聖嶽洞穴問題は、極めて微妙で困難な問題である。2003年5月15日の地裁判決を踏まえて、本サイトでの一定の認識を示したい。(03.5.17/03.5.26…補記、04.9.1…追記) ※会報No.153−p.8へのコメント

聖嶽問題:地裁判決の後で

訴訟開始前の遺族側主張(2001年9月)

●週刊文春(文藝春秋社)を提訴した際の記者会見資料による訴訟趣旨の摘記(2001-09-16連絡舟投稿0071を基に独自にまとめた)

  1. 週刊文春は1月25日号・2月1日号・3月15日号において、1961・1962年の調査成果による聖嶽遺跡が、捏造されたとの疑惑を掲載した。
  2. 故賀川光夫があたかも捏造に関与したかのような報道を行った。
  3. 特に3月15日号において、故賀川光夫が調査に関わった法鏡寺跡遺跡や虚空蔵寺遺跡などに対しても事実誤認に基づく記事を掲載した。
  4. 以上の結果、賀川氏を自死に追い込んだ。
  5. 本人の生前の抗議を隠した虚偽の記事を掲載し、故賀川光夫がこの件について学術的なアプローチを拒否しているかのように見える記事を掲載した。

●また遺族側見解として別記されたものを整理すると(独自に摘記)

  1. 問題の焦点は、あたかも賀川光夫が捏造に関与したかのように報道したことである。
  2. 故人の学問的業績ではなく、人格的名誉を守ることを主眼としている(筆者注:遺跡が後に学問的に否定され、それが故人の学問的業績の一端を損ねるものであったとしても、それはやむを得ない事であるが、捏造疑惑という人格的名誉に係わる問題は別)。
  3. 遺跡の学術資料としての評価は、訴訟とは無関係であり、純粋に学術的問題として追及されるべきである。(筆者注:純粋に学術的問題としての追及は、故人の願いとも一致すると、遺族側は繰り返し表明していた)

地裁判決(2003年5月15日)

●約5500万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めた訴訟の判決で、大分地裁は名誉毀損の成立を認め、660万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じた。これに対して、文春側は5月19日控訴した。後日、遺族側も控訴した。

裁判の争点

●客観的にみて、争点は何であったのだろうか。関係者間に認識のずれがあるにせよ、議論は十分に行われていないようだ。
 報道(西日本新聞2003年5月15日)によれば、裁判の争点は、

  1. 文春記事が賀川氏の捏造関与を断定しているか。
  2. 捏造が事実であると指摘するだけの根拠があったか。

だったようである。これが実際の裁判の過程を反映したものだとしたら、奇異である。文春記事が賀川氏の捏造と断定しているとは、遺族は主張していなかったように思われる。「捏造疑惑について、賀川氏が関与しているかのごとく読者が誘導されるような記事だった」という主旨の主張だったのではなかったか。文春報道が「調査組織及び/ないし調査責任者の関与について断定的」であったとは、誰も主張していなかったはずであり、仮にそうだとしたら、争点が違ってくる。それに客観的に見て、元より「断定」が不可能であることは、明白である。特定の人物の捏造関与を証明する証拠は、普通に考えて有りえない。

 判決の結論としては(報道によれば)、

  1. 一般の読者に誤った印象を与える記事だった
  2. よく調べれば「賀川氏の捏造関与に疑問を抱くことは可能だった」

となっている。前項の意味は分かるが、後者は問題である。実際のところ、裁判の争点は賀川氏の捏造関与の当否や証明だったのだろうか? どうやら、裁判の指揮は、実際にそのように行われたようである。「(賀川氏は)捏造者であれば通常とらない言動」をとっていたとの裁判長の指摘もあるが、違和感がある。これは、賀川氏の捏造関与が記事編集方針の(明言されざる)前提であったという認識であろうか? もちろん、編集部はこの点については全面否定するだろう[下記補記参照]。但し、訴訟趣旨の末尾によれば、賀川氏が検証に対して前向きな態度をとっていた事をあまり印象づけないよう誘導するような報道であったと、原告は考えているようだから、(実際に裁判長は)この点を考慮したかもしれない。

●結局この裁判は、何が争点であったのだろうか? 遺族側の本来の主張からも、被告の主張からも、論点として隔たっていた可能性があるのだが、なぜこのような事になってしまったのだろうか。単純にいって、本裁判は名誉毀損の案件である。名誉毀損には固有の争点があるから、その文脈で、法律家達が真実性とか公益性を争点にしたのかもしれないが、それにしても前掲の訴訟趣旨を踏まえると、分りにくい推移である。

