田舎での正月

2003年1月4日

年末年始に帰省してきました。
どこにでもある田舎だけど、超マイペースな両親により異色を放つ、素敵な家だ。
実家に着いたら、さっそく食事が始まる。帰省すると、なぜか必ず「食べ過ぎ」で腹をこわすことが不思議であるため、今回は少し家族の行動を冷静に観察してみる。

夕飯にハム

実家に着いたのが夜の7時。我が家の夕食の時間だ。食卓に座り、料理が運ばれるのを待っていた時のことだ。何者かが視界のすみを横切った。なにぶん古い家なので、ゴキかなと思ったが、あのカサカサ音は無い。かつて無音の侵入者といえば、蛇やムカデが出たこともあるが、周辺の空き地は全て宅地になり、小動物が出ることも無くなったそうだ。気のせいかなと思った直後、ストーブの後ろから、それは現れた。
ハムスター!?
一瞬の硬直。見つめ合うハムスターと私。ハムスターであることを十分に確認した後、あわてて捕獲した。
「お父さん! ハムスターが逃げて…はっ!」
言いかけて、あることに気付いた。この父は、なんでも放し飼いをする習慣がある。本人曰く「散歩」なのだそうだが、それは常識からすこし外れている。いままで父が放し飼いした動物は、犬、ウサギ、ニワトリ、カメ、カエルで、犬とウサギ以外はそのまま帰ってこなかった。「あのカエル、毎日エサをやって大切に育てていたのに!」と文句を言ったとき、父が言った言葉は「カエルだからそのうち帰るよ」だった。まだ小学生だった私は、来る日も来る日もカエルが帰ってくることを信じ、カエルを逃がされた草原で帰還を待っていたものだ。しばらくしてからカエルをあきらめ、さらに何日か過ぎてから、父の言葉がダジャレであったことを知った。
このハムスターも、「散歩」だなんてばかげた事を言いそうで怖い。ふつう、ハムスターは放し飼いをしない。父は私の目を見て、はっきりと言った。
「散歩だ」
やめてー! なんで放し飼いするのー! 踏んづけたらどうするの! あわててカゴに入れる私を、父は不思議そうに見ている。まるで私の方がおかしな行動であるかのように。

たくさん食べます。命ある限り。

冒頭にも書いたが、帰省すると、毎回必ずおなかを壊す。食べ過ぎるのだ。しかし私にも食べ過ぎを自重できるだけの知能はある。ではなぜ食べ過ぎるのか。帰省するのが数年に一度のペースなので、実は良く覚えていない。今回は食べ過ぎないように十分注意をしながら夕食に挑んだ。
夕飯のメニューは、珍しく寿司ではない。私が帰るといつも「おまえの好物だろ」といって寿司を出すが、寿司は母の好物だ。私は中学校まで生魚が食べられなかったので、寿司は特に好きということはない。ようやく私の主張を通してもらったようで、嬉しかった。10年かかったけど。
純和風なメニューが食卓に並ぶ。普段一人暮らしでは見慣れない品数の多さに感動を覚える。が、食べきれない量ではない。元々私には3人前を平らげる胃袋があり、さらに年末の忘年会用に広げてあるのだ。いまなら4人前まで食べきる自信がある。
家族の食べる量に注意しながら、食事を開始した。
祖母の食べ方は、全ての皿から少しずつ食べる『つまみ食いタイプ』だ。バランスが良く、かつ良く噛んで食べるので、時間はかかるが見た目ほど量は食べていない。
父の食べ方は、自分の好きなもの以外は口にしない。私の好みに合わせてメニューがチョイスされている感もあり、父の箸はあまり進んでいない。
妹の食べ方は、ちょこっとつまんでおしまい。母もそうだ。この二人は私からは信じられないほど小食だという所は共通しているのだが、決定的に違うところがある。母はガリガリに痩せているが、妹はかなり太い。同じ食べ方でなぜこうも違うのか不思議である。
皆が食事を終えて、食卓を離れる頃、私はあることに気付く。私の手の届く範囲の皿には、料理に添えられた野菜が残っていないのだ。
全部食べるのが、食事を作ってくれた人への礼儀だと思う。特に、カツの下にあるキャベツや、横に添えられたパセリ等の野菜は、八百屋になるのが夢だった私には、決して残していけない食べ物である。なるほど、このへんに、食事量の差があったのか。
次々と皿を平らげていくと、母から次の料理を受け取る。そのときはなんの疑問も無しに食べたのだが、母は私の食事のペースを見て、足りなそうであれば追加で料理を作る。当然私だけ食べるので、その分の食事量に差が出る。
けっこう食べたなと感じた頃、母は言った。
「ご飯、食べる? 後にする?」
「? 言っている意味がわからないんだけど?」
「なんで?」
「今、ご飯を食べてる」
「それはおかず」
確かにその通りだ。ライスは食卓には無い。が、お酒を飲みながらなのでご飯を出していないものと思っていた。しかしそれは違っていた。ライスを出すタイミングを狙っていたのだ。
「じゃあ、ご飯を食べるよ」
当然ライスが出てくるものと思っていた。が、それは間違いだった。出てきたのはライスと、「夕飯用」のおかずだった。そう、夕飯はこれから始まるのだ。

