三心通信 2014年 9月、10月
一昨
日、かなり強い雨風が、ほぼ一日中続き、
落葉してしまいました。
口にくわえて、あちらこちら忙しそうに走り回っています。
の風景です。
8月、ヨーロッパから帰ってからは、11月の眼蔵会の準備に専念
今回は「正法眼蔵佛向上事」を参究します。
の佛向上事についての会話と道元禅師のコ
した。
禅師の「啓迪」のこの部分は、
書き込みも加えながら、何度も繰り返し読みました。
何が問題になっているのかがピンときませんでした。
やその註解、解説を読んで、
のような意味を持っているのかを考えました。「語話」「
問題になっているのは、
の洞山と潙山、
て、「無情説法」は、
慧忠が最
それで、「祖堂集」「景徳伝灯録」
「景徳伝灯録」第28巻に収録されている諸
来た僧との禅問答としてはかなり長い会話に出てく
最初には、道元禅師が「辨道話」
批判、
ます。慧忠の南方の禅についての批判に対して、
についての説を問いただし、
なく、「
です。つまり、
それとは違うとして、無情説法を説き始めるのです。
南方の心常相滅説の禅とは、馬祖の洪州宗、
くとも、
諸人、各、自心是佛、此の心即佛なるを信ぜよ。達磨大師、
に来至し、
の馬祖の言う上乗一心が衆生のなかにある常住な心なのか、
しょう。
洞山良价は、少年のころ、馬祖の弟子五洩霊黙につき、
潙山など、馬祖系の人に従っています。
無情説法について質問し、
て問答をするのです。洞山にとっても「無情説法」「
だったのです。なぜ、洞山が慧忠の「
について、
だったからではないかと推測されています。
このあたりの事情が分かってきて、ようやく「佛向上事」
意味が分かりかけてきました。
10月には、例年のようにピッツバーグの週末接心に行きました。
「学道用心集」を講義してきましたが、
1995年から毎年のように行っています。
いる人も何人かいます。
したリトリート・
ほどになり、最年少の人が60歳だとのこと。
もつかわからないということで
10月16日に
から予定通り出版されました。「
沢木老師50回忌までに出版できるようにと願っておりましたが、
間に合いました。謹んでお供えさせていただきます。
沢木老師、
願ってお
一つ一つの法句と参についての私の説明を付けましたので原本より
かなり大きな本に成りました。沢木老師、内山老師の鋭く、
表現に私の解説を付けるのは蛇足以外の何物でもありません
の歴史や文化、これを書かれた1960年当時の日本の社
そして、仏教や禅、
たちにはお役に立
沢木老師の短い伝記も書かせていただきました。
当初は、私の解説は脚注程度にするつもりでしたが、
沢木老師の法句、内山老師の参と並んで、
肖像まで、
ことと恐縮しております。
10月 30日
奥村正博 九拝
三心通信 2014年 4月、5月
4月の30日から5月の5日まで、5日間の眼蔵会があり、月末にはその準備に
追われていて、三心通信が書けませんでした。それで、4月分と5月分を一緒
に書いております。
3月の通信にお彼岸が過ぎても桜の蕾みは固いままだと書きましたが、その
ころでも、何度も氷点以下に温度がさがったもので、花の蕾みが被害を受け、
今年は桜や桃の花が殆ど咲きませんでした。寂しい春となりました。4月中も
寒さが続き、冬の衣装のままでした。五月に入ってようやく暖かくなり始め、
中旬には例年と変わりない新緑となりました。
4月の9日に今年の夏期安居の首座である、道龍さんがイタリアのローマか
ら到着し、翌日10日から安居が始まりました。道龍さんは、奥さんの行悦さん
と共にフランス人の雄能・レッシ師から、10年程前に得度を受けたのですが、
事情があって、2011年に師僧替えして私の弟子になりました。それ以降2人で、
毎年2回乃至3回、三心寺の接心や眼蔵会に参加しています。職業としては、
坐禅を始める前からともにダンサーです。ローマでダンスを教えているスタジ
オが、週末や坐禅がある時には坐禅堂になります。
2人が出版社に働きかけて、私の「現成公案」の解説書Realizing Genjokoan
がイタリア語に訳され出版されました。その出版の機会にローマに行き、ロー
マ大学やイタリアの仏教協会で話をしました。2冊目のLiving By Vow (誓願
に生きる)も現在翻訳作業が進行中です。
