2003年3月

3月1日(土)
ほっとしたよ。この世の終わりではなかった。三月は間違いなくやってきたよ。きのうの夜は心配で、寝ているK代のフトンの上を歩き回わって迷惑をかけたな。でもこの世の終わりではなかったとしたら、何が終わったのだろうな? 夕方、病院の匂いをプンプンさせながら帰ってきたYに聞いてみたが、一瞬複雑な表情を見せただけで、答えてくれなかったな。まあいいか。それぞれの事情があるだろうからな。

2日(日)
明け方に急に風が強くなったよ。ビュービュー、ガタゴト、なんか心細くなって、Yを起こしてしまったな。Yにナデナデしてもらったが、風はますます強くなっていったよ。あーあ、疲れた。ワタシは物音には敏感に反応するんだよ。夕方、店へ。店に入った瞬間、なにかいつもと違う雰囲気を感じたよ。なにがどう違うかうまくいえないんだけど、違うんだな。よし、今夜よく調べてみよう。

3日(月)
なんでこんなにダンボール箱があるんだろうな。それと、いままで棚にきちんとしまわれていた品物がほとんどなくなっているよ。どうしたんだろう。ワタシの愛用の玄関マットもかえってこないし、あんなにたくさん入ってきていたお客さんもぜんぜん来ないよ。外は冷たい雨。ワタシの心には激しい不安。なんだニャアーー。

4日(火)
玄関マットのかわりに、新聞紙を敷いてその上に毛布を置いてくれたな。よしよし。お昼のヒナタボッコは気分がよかったよ。お客さんが入ってくる気配もないし、おもうぞんぶん毛づくろいもできたし、ゆっくり落ち着けて最高だったな。あーあ、出るのはアクビばかりだった。こんなノンビリした日がいつまでも続くといいな・・。

5日(水)
おかしい、まったくおかしい。これは、ノンビリとヒナタボッコを楽しんでいる状況ではないかもしれないな。この雰囲気は、そう、前の家からここに引っ越ししたときの、あの悪夢のような状態に似ているな。そう、あのときは悲しかったな。何もなくなったガランドウの家で、ワタシ一匹、一週間も暮らしていたんだよ。情けなくて、辛かった。あの二の舞いだけはイヤだよ。でも、せっせと荷物を整理して、ダンボール箱につめている。あーあ、いったいどうなるんだろう?

6日(木)
きのうの夜はいろいろなことを考えて眠れなかったな。朝Yと会えてやっと少し落ち着いたよ。でも、その後見知らぬ人たちが入れ代わりきて、荷物をどんどん出していったよ。ほんとうにどうしたんだろう。ワタシはネグラの中で、ただただ震えているしかなかったな。残ったのはゴミ袋の山と、YとK代とワタシ。夕方のカンヅメが終わると、はやばやと二人は帰っていった。またワタシだけかニャアー。

7日(金)
不安な夜があけて、冷たい雨が泣いているニャア。ワタシはただジット、ネグラからようすを見ていたよ。一日が終わり、最後にYだけ残った。夕方のカンヅメはまだなのに、K代はもう帰っていた。Yがポツリと「さあ行こうか」。そうか、うっかりしていたよ。週末なんだ。冷たい風雨のなかタクシーでYの家へ。なんだ、もしかするとなんでもないんだな。ワタシの杞憂だったんだ。Yの家でしっかりとカンヅメを食べさせられたよ。ジュウタンで爪をといで、ナデナデしてもらって、さあ、これから夜の探検だよ。

8日(土)
午前中はぬる湯のヒナタボッコでウツラウツラしながら、ジックリと身体を温めたよ。いい気分だ。なにしろ、きのうの夜は安心したせいか、またまた大騒ぎしてしまったからな。二人も眠いだろうが、もちろんワタシも眠いんだ。それにしても、二人は出たり入ったり忙しいな。もう少しゆっくりしてよ。

