三 心通信 2013年12月

 

毎年、臘八接心は12月1日の午前4時から、7日の深夜12時まで
坐っております。差定は京都の頃の安泰寺と同じく、1?50分の坐
禅を14?です。2年前から、私は椅子に坐っていますので、昼食後
の2?はYMCAに行って、1時間歩き、ストレッチをし、シャワーを浴
びることにしています。椅子坐禅が足を組んで坐るよりも楽なのは
足だけで、上体の体重を腰だけで支えますので、バランスが取り
にくく、腰への負担は随分大きく、運動をせずに1日14?坐ることは
私には出来ません。

8日の朝、坐禅堂、其の他の掃除、あと片付けが終わって、参禅の
人達と話すとき、毎年決まって、12月8日は私の得度の記念日だと
た日に得度していただきました。安泰寺では臘八接心とは呼ばれず、
例月の5日間の山内接心で、たまたま、最終日が8日でした。得度式
があるので、朝6時までの暁天坐禅で接心が終わりました。坐禅堂
から、外に出ると、東山の少し上に明けの明星が輝いていました。
得度式が終わってからの茶話会のときに、内山老師が、「悟りを開
かなくても、明星は輝いているのだと云うことを悟った」と言われた
ことを、今でも覚えております。

それから、今年は43回目の臘八接心になります。臘八接心と云う
名前で呼んだかどうかは別として、12月のこの時期に、接心が出

来 なかったのは、1度か2度しかなかったと思います。この間、毎
年私と一緒に坐ってくれた人達がありました。自分一人で接心を坐
ったことは一度もありません。専門僧堂のような大きな道場で坐禅
したことのない私のようなものに取っては、これは奇跡に近いことだ
と思います。その人達一人一人に御礼を申したいと存じます。私が
坐禅を続けてこられたのはその人達の御陰です。

接心中にかなりの雪が降りました。そのあと、2週間程は寒くて、
最高気温が氷点下になるかならないかの日々が続き、雪はずっと
地面を覆っていました。先週始めて、最高気温が10℃を超えて、
雨が降った日があり、雪は消えてなくなりました。本日も、最高気
温は12℃で、よく晴れて穏やかな日でした。お正月までこのような
天気が続けばいいのですが。

この通信でも何回か書きましたが、2015年は沢木興道老師の
没後50周年になります。それに合わせて、内山老師の「宿無し
興道法句参」の新しい英語訳を作り、私の解説を加えて出版す
ることを願って来ました。今年の夏に出版社に原稿を送り、現在、
最終原稿が仕上がる目前です。2014年の秋には発行される
運びになりました。日本での計算の仕方では、2014年の12月が
沢木老師の50回忌になります。それまでにかろうじて間に合い
そうなので、喜んでおります。

また、ミルォーキー禅センターの洞燃・オコーナー師が何年も前
から、沢木老師の「証道歌」の提唱のフランス語訳から英語に訳
する仕事に取り組んでおられましたが、それがようやく出来上が
り、2014年の春には、アメリカの小さな出版社から、発行される
とのことです。今、最終原稿作成の大詰めですが、訳文のチェッ
クのお手伝いをさせていただいています。

沢木老師の没後50年を機会に、そのお教えが、英語で出版され
ること、そして自分が少しでもそれに拘ることが出来ることを有り難く存じます。

今年6月の三心寺創立10周年の記念として、内山老師の「生死
発句詩抄」の和英対訳本を作らせていただきました。200部作成
したのですが、御陰さまで好評で、残部は殆ど無くなりました。
第2刷を作ろうというアイデアもあったのですが、私は、それよりも、
老師が、「生死発句詩抄」の解説をされた「生死を生きる:私の生
死発句詩抄より」を英語に訳したいと考えております。老師が此れ
等の本を作っておられた頃には、私はまだ40歳前で、「老い」とい
うのは、私に取ってはまだまだ先のこと、「そのうちに」勉強させて
いただこうと思っておりましたが、その頃の老師の御年齢に近くな
って来て、「今しかない」という気分になっております。私と一緒に
坐っている人達、私の知っている、長年坐禅を続けているアメリカ
の人達に私と同じくらいもしくは年長の人達が沢山居られます。ま
た、老齢の両親の世話をしている人達も多くあります。その人達の
ために、元気で接心が出来る間だけの禅修行ではなく、「生死丸ご
との生命を生きる修行」として、内山老師のお教えを自分のこととし
て参究させていただき、アメリカの人たちにも紹介して参りたいと願
っております。

 

今日は28日、明日は、今年最後の日曜参禅会です。

皆様、どうぞ良いお年を御迎え下さいませ。

 

 

12月28日

 

奥村正博 九拝

 



三 心通信 2013年11月

 

