01.7.14

土器(ないし遺物一般)の年代が分るとは… 本稿は、この問いの基礎をなす「型式」と「編年」の、理論的な成立機序(mechanism)を、ごくベーシックに整理してみたものである。

型式と編年の機序

 普通、素人が土器片を見ても、厚さ、硬さ、あるいは色調くらいしか分らないものである。形が良く残っていれば(あるいは完形ならば)、印象としての形から、認識しやすいが、それは一般的には望めない。エキスパートなら一部の文様で型式が分る場合も多いけれど、それは型式の認識が成立した後の話である。要するに土器は、型式としてまとめられて、はじめて(ちゃんと)認識される(注1)。

■命題:出土した土器群はグルーピングされ、それぞれ型式として識別され、まとめられる

 一般に分類は、上位分類から、下位分類に向かって詳しくなっていく(注2)。分類の基準は、属性と呼ばれる。これはトートロジー(同語反復)かもしれないが、何らかの属性に着目して、一定の分類を行うという意味である。

 実際には、同じ属性が、場合によってチェックされたり無視されたりする。一定の基準を維持するのは、実際には難しい。厚さ、硬さ、あるいは色調、文様すら、一つの完形土器をベースにしても、部位によって様々である。破片となった後に、異なる遺存環境に置かれ(一種のタフォノミー=化石形成作用)、異なる様相を呈していることも稀ではない。結局、総合的に判断して、同じ土器のグループに属し、特定の型式に属しているということになる。

 属性という基準は、恣意的に用いられているだけなのか?という問いは、避けがたい。実際には、ベテランは僅かな属性の違いで型式が違うことを識別している。解決策は、観察の場数を踏むことでしかない。それは、職人芸かマニアの世界に近い。これはどういうことかというと、そういう識別の根拠はきちんと明文化されていないということである。文字に直すと非常に面倒なことになり、しかも一般に難解で、そうした文章を理解するためには、実際にはマニアの域に達するくらい場数を踏むしかないから、結局文字に表すだけ面倒ということになる(注3)。分類の基準が全て明文化されれば、土器分類のAI(人工知能)→エキスパートシステムが作れそうなものだが、実際には夢物語に近い(どなたかやってみますか?…多分、翻訳システムと似たような性能にしかならないだろう)。

 属性の取扱いには恣意性があるので、上位分類から下位分類まで、整合的なものではありえない。異なる見方をすれば、こういう違いが観察される、という程度のことでしかない。これでは、分類の不可能性を主張しているに等しいようだが、その懸念は正しい。実際のところ、真の観察者はパターン認識をしているのであり、個々の属性は参考情報でしかない。

■命題:属性の認識と、型式の認識の間にあるギャップは、パターン認識によって埋められている

 任意の土器片が、特定のグループ(型式)に属するかどうかを確定する前に、大体のところが判明している型式の時間要素を、層序の良好な遺跡で確認することになる。ここで地層累重の法則が使われる。実際には、殆どの場合僅かな時間差の土器型式であるから(地質学的な時間に較べれば新石器時代以降の時間など一瞬...)、層準がセパレートして存在していること自体がラッキーというものだが、普通そのようなラッキーな現場は貝塚に見られる。

 セパレートの様態は、なるべくはっきりしている程よい。出来れば、間層(上下の包含層の分離を保証する中間層)があるとよい。つまり間層によって、下の層がパックされているとよい。極端な例は火山島で見ることができる。テフラによって、明らかにパックされているから、前後関係は明瞭である。貝塚では貝層がユニットとして堆積しているから、それによって時間平面を画することができる場合がある。

 あまりはっきりしていないセパレートも多い。住居址出土遺物はその傾向がある。竪穴式住居の穴の深さの中で、その覆土に地層累重の法則が成立しそうなものだが、あまり当てにはならない。住居址出土遺物は一般に、床直遺物と、覆土中の出土遺物に括られる。覆土中遺物の主体は、埋まりかけて窪み状態になった住居址に対して、まとめて土器が捨てられているものを指す。しかし周囲の土壌に古くから包含されていた土器片もあるだろうし、廃棄の時期がどの程度狭く限定できるのかどうかも、あまり保証されていない。

