index 歴史資料の未来形 index 02.11.21

(1)紙の時代は終わるのか

●情報革命とコンカレンシー

 IT(アイティー)とは情報技術(Information Technology)の略語ですが、元来は「デジタル情報技術」でした。実態は、コンピュータ、ネットワーク(通信)、データベース、ソフトウェア、サービスといった様々な技術や装置・設備を指しています。要するに情報をデジタル化して扱うわけですが、それで何がメリットなのでしょうか。情報の生産と流通の技術革新が、その本質だろうと思います。日本では高度情報化社会とも言っていますが、高度化した情報技術は、文明史的な革命をもたらすだろうと言われています。

 かつて農業革命は文明そのものを成立させました。農業革命自体は、食料生産の技術革新です。また産業革命は、工業化社会をもたらし、近代化と現代社会の基本要素となっています。元来は動力源として石炭が採用されたエネルギー革命が発端でした。大量生産が基本原理であり、その原理に従う場合のみ、文明の恩恵に浴することが出来ます。そして3番目の文明史的革命が、情報革命というわけです。農業革命や産業革命が社会制度を根本から変えてしまったように、情報技術も社会を深いところで変えていきます。その変革のプロセスは既に始まっています。

 情報革命の助走の時代は、1990年代前半に終わっていたと思われます。ターニングポイントは、WWW(ワールドワイドウェブ、略してWeb)でした。Webの成功によって、インターネットを介した情報共有(文書の共同閲覧環境)がトレンドになりました。また、あまり表立って語られることはありませんが、助走の時代から基調となってきた一つの目標があります。それはコンカレントということです。コンカレントは直訳すると同時とか並行という意味ですが、要は情報技術を駆使した情報の(1)高精度化、(2)豊富な情報量、(3)迅速な情報共有を意味します。情報収集(Information)→意志決定(Decision)→行動(Action)というサイクルが、コンカレント化、つまりIT化によって大きく変わるということです。この変化は組織原理や人間関係を変貌させ、社会のあらゆる局面に及ぶでしょう。

●電子出版の野望と挫折、復活

 1頁1200字(40字×30行)で400頁の単行本があると仮定します。発行部数が多くても2000円以上はするでしょう。かなり厚い本です。(古い言い方ですが)原稿用紙1200枚に相当します。1200×400=48万字です。日本語は2バイト文字ですから、96万バイトになります。これは937.5KBです(1024バイト=1KB)。多少の書式情報を付け加えても、フロッピー1枚に収まってしまいます。生フロッピーは1枚40円程度ですから、フロッピーにコピーするだけなら、恐ろしく安くつくことになります。紙コピーでは、こうはいきません。もちろん複製にかかる機器や人件費、パッケージ代、流通経費等を考えれば、話がそう単純でないことは、想像に難くないでしょう。

 CD-ROMが利用可能になって以来、その大容量性とコストから、大いに期待されました。最初に成功したのは広辞苑のCD-ROM版でした。これは、検索系コンテンツでスタンダードとなったEPWING規格の元になりました。SONYは8cmCD-ROMをカートリッジに入れた電子ブック(EB:Electronic Book)を提案し、これは電子出版として一定の成功をおさめました(今日では、チップROMの電子辞書が主流ですが)。結局CD-ROMはPCソフトウェアやゲームのパッケージとして大成功しましたが、電子出版のメディアとしてはブレイクしませんでした。いわゆるマルチメディアは、アートの一種になってしまい、ゲームはその普及版のようになっています。DVDのような直接的な動画の方がマルチメディアの直系の子孫のように見えます。出版系としては辞書や事典でのみ評価されています。

(1)ローコスト、(2)大容量、(3)機能(いわゆるマルチメディア性)に着目したのが、90年代のデジタルメディアへの取組みでした。当時、電子出版は気にはなるものの、パッケージとしてのそれは、出版業界や印刷業界にとっては恐るるに足りない存在でした。しかし90年代後半にはインターネット(事実上はWeb)が隆盛し、事態を一変させてしまいます。メディアとしてのデジタルが、ネットワークによって活性化したのです。

 90年代には読書端末も何度か登場していますが、専用端末の全てがほぼ失敗に帰しています。最近(2002年11月)、マイクロソフトからタブレットPC(Windows XP Tablet PC Edition)が出ましたが、このハード製品を読書端末とみなす案も出ています。