今 月の11日に眼蔵会が終わった時点で、殆ど落葉が完了し、
緑陰につつまれる夏とは違って、空がカラッと大きく見え、世界が
明るくなりました。毎年同じ、晩秋の風景です。眼蔵会の参加者
の人達が、毎朝30分の掃除の時間に落ち葉掃きをしてくれまし
たが、それでも境内の地面はどこもかも落ち葉に覆われ、それこ
そ錦を敷き詰めたようでした。眼蔵会が終わった次の日には、
その上にうっすらと雪が積もりました。道元禅師の和歌集にある
長月の紅葉の上に雪ふりぬ、見ん人誰か歌をよまざらん」と云
う一首と似たような風景になりました。今年の春から、三心寺の
ウェブサイトのEnewsに、「道元禅師和歌集」から四季を詠まれ
た歌を毎月一首選んで、英語に訳し、短い解説を書いておりま
す。今月分はこの歌です。まだ樹上に有り、山々を覆っている
紅葉ではなく、落葉した紅葉ですが。

そ れから今に至るまで、落ち葉掃き作務が続いています。
昨年はアイスランドから来た30歳前後の若い人が10月から春
月まで、半年ほど三心寺に滞在して参禅していて、落ち葉掃
きも彼が主にやってくれたのですが、今年は殆ど私一人でした。
先月、安物のブロアーのことを書きましたが、使いすぎたためか、
うんともすんとも言わなくなってしまいました。それで、熊手だけ
で作業を続けています。他の仕事もあり、庭掃きが出来る日も
せいぜい1時間程しか時間が無く、まだ完全には終わっていま
せん。

日 本では「落ち葉焚き」という言葉がありましたが、こちらでは
市街地での焚き火は禁止されています。普通の家庭では、市で
指定された落ち葉専用の紙袋を買って、それに詰めてゴミと同
じように、落ち葉収集の日に出します。お寺の庭は結構広くて、
袋に詰めるとすれば、何十、あるいは百以上にもなりそうです
ので、とても出来ません。庭にある大きな樹木の周りに集めて
います。いずれ腐って、堆肥になり、循環してまた樹木の栄養
になるだろうという考えです。

 

今 回の眼蔵会では、拙訳の「古鏡」を講本にしました。この巻は
六祖慧能の「本来無一物」の偈や、南嶽懐譲、雪峰義存と玄沙
師備、あるいは三聖慧然との「古鏡」あるいは「明鏡」についての
問答が主になっています。此れ等の中国の祖師方が「鏡」をテー
マに問答しているとき、その前提に華厳宗の元首大師法蔵が、
重々無尽縁起を則天武后に説明する時に使った、十面の鏡を部屋
の中に並べ、その中央に仏像、灯火、明珠をおいて、八方、上下ど
の鏡にも他の鏡に移っている像が無限に映っているという装置が
暗黙の前提になっていると思います。法蔵の鏡の装置の場合は、
仏像や、ロウソクの火や明珠は鏡ではありませんが、現実の法界
を一つの鏡とした場合には、映っている一つ一つの物もまた鏡の
一部であり、鏡と鏡が映している物体との区別はありません。その
ような縁起の構造のなかで、個人や個物と縁起の帝網(インドラ
ズ・ネット)全体との関係、また個物同士の関係はどうなのかを問
いかけ、表現しようとしているのだと思います。

道 元禅師が「古鏡」の巻を書かれている時に、華厳の教学を頭
に浮かべておられたとは思いませんが、中国の祖師方が問題に
されていることを理解するためには、華厳の重々無尽縁起の説明
が必要だと思い、随分久しぶりに華厳関係の解説書を読みました。
英語で華厳宗学について書かれた物は、私の手元には3冊しかな
くて、本当にごく基本的なことしか英語では話せませんでしたが、
そういう基礎知識がなければ、道元禅師が「古鏡」の巻で、何を言
っておられるのかも分からないと思います。

眼 蔵会を続けている御陰で、初期仏教や大乗仏教の様々な教説
も視野に入れて勉強しなければなりません。アメリカにいますので、
使える資料や書物も限られていて中々大変ですが、手間、暇、時間
をかけた参究の仕方が出来ることを感謝せずにおれません。何年
か前まで、旅行が多くあちらこちらを飛び回っていた頃にはとても
出来ないことでした。内山老師が仏法を参究するには生活が暇で
なければならないと言われていましたが、誠にその通りだと思い
知っております。

 

明 日から、臘八接心が始まります。ことしも又終わりに近づい
てきました。

 

11月29日

 

奥村正博 九拝



三 心通信 2013年10月

 

10月下旬になってから、急に気温が下がり、時 には氷点下になる
こともありました。紅葉が急に進み、赤、朱色、黄色、茶色、まだ緑
のものなど、濃淡さまざまな美しい色で、ブルーミングトンの町が染
まりました。今日は、暖かくて20°Cくらいまで温度が上がったのです
が、朝から雨が降り、かなり強い風が吹いております。これまでゆる
やかだった落葉が、一気に進み、お寺の建物の西側にある苔庭は、
落ち葉に覆われて、苔が殆ど見えないくらいになりました。地面が
乾くと、落ち葉掃除をしなければなりません。境内は結構広いので、
人数がいないと、大変な作業になります。私は最近、熊手や箒では、
はかどらないし身体にも答えますので、電気のブロワー(送風機)で
落ち葉掃除をするようになりました。小さくてパワーがないものなの
で、時間はかかりますが、腰を曲げなくて済むので楽に作業が出来ます。

