01.5.4

事実誤認の訂正

雑誌記事等に見られる、誤解を招きかねない表現についてコメントする。これは、執筆者の意図ではなく、一般にどう読まれるか、という点に留意したものである(だから、揚げ足取りのように受け取らないで頂きたい)。この種の表現や理解は、おそらく他でも見られるものであり、ここで取り上げた記事は(引用しやすい故の)例示にすぎない。
世界  2001.5
新潮45 2001.5

 

『世界』2001.5 岩波書店
発掘捏造事件−埋没する町おこしの夢(足立倫行)

▼2001年1月21日のシンポジウムの討論部分にふれたコメント(248頁)

…石器表面の傷跡や鉄サビなど、これまでメディアで捏造の証拠としてきた項目が、岡村氏や同調者に簡単に退けられる始末。まさに真相は“薮の中”なのである。

1)傷跡とは、石器の縁辺などにみられる「がじり」のことである。この種の問題について岡村氏は、「がじり」の成因については様々な可能性があり、「がじり」=表採品の証拠という対応関係は、これから検証していかねばならない課題である、と述べたのである。
 二重パティナ(剥離面の風化度の相違)についても、捏造でなくても、時代を違えた再利用の可能性もあるので、慎重に検討すべきだと述べている。

2)鉄サビとは、石器表面に付着した「褐鉄鉱」のことであるが、シンポジウム当日に壇に立った菊池強一氏によれば、4ないし5パターンに類別化でき、自然に生じるものと、人工的につく場合があり、識別可能とされている(『科学』2001.2,岩波書店)。また菊池氏を江合川系前期旧石器推進派の同調者とするのは、乱暴すぎる括りである。

 また石器に黒色土が付着している場合があるという春成氏の指摘は重い。これについても、岡村氏は、黒色土付着=表採品という対応関係が成立するのか、また本当に表土由来の土なのかどうか、いずれにしても、現状の予備的な観察で直ちに結論を出すことは拙速であり、慎重であるべきだと述べている。

 岡村氏の指摘は、現時点で灰色遺物を黒と決定することは学問的に不可能だという主旨である。つまり「がじり」や「褐鉄鉱」(および「黒色土」)が表採品の証拠である可能性を全否定はしていない。これは悪くいうと、言い逃れが可能だという程度のことであり、厳密な結論を出すには、拙速な暫定的観察ではなく、厳密な検証が必要だという1点で、批判派と見事に一致してしまう。岡村氏は、誰もが認めざるをえないような、一種当たり前のことを述べているにすぎない。

 続けて岡村氏の主張は、振り子論で締め括られる。すなわち、これまで否定論が圧迫されていたことは暗に認めつつ、今回の事件を機に逆の方向に振り子をふってしまうことの愚を唱える。あくまで学問的検討の文脈において、解決していこう、という呼び掛けである。結果的にいうと、聴衆をして目くらましに成功した形になっている。誰も「簡単に退け」られてはいないのに、そういう印象を与えることに成功している。

 確かに「真相」の追求は困難なことに違いない。厳密な検証に時間がかかることは、誰もが知っている。多少の再発掘は、出発点にすぎない。しかし厳密であることを要求することによって、実は結論の先送りを行うにすぎないのかもしれない。いかなる否定論であれ、ただ厳密さが足りないと批判すれば済むからである。その構図を、岡村氏は設定してしまった。


 

『新潮45』2001.5 新潮社
「遺跡捏造学者」と言われて父は自殺した(賀川 洋)

[聖嶽洞穴遺跡調査結果の事実関係については別ページ参照]

▼聖嶽洞穴出土後頭骨片の鑑定にふれたコメント(95頁)

…週刊新潮は、最近の調査によると人骨は江戸時代のものではないかと指摘した。
…文春はある研究者が、当時の人骨を見て、その人骨の時代にも疑問があると述べたと指摘している。だが、その研究者が見たものはレプリカであった。文春はそのことも記述せず、しかも問題となるオリジナルの人骨の再鑑定もなされていないままに記事だけが先行した。

 念のためであるが、一般に(ややもすると)最近の鑑定によって、後頭骨片は江戸時代のものという推定がなされた、という受け取り方があるので、それはちょっと違うということを指摘しておきたい。

 なお型取りして作られたレプリカは、形質人類学の研究資料として決して不足した存在ではない(年代再測定の必要も含め、オリジナルの鑑定が望まれることは、衆目の一致するところであるが、保管者はまだ応じていないようである−しかるべき手順が必要なのだと思われるが、この期に及んで、やや不可解には違いない)。ここで引用した文言が、レプリカの観察だからあてにならない、というニュアンスで読者に受け取られる可能性があるので、あえて注意を喚起する次第である。

 また、単にまだ研究上の結論が出ていないという話になってしまうと、それは不当な主張である。研究者の結論は、暫定的な観察によるとはいえ、しかるべき留保付きで公の場で公開されている。既にそれは重大な見解として、考古学関係者の間では尊重されており、オリジナルの観察によって大枠が変わるようなあやふやな結論ではない(オリジナル鑑定の必要性があることに変わりはない)。もしも、それを仮説にすぎないと言ってしまっては、いかなる研究結果も、永久に相手にするに価しないことになってしまう(無論、一切批判できないほど最終的結論だと断言するものでもない)。

 形状の詳細な観察は、いかに予備的とはいえ、馬場悠男氏によって既に行われた。観察自体は、基本的に最初の鑑定者と馬場氏に(事実上)共有されているといってよい。問題は、同じ観察結果に対して、異なる解釈が与えられたことである。

 馬場氏の指摘は、かつて原始的と指摘された属性の全てが、江戸時代人骨の豊富な資料の中に見い出すことができるというものである。複数の属性を合わせ持つ個体も珍しくないそうである。異様に厚い骨厚は、属性の一つに過ぎないのだが、それについても、江戸時代人骨に稀だが実在することを見い出している。この(暫定的)結論は、聖嶽資料が、江戸時代人としてもありうる資料だということであり、中世人や古墳時代人である可能性は否定していない。強いていえば、歴史時代人の可能性が高いという(暫定的)結論である。逆に、あまり縄文人的ではないことは認められている。また山頂洞人101(北京郊外周口店山頂洞出土の後期旧石器人頭骨)との類似性については、旧鑑定で、そう判断された由縁に理解を示しつつ、実際には不一致点が多いとして、類似性は強く否定されている(詳しくは報告書に譲りたい)。


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