例年、夏期安居中は、首座が日曜日の坐禅会の法話をする事になっていま
す。道龍さんはこれまで4回法話をしました。カトリックの国のイタリアで仏教
の僧侶になった者として、キリスト教と仏教、特に曹洞禅との違いや似ている
ところをどのように理解しているかと云うことを主にテーマとしています。アメリ
カ人の参禅者にとっても関心のもてる話です。聞きにくる人は15人程と少数
ですが、異文化、異宗教の出会いの場となっています。
5月の眼蔵会では、「正法眼蔵画餅」を講本にしました。「画餅」と云うのは、
日本人にとっては、「絵に描いた餅(もち)」で、糯米を蒸して、杵でついた白く
て丸い、主にお正月のお飾りにしたり、雑煮にいれたり、焼きもちにして食べ
るものというのが、殆どの人が持っているイメージだと思います。「画餅」の提
唱本などでもそうなっています。私の手元に5つの「画餅」の巻の英訳があり
ますが、どれもみな、「餅」はRice Cakeと訳されています。私もそのように訳
して、この眼蔵会の直前まで何等疑問を持っていませんでした。
「画餅」の巻の中に「雲門胡餅」の公案が引用されています。その英語訳を見
ようと、Urs Appさんの著書、Master Yunmenを見ると、脚注に「胡餅」の説明
がありました。Appさんの中国人の友人の説明によると、「胡餅」は、小麦粉を
水で溶いた生地をオーブンで焼いて、胡麻をまぶした、直径4?6インチほどの
丸い平面型の食品だとの説明がありました。この説明を読んだ時には、「胡餅」
はそうなんだろうとしか考えなかったのですが、眼蔵会の直前になって、気にな
り出し、Wikipediaで調べたところ、中国には米で作った餅は稀にはあるが、地
域的にごく限られていると云うことでした。中国語の「餅(bing))は米を蒸して、
杵で搗いたものではなく、小麦粉の生地を焼いたものだったのでした。月餅と
いう中秋の明月の時に食べる有名なお菓子がありますが、あのようなものを
想像すればいいのでしょう。
それで、中国語の「画餅」をRice Cakeと訳すのは明らかに誤訳だと云うことが
分かりました。それで、中国出身で、昨年までブルーミングトンに在住して、三
心寺で坐禅をしていた、大学院の博士課程にいる人に「画餅」の「餅」を英語に
訳すとしたら何と訳すかと尋ねました。材料としてはパン・ケーキのようだけれ
ども、アメリカのパン・ケーキよりはずっと分厚い。ケーキと訳すと、アメリカ人
はバースデイ・ケーキのようなふわふわのものを思い浮かべるだろうし、
biscuit(ビスケット)が近いかなと云うことでした。アメリカで云うビスケットは、
日本のものとはちがって、小麦粉の生地を、ベーキングパウダーで膨らませ
てあり、円形で平面です。
「画餅」と云う言葉が、日本語だとすれば、rice cakeと英語に訳しても間違い
ではないのですが、道元禅師が「画餅」の巻で書かれているのは全てが、
中国の禅の文献からの引用です。道元禅師ご自身がこの巻を書かれた時
に頭に浮かべておられたのは、どうしても中国の「餅(bing)」でしょう。ご自身、
中国で見たり食べたりされた具体的な食品だったでしょう。英語に訳すのにど
うすればいいのか、困りました。結局、英語のpancake, cake, biscuit,どれも
ピンと来ないので、翻訳は rice cakeのままとし、講義の中で、その事情を
説明しました。どのように訳しても、道元禅師が「画餅」の巻で説示されている
仏法としての内容とは、余り深い関係はないのですが、我々が頭に画く
イメージにはかなりの違いが出てきます。抽象的、哲学的な用語も訳すの
が難しいですが、このように日常的、具体的なもので、地域や文化によって
違うもの訳語を探すのも難しいものです。
5月26日
奥村正博 九拝
三心通信 2014年 3月
今年は、例年になく寒く、長い冬でした。いつもでしたら、
には、たとえ雪がまだ地面に残っていても、
の花が咲き始めるのですが、
は氷点下に下がりました。月末に近づいてようやく、
一つ二つ花をつけ始めました。
ですが、
一年間、道元禅師和歌集の中から、
ミュニティのeNewsに連
行しています。
記念に作成した、内山老師の「生死法句詩抄」
う企画です。
春は花、夏ほととぎす 秋は月