今 月は10日から14日にかけて、ピッツバーグに行きました。1995年
から20年近く毎年、Stillpoint Sanghaという在家の人達ばかりの
坐禅グループの週末のリトリートでした。この数年間「学道用心集」
の講読をしております。今回は第7則「仏法を修行し出離を欣求する
人、須く参禅すべき事」を3回に分けて話しました。宗派根性が全く
ない、寧ろ宗派と云うことに反発するが故に特定の指導者を持たな
いで、在家の人達だけで20年も坐り続けている人たちに、禅宗の教
宗に対する優越を説いているように読める箇所を、宗派の事ではな
く、自己の人生態度として、話すのに苦労しました。最後の、「法我
を転じ、我法を転ず」と云う箇所は、まさにそのことを言われている
のですが。

19日に、2年程前から、三心寺に 来だした老夫婦の奥さんがガン
で亡くなられました。70歳そこそこの方で、17年前に乳がんの手術を
し、その後ずっと元気で居られたのが、今年の春先に再発したのでし
た。今年の7月に受戒をする事を希望し、絡子を縫い始められたので
すが、諸般の事情で把針を続ける事が出来ず、来年にと行っておら
れたのですが、8月になって、来年まで生きておられるかどうか分か
らないと言う状態になったので、家内や何人かのサンガの人達が彼
女のために絡子を仕上げ、9月の末に、御自宅で受戒の式を行いま
した。その時には既に、殆どベッドにいて、起きていられるのはせい
ぜい30分くらいと云うことで、受戒の式も出来るだけ簡略にしました。
人に支えられてやっと歩けるという状態でした。10月に入ってホスピ
スに入り、一時自宅に帰られたのですが、転んで骨折し、またホスピ
スに戻られて、其処で亡くなられました。受戒したいというご希望をか
なえてあげられたのが、私には救いでした。

11月6日から眼蔵会があります。今回は拙訳 の「古鏡」を講本にし
ます。難解な巻の一つですので、この夏からずっと参究を続けてきま
した。巻全体の構造は私なりに理解できて来たと思いますが、どうし
て英語で説明できるか、まだ悩んでいます。

 

10月31日

 

奥村正博 九拝


 


  三 心通信 2013年8月、9月

 

今 年は4月から7月の末まで、例年の行持だけでなく、三心寺の
創立10周年の記念行事が入りましたので、ことさらに忙しい夏でした。

8月は少しゆっくりとできて、家内とコロラド 州に旅行しました。
ささやかな結婚30周年でした。州都のデンバーから自動車で5時間程、
コロラドの山の中にあるスティーム・ボート・スプリングという冬のスキー
場として有名な町に滞在し、ストロベリー・ホットスプリングという温泉に
行きました。町から車で20分ほどの本当の山の中で、この温泉以外に
は何も無い所でした。野外でかなり広く、温度もかなりたかく、3日
間通って、命の洗濯をすることができました。

こ の旅行以外は、三心寺に居て、11月の眼蔵会の講本にする
正法眼蔵古鏡」の英語訳に専心しました。

9月に入って、5日間の坐禅だけの接心があり ました。いつもの
ように10人程のこじんまりとした接心でした。これまで、1月は3日間、
3月、6月、9月は5日間、12月の臘八接心は7日間と年に5回、内山
老師が居られた京都の安泰寺での接心と同じ差定で坐っておりました。
1日14炷の坐禅だけで、お経も、作務も、応量器をつかった食事も、
行茶も、「独参」と称する参禅者との一対一の会話も、何にも無い接心
には多くの人は来ません。それでも、こう言う接心は外では殆どありま
せんので、本当に坐禅に専注したいと言う少数の人々が、カリフォル
ニアやフロリダ、ミネソタなどの遠方からも来てくれます。

た だ私は、よる年波で、5日間の接心が終わると、少なくとも2、
日間、時には4、5日間も、何もする気力が無くなるようになってしま
いました。気力と体力を使い果たしての、ある意味充実した虚脱感(?)
のようなもので、悪い感じではありません。しかし、と云うことは接心
中を含めて、接心のある月は、ほぼ10日間、月の三分の一は、外の
仕事は殆どできないと云うことになります。これまでは、そう言うこと
があっても、接心が一番大切と思ってやってきたました。1969年の
正月、20歳で駒沢大学の学生だった時にはじめて京都、玄啄に
あった安泰寺の接心に参加させていただいてから、45年間、この
接心を勤めさせていただいております。然し、来年からは、1月、
3月、9月の接心は3日間とすることになりました。6月は5日間、
臘八接心は今まで通り7日間です。

若 い人達が中心になって、坐ってくれる状況があれば、接心の
日数を減らさなくても、一線から退いて、私は坐れるだけ坐るという
ようにすれば良いのですが、残念ながらそう言う状況にはありません。
三心寺だけではなく、アメリカのいくつかの禅センターで後継者問題
が出て来ています。1060年、70年代に坐禅を始めた指導者が高齢
になってもその後を継ぐべき若い人が育っていないのです。これま
でアメリカの禅センターはほぼ右肩上がりで増えてきましたが、
これからはそうはいかなくなりそうです。特に小さい禅センター
では後継者問題が深刻になって来ると思われます。この辺りで
一度淘汰されるのもよいことなのかも知れません。

 