【03.5.26補記】
 裁判資料を閲覧する以外に疑問を解消できないとは申せ、その余裕はない。文春側は2002年5月28日の第3回口頭弁論で 1)「遺跡に問題点がある事」自体の真実性、及び2) 賀川氏の(捏造関与を記事で特定しているわけではないが)捏造関与自体の「可能性は有り得ると信ずるだけの根拠があった」と主張したようだ。これによって、「記事が賀川氏の捏造関与を一般読者に示唆してしまったとしても、文春の行為に問題はない」と主張したかったのであろう。しかし前項は理解できるが、後者は公言としては如何にも踏み込みすぎた主張であろう。まして、記事そのものではない領域での主張である。
 いずれにせよ、こうした裁判展開によって、 1)遺跡自体の正当性と 2) 賀川氏の捏造関与が争点になってしまったようだ。文春の主張は「賀川氏が捏造に関与した可能性がある」という風に受取られ、判決は「賀川氏が捏造に関与していない可能性」を認定したようだ。「捏造に関与していない可能性」が認定され、「捏造に関与した可能性」の方は認定されず、否定された事になる。
 しかし(あくまで論理的に考えて)、両者は排他的な命題だろうか。「捏造に関与していない可能性」の証明は、「捏造に関与した可能性」への反証となるとは思えない。「捏造に関与していない」事を正面から証明しなければ、「捏造に関与した可能性」への反証とはならない。それこそ、物理的に「捏造関与」は不可能であったとか、そもそも「遺跡自体に捏造の可能性が全く無い」と証明しなければならない。
 実際の所、遺跡には問題点があり、遺跡形成過程に何らかの「作為」が作用した可能性は充分にありうる。しかし「作為」を推論として論じる事は可能だが、「作為の実行者」も「作為の時期」も一切不明であるし[2004.9.8追記:最も古い作為の推定時期は中世である…中世人が民俗学的な理由から黒曜石石器を収集し、洞穴内にもたらしたというもの]、具体的に有効な情報も存在しないはずだ。原告・被告・判事とも、論証不可能な隘路にはまっているようにも思える。
 繰り返しになるが、遺跡に関する事実関係の追求は、原告側は避けたかった。それは学問の領域に属する事であり、争点はもっと世俗的な所にあると。しかし被告側は「(仮に)捏造関与を一般読者に示唆してしまったとしても、捏造及び捏造関与の可能性はある/あると信ずる相当の理由があったのだから、 文春側に責任はない」と主張した。この主張は、本質的には真の事実関係の認定である必要はなく、「可能性があると信ずる相当の理由」の存在を証明すれば済むように思える。この場合の「相当の理由」は、文春側の得ていたはずの情報から演繹されればよいように思える。

学術資料としての遺跡評価

●遺跡自体が重大な問題点を抱えている事については、争点ではない。西日本の考古学関係者の一部には遺跡の当否が議論の対象であるとの認識があるようだが、議論は継続中にせよ、これは裁判の争点とは係わりが無いはずである。既に明らかになっている事実からは、当初の認識、細石刃文化と人骨の共伴は、ほぼ完全に否定されている。そうではなく、異なる時期の遺跡が複雑に絡まりあった複合遺跡としての可能性が、まだ完全に否定されていない、という主張ならあるように思われる。無論、この可能性の主張は、遺跡の内容に関して、何らかの欺瞞的作為が一切無かった可能性を追及する文脈にある。

結論

●学術的主張としては、「再調査の結果、遺跡の内容は、通常の遺跡として極めて不自然であった。従来の遺跡評価は瓦解し、もはや従来の主張通りの学術資料として使用できない。また、元来の資料の全面的な確認が難しい状況が続いており、詳細については、今後の課題である。」というようにまとめる事ができるだろう。

●文春記事の印象は、次のようにまとめる事ができる。すなわち「欺瞞的な作為が、最初の調査関係者の人脈周辺に存在した可能性がある。」ここで文春が踏み越えた一線があるとしたら、欺瞞的な作為が、組織された調査団関係者の外部に存在した可能性を、十分に考慮しなかった事だろうか(ただし「第二の神の手」というキャッチは、アカデミズムの外部に実行者を示唆=読者を誘導するとも言える)。だが、元来の出土資料が不明確になってしまっていたように、別府大の対応にまずさがあった事も事実である。何が真実であるのかについて、別府大の考古関係者は、自ら混乱を招いていたのである。それらの情報をまとめて提示されれば、疑惑を示唆=読者を誘導してしまう可能性は否定しがたい。それらをまとめて記事にされた事について、第一の責任の所在は明らかである。記事にするなという方に無理がある。