冬雪消えで すずしかりけり
1968
年、
際
れて以来、道元禅師の和歌としては、
川端康成は、大阪府立茨木高校の先輩です。私が在学中の1966
の創立80周年がありました。その年の文化祭の折、
川端康成が講演に来られました。
川端康成の話の途中で退席しました。壇上に上がって、
が、テーブルの上にあった、コップの水を呑んで、
いうものでした。その前から川端康成は「
全集や世界文学全集を手当り次第に乱読していたころにも
著作を一つも読んだことはありませんでした。
その頃私はアルバイトで貯めたお金で太宰治の全集を買い、
していて、太宰治が芥川賞の候補になった時に、
徳なし」と評したので、
響していたの
ちなみに、
つも読んでいません。
ですので、川端康成によって、道元禅師の「春は花、、、」
知られるようになったときも、「それがどうした」
むしろそれ以来長い間、
した。
道詠の研究」「道元禅師和歌集新釈」などは、
したが、「正法眼蔵」や「永平広録」、
ものとは思えませんでした。
道元禅師の和歌を英語に訳し、短い解説を書くことに決めたのは、
一度の仕事として、
しかし、
春の花、夏の草木の緑、蛍の光、蝉の鳴き声、秋の月や紅葉、
など山水や花鳥風月と云った昔ながらの、
キ絵、観光名所の絵はがき、
マンネリ、紋切り型、
大学時代にふと聞いた邦楽の歌詞に、「我も虫なる虫時雨」
有りました。
何故か心に残って、それ以来、
生きることが私の人生の
私が呼吸したり、考えたり、泣いたり笑ったりしている力と、
散ったり、風が吹いたり、
だと内山老師から教わりました。
道元禅師の和歌が表現しているのも、
利用したり、搾取したり、
自然ではなく、 自他未分の自己を含んだ自然だと思います。
陳腐なのは、人間の感性や表現の仕方であって、
に新鮮で、「今ここ」だけのものでしょう。
しかし、
が、
自信がありませんでした。案に相違して、
和歌を集めて本を作りたいと云う申し出があって、
4月の10日から、夏期安居が始まります。今年は、
変化がなく、
日本でも、
様々な天変地異が起っているとのこと、
お過ごし下さいませ。
3月31日
奥村正博 九拝
三心通信 2014年 1月、2月
2014年
も既に2月が終わろうとしています。
正月は穏やかだったのですが、その
後すぐ、およそ20年ぶりとい
寒波が中西部から東部を襲いました。
りました。
それ以後も、
2月の最後の日である今日も、午前11時現在、
わらず、−7℃です。
1月23日
から2月3日までおよそ2週間、
タクルーズ・禅センター、
センター、ソノマ・マウンティン・
などを訪問し、
ありましたが、そうでない所では、
The Zen
Teaching of “Homeless” Kodo (「宿無し興道法句参」の英訳)
中から何カ所かを紹介しました。
サンフランシスコの近くでは、
花が咲いていました。ただ、昨年の11月から一度も雨が降
日本でも異常な大雪が降ったとのこと、
2月3日にブルーミングトンに帰って、
に行きました。
オリエンテーション。次の日から、午前と午後、
14日の午前まで、
眼蔵会よりも、
「佛性」は、私の翻訳ではなく、ノーマン・
います。もと、
されたものが、他の8巻と「
大学の出版局から
として出版されたものです。
せんので、
今回は、「佛性」の巻を最初から読むのではなく、最初の回は、
歴史の中で、佛性、(如来蔵)
仏教全体に受容され、
話しました。「
中国の臨済禅、曹洞禅、
いい程違うことを最初に聴講する人々に銘記して
その後、「佛性」の本文に入り、最
初から順を追って話しました。
佛性だと云うこと、
なものが出てくる基盤のようなものではない
「無佛性」
時間をかけて丁寧に参究する必要があると
最初、2、3日は少し寒かったですが、途中から暖
かくなり、
越えて初夏のような天気になりました。
15日にブ
ルーミングトンに帰り、
アイオワ州の東北部で、殆どミネソタ州、
の空港はウィスコンシン州のラ・
当日は快晴になりました。
広がっているトウモロコシ畑は一面真っ白で、
に吹き飛ばされて、
龍門寺では、年に2回安居があり、
助化師といて、
アメリカは何と言っても広大なの
で、
少し前までは、
のですが、
限界を感じるようになりました。これからは、
旅行はありません。