9月19日木曜日、昼前にインデアナポリスの 空港に着きました。
シカゴの禅センターでの、週末の研修会で講義する為です。午後1時
過ぎの飛行機で、1時間も飛べば着く距離です。その日は休憩し、
翌日の朝8時半から坐禅、9時から講義が始まる予定でした。然し、
インデアナポリスの空港に着くと、シカゴ行きの便は、到着地の天候
のせいですべてキャンセルされていました。少し遅い便に乗れるかも
しれないというので待っていましたが、それもキャンセル。夕方の便は
大丈夫だろうと思ったのですが、それも又キャンセルされました。次の
日の便はすべてオーバー・ブッキングされていて、午後6時まで全く
空きがないとのこと。仕方が無いので、空港の近くのホテルに泊まる
はめになりました。ホテルに着いたのは、夜の10時頃。翌20日、朝4時
に起きて、アムトラックの駅に行き、6時発の列車に乗りました。シカゴ
に着いたのは、午前10時過ぎ。インデアナポリスとシカゴの間には
1時間の時差がありますので、実質、5時間かかったことになります。
シカゴの禅センターの人が迎えに来てくれていて、禅センターに直行し、
休む間もなく、到着して20分程で、最初の講義を始めました。

講 義は「雲門大悲」の公案について、「碧巌録第89則」と、
従容録第54則」の扱い方と、「正法眼蔵観音」における道元禅師
の解釈とを比較すると言う内容でした。2日間、午前と午後、休憩を
含めて3時間の枠で4回、話をする予定でした。19日は私の到着が
遅れたので、午前中の1時間半程、太源・レイトン師に時間を埋め
ていただきました。

イ ンデアナ空港で10時間以上待たされ、その日の夕食も、次の日
の朝食も摂る機会が無く、疲れと空腹で、ようやくシカゴにたどり着
いた私は、日曜日の朝の法話で総ての日程がなんとか無事に終わ
ると、いよいよ疲れきっておりました。

こ う言う目にあうことは、アメリカで飛行機を使って旅行する際には、
何時おこっても不思議ではないことです。数年前までは、体力的に何
ともなかったことですが、60歳を過ぎてからは、身体にひどくこたえ、
回復にも時間がかかるようになりました。


9月30日


奥村正博 九拝







三心通信 2013年6月、7月

暑中お見舞い申し上げます。

今年は、春のお彼岸が過ぎてから雪が降るほど、寒い春でした。
桜や其の他の花が咲くのも2週間ほど遅れました。4月の下旬に
なっても枝垂れ桜の花が残っておりました。その後も低温が続き、
5月に入っても朝晩肌寒い日が続きました。春先からずっと雨が
よく降り、日本の梅雨のような天気が続きました。7月に入っても
例年よりは気温が低いのですが、ようやく30°Cを超す日もある
ようになりました。

今年も6月29日、30日にアイオワ州の龍門寺の伽藍完成の法要、
及び首座法戦式に随喜致しました。昨年は日照りで雨が少なくて、
トウモロコシが不作でしたが、今年は春の低温で植え付けが遅くな
ってまた不作かもしれないと云うことでした。日本から原田道一老師、
斉藤芳寛老師がおいでになりました。 2010年に国際センターを
退職してからは日本に行く必要もなくなり、自費で行くには時間と
旅費を工面するのが難しく、震災があった2011年3月以来行って
おりません。久しぶりにお会いして、お元気でご活躍のお姿を拝見し、
いろいろなお話が出来て有り難い機会でした。セントルイスにある
ミズーリ禅センターの吉田魯参師や、ミネアポリス、セント・ポールからの
大勢の旧知の人々にお会いできて楽しい時間を過ごさせていただきました。

ただ飛行機の遅れで、6月29日の本則行茶に間に合わず、
せっかく準備していたお話が出来ずに申し訳なく存じました。
また帰りの飛行機も大幅に遅れ、7月1日(月曜日)の午後には
三心寺に帰っているはずでしたが、飛行機を乗り換えるシカゴ
で一泊するはめになり、帰りが丸一日遅れてしまいました。

アイオワから戻った次の日、3日の夕方から待った無しで5日間
の禅戒会が始まりました。今年は身口意の三業の中の口業に
関する戒、第4不妄語戒、第6不説過戒、第7不自賛毀他戒に
ついて話しました。7人が受戒致しました。これで、4月から始
まった3か月の夏期安居が無事に円成致しました。

今年は2年ぶりで首座を置いた安居でした。くわえて、三心寺の
創立10周年の行事がありましたので、その準備もあって慌ただ
しい安居でした。境内の整備や、行事の準備、記念品である
内山老師の「生死法句詩抄」の和英対訳の小冊子の制作など、
多くの人々にボランティアで働いていただきました。

6月22日(土曜日)には、TMBCC(Tibettan Mongolian Buddhist Culture Center)
のホールをお借りして、公開講演会を催しました。曹洞宗国際センター
の所長の職を引き継いでいただいた藤田一照師においでいただいて、
Buddha’s Evolutional Sitting: What Happened under the Bodhi Tree?
と題してお話しいただきました。首座法戦式の助化師をお願いした
平等山禅堂堂長の大円・ベナージュ師、ロスアンゼルスから、
北アメリカ国際布教総監部の櫛田俊道師にもおいでいただきました。
80人以上の人に来聴していただきました。

