情報化…ドキュメントマネージメント…知識のサイクル…出版行為のサイクル
98.7公開…99.12.26著作権問題…99.12.28有償問題…00.4.25エゴコンピューティング


情報化の目的と問題点

エゴ・コンピューティング

 パーソナルコンピュータの歴史を振り返れば、スタンドアローンのパソコンから、企業レベルのグループコンピューティングへ、そしてサイバー化が進行すると(電子行政...)、ソーシャルコンピューティングに移行するとみていいでしょう(その基本はWebですが)。しかし、まだ先がありました。オンラインサービスがパーソナライズされると、再びパラダイムは個人に戻るのです。

 家庭における動産の内、メディア/情報といえるものは、将来、全てサーバベースの扱いに移行すると思われます。サーバといっても、(少なくとも)見かけ上はプライベートなもので、エゴセントリック(個人中心)な環境を提供します。サイバー化の必然なんですが、いわば、エゴコンピューティングです。サーバ/データベース/ネットワークといった技術が、個人的な引出しとして利用されるわけです。

 本稿では、情報化を社会的なコンテクストでとらえていました。しかし、どうやらエゴコンピューティングが情報化の着地点のようです。
<以上、2000.4.23追加、00.4.25「プライベート」→「エゴ」>

情報化の効能

 いわゆる情報化(電子化)には、主に4つの要素があります。

  1. 情報作成の道具的要素
  2. 広い意味での出版的要素
  3. データベース(その意味するところは非常に広範ですが)
  4. ネットワーク

 情報化によって実現が期待されている実際的効能は、主に次の3点に集約されます。

  1. 文献管理(情報の保管と管理)
  2. 情報公開(情報共有)
  3. 電子図書館

 これらは、同じ機能の、別の側面を表しているともいえます。それは個人であれ、集団であれ、ドキュメント(知識)が循環し、新たな知識の再生産が行われるサイクルを指向します。それは、ある種のオープンな文書管理システムを意味します。

 パソコンが生まれたアメリカでは、コンピュータ登場以前からフォルダーやキャビネットに象徴される文献管理のノウハウが確立しており、タイプライタ文化と共に、コンピュータ文化のバックグラウンドをなしています。体系的な文献管理によって、「文書」(それには当然、図・表・写真が含まれますし、それらが主役の場合もありえます)は、個人的存在からパブリックな存在に変わります。また、情報公開とパーソナルコンピュータは、その誕生の段階から密接なつながりの元にありました。知識と民主主義が、コンピュータとネットワークの活用で、新たに結びつくわけです。

 情報化の最終目標は、知識のサイクルの電子化といえます。紙ベースではなく、デジタルベースたることによって、そのサイクルが近代化されるわけです。その過程は進行中です。

 考古学の分野に関していえば、学界大の大きさで、ナレッジマネジメントを行えばよいのです。オープンスタンスで、その環境を構築することが、目標になります。

著作権の問題

 遺跡調査は非営利事業であり、公的目的で資金提供を受けている以上、その著作物は広くパブリック(非専門家・専門家含む)に対して無償で提供されるべきものです。その情報提供形態は様々に考えられるかもしれませんが、究極的には「電子図書館」に行き着くと思われます(現在の図書館の発展形とは限りません)。街の公共図書館が無料で利用できるように、電子的に提供される遺跡情報も、頒布に関わる不可避の実費(例えば通信費)を除けば、基本的に無償であるのは当然のことでしょう。

 念のためにつけ加えますと、著作者人格権と、財産権としての著作権とは、分けて考える必要があります。人格権は作者固有のもので、決して譲渡できません。一般に、単に著作権という場合は、実は財産権としての「著作財産権」を指しています。それは知的財産権とか複製権(コピーライト)とも呼ばれます。ただ、オープンソースやシェアウェアの考え方が社会の隅々にまで行き渡る時代ですから、必ずしも個々の取引きに伴う受益者負担ではなく、総合的にどこかで所得移転が行われていれば、充分ともいえます(色々、手は考える必要があります)。

 多くの学術関係者が著作権を意識する場合、むしろ「著作先取権」(造語です)が気にかかるようです。これは人格権の範疇と思われます。苦労して発見したり作成した著作物を、手軽に流用されて、オリジナルの著作物が尊重されないのであれば、(程度問題とはいえ)オリジナルの著作者は不快かもしれません。しかし著作人格権が尊重されている限り、著作先取権が損なわれる可能性はないはずです。