●元来の遺族側主張は、文春記事が読者に誤った印象を与えた事である(と解釈する)。慎重な取材と慎重な筆致であれば、もう少し違う印象の記事に出来たのではないか、そして特定の個人を破滅に追い込む結果とはならなかったのではないか、という事であろう。特定個人の名誉が毀損されたかどうかは、裁判所にしか判断できない。

【04.9.1追記】
 2004年7月15日最高裁で原告勝訴が確定し、920万円の支払い、および9月2日号『週刊文春』目次頁下部に「謝罪広告」が掲載された。最高裁は、高裁の命じた謝罪広告について「単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる程度のものである」としたようだ(『週刊文春』9月2日号、p.157)。実際の謝罪広告は下記の通りである。なお、文責は裁判所のようである。

故賀川光夫別府大学名誉教授に対する謝罪文
 週刊文春二〇〇一年一月二五日号、同年二月一日号、同年三月一五日号において昭和三〇年代に大分県聖嶽洞穴遺跡から採取された石器が捏造であり、同遺跡の発掘調査の責任者であった賀川光夫別府大学名誉教授があたかもその捏造に関与した疑いがあると受け取られる一連の記事を掲載しましたが、これらの記事のうち、石器が捏造であること及び同教授がこの捏造に関与したことは事実ではありませんでした。
 この記事により、故賀川光夫別府大学名誉教授の名誉を傷つけ、ご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。
  株式会社 文藝春秋(以下略)

 少なくとも、行き過ぎた筆致の記事を掲載した事の謝罪がなされたには違いない。名誉の回復行為として認められるだろう。ただ一般に、謝罪広告の強制が良心の自由を侵害し、違憲であるとの見解には肯ぜざるをえない(文面の強制という要素も大きいから、裁判所と当事者間で文面を調整する事は出来ないのだろうかとも思う)。

 さて刑法上、[1] 公共の利害に関する事実を、[2] 専ら公益をはかる目的で、[3] 事実が真実であると証明されると、名誉毀損にはならない。この事件では、[1] [2] はあまり争点ではないから(報道内容の公共性と公益性)、事実の証明が争点になったようだ。裁判の結論は、[A]「石器が捏造である」は事実ではなく、[B]「賀川氏が捏造に関与した」は事実ではない、である。

 本稿の結論は補記で述べた通りであるが 、判決確定後の謝罪文を読んで複雑な思いを新たにした。捏造であるかどうかが争点になったことは、遺族側の望むところであっただろうか。捏造であるかどうかは、遺跡の学問的評価と直結する問題である。

 最初の報告者が下した結論(細石器と人骨の共伴)は、もはや学問上は事実として扱われることはないだろう。それは考古学的判断の誤りだった。ただ、洞穴と石器をめぐって欺瞞的行為が全く介在しなかったのかどうかは、今も藪の中だ。[A]「石器が捏造である」かどうかをめぐって言えるのは、捏造が行われたと断定できる証拠はないという事であり、「捏造の事実はない」とまで表現してよいものかどうか。司法は、利害関係の調整は行うべきかもしれないが、学問上の争点に関与する局面では慎重になるべきだ。この事件は、あくまで原告と被告の利害関係の調整に留まるべきだった。

 間違っている事があったとしたら、「スキャンダルを印象付けた」編集部の編集方針であって、「遺跡に重大な問題があった」という理解は間違っていない(この遺跡に重大な問題が無いとするためには、かなりアクロバティックな推論を必要とするし、しかも今後の研究調査や議論は開かれており、自由だ)。この裁判で重要だったのは「遺跡の評価」でもなく、「故人の学問的業績」でもなく、「人格的名誉を守ること」だったはずである。


「聖嶽洞穴遺跡問題について」(日本考古学協会会報No.153、p.8、2004年12月1日発行)へのコメント

 旧小委員会のメンバーによると思われる上記コラムに、気になる文章がある。

 現在学問の分野では(中略)それを論証するには客観性のあるデータの裏付けが必要である。そして今回の場合、最高の第三者機関である最高裁によって、捏造疑惑に根拠が認められないことが明言されている。私たちはこの事実を重く受け止めるべきである。[全文ソース]

 これはおかしな議論である。最高裁は司法の最高機関であり、あくまで名誉毀損裁判の文脈で判断を下したものであって、学問上の結論を出す場ではない。そもそも、最高裁のふるまいの文脈上、反論不能である。学問上の結論は学界で求めるべきものだ。他の文脈上での誰かの意見は、根拠にはならない。さもないと、学説上の対立を、裁判で解決すればよい事になってしまう。それこそ学問の自殺行為ではないか。【04.12.9追記】捏造の認定を求めるような裁判の展開は、文春の途中からの方針転換でもたらされたもので、それ以前は誰も捏造疑惑の真実性を主張していなかった。念のため。【04.12.12追記】


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