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デジタル書籍は如何にして成功するのか

 書籍の電子媒体化は、成功するだろうか。電子書籍は、広く社会的認知を得て、普及するだろうか。基本的な技術は既に確立しており(あるいは解決の見込みがたっており)、後は若干のコスト問題だけしか残っていないはずである。それほど難易度が高い分野とは思われないのに、現状は楽観できるものではない。デジタル化が進んでも、結局メディアの選択肢が拡がるということであって、紙を選択する人が多ければ、それを止めることは困難である。

 一番ありそうな話は、流行(流儀)の問題だというものである。市場影響力の問題で、それがファッションになってしまえば、その習慣が定着する可能性は高い。

電子書籍小史

●Expanded Book

 読書を本格的に意識したシステムの先駆は、Expanded Bookであろう(日本ではエキスパンドブック)。その誕生にあたって、AppleのPowerBook170が大きな影響を与えたという。PB170は、高画質な反射型モノクロ液晶(アクティブマトリックス)を採用しており、そのクリアな表示が、読書端末の可能性を確信させるきっかけとなったという。1991年のことだった。
 だが、Expanded Bookは、最高でも640×480の解像度しか持たなかった。オーサリングは、それほど敷居の高いものではなかったが、それ独特のノウハウを要した。解像度の制限もあって、筆者も試作はしてみたが、結局本格的な活用は見送った。

●アンチエイリアス表示

 Expanded Bookの特徴の一つは、文字のリアルタイムアンチエイリアス表示である。文字の縁に生じるギザギザを、若干の中間濃度のドットで埋め、滑らかに見せる手法である(ピントが甘い表示に見えてしまいがちなのだが、視認性は高いといわれている)。これは閲覧環境としては、くり返し出てくるポイントで、Acrobatでも採用された機能である(Acrobatではスムーズフォントと呼ばれている)。最新のMacOSは、システム自体にアンチエイリアスフォント(切替え可能だが)を標準装備しているが、あまり注目されてはいないようだ(マイクロソフトのクリアタイプは時間軸を活用しているが、ほぼ同じ主旨といっていいだろう)。

●マルチメディア

 Expanded Book出版物は、ビジネスとしては若干の成功を収めたが、現在に至るまでマイナーな存在である。電子出版物のデファクトスタンダードは、マルチメディア系のDirectorとなり、辞書の分野ではEPWINGが大成功を収めた(他にもいくつかの有力なフォーマットが登場した)。インタラクティブ性が重視されたCD-ROM出版物は、ゲームソフトを除くと、あまり成功したとは言い難い。要するに、いかなる手だてを以てしても、ディスプレイで長文を読書するという市場の創設は、殆ど成功しなかったのである。Expanded Bookも離陸しないまま、1990年代中葉になるとインターネットが台頭し、状況は大きく変わってしまった(現在では、自由度を増したT-Timeが一押しのようである)。

●Acrobat

 一方、PDF/Acrobatは、Expanded BookやDirectorなどの、専用オーサリングという方法をとらず、印刷を電子的に行う形で、印刷イメージの電子化を実現した。Adobeが、グラフィックやDTPの根幹であるPostScriptの開発者であることが大きな強みとなり、PDFは電子文書の一つのデファクトスタンダードとして確立した。画像やグラフィックを含めた高品位な電子文書として、また制作の容易さから(DTPが前提になるが)、PDFは普及するとともに、電子文書の重要なフォーマットとしてユニークな位置を占めている。ディスプレイが高解像度である方が使いやすいが、印刷物の電子化としては、最高のフォーマットである。

●HTML

 1990年代後半になると、Webやe-mailが世界的にブレイクし(HTML 2.0の公布は1995年だった)、コンピュータの大衆化を本格化させた。HTMLは、実にイージーで、充分に高機能なハイパーテキストのフォーマットだった。HTMLブラウザ(Webブラウザ)でリアルタイムアンチエイリアス表示を行うものは無かったが(アンチエイリアスフォントのシステム標準装備で、事情は変わりつつあるが)、HTML文書が電子書籍のフォーマットであっても、いけないことは何もないように思えた(Webを閲覧する限り、基本的にHTMLに依存しているのだが...)。

