2004年11月7日に私は、フリー百科事典Wikipediaの項「旧石器捏造事件」を全面的に書き換えた。以下はその時点の記述である。現在でも殆どは残っているようであるが、変更履歴はWikipediaで確認する事が出来る。WikipediaはGFDL(GNU Free Documentation License)のオープンソースであるから、無改変・改変を問わず、商業印刷物への転載や再利用は自由であり、許諾も通告も不要であるが、オリジナルがWikipedia掲載である事は明示しなければならないし、改変された派生著作物についても同様のライセンスの適用を求められる(無論、引用はGFDLの適用外)。なお、「旧石器遺跡捏造事件」という言い回しもあるが、回りくどいし、改変前のタイトルを尊重する意味でもそのままにした。[2004.12.31]

旧石器捏造事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』「旧石器捏造事件」2004年11月7日版

旧石器捏造事件 (きゅうせっき ねつぞう じけん) は、ある特定の人物が次々に発掘していた日本の前期・中期旧石器時代の遺物や遺跡だとされていたものが、全て捏造だったと発覚した事件である。

日本の考古学界最大のスキャンダルとされる。

「捏造」を行なっていた人物は、2000年11月の発覚当時、東北旧石器文化研究所というNPOの副所長になっていたが、彼が捏造を開始したのは1970年代にアマチュアとして、宮城県の旧石器研究グループに近づいた時からだった。彼は、周囲の研究者が期待するような石器を、期待されるような古い年代の地層(ローム層)から次々に掘り出して見せ、その事によってグループにとって欠くべからざる人物として評価され、後に「神の手」と呼ばれる迄になった。実際「発見」された遺物の殆ど9割方は、まさに彼自身の手による表面採集や発掘であり、他人の手によって発掘されたものは、彼があらかじめ仕込んで置いたものだとされている。彼が掘り出して見せたり、埋められていた石器は、自らが事前に別の遺跡の踏査を行なって集めた縄文時代の石器が殆どであると考えられている。但し、それらの遺跡は東北地方のどこかのはずだが、完全に追跡され、突き止められるには至っていない。捏造された「偽遺跡」は、宮城県を中心とし、一部北海道や南関東にまで及んでいる。

毎日新聞のスクープで指摘されたのは、宮城県の上高森遺跡、及び北海道の総進不動坂遺跡だったが、彼の関わった全ての遺跡について再点検が行われ、彼の関わった「石器」の多くに「発掘時のがじり」ではありえない傷が認められた。また一部の遺跡について再発掘が行われ、掘り残されていた捏造石器が発見されるに及び、捏造が確定するに至った。こうして、1980年代初頭には確立したと宣言されていた日本列島の「前・中期旧石器」研究は全て瓦解したが、かくも長期間に亘って、一部の強力な批判にも関わらず謬説がまかり通った事について、深刻な批判と反省が叫ばれた。日本考古学協会は、事件発覚後直ちに特別委員会を構成して事件の調査にあたり、捏造の断定と2003年5月の報告書刊行をもって特別委の幕を閉じた。

落ち着いてそれらの「石器」や出土状況を観察してみると、火砕流の中から出土するなど、不可解で不自然な遺物や遺跡であった事が理解されるのだが、当の研究グループはそれを無視し続けた。また、彼らの目覚しい成果に対して、国指定史跡を認定したり、文化庁主催の特別展に展示されるなど、間接的な応援団がいた事も大きい。「前・中期旧石器」が隆盛であった当時は批判が難しく、1986年の批判論文以後、再び反論が開始されるのは1998年の1点、及び2000年発覚前の2点に限られる。1998年以後の批判の要点は、問題の石器資料群が、本来あるべき前期や中期の石器として「おかしい」という批判である。こうした正当な批判は、新聞社のスクープまで、学界として省みられる事はなかった。


※Wikipediaは中項目主義のように思われるので、本記述は文章をなるべくコンパクトに、かつ事件の全体像を見渡せるようにしたつもりだ。そのため、幾つか触れるべき点を欠いているし、話を単純化した部分もあるし、掘り下げも十分ではないと思う。大項目主義なら、また別の書き方もあるだろう。[2005.1.1]

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