6月23日(日曜日)には首座法戦式がありました。私の出家の弟子
のうち16人が参加して、これまで最も会衆の多い首座法戦式でした。

2013年6月にブルーミングトンに移転し、三心寺を創立してから早くも
10年が経ちました。日本やアメリカ国内の多くの人々から浄財を
寄せていただいて、土地を購入し、禅堂、オフィス、そして私の
家族の住居を兼ねた建物はなんとか建てる事が出来ました。
しかし、それまで小さな参禅のグループが私の知る限りでは
2つしかない状態で、曹洞禅に関しては全くのフロンティアである
インデアナ州に最初の曹洞禅の道場を創立するについては、
お寺の建物は建てられても、維持して行けるのかどうか心配
でもありました。毎年、5回の坐禅だけの5日間接心、2回の眼蔵会、
1回の禅戒会、2回のリトリートに人が来てくれるかどうか計り
兼ねておりました。

御陰さまで、接心には毎回10人ほど、眼蔵会、禅戒会には
15人乃至20人ほどの参加者があり、なんとか行持も継続する
事が出来ました。期待もしていなかった事ですが、出家の弟子
が20人に達しました。7人は既に嗣法をすませ、そのうちの
何人かは、アメリカ国内、ヨーロッパ、南アメリカで自分の活動
の場所を作り始めております。

私の翻訳書、英語の著書も4冊がこの10年間に出版されました。
おかげさまでどの本も好評を得ております。5冊目になる、
「宿無し興道法句参」の新訳の原稿がほぼ出来上がり、
今月中に出版社に原稿を送る運びになりました。沢木老師の
御遷化50周年、内山老師の御遷化17周年に当る2015年までに
出版できるようにと願っております。

絡子の把針をし、禅戒会に参加して、菩薩戒を受けた人々の
数もこの10年で50名以上になります。

共に坐禅修行をしていただいた人々、様々な形でご支援をい
ただいた方々、拙著を読んでいただいた方々、ブルーミングトン
在住の人たちばかりで無く、アメリカ国内の各地、ヨーロッパや
南アメリカ、日本からも参禅に来ていただいた人たちがありまし
た。其れ等多数の方々のご支援の御陰で、この10年間なんとか
参禅道場として機能して参りました。厚く御礼を申し上げます。

未だに、インデアナ州では唯一の小さな曹洞禅の道場です。
恒久的な本堂兼禅堂、と事務所兼参禅者の宿泊施設と、
あと2つの建物を建築する計画と設計図は既に出来て
おりますが、いつ実現できるかはまだ目処がつきません。
ささやかながら、この小さなお寺が坐禅修行の道場として
存続していけるように渾身の努力を続けてまいります。
どうぞ、今後ともご支援、ご教導をいただけますように
お願い申し上げます。

この6月で65歳になりました。アメリカでは65歳から
メディケアという、高齢者のための医療保険を受けられるように
なります。ようやく社会から公認された高齢者の仲間に入りました。
創立10周年記念に内山老師の「生死法句詩抄」を印刷、製本しました。
老師がこれらの詩を書かれたのは70歳の頃だったと思います。
私もその年齢に近づきつつあります。これからの私の老耄の辧道の
ガイド・ブックとして、参究を続けさせていただきたいと願っております。

日本では、酷暑が続いているとの事、どうぞお変わりなくお元気でお過ごし下さいませ。
2013年7月12日

奥村正博 九拝

 


三心通信・2013年6月

今年は寒い春でした。3月末に雪が降った事はお知らせしましたが、
それからも低温が続き、境内の桜や、其の他の花々が咲き始めたのは、
例年よりも2週間程遅くなりました。花が咲き出してからも、朝は
氷点すれすれくらいまで温度が下がる事があり、しだれ桜は、
普通なら1週間程で散ってしまうのですが、散るのを忘れたように
4月が終わりかけるまで花がありました。5月に入ってからも、
半ばくらいまでは、朝晩、肌寒い日々が続きました。今年は、
涼しい夏になるだろうとの予想です。低温だけではなく、春先から
ずっと、雨の多い天気が続いています。昨年は、日照りの夏で農作物、
特に中西部の主要作物であるコーンの収穫が少なかったのですが、
今年は逆に雨が多く、この2、3日は日本の梅雨のように降ったり
病んだりが続いています。この1週間の予報でも、晴天になるのは
1日だけのようです。

5月の初めには、眼蔵会がありました。今回は「正法眼蔵観音」の
巻の拙訳を講本にしました。それほど長い巻ではありませんので、
「碧巌録第89則雲巌問道吾手眼」、「従容録第54則雲巌大悲」の
英語訳を先に読み、道元禅師の同じ公案についてのアプローチは、
中国の臨済禅や曹洞禅ともかなり違う独特な物である事を話しました。
このことは、「趙州狗子佛性」の公案について、「無門関」「従容録」の
解釈と道元禅師の「正法眼蔵佛性」の巻との違いを見てもよく分かり
ます。また、「祖堂集」、「景徳伝灯録」に収録されている雲巌と道吾
の千手千眼観音についての問答と、宋代の灯史や公案集にでるもの
との違いも興味深いものです。