 ただ引用元や情報源を明示していても、二次利用した著作物の方が有名になってしまう場合もあります。そういう評判がたってしまうと、それを覆すことは困難な場合もあります。入手しやすい著作物の方が、入手しにくい著作物よりポピュラーになるのは当然のことです。この問題も、ハイパーテキストの時代では、解消してしまう可能性が高いと思われます。オリジナルな情報源の方も、電子化して(オンライン化して)リンクしておけばいいからです。その場合、オリジナルの著作者(頒布者)が関係するWebサイトで行うべきですが、当面はオリジナルの著作者の承諾を得ていれば、URLにはこだわらなくてもいいでしょう。

 考古や埋文関係で問題なのは、むしろ著作物の入手(アクセス)そのものです。電子的メディアでの無償提供が保証され、著作者人格権が尊重される限り、少なくとも調査主体を通して提供される遺跡情報については、いかなる制限も無用と考えられます。

有償出版物の経費回収問題

 電子形態での出版は、印刷経費や送料(流通コスト)といった従来型の出版のコスト構造をほとんど無に帰してしまいます。パッケージ(CD-ROM/CD-R)でもオンラインでも、大幅な経費削減は確実です(環境コストも)。また、パスワードなどの何らかの認証手段によって、講読者の受益者負担を回収することも可能です。これは、勝手に寄贈する非売品「報告書」は別として、元々値段付きで頒布される「報告書」や「会誌・会報」では問題になります。

 かつて著作権といえば、普通紙複写の普及が最大の問題でした。コピー機は、経費を回収することが至上命題の「会誌・会報」にとって、潜在的な脅威でした。今では、高品位な印刷物の、品位を保ったままデジタル化することも可能ですし、デジタル複製技術の流れを押しとどめることはできません。スキャンは不可避です。OCRも進歩します。

 ユーザによる勝手な複製は不可避ですが、一般にはユーザは孤立しており、無制限に広がっていくことは考えにくいものがあります。実際に問題になるのは組織的で大規模な複製行為(つまり海賊版)ですが、学術出版は元々小規模ですし、必要なのは個々の経費の回収であって、営利事業のように無制限の利潤ではありません。全ての読者が、講読者である必然性はどこにもありません。そんなことは実際不可能ですし、書庫や書棚にある「会誌・会報」を読んだり、あるいは引用するのに、いちいち対価を払うこともあり得ません。この点、高価な営利出版物でも同様です。

出版行為のサイクルの電子化

 必要なのは、個々の出版行為のサイクルを維持することです。サイクルの維持にかかわる経費の構造は、よく点検してみる必要があります。

 デジタル情報技術を真に活用することで、いかなる形態であれ、出版物を物理的に所有する必要性は薄れてきています。データは、一時的にはユーザのハードディスクに置かれるかもしれないし、何時でも消去して、また必要な時にダウンロードされるかもしれません(再度のダウンロードはフリーである可能性が高い)。そもそも、オンライン化が進行すると(ローカルな)ハードディスクすら不要になる可能性が高いのです(個人ファイルの保存も含めて)。つまり最終的には、Webサイト/サーバスペースの維持経費だけが、残る可能性があるのです。しかし中間段階では、紙とデジタルの両対応を余儀無くされ、かえってコストが嵩む可能性もあります。

 従って、印刷や郵送にかかる経費を、部分的にでも削減していかないと、デジタル化やオンライン化は受容されないと考えられます。「報告書」では、頁数を削減することで(その分は電子媒体でカバーします)、これを容易かつ確実に実現することができます。「会誌・会報」ではどうでしょうか。やはり徐々にでも、紙のシェアを下げ、電子媒体(Web/E-mail/CD)のシェアを高めていく必要があります。無論当分の間、講読費/会費は、媒体にかかわらず徴集する必要があります。手段としては色々考えられます。

 これらを組み合わせ、時に緩く、時にきつく適用することで、所期の目標は実現可能だと思われます。実はもうひとつ可能性があるのですが、それはオンラインでの少額決済による、一種の「投げ銭システム」[参考:http://www.shohyo.co.jp/nagesen/]です。 無論、オンライン少額決済は、忠実な会員の会費徴集に利用することもできます。


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