●T-Time

 汎用的な読書環境として、(株)ボイジャーのT-Timeはユニークな位置を占めている。それは原則としてテキストデータに手を加えずとも(HTMLはサポート、また専用のTTZ形式もある)、アプリケーションレベルで閲覧のインターフェイスを自由に設定する、というものである。当然ながら文字のアンチエイリアス表示をサポートし、リアルタイムに文字組みを縦横変更でき、段組も設定できる。電子的読書環境として、必要な機能は全て揃っている(後述するドキュメントマネージメント機能は別として)。現在のディスプレイとコンピュータの環境で、すでに電子書籍の完成形が用意されているように見える。T-Timeは無料の機能限定版(エキスパンドブックとTTZ対応)、2000円のオンライン版(プレーンテキスト、HTML及びPDFにも対応、但しQuickTimeは別途必要)、3400円の書店パッケージ版(QuickTime及び古風な太明朝体フォント添付)など、いくつかの形態で提供されている。

00.7.10追加 ボイジャーは、T-Timeをさらに普及させるため、次の戦略「ドットブック」をプッシュしているようである。プラグインで、ブラウザ内にT-Time同等の表示(機能)が埋込み可能になっている。

市場の現状

●インターネット効果

 インターネットの隆盛によって、情報源が、書籍/雑誌/新聞/TVから、Webに移行していく経過をたどりつつある。書籍/雑誌等のウェイト自体が、広義の情報流通サービス総体の中で、下がりつつあるのかもしれない。

 アクセスされたWebサイトは、ローカルにキャッシュされ、あるいはオフライン閲覧ソフトによってローカルにアーカイブされるようになりつつある。また、情報がURLに還元されたと考えることもできる(URLが移動したり消えたりするから実際にはローカルで保存しておいた方が安心なのだが...)。URLを記録しておけば、ローカルキャッシュは必須ではなくなる。検索サイトが存在するから、URLを記録する必要すら無いともいえる。

●市場の保守性

 だが、コンピュータ関連の雑誌や参考書の発行部数増大が、紙の使用量を押し上げているように、メディアは実際には電子化と紙化の両方で伸びてしまった。PDFにも広範囲な実装例が無いわけではないが、いかんせん、焼け石に水の状態である。一つには、Webの情報が意外と限られていることがある。多くの場合、雑誌や書籍の方が参考になる、というのは事実である。

 言い換えると、重要な情報や完成度の高い知識ソースを、Webではなく、本や雑誌で提供するという選択がとられている。その最大の理由は、その方が多数の関係者にとって金になるからだ。が、必ずしもそれだけではない。

 制作サイドの問題として、編集ノウハウが、まだ電子メディアに全力投球されていないため、完成度の高い情報が紙メディアに流れてしまっているのだと思う。全力投球しない理由は、コストが回収できない怖れだと思われる。既存の出版システムは、ビジネスモデルが確立しており、ビジネスモデルとして信頼されているのだ。こうした悪循環は、鶏が先か卵が先か、という命題にも似ている。消費者の側も、電子メディアに対して根本的な信頼を置いていない。出版サイドも同様なのだが、その相互作用がくり返され、悪循環に陥っている。

●モノクロ液晶の有効性

 日本の印刷は過剰なほど高画質であり、月刊誌は写真集なみのハイグレードな印刷だったりする。そのビジュアルな効果と、ディスプレイの表示とでは、全然別物であり、そのままでは太刀打ちできない(発光するディスプレイは、スライドビューアでスライドを見る体験に似ているのだが...)。ではテキスト主体、モノクロ主体の出版物ならどうか。モノクロ液晶なら、極めて高画質なものが存在する(まだ市場には殆ど供給されていないが)。PB170のインパクトと同様、高画質なモノクロ液晶が、電子書籍プロジェクトの立ち上げに関係してくる。

 余談だが、電子書籍プロジェクトはマーケットの立ち上げを重視し、コンテンツの数を揃えるため、本を画像ファイル化している。コスト的、戦略的には分らないでもないが、やはり、これから新しく出版されるものに、しかるべきXMLフォーマットを適用するのが、電子書籍の王道だろう。アメリカで展開しているOpen e-Bookは、XML準拠のHTML+CSSである(通常のブラウザで閲覧できる…QuickTimeやPDFも包含するが、HTML必須のGIFないしJPEGの範囲で代替ファイルを用意する)。なお、日本でもJepaXによる電子出版交換フォーマットが策定中である。

 ただ、モノクロでは、用途が限られるという意見も根強い。大衆的な雑誌は、カラーのビジュアルが命である。無論、通常のコンピュータディスプレイはカラーであり、テレビやWebの常識からいっても、カラー表現はすっかり定着している。