9日(日)
いい天気が続くな。ぬる湯のヒナタボッコを楽しんで、さあ寝るかと、ネグラで休んでいたら、ゴォー、ゴォーとうるさい音がしたよ。何ごとかとネグラから飛び出すと、なんだKが掃除機で掃除をしていたな。うるさいな。掃除はワタシのいないときにして欲しいよ。あれっ、夕方のカンヅメが終わったのに、店に帰る気配がないな。そうか、休みが続くので、まだYの家に泊まるんだな。まあ、いいか。

10日(月)
あーあ、よく寝たな。昼のカンヅメが終わってから、夕方まで一直線で爆睡したよ。YとK代が帰ってきたことさえわからなかったな。ぬる湯のヒタナボッコは、やはり年寄りのワタシに合っているんだな。それと、店に比べて静かなこと。ワタシのグースカを促進してくれるよ。さあ、はりきって夜の警備をするか。今夜も派手に鳴くよ。

11日(火)
いかん、いかん。少し反省しないとな。きのうの夜はだいぶ大きな声で鳴いてしまったな。朝Yから「あんまり騒ぐと追い出されるからな」と、注意されたよ。でも、店に比べると、あまりに刺激がないから、ついつい騒いでしまうんだよ。だって、ここにいるのはいつも二人と一匹だけだからな。具のないラーメンみたいだよ。だれか遊びに来ないかな。

12日(水)
まったく、人間とつきあうのは難しいもんだな。連日、夜中に鳴いていたから、YとK代が睡眠不足になっていると思い、きのうの夜はガマンにガマンを重ねて静かにしていたんだ。鳴いたのは朝六時にニャアー、ニャアー、ニャアーの三回だけだよ。でも、二人とも起きるなり、「トラ、体調が悪いのか?」。夜鳴かなかったから、調子が悪くなったと思ったらしい。ワタシの気持ちも知らないで・・・。あーあ、疲れるな。

13日(木)
ぬる湯のヒナタボッコを終えて、ネグラに戻ろうとした昼時、プーンといい匂いがしてきたよ。よく見るとK代が煮干しでダシをとっていたな。そうだ!いまは亡きマリーの大好物だった煮干しだよ。ダシをとったあとだと旨味がなくなっていたろうに、マリーはおいしそうに食べていたな。ワタシが欲しいと思ったのか、K代が皿に煮干しを入れてくれたな。うーん、うまそうな匂いだな。ムシャ、おっ、うまい。あっというまにたいらげてしまったよ。でも、そのあとが大変だった。丸飲みしたせいか、気分が悪くなって、ぜんぶ吐いてしまったよ。いけない、あんまり調子にのっては、痛いめにあうな。特に春は気をつけなければいけないんだ。こんなことではマリーに笑われてしまうな。

14日(金)
やはり、春先は要注意だな。朝のカンヅメの一口目から身体が受けつけなかったよ。そのあとYとK代がだましだまししながら、やっといつもより少ない量で終わってくれた。苦しかったな。夜鳴きをしないと調子が出ないのかな。よし、今夜は騒いでみるか。でも、YとK代にとっては迷惑だろうな。悩んでしまうな。

15日(土)
あーあ、曇り空だよ。これではヒナタボッコは無理だな。ネグラに入りながら、ふと思ったんだが、こんなに長くYの家にいていいのかな。普通だったらそろそろ店に帰らなくてはいけないよな。正月休みはこのあいだ終わったから、何の休みだろうな。しかもこんなに長く。店がどうなっているか心配だしな。

16日(日)
どうも最近夜食のマグロとカツオブシが食べられなくなったな。夜Yが用意してくれるのだが、ペロペロなめるだけで、なぜか食べる気がおきないんだよ。まあカンヅメだけの方が身体にはいいんだけど、なんか気になるな。おいしいものには必ずとびついていたのにな。自分でもわからないんだ。体調が悪いのかな。