 汎用端末としては、PDAや携帯、デジタルテレビも無視できないところです。紙メディアへの世界は、既に包囲されているようにすら見えます。

●フォーマット

 遺跡報告書のCD-ROM版は1998年に登場しました(「岡本前耕地遺跡」)。 実は、データをフロッピーやCDに収録する例はそれまでもあったのですが、本編も含めて収録したのは上記例が嚆矢でした。フォーマットはPDFとHTMLの併用でした。以来、実例は40以上に増えたのですが、HTML編を用意した例は少なく、PDFが圧倒的です。HTML制作の敷居が高いことを示しています。PDFはDTPの主流を作り出したアドビの提案によるもので、汎用電子文書形式として世界中で定着しています。

 PDFのメリットは、デファクトスタンダードであることに加え、 1)ローコスト:DTP(ワープロ)から容易に変換して作成できる、 2)汎用性:リーダーがあれば、どのマシンでも読め、印刷も可能、 3)高機能:解像度に依存せず、リンクや動画も入れられる、といったことです。

 解像度に依存しないのは、HTMLの特徴でもあります。これは、初期の電子出版で主流だったハイパーカード、DirectorやExpanded Book(エキスパンドブック)では考えられなかったことです。現在では、エキスパンドブック技術は、解像度非依存のT-Timeやドットブックに移行しています。

 またHTMLの隆盛は、SGMLの改良版であるXMLを生み出し、XML系の各種文書フォーマットが主流になっています。日本で最も有力な電子出版フォーマットであるXMDFもXMLです(暗号化されますのでユーザには見えませんが)。PDFとXMLは将来も共存していくと思われます。ちなみにマイクロソフトやアドビは、電子出版フォーマットとしてOpen eBookを推進しています。

 こうした新世代のフォーマットは、(デジタル)コピーライトマネージメントがしっかりしています。これはデジタルコピーを管理する仕組みで、原則としてユーザーによるコピーが制限され、可能な場合でも対価が必要なようになっています(オンライン認証)。

 フォーマットといえば文字自体の問題も重要です(歴史資料ならなおさらでしょう)。文字コードには、規格の問題と、実装の問題があります。規格といえばJISコードJIS X0208に定められていますが、合計7479字の第一水準、第二水準が、最も共通する(つまり必ず実装される)ものとなっています。これを逸脱すると実装依存、つまり機種依存文字になってしまいます。

 実はWindowsでは補助漢字(JIS X 0212)、MacのOS Xでは第三水準、第四水準(JIS X 0213)が実装されています。0212と0213は矛盾しているのですが、いずれにせよ、ユニコードが実際の文字コードになっています。ユニコードではCJK統合漢字として20902字が制定されていますが、これも更なる拡張を進めつつあり、ユニコード3.1で合計70195字になったようです(最新の3.2でJIS X 0213正式版が反映)。

●オンラインジャーナル

 国立情報学研究所では、NACSIS-ELSと呼ばれる電子図書館サービスを整備中です。これは元はオンラインジャーナルと呼ばれていたもので、学会誌を独自のXMLでコンテンツ化し、オンライン閲覧を可能にすると共に、学会毎に異なるポリシーの課金を可能にするというものです。閲覧は無料でも、印刷は有料という場合もあります。これで学会誌発行のコストダウンと公開普及の利便性を図るというわけです。

●物理的所在からの自由

 IT時代の「本」「雑誌」「新聞」はどうなるのか。この問題を語る主な要素は表面的には以下の4点です。

「本」が「コンテンツ」でよいなら、「本」は広義の「電子図書館」の機能の中に包含されてしまう可能性が高いと思われます。コンテンツとはデジタルデータですから、ディスク(基本的にはハードディスク)に格納されたデータを読めればいいわけです。その時、データ自体の物理的所在は問われなくなっています。ディスプレイで表示され、遅滞なく快適に閲覧できれば、必ずしもデータをローカルに保持する理由はありません。もちろんオフラインであっていけない理由もありませんから、オンラインとオフラインをシームレスに扱う技術も有効です。蔵書がオンライン化されるともいえますし、ローカルな蔵書はキャッシュ(一時仮置きデータ)になるのかもしれません。

 読書履歴や書込みの機能が求められるかもしれません。こうした機能は電子出版フォーマットの多くでは意識されるところであり、そうしたユーザー個別のデータを、オンラインのユーザーエリアに用意しておくことも可能です(セキュリティのかかった専用エリアです)。

 オンライン化のメリットとしては、ユーザーサイドでのデータ喪失のリスク回避も指摘できます。移動先や旅行先で、自宅同様の蔵書環境を再現することもできます。

 コスト構造とは、事業としての出版の経営構造の問題です。おそらく当面は大量消費(工業化社会の特徴)の原理に則るものは紙メディアとして残り、少量生産品は電子化するのではないでしょうか。学術メディアは、典型的な少量生産です(多くは1000部以下)。なお、オンデマンド印刷が、過渡的ながら、そうした少部数出版に採用されるかもしれません。


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