御由緒


 当八幡神社は、第59代・宇多天皇の寛平年間(約1100年前)に創祀されたもの
と伝えられ、第70代後冷泉天皇の永承6年に、鎮守府将軍・源頼義が奥州東征の途次
此処に宿陣し、戦捷を祈願、後、康平5年凱旋するにあたって社を修め、盛大な祭を行
い、武将を駐めて永く祀らせたという。
 社の南一帯の丘地を其の「館」としたことから、この辺りを”城山”と呼んでいた。
 -現在はマンションが建ち並びその様子をうかがう事は困難-              
         
 降って文明9年、太田道灌が石神井城を攻略するにあたり軍神祭を行い、社前に「槙
樹」1株を植栽した。これが今なお社頭に聳える「道灌槙」である。
 天正19年、柏木左近命を受けて検地をするに及び社殿を修復し別当松永山不動王寺
宮本坊大泉院を置いた。
 その後も村人の尊崇篤く、数度の御造営を経て現在に至る。
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