私たち家族がブルーミングトンに移転したのは2003年の6月22日でした。
その日が私の誕生日でしたのでよく覚えています。それから丁度10年
になります。引っ越して来た時点ではまだ、建物が居住できる状態では
なく、活動を始めたのは9月に入ってからでしたが、三心寺の創立10周年
の記念行事を6月に行う事になりました。例年、6月には首座法戦式を
行っていましたが、それと同時にする事にしました。首座法戦式には
宗務庁の規則で少なくとも10名の僧籍のある宗侶が会衆として必要で、
毎年十名の出家者にきてもらうのに苦労しております。また、法戦式と
10周年の記念行事と一夏に2回来てもらう事は少し無理があります。
それで同じ時に行う事にしました。

記念行事としては、6月22日、土曜日に私の後、曹洞宗国際センター
の所長になっていただいた藤田一照師に講師として来ていただいて、
TMBCC (Tibetan Mongolian Buddhist Culture Center)のホールを
お借りして、公開の講演会を行います。三心寺の禅堂ではせいぜい
20−30名しか収容できないからです。お借りする会場では、100−150名
が収容可能です。三心寺に普段来ている人たちだけではなく、もう少し
広い範囲の人々に三心寺の存在を知っていただきたいと願っています。
普段は、坐禅と仏教、宗乗の勉強を静かに続けているだけですので、
三心寺がブルーミングトンに10年間存在していることも余り知られていません。

記念品として、内山老師が「生死法句詩抄」と題された生死についての
詩を集められたものを、日本語原文と英語訳とを対照にして、200部印刷
する事になりました。随分前に大通・トム・ライト師と一緒に訳したのですが、
出版する機会はありませんでした。内山老師の晩年に書かれた詩や、生死、
老いについての文章、私のこれからの老耄の辧道のテキストとして参究し、
できれば翻訳したいと願っております。

記念行事を行う6月22日で、満65歳になります。アメリカでは、65歳になると
メディ・ケアという廉価な健康保険を受ける事が出来ます。社会的にも公認
された老人の仲間入りをする事になります。私自身も、眼をそらさずに、
老いと生死と向き合っていく修行の時期にさしかかってきました。ここまで、
ずっと坐禅を中心に生活させていただけた事を、何よりも有り難い事だと
感謝ています。

75歳になるまで、これからの十年程は、翻訳と著作に力を入れて参りた
いと願っております。

5月31日

 奥村正博 九拝




三心通信 2013年3月31日

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 今月は、6日から11日まで、接心がありました。いつものように10人程の
人が一緒に坐りました。その他に、ブルーミングトン在住の人々が数名週末
に坐りに来ましたので、その人達も入れると20名近くの人々が坐りました。
何にもならない坐禅を一緒に坐ってくれる人が少しずつですがふえてきています。
 接心が終わった2日後、サンフランシスコに行きました。木曜日に到着して、
サンフランシスコから自動車で30分程南のレッドウッド・シティーに一泊し、
金曜日の午後には、更に2時間程南に下がったカーメルに行きました。町の
中にある、モントレィ・ベイ・禅センターで講演をする為です。このサンガの人
たちは、昨年出版された私の著書Living By Vow(誓願に生きる)を勉強会
のテキストとして使っているので、「誓願」について何か話してほしいという事
でした。「随聞記」の中から、道元禅師が興聖寺に僧堂を建立するために、
勧進をするなど努力しておられる頃、「亦思い始めたる事のならぬとても恨み
あるべからず。只柱一本なりとも立てて置きたらば、後来もかく思いくはだて
たれども成るらざりけると見んも苦しかるべからずと思うなり。」と話された
言葉を引用して、世間の普通の個人的な欲望や願望や野心に基づいた
行動と、誓願の行との違いについて話しました。誓願行は失敗と成功を
超越しているのだと思います。

 その夜はカーメルに宿泊し、土曜日の朝6時半に出発して、サンフラン
シスコからベイ・ブリッジをわたった向かい側に有るバークレイに行きまし
た。バークレイ禅センターで、1日のワークショップをする為です。これまで
何回か良寛詩について午前と午後2回話したのですが、今回は、「宿無し
興道法句参」の新訳を作成しているのにちなみ、午前中は沢木興道老師
の生涯について話し、午後には、内山老師が「沢木老師の坐禅」のなかで
指摘されている、沢木老師の坐禅に着いての教えの中で、大切な5つの
ポイントについて話しました。@行き着く所に行き着いた人生。A透明な
自己になる。B自分が自分で自分する。C宇宙と続きの自己。D坐禅し
ても何にもならない。此れ等の5点です。私が内山老師から教えていた
だいたのはこのような坐禅でした。これをアメリカの人たちに理解してい
ただくのに、長年努力して来たのですが、最近、こういう云う話に頷いて
くれる人が増えてきました。心理療法のような功利的な坐禅のほうが、
最初はアピールするのでしょうが、長年坐り続ける為には殆ど意味が
ありません。「療法」であるかぎり、今直面している心理的問題が解決し
てしまえば、坐禅を続ける意味が無くなるからです。