主食?副食?

翌朝、すでに腹がもたれていた。起きるのもつらい。布団の中で胃袋が活性化するのを待っていたら、祖母が部屋に入ってきた。
「おもち焼くけど、いくつ食べる?」
今朝はおもちか。シンプルで良いな。おもちなら3つというのがいつものペースだ。だが、昨夜の影響がまだ残っているので、控え目にする。
「2つ」
「2つ? もっと食べやぁ。3つ焼いたげるね」
割り増しかよ!
あやうく3つと言っていたら、4つ出てきたことだろう。危険な祖母だ。
なんとか起きて顔を洗うと、ちょうどおもちが焼けたところだった。餅は正月らしくお雑煮に入れられた。この地方の雑煮はシンプルであっさりしている。飲んだ日の翌日にはとてもよい。美味しく食べた。さあ、今日は本家に行って、親戚に挨拶するんだ。と、出かける準備をしていたところ、
「ほら、朝ご飯が出来たよ」
と声がかかった。
「え? 今、モチ食べたじゃん」
「餅はおやつ。ご飯はご飯」
祖母は言った。当たり前のように。
食卓には、昨夜食べ尽くしたはずの料理が復活している。
そうか、モチ3つはおかずなのか。モチ1つはご飯1杯に相当するんだけど。
私は観念して、箸を持った。

食は続くよどこまでも

朝食を終えると、すでに外出の用意が出来ている私は一人でテレビを見ていた。
正直、動きたくなかった。
そこへ祖母がやってくる。
「リンゴとラフランスをむいたから、あんた食べやぁ」
まぁ、デザートくらいなら腹に入れられないこともない。祖母と一緒に食べていたのだが、祖母はそれぞれ1片ずつ食べたらおしまい。さっさと部屋を出て行った。結局私が平らげることになる。もう食べるのはよそうと思っていたら、すぐにまた祖母が入ってきた。
「大福餅を焼いたよ」
それは来年嫁に行く妹が、先方からもらった巨大な自家製大福だった。焼いてしまったからには、食べないわけには行かない。
限界を超え、新たな世界へ一歩を踏み出していく。
大福を食べながら喉が渇いたと思ったところへ、タイミング良くコーヒーを出される。飲んでいると大福がコーヒーによって膨らんでいくような感覚に襲われる。
なんでこんなにがんばってるんだろ。
自分の行動にわずかな疑問を持つ。
しかし、出された食べ物は残さず平らげるのは、私のポリシーだ。誘われた飲み会には必ず行くのと同じくらい、大切なことなのだ。
新年に信念を貫いた事へ、自らを讃えながら、この直後に出てくる「みかんてんこ盛り」と格闘するのであった。

エピローグ

この後本家では、正月の宴が行われた。
そこで食べたごちそうや酒に、自己新どころか世界新記録の壁を、天使の姿をした私が飛び越えていた。