 もっとも、携帯電話やPHS、あるいはザウルスやPalmなどのPDAなどで、モノクロは復権しつつあるともいえる。軽量、長時間作動、手軽といった理由から、携帯端末ではモノクロ優位である。ただし、画面は小さい。読書端末としては、予定外の小ささである。

 要するに、どの技術的組み合わせでも問題点が残り、すっきりしないところが残る。そうした分りにくさが、電子書籍の普及にとって阻害要因なのかもしれない。

●専門的出版物は例外

 なお、専門書や報告書等では、大衆的な出版物と同じ意味でのデメリットより、電子化のメリットの方がはるかに凌駕すると思われる。少部数、大量の情報量、ローコストといった理由から、電子化の有効な適用例となるはずである。必要なのは、報告書の電子化に相応しいデファクトスタンダードなフォーマットであり、それは既に基本的には確立している(その用法のノウハウの蓄積は別の問題)。また、インターネットを有効に活用していくことも、欠くべからざる課題である。

違和感の正体

●今そこにある製品

(報告書には関係ない話だが)パスワード、電子透かし、課金システムなどの技術的問題は(必要な限り)如何ようにでも解決可能である。高品位ディスプレイ、軽量読書端末なども同様に解決可能である。電子書籍プロジェクト(1999年11月公開開始)は、現実のものである。

 プロジェクトの記事(ASCII24)

 シャープのアイゲッティ(MI-P1及びMI-P2:320×240ピクセルで約107dpi、170g)は、最初の実用的読書端末となった。ちょうど登場したブンコビューア(他のザウルスシリーズでも利用可能)が、読書端末の可能性を彷佛とさせてくれる。ザウルスだから電子手帳的な機能は備えており、かつてのNECのDigital Bookとは異なる、モダーンな製品になっている。

 なお、電子書籍プロジェクトの端末は、1024×768ピクセルで175dpi、720g、メディアはClik!となっている。

 しかし仮に、改良を重ねて期待通りの電子読書機ができたとして(必ずしも文庫タイプではなく、A4判フルカラー端末、あるいはA3判端末かもしれない... 既にデスクトップパソコンの殆どはA5判横位置くらいには相当しているが...)、どこか違和感が残るような気がする。その違和感の正体は何だろうか。

●姿勢?

 ディスプレイの性能が極限まで達したとしても(実験室段階のモノクロ液晶は、すごいらしい)、残る違和感。それは多分、見る姿勢(身体・眼と映像面との位置関係)ではないかと思う。通常、本や雑誌は、掌上ないし机上に置かれて読まれる。つまり、読書中は基本的に首はやや下向きで、伏し目がちなのである。紙面は、書く時と同じ位置にある。書く時と読む時と、基本的に紙面は同じ位置にある。それに対して、コンピュータディスプレイでは、それらが全く乖離しており、居ずまいが正しすぎる(大学や公報の掲示板を読む姿勢にも似ている−あの状況で長文を読むのはつらい...)。姿勢を正して墨書している雰囲気にも似ている。図書館のマイクロフィルムリーダーにも似ている。

 机上に置かれた新聞と、超高画質なモノクロ液晶のタブレットを机上に置いた状態では、本質的には何も異なることはないはずである。電子書籍プロジェクトの読書端末なら、おそらく、そうした体験ができるだろう。もっとも、画面が上を向く程、照明が写り込みやすくなるから、画面の(水平方向の)向きや照明のカバーを工夫する必要があるが...

 多分、読書端末と人との関係は、すぐそこまで来ている。それは、ほんの少しの工夫で、乗り越えられる程度のものだろう。

●閉架式と開架式

 1.表示がみづらい?、2.見る姿勢の違い?、といった問題に加え、もうひとつ考えられる違和感は、3)読みたい文章がどこにあるか探しにくい、という問題である。電子メディアでは、頁を早くめくったり、あるいは本(情報)を探すのが、まだるっこしいのである(頁めくりは基本的にはハードウェアのスピードが解決してくれる)。

 例えば、航空会社のWebサイトの時刻表と、再生紙使用の時刻表との比較である。Webのそれは、何とも使いづらい。手元に紙の時刻表がなければ便利だけれども... この違和感の正体は、図書館の閉架式と開架式の違いに似ている。Web時刻表は閉架式に近い。おそらく、多くの(本を含めた)通販サイトもそうであろう。

