長岡駅の裏手から左右に伸びていた軽便鉄道。電動車はなかなか近代的な姿をしていましたが、それに牽かれる雑多な付随車にはローカル色豊かな味がありました。
'62.8.2の長岡駅でのスナップです。向こう側奥手が悠久山方面、右手の方が国鉄駅になると思います。ホーム屋根上の指令センター?が素晴らしい形です。電車は昭34年、ピカピカの新車として登場したモハ212。総括制御可能で垂直カルダン駆動と言う近代車でした。
浦瀬駅で上見附方面からやって来たモハ205です。この車、生まれは昭7年日車の荷物台付き正面2枚窓気動車だったのですが、電車化、荷物台撤去、台車交換、車体新造と改造を重ねて、すっかり新型車みたいになりました。でも幅の狭い車体に無理して細長い貫通扉を付けた正面は昔の京成電車を思い出させます。
そのモハ205列車の最後尾にいた木造付随車です。記録が残っていませんが、多分都電杉並線の265を改造して貫通路を付けたホハ11と思います。
長岡にはまた1年後に立ち寄りました。'63.9.15撮影のモハ200で長岡駅の片隅にいたものです。この電車はここの生え抜きではなく、その昔、草軽電鉄で区間運転用に使われていたモハ105です。昭23年の電化の時以来働いていますが、ここではトレーラーを何両も牽かなくてはならないので、出力は増強されています。
悠久山方面からやって来た容貌怪異な電車モハ209です。デッキと梯子が付いて一見電気機関車風でもあり、事実、力もあるので機関車が動けないときは代用で使われることもあったらしいです。でもこの時はちゃんとお客を一杯乗せていましたね。
そのモハ209の反対面。勿論ドアエンジンがあるわけではないので、お客はドア開放にして悠々涼んでいます。その後のオープンデッキの客車もかなり変わっています。旧青梅鉄道の2軸単車を2両つないでボギー車にしたホハ10で、後にこのデッキ部分はHゴム窓の扉が付いた密閉型に改造されました。残念ながらこの車の全体の写真を撮ってありません。
この編成の最後尾の客車ですが番号不詳です。それにしても当時はずいぶんお客が乗っていたものですね。
その後hamatonさんより小坂鉄道のハ13が栃尾に譲渡されてハ30になったものではないかとの情報を頂きました。貫通扉が新設された以外はほとんど形状が同じなので間違いないでしょう。この車、大正10年、加藤車両製で最初は丸岡鉄道の所属でしたが、昭和5年改軌の時、小坂にやって来て、更に昭37年、また小坂線改軌で栃尾に転じたものです。
悠久山に向かうモハ210とホハ8。このモハは昭29年、自社工場で作ったジュラルミン軽量車体の電車でした。
(04.3.2追加)当時まだ貨物列車もあった様で、62.8.2に長岡で出会ったボギー緩急車ニフ21です。これもちょっと他に例を見ない変わったスタイルです。