 次の日の日曜日には、グリーンガルチ・ファームで、毎週恒例の日曜
日の法話として、話をさせていただきました。前の日に、第5番目の坐禅
しても何にもならないという事について10分程しか話す時間がなかった
ので、あらためて、何にもならない坐禅について話しました。マイスター・
エックハルトの説教の中で、新約聖書から、イエスがエルサレムの宮に
はいり、そのなかにいたすべての売買する商人達を追い出された話を
引用して、神の宮とは人間の魂であり、売り買いする商人達とは、自分
がする善行と神からの恩寵とを取引しようとしている善良なキリスト者
達の事だと指摘した箇所を引き合いに出して、道元禅師が無所得、無
所悟の坐禅を強調され、沢木老師が坐禅しても何にもならないといわ
れるのも、我々の中にある、商売人根性を批判されたのだと話しました。

 3日間で四回の講話をするのは疲れましたが、なんとか無事に勤まり
ました。月曜日一日休養して、火曜日にブルーミングトンに戻りました。
24日の日曜日には、二人の人の出家得度式がありましたので、休む間
もなく、その準備に取りかかりました。血脈、其の他の準備をし、進退
ならし、などをしているとあっという間に当日になってしまいました。
マイケルはブルーミングトン在住で長年坐禅をしている人、もう一人の
ブライアンは、私がミネアポリスの禅センターで教えていた1993年から
96年まで、私について坐禅をしていた人です。既に20年に近い付き合いです。
かれらの家族や友人達を交え、40名以上の人々で狭い三心寺の禅堂は
満員になりました。

 その日の夕方から次の日の朝にかけて、かなりの雪が降り、お彼岸過ぎだというの
に、クリスマスのような白銀世界に逆戻りしました。咲きかけていた水仙の上に雪が
積もりました。さすがに雪はすぐに溶けましたが、いまだに肌寒い日が続いていま
す。
例年なら咲きかけている桜のつぼみもまだ小さく固いままです。明日から4月だとい
うのが信じられないくらいです。

 先月書いた青空文庫からipadにダウンロードした、河口慧海著「チベット旅行記」を
じかんがあるときに、少しづつ読んでおります。随分昔に読んだ事が有るものですが、
今回読んで、感銘を新たにしております。
 3月31日

    奥村正博 九拝





三 心通信 2013年2月

 

あっという間に2月も最後の日になってしまいました。今月は、少し暖かい日が続き、
雪も溶けてしまったと思うと、又寒さがぶり返し、出かかっていた水仙の芽の先っぽ
が凍傷のように茶色になったりしました。それでも確実に、一日ごとに朝明るくなる
のが早くなり、夕方はくらくなるのが遅くなっております。今朝も雪がちらちらしました
が、後ひと月足らずで、春のお彼岸です。

 

15日から20日まで、ノースカロライナ州のチャペル・ヒル禅センターで眼蔵会があり
ました。今回は「正法眼蔵授記」を講本にしました。これまで一字一句に気をつけな
がら読んだ事がなかったので、自分の翻訳を作る事にしました。翻訳するには、意味
を理解する前に、既によく知っていると思うものでも、言葉を一つ一つしらみつぶしに
調べて行かなければなりませんので、原文の理解にも大変助けになります。

江戸宗学以来、この巻は「面授」、「嗣書」とともに、面授嗣法について書かれたもの
として読まれ、天桂伝尊と面山瑞方などとの間で議論が続けられてきましたが、この
巻を細かく読んでみて、果たしてこの巻の主題が嗣法のことなのか疑問に思いました。
嗣法に関連して書かれているのはごく一部分でしかないように思います。今回はその
ような伝統宗学での議論には一切立ち入らず、原文をなるべく忠実に読むようにしま
した。

「授記」は法華経では、一切衆生が法華経の一句一偈でも聞いてそれに随喜するな
らば、必ず成仏すると言う保証を与えると言う意味で使われています。一切皆成とい
う思想を確立する為に一番問題なのは、釈尊の直弟子で阿羅漢になり、既に涅槃に
入っている人たち、所謂声聞の人たちの存在です。涅槃に入っている以上既に輪廻
の世界に戻って来れないからこの人たちは成仏できない。だから一切皆成というのは
理論的に成立しない事になります。しかも其れ等の人たちは釈尊の十大弟子全員を
含み、仏教の歴史の中でもっとも重要な人たちです。だから、「法華経」では「方便品」
第2から「授学無学人記品」第9にいたる、八品をついやして、声聞授記が述べられて
いるのだと思います。それをふまえてやっと、彼ら声聞のように優れた人でなくても一
切衆生に成仏の可能性があると主張する事が出来たのだと思います。

「法華経」が作られた時には、まだ「如来蔵」、「佛性」という概念がなかったので、一
切衆生が、一句一偈に随喜し、発心し、菩薩の誓願に基づいて修行して行けば必ず
成仏できるというには、仏陀から「授記」をうけることができるといわなければならなか
ったのでしょう。ですから「正法眼蔵授記」の場合の「授記」は道元禅師が「佛性」の巻
で述べられているのと同じ事を言われているのだと思います。