17日(月)
クッ、クッ、クッ。なんだ。おや、ハトだな。そうか、ハトがベランダで雨やどりしているのか。クッ、クッ。それにしても朝早くからうるさいな。店ではカラスがうるさかったけど、ここではハトか。神経にさわるな。おかげで朝のカンヅメの一口目がまたダメだったよ。なんかこのごろ身体の調子がおかしいな。

18日(火)
この家では店でのような朝のナデナデがなくなったが、夜の苦しいカンヅメが終わってから、Yの寝室のジュータンの上でジッとしているのが楽しみだな。暖かい暖房の風をうけながら、ときおりYの手が伸びてきて、すごく心が安らぐのさ。あー、今日も一日が終わったな、今夜の夜食はなんだろうな。そう考えながら、ウツラ、ウツラするのさ。うっかりすると、そのまま寝てしまうこともあるけどな。

19日(水)
寒さも一段落したな。いよいよ春の到来だよ。でも、ワタシにとって春は鬼門なんだ。二年前腎臓病になったのもこの季節だしな。気をつけないといけないんだ。でもついつい調子に乗ってしまうんだ。今夜の夜食は細かく切った煮干しとカツオブシ。うーん、YとK代も気をつかっているんだな。ひさしぶりにムシャ、ムシャ食べたよ。

20日(木)
やった! 陽が射しているよ。さっそくぬる湯のヒナタボッコだ。昼前早くにYが帰ってきたな。おかしいな。臭いを嗅いでみると、なんと店の香りがしたよ。なんだよ、店に行ったのなら、ワタシも連れて行ってくれればいいのにな。Yはそれどころではないようすでテレビを見ていたな。なに、戦争か? 野蛮だな。ネコの世界ではケンカはあっても、戦争なんかないよ。人間の世界は不幸だな。

21日(金)
午前中ノンビリとぬる湯のヒナタボッコを楽しんでいたら、突然暗くなったな。なんだ、と窓を見てみたら、K代がフトンをほしているんだ。なんだよ、邪魔だよ。フトンよりワタシの皮膚のほうが大切なのにな。しかたなくネグラに戻ったよ。こんなとき母がいればな。いま考えると、母の膝の上が懐かしいな。あの温もりはもう帰ってこないのかな。ほんとうにどうしたんだろうな。

22日(土)
朝のカンヅメが終わったとき、Yがカゴを用意したな。なんだ、こんな時間に店に帰るのか。タクシーに乗って店へ、じゃあなかった。店を通り越して、あの動物病院だ。参ったな。二カ月ぶりだよ。そうだ一月に行ったとき、こんどから毎月来なくてもいいと言われたんだ。待ち合い室は満員だったよ。ずいぶんと遠くからきている人、いや犬やネコが多いな。話しを聞いていると、江戸川や横浜から来ているな。そうか、ここの院長先生は評判の名医なんだな。ワタシは恵まれているんだな。体重は前回と変わらず、数値も変化なし。よかった、ホッとした。女の先生から「二年も強制的食餌療法なんですね、ガンバッテますね」。わーい、ほめられたよ。うれしかったな。

23日(日)
朝、昼、夜、夜中、いつも二人と一匹でいると、なにがなんだかわからなくなってきたよ。ワタシは今までこの部屋でずっと生きてきたかのように思えてくるんだよ。わからなくなったといえば、ワタシの片方の眼がどうもおかしいんだ。歩いているとき、ときどき物にぶつかってしまうんだ。歳のせいか見えなくなってきたのかな。そのぶん臭覚でカバーしているんだが。足下もおぼつかなくなってきたし。ジワリ、ジワリとなにかが近づいてきているのかな。まさか。

24日(月)
うわぁー、ほんとうに暖かくなったな。これでは、ホカロン君ともお別れのときが近いな。長い間、ほんとうにお世話になったな。春は別れの季節とはよくいったもんだ。腎臓病とも早く別れたいんだが、なかなか離れてくれないな。ワタシのほうは、とっくに愛想をつかしているんだけどな。ままならないのがこの世の常かな。