■命題:一括出土遺物の同時代性は、あてにならない(注4

 床直遺物とは、床面上に遺棄されたであろう遺物を指す。これは多かったり少なかったり色々であるが、これにしても、遺構の年代と遺物の年代が一致するのかどうか、当てになるものではない。慎重に検討した上でも、多分そうだろう、という程度の精度でしかない(慎重な検討は、あくまで有益であるけれども)。

 層序的に非常にめぐまれて、幾層も分層可能に見えても、必ずしもその認識が正しいとは限らない。検討の結果、全部まとめて一括遺物ということもあるし、やや悲しい結果であってもそれを受け入れるしかない(こともある)。なお経験上、殆どの遺跡は、層序的にめぐまれていないといってよい(地域によるけれども)。

■命題:出土層準の上下関係に従い、型式間の前後関係が認識される

 ちなみに、最初に土器の外見上の分類を行っておいたのは、その分類に意味があるかどうかを、実際の出土状態で別の時間に属するものとして分離できるかどうか、検証するためである。つまり最初、型式は作業仮説である。

■命題:型式の認識は、時間的分離の確認によって、始めて認定される

 多少とも型式が認識され、時間的前後関係が知られていけば、それらの情報を地域的全国的に集成していくことになる。そうして、土器の編年(クロノロジー)が組まれていくことになる。なおこの場合の編年は相対的なものだから、絶対年代(暦年代)との照合は、また別の話になる。

補足

 教科書的にいうと、型式論は、形状(文様帯)の様式的変遷や連続性、ないし断絶で語られることが多い。ただ、見かけ上の系譜が、事実系譜であると限らないことには注意しなければならない。そうした変遷は本来作業仮説であるから、現場での知見によって検証するしかない。型式の下位分類も、結局時代範囲を狭くした型式だから、それぞれの単位において、前後関係が検証される必要がある。個々の型式及び亜型式が、どこの遺跡で確認されたかは、本来注意深く引用されるべきである。

 組み立てられ、完成度の高まった編年に詳しくなれば、そこに形状や文様の変遷を見てとることは容易である。ただし検証の難しい細部は、様式論や系譜論による推定が補っている可能性も高い。実際、研究の途上では、様式論や系譜論と層序論の相互作用は、手法として有効に機能する。


注1. 型式が、あらかじめそこにあるものを発見する過程だと考えると本質主義的であり、研究者が研究上抽出して構成したものと考えると構築主義的である。実際には、二者択一の議論ではないように思われる(いずれの要素も認められるし、しかもそれらばかりでない)。一般に構築主義は、構築される言説や叙述に、研究者自身が意図しているとは限らない、先入観や思考の枠組みが反映してしまうという、反省の文脈で用いられる。

注2. 分類を、単純な階層モデルだけで理解するのは、少々無理があるのだが(現場では、分類の不可能性に直面することが多い)、理念的によく練られた分類が、階層モデルに沿ってしまうのも事実。分類を厳密に考えると、破綻する可能性が高い→この難点を解消するために、先人は苦労してきた(らしい)。分類は、後に述べる検証によって、意味あるものであったことが追認される。

注3. 画像を駆使して、理解を助けることは可能かもしれない... これまで、コストの関係で出来なかったことだけれど、デジタル情報技術を駆使すれば、あるいは...

注4. 一般的には、一括遺物は、良好な同時代性の遺物群として扱われることが多い(伝世品を含む可能性は、別途考える必要があるが、資料としては、出土した事実をそのまま受け取っておきたい)。別の時代の遺物が混入する可能性は、状況次第なので、現場で個々に判断するしかない(現場での判断が正しいとは限らないけれど)。


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