01.4.4

考古学のモード2

 学問としての考古学を第一義的に担い、その場となるのは、大学や日本考古学協会でしょう。あらゆる分野科学と同様、その求心的な様相を捉えて、これをモード1とします。

 一方、埋蔵文化財と呼ばれる行政セクターの遺跡調査は、文化財保護法や文化庁の政策によって大きく進展し、現在では質量ともに、大学を圧倒しています。原因者負担とはいっても補助金が多いので、結果的に税金の投入も大きい故に、博物館や資料館、遺跡見学会、図録、報道などを通して、市民に遺跡情報を提供し、理解してもらう努力も続けられています。緊急避難であるはずの緊急調査は、今や莫大な資金と人材が投入されています(年間1000億円を越える程度)。

 制度化された埋文行政から生じる情報量は膨大なものになり、整備された埋文センター等では紀要が研究部門を担ったり、そうした制度的な機関を越えて、各地域、各時代、各分野毎に学会・研究会が林立するようになっています。考古学協会の図書交換会で目のあたりにすると分りますが、それはもう、圧倒される程数多く存在します。無論、そうした研究会等の起源は大学の研究室の中などにある場合が多いようですが(初めは学生中心でも、大学出身者が教員になっていく場合が多いので、境界線は曖昧です)、資格制限などせずに全国展開していく場合も多いようです。研究会等の発行する雑誌は、たちまち引用されるようになります。そこに重要な知見が掲載されていれば、当然のことです。

 こうしてみると、大学の正課で研究教育される学問以外に、大学の枠を越えるどころではなく、大学という軸をはずしたところに、第2のネットワークが縦横に形成されているようです。分野科学としての考古学や、唯一の権威ある学協会や学術雑誌への求心力は、もはや控えめにしか見られなくなっています。こうした、モード1におさまり切らない様相を捉えて、モード2とします。

 考古学(それを何と呼ぶにせよ)を生業としている人の割合の殆どは、モード2の側に属しています。

(参考文献:マイケル・ギボンズ編著,小林信一監訳 1997『現代社会と知の創造−モード論とは何か』丸善)

市民の考古学

 思い起こせば、日本の旧石器の認知に至った経緯に在野のアマチュアがいたことは、よく知られています(戦前から北海道に有望な資料があることは研究者の間に知られていたのですが、情報流通の悪い時代ですから、それが旧石器発見の端緒になるにはもう少し時間がかかったのでしょう−岩宿には劇場性があったようです)。無論、発見者自身が大学に通報しましたし、大学関係者の調査によって始めて学界的な認知に至るわけです。

 埋文行政がこれほどまでに発展する前には、市民考古学とでも称すべき取組みもさかんだったようです。日本の歴史を探るのは市民だという発想でした。以前は月の輪古墳のように、かなり学術的に高度な取組みもあったようです。野尻湖は今でも続いています。また山間に古代の城や古墳を探索する市民的な活動もあります。それで現実に遺跡が発見される場合もあります。考古学は、生物学や天文学と同様に、アマチュアの活躍に相応しい分野でもあったわけです。但し地表面の探査だけならいいのですが、発掘調査となると、控え目にやっても大規模な事業になってしまいます(無論、補助金や科研費という可能性もあります)。しかし開発に伴う行政調査の規模には太刀打ちできません。まるで規模が違います。

 一般的に言いますと、最近では、小学生対象の発掘体験会や、博物館で組織化されたボランティア活動などに限定されているような気がします。学術的要素は、専門家たる調査員等によって保証されていますので、市民参加による学術上の問題は生じません。参加していた高校生が、後に大学の専攻生になっていくケースもあるようです。

 いずれにせよ、市民参加の考古学がモード2考察の上では果す役割については、慎重に考察をすすめる必要がありそうです。いかにそれが展開されていようと、学術的な立場から専門家が主体的に関与しますし、専門家の場は既にモード1やモード2で確立されています。

