、
気温はブルーミングトンよりもずっと低くなります。龍門寺では、年に2回
安居があり、その度に首座法戦式があります。私は、助化師として、その
都度随喜しております。

2月中は接心もなく朝の坐禅だけでしたが、明日から3月、春の差定が
始まります。5日から接心があります。また心を引き締めて、精進して
まいります。

2月28日

奥村正博 九拝