25日(火)
残念なことに雨だよ。ヒナタボッコの場所までいったんだが、やむなくネグラまで戻ったよ。きのうの夜あんまり騒ぎすぎたので、きょうは寝ていろというのかな。なんであんなにはしゃいだのかな。ウラ声で鳴きすぎたな。二人も疲れたろうが、ワタシも疲れたよ。昼寝にはちょうどいい雨模様だ。

26日(水)
おかしい。やはり、おかしい。ほんとうに、おかしいよ。だって、こんなにYの家にいていいんだろうか? 店はどうなっているんだ? Yは毎日店に行っているようなんだが、なんにも話してくれないからな。なにか胸騒ぎがしてならないんだ。大変なことが起こっているんじゃあないだろうニャア。

27日(木)
穏やかな日だな。でも、ワタシの心は雲ったままだよ。どうもスッキリしないんだ。思えば、母がいなくなってからだな。なんかおかしな毎日になってしまったんだ。歯車が狂ったというか、タコがタコ焼きになったというか。やはり、母がみんなの中心だったんだな。ワタシの医療費もこれからどうなるのかな?

28日(金)
そうか、また花見の季節がめぐってきたんだな。でも、この季節、ワタシにとってはイヤな思い出しかないな。われらネコ族が秘かに語りついでいるウワサがあるんだよ。あの桜の樹の下には、そう、われらの仲間が埋まっているという、悲しく残酷な話があるんだよ。だって、そうでなければ、あんなにきれいな花が咲くわけないじゃないか。その下でなにを喜んでいるんだ、みんなは。ほんとうにイヤな季節だな。

29日(土)
この家の夜の生活にもやっと慣れてきたみたいだな。夜はウラ声で鳴かなければいいんだ。どうやら両隣りにも人が住んでいるみたいだ。どんな人か、会ったことはないんだけど。要は、その人たちに迷惑をかけてはいけないということなんだ。ワタシはものわかりがいいから、なるべくウラ声は使わないように努力しているんだ。だって追い出されたら大変だもの。

30日(日)
暖かくていい天気だな。ワタシのグースカも最高の音色を奏でていたらしい。K代に言わせれば、素晴らしい爆裂グースカだったらしい。寝ていればイヤなことも忘れるしな。でも、こんなにノンビリしていていいのかな。母は、店は・・・。

31日(月)
うかつだったな。もっと早く気づくべきだったんだよ。やっと、わかったんだ。店がなくなったんだ。もうあそこでの商売をやめたらしいんだよ。店でのヒナタボッコは永遠にできないんだ。母はいない、店もなくなった、ワタシの腎臓病だけが残ったんだ。もうみんなには会えないんだな。悲しいよ、本当に悲しいニャア。そう思うと、いくら歯をくしばってガマンしても、つぎからつぎへと涙が溢れてくるよ。だって、あの店にはたくさんの人との出会い、多くの犬との出会い、いろいろな思い出が・・・、いや、もう過去は忘れよう。これからは、そうこれからは、YとK代とワタシ。年老いた二人と一匹で、新たな旅立ちが始まるんだな。そうニャンだよ。

●みなさん、突然ですがワタシのワガママを許してくださいニャ。お店がなくなってから、意気消沈、ぼう然自失、体調不良、食欲不振に陥ってしまったんだな。身体はボロボロ、眼はウツロ、脚はヨロヨロの状態なんだよ。グースカにグースカして考えた結果、しばらく静養が必要との結論に達したんだよ。もし、体調が回復して機会があれば、そう、機会があれば、こんどは『最後の闘い』になると思いますニャ。ワタシもガンバリますから、みなさんもお元気でネ。長い間ほんとうにありがとうございましたニャアー。