資格制度論の問題点

 緊急調査の民営化、民間化には、調査員のモーチベーションと行動規範の点で、倫理的な懸念がつきまとっています。信頼性は調査員の経験や知識にかかっているので、それが担保されていれば充分なはずですが、行政サイドの調査員と民間の調査員では、どこか立場の違い以上の違いがあるだろうと、漠然と先入観を持たれているようです。

 地域によりますが、民間は、調査支援に徹するというスタンスも根強いようです。文化庁の指示でも、民間導入にあたっては、行政内に指導監督能力を求めています。しかも本来は、行政自前の「発掘調査組織」の存在を前提としているのです。

 行政内であろうと、行政の外であろうと、調査員には普遍的な技術と規範があるはずです。こうした微妙な軋轢や矛盾が、他の分野でどう解消されてきたのか、埋文プロパーである筆者は詳しくありません。最近、埋文の世界で話題になりつつある資格制度論も、そうした文脈で歓迎する向きがあるようです。しかしこれについては疑問を呈さざるを得ないようです。

 そもそも埋文界の資格制度論には狭義と広義があるようです。 1)狭義:「文化財保護主事」を法的に定義し、根拠を与える。 2)広義:全国共通の技能検定。地域分けもあり得る。

 広義の資格制度案は、具体案を論じる段階ではないようですが、主眼は調査員の資質を確保することにあるようです。狭義の立場では、専攻や一定の経験を基準にする程度のようです。

 そもそも資格制度の発想の発端は、埋蔵文化財担当職員に、考古学専攻でない教員の配置転換者を充てる例が増加してきたことにあるようです。職員中の専攻出身者の比率は県によって14%〜100%まで大きな開きがあるのですが、現場には悲惨な調査員の実態があるそうです。例えば、適切な調査進行が行なえないとか、図面の記載が心もとないとか、要するに調査員としては未熟な人間が、調査量消化のため、調査員の職責を任せられている現実があるということらしいのです(本来は熟練者によるバックアップがあるはずなのですが、後手に回っている)。しかし、そういう実態の解決に役立つのは、資格制度ではなく、むしろ適切な育成システムやバックアップではないでしょうか。

 しかもよく聞くと、実は調査員の適性を問題にされているようなのです。しかし一般に「資格」は知識や技能を検定することはできますが、適性を図るものではありません。充分な資格や経験が、適性の証明にはなるとも限りません。エアラインのパイロットや外科医師ですら、不適格者はいるものです。

 調査員は、ある意味で研究職であることが前提ではなかったでしょうか。少なくとも「研究マインド」を持たないと、一体なにを苦労して発掘しているのか、分らなくなってしまいます。正当な好奇心のみが、調査の礎です。正当な好奇心を保証するのが、学識によって正当に動機付けられた研究マインドです。調査は、工事ではないのです。理化学的な測定でもないのです。多少とも研究マインドを持たずに、調査資格を行使するだけの現場は、学問の荒廃を招くだけでしょう。

モード論で把握する埋蔵文化財の世界

 これまで、埋蔵文化財の世界が、考古学との関係を理解しきれなかったのは、痛手でした。その関係の整理にモード2論が役立てる可能性は高いと思います。両者は似ていますが、同じではないのです。求めている知識は似ていますが、微妙に軸がずれています。日本の大学は、調査員の養成など、殆ど考えていないのです。そんな余裕がないのです。大学では、基礎を学ぶのに手一杯です。調査員は皆、現場で仕事をしながら養成されていきます。

 モード論は、新たな知識生産の場を認知し、それを科学政策の基礎に置くことを求めています。埋文行政の発展がもたらした重要な社会的効果が、モード2でした。モード2で生産された情報は、モード1でも全て受け止めることができず、溢れています。

 一般にモード2は社会的な要請に敏感です。アカウンタビリティというやつです。知識の結論が重要なのではなく、現実の調査の程度、保存や整備の具体案が求められてしまうからです。


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