最近、タブレット端末のiPadを購入しました。最近日本でもアマゾンのキンドルで電子書
籍がでるようになったので、あるいは日本の本をこちらからダウンロードできるのでは
ないかと思ったのですが、日本国内に在住している人しかeBookは購入できない事が
分かって、がっかりしました。日本国外に在住している日本人は何十万人もいるとの
ことなので、その人たちが、紙の本を日本から注文して高い送料を負担しなくても、eBook
で日本語の本を読めるようになれば、大助かりだと思います。コピーライトとかさまざまな
問題があるのでしょうが、将来そうなるように願わざるを得ません。もっとも、仏教書に
関してはまだ通俗書しか電子書籍になっていないようなので、現時点では余り購入した
い本もありません。

そういう事を調べている間に、「青空文庫」と云うのがある事を見つけました。著作権が
切れた本を無料でダウンロードして読めるものです。高校生の頃に手当り次第に読ん
だ「日本文学全集」にあった、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、太宰治、宮沢賢治、
等々の懐かしい作品が自由にダウンロードして読めるので、当分電子書籍を買う必要は
感じなくてもすみそうです。いま柳田国男の「遠野物語」を読んでおります。英語でも、
「世界文学全集」で読んだ西洋の古典の名作の多くはeBookで無料で読めます。坐禅
を始めてからほぼ40年、そのような本は殆ど読まなくなっていましたが、これから老後
の楽しみになりそうです。

2月28日

奥村正博 九拝



1月26日から28日まで、アイオワ州の竜門寺に行きました。昨年も同じ時期に行ったのですが、
例年行われている冬安居の首座法戦式に助化師として随喜する為です。竜門寺は、片桐大忍
老師の法嗣の彰顕・ワインコフ師が創立されたお寺です。見渡す限りのトウモロコシ畑の中に、
日本風の法堂、僧堂、庫裡、衆寮が建立されています。彰顕師とサンガの人たちが20年近くを
かけて、建てられたものです。数週間前に最後の建物である衆寮が完成して、寺院建立の計画
が円成しました。長年の努力に頭が下がります。殊に僧堂は、熊本県菊池市にある聖護寺の
僧堂の設計図通りに建てられた、日本の僧堂建築と全く同じものです。

今回の首座法戦式の問答は碧巌録89則の「雲巌問道吾手眼」でした。「大悲の千手千眼観世
音菩薩は、そんなに多くの手と眼を使って何をしているのか」と云う雲巌の問いに、道吾は「夜中
の真っ暗闇の中で、後ろ手で枕を探しているようなものだ」と答えます。道元禅師は「正法眼蔵
観音」の中でこの問答について論評されています。今年5月の眼蔵会では「観音」の巻を参究す
る予定ですので、よい準備になりました。

私が行く前は、寒くて、華氏の0°(マイナス17°C)くらいの日々が続いていたとのことですが、
特に27日は暖かく、日中、雪ではなく雨が降りました。只夜中にその雨が凍り付いて翌朝、地
面はアイススケート・リンクのようでした。28日朝、空港へ出発する時、除雪して砂や塩が撒い
てある大きな道まで車が出れるかどうか運転をした彰顕師も半信半疑でした。おかげさまで問題
なく出れましたけれども。 

昨年の10月半ばに、ペンシルベニア州のピッツバーグで週末のリトリートが有って以来、初めて
の旅行でした。三ヶ月以上、どこにも行かずにブルーミングトンに落ち着いて坐禅と、日曜座禅会
での法話や水曜日の勉強会の講義、そして、翻訳、著作の仕事に専念することが出来ました。
先月書きましたように、「宿無し興道法句参」の新しい翻訳は、一応全体の翻訳が完了しました。

2月に、ノースカロライナ州のチャペルヒル・禅センターで眼蔵会が有ります。今回は「授記」の巻を
参究します。自分なりの理解を確実にする為に自分で翻訳を造りました。「授記」の巻は、言ってお
られることはそれほど複雑ではないのですが、文章の書き方が道元禅師独特のもので、大乗仏教
全体、とくに「法華経」で授記がどのように説かれているかの理解が無いと全く読解が出来ません。
それで、久しぶりに「法華経」全巻を読み直しました。こういう途轍もなく時間がかかる勉強の仕方が
出来るのも、本拠地に落ち着いておられるからで、旅行しなくてもすむことに感謝しています。 

朝4時半に起きて5時から7時まで坐禅。朝課と掃除の後、朝食をすませると8時少し過ぎになります。
それから昼食まで、 仕事や勉強をします。最初にするのは受け取った電子メールに返事を書くこと
です。これに案外時間を取られ、日によっては、メールから開放されると10時を過ぎていたりします。
外出するのは、殆ど午後、昼寝の後YMCAに行くときだけです。幸い歩いて10分程の所にあります
ので、なるべく毎日行くようにしています。1時間程歩いた後、ストレッチや若干の筋肉運動をして
帰宅するのが5時から6時、入浴して夕食。月曜、水曜、木曜には夕方、ミーティングや、坐禅、勉強
会があります。
少し前までは、毎月のように飛行機であちらこちら飛び回っていましたので、このような静かで落ち
着いた毎日が過ごせるのは夢の中のようです。体力、脳力の衰えはどうしようも有りませんが、年を
取るのも良いものだと最近思います。

1月30日

奥村正博 九拝