伝説のオドロンパーク

 「うたってオドロンパ」19954に今までの教育テレビのイメージを粉砕するようにブラウン管に登場しました。音楽教育のお歌の練習でもなく、体育教育のお遊技の練習でもない。子供達が本質的に秘めているエネルギーを純粋に120%引出すことを、歌によって、リズムによって、更にはダンスによって試みたのです。当然、番組では子供達に完成された歌や、一糸乱れぬダンスなど要求していません。彼等が持てる感覚全てを使って、「思いきり表現する」ことそのものが重要視されているのです。

 しかしながら、子供達の象徴となるべき登場人物には完璧さが要求されます。確実な音程と正確無比なリズム感、あらゆるダンスを踊りこなせる能力と体力。そして、最も重要なのが、これら全てを同時に表現できる実力と子供達を魅了するカリスマ性がなければならないのです。当然、並みの「歌のお姉さん」では勤まらない訳で、使い捨てアイドルなどはもう論外。そしてこの難題をいとも簡単にやってのけてしまったのが、我等が教祖様、「ジュンジュン」だったのです。

 そして番組は、この偉大なる教祖様を更に個性的なキャラクターにより、強力に固めたのです。ダンスをより一層華やかにし、子供達の崇拝の念を強力にする、ダンスキッズの少女達。「必ずしも、うまく踊れることが全てではないんだよ」と暗に励ますための少年達。「崇高さと平凡さ」を巧みに表現する、オドロン。日常の平凡な生活にちりばめられた「色物」を演出する、コツ爺とハツ。そして、汚れ役を一手に引き受けるホニャピ。彼等が絶妙のバランス感覚で、オドロンパークを強力な理想郷として構築していったのです。

 また、短いパートを受け持っていたパオさんの存在を忘れてはならないでしょう。ピアノやラッパのような仰々しい西洋楽器でも、停電になったら使い物にならない電子楽器でもない、素朴な民俗楽器を主軸に、人間が表現するための重要なアイテムとして、常に「音楽」が存在していることを説き続けて来た功績は見逃すことができません。

 オドロンパークは時として、男魚人や周富輝氏のような飛び道具キャラを登場させたりもしましたが、それらがなくとも、初めてオドロンパに接した者は例外なく、教育テレビとは信じられないようなハイテンションの歌やダンス、メリハリの効いた構成、登場人物達の絶妙な掛け合いに度胆を抜かれました。そしてその、肝をきれいに引っこ抜かれた、表現しようのない衝撃のエネルギーが、インターネット上に「狂踊会」なる集団を生み出す原動力となったのです。

 しかし、「氷のカリンカ」「春まねきねこ」などの名曲を残し、19983月、オドロンパークはその門を閉じてしまいました。教祖様はのりもの王国に活動の場を移し、教育テレビは現実世界に戻り、「ドキドキハウス」には歌とダンスが滅法好きな住民が集まって来て理想のライフスタイルを模索し始めました。そして、番組の終了と共に、狂踊会もその活動に幕を閉じることとなりました。


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オドロンパークってどんなとこ? 工事中(滅)。とりあえず、登場人物の紹介…も、まだ途中です。
私設ファンクラブ「狂踊会」 工事中。
オドロン伝説 狂踊会時代に編纂されたオドロンパークの逸話を掲載しています。
研究室 狂踊会時代に考察された、研究報告です。
資料館 曲目リスト,リリースCD・ビデオ,関連記事掲載の出版物等のリストが編纂されています。

 


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