再開発の進むJR秋葉原駅周辺
もう見ることのできない景観

秋葉原は、街の景観から電気街の売り物までダイナミックに変えながらつねに時代の要求にこたえてきた。 その背景には、何でもやってみて成功した者がリーダーになるというこの街の掟がある。 一方、この掟のもとに消えたものも多い。

秋葉原の玄関ともいうべきJR秋葉原駅は、ついこの間まで駅名表示に「あきばはら」とふりがなをふっていた。 もともと「秋葉が原」に由来する名前だから、これが正しい。ところが、「あきはばら」と間違って呼ぶ人のほうが多くなり、ふと気が付くとふりがなまでそう変わっていた。 すっかり油断していて以前のふりがなの写真を撮りそこなったのが悔しい。下の写真は、現在の駅名表示。


日本で最初の多層駅として開業したJR秋葉原駅は、まるで迷路だ。電気街へ出ようと「電気街口」を目指しても、ほかのホームに出たりアキハバラデパートに迷い込んだり。この複雑さの一因は併設されていたJR秋葉原貨物駅にある。
誰もがJR秋葉原駅だと思っていた建物のおよそ1/3は、本当はJR秋葉原貨物駅だった。長く閉鎖されていたので撤去作業が始まって初めてその存在を知った人もいるだろう。 現在は撤去が完了し、跡地に駅ビルの建設が進む。


JR秋葉原駅の上野寄りには、以前、東京の台所といわれた神田市場が巨体を横たえていた。その機能が大田市場に移転して、一時期、跡地が秋葉原駅前公園として整備された。舗装した地面にストリートバスケットのゴールポストと数個のベンチ、背景にむき出しになった電気街の後ろ姿、はしゃぐ少年たちと台車を押す電気店の店員さん。これら、一見、無秩序な情景がニューヨークのダウンタウンの雰囲気でまとまって、なかなかいい味を出していたものだ。
その秋葉原駅前公園も、やはりいっときの景観に過ぎなかった。現在は撤去され、跡地に「秋葉原クロスフィールド」という高層ビルが建とうとしている。


電気街の売りかたは時代とともに変化している。バブル期にはやったのが、段ボールを積み上げるだけで商品展示なしのパソコンショップ。もちろん、浮いた間接経費は値引きに回り、どれも格安。中でもSTEPは、商品説明さえしない販売一辺倒の商法で、当時、単位面積あたりの売り上げを日本一にした。
しかし、これは秋葉原の客層がいわゆるオタクに限られていたからこその成功。一般の人、特に女性客の割合が増えるにつれ、ほどなく姿を消した。