 図書館と本屋の機能は、紙一重でほとんど同じである。どちらも本が陳列されており、立読みしたり、棚を眺めていくことで、予測できないような新しい本との出会いがある。開架式であるのがミソで、関連する本が並んでおり、店によって品揃えが異なるのもメリットである。

 そうした機能が、バーチャル化でどれだけ再現できるかは、重要な問題である。時間コストの高いダイアルアップ接続が本質的なネックなのかもしれないが(時間が気になって、本選びに没入できない...)、本来は情報デザイン上の問題である。

 この問題は、ただ一つの技術で解決できるほど、単純ではないだろう。おそらく複合的な努力が必要なのだろう。

文書管理システム:ドキュメントマネジメント

●ナレッジマネジメント

 今後、ナレッジマネジメントに代表されるような、(広義の)文書管理システムが話題に上ると思われる。

 好例としてはロータスNotesがあげられる(本格的なシステムは他にも多数存在するのだが、いずれも業務用で高価である−Notesほど著名でもないし)。見た目だけなら、Microsoft Wordや、Acrobatも似たようなものだ(一部のメールソフトもそれを彷佛とさせる)。また、本格的な画像データベース(画像以外も登録できるのが通例)、Internet NinjaのようなWeb閲覧ユーティリティも、近い機能を持っている。

 一般的なインターフェースとしては、ペイン(フレーム)を設け、左ペインにエキスプローラのような階層的なリスト表示を設ける場合が多い。フォルダの頭に、閉じている状態が右向き三角(あるいは+マーク)、開くと下向き▼のマーク(あるいは−マーク)になり、文書名をクリックすると、その内容が右ペインに表示されるという具合である。左ペインの状態だけみると、昔からアウトライン表示と呼ばれている機能である。他の情報を表示しておくために、ペインの数が増えていく場合もある(もちろん表示パターンは切替え可能)。

 本来の文書管理システムの主眼は、大量の文書のダイナミックな収録・更新・アップロード・目次・インデックス・検索・情報共有などである。

 こうしたシステムが重要な由縁は、情報量の多さが電子化のメリットと見なされるということと、多くの文書を自在に閲覧できる使い勝手の良さがメリットとなるからである。ナレッジマネジメント自体は、知識の再生産のサポートを指向する。

●オープン

 今後期待したいのは、シームレスでオープンな文書管理システムである。文書の格納は、データベース的にも、パーソナル(ローカル)にも可能としたい。それらは、技術的には難しいことではないはずである。XMLが重要であるのも、プラットフォームに依存しない、文書データの共有システムが求められているからである。

 今後、電子報告書が流通すると仮定すると、それらはローカルなハードディスクに置かれ、オープンな文書管理システムの元で管理されるだろう。インターフェイスについては、文書管理アプリケーションによって異なって構わないが、メタデータの登録くらいは、標準化すべきだろう。また文書の構造、ないしリンクの構造についても、ガイドラインが必要かもしれない。少なくとも遺跡の基本情報(遺跡台帳の拡張版ないし報告書抄録の拡張版)くらいは、MML(医療情報交換用のマークアップ言語)、あるいはJEPA電子出版交換フォーマットの書誌情報要素のように、XML化されてもよいのではないか。

デジタル書籍はどこで始まるのか

 書籍の電子化は、ストレートに進むわけではない。装置としての専用読書端末(Reading Device)がその始まりなのではないだろう。本が物理的に電子装置になることが問題なのではなく、出版物をめぐる環境の変化、パラダイムシフトが大事なのだろう。

 情報ソースがWeb化していくこと、メール端末のような携帯機器が普及すること、知識(文書)管理システムが定着すること、そうした複合的な効果が大事だと思う。そして、使えるコンテンツが電子的に蓄積され、利用可能になっていくことが重要だろう。事実、先進的な情報環境が整ったアメリカの大学では、(まだアナログ媒体の方が古典的情報源として重要であるにも関わらず)すでにデジタル以外は情報ソースとして殆ど利用されなくなっているという。

 デジタル化による知識サイクルの近代化が、特定の場所だけでなく、社会的にも成功した時、人は紙の本ではなく、既に登場していた高画質読書端末を選択するようになるだろう。無論その時点では、コンピュータのカラーディスプレイもさらに高品位化しているに違いない(知識の生産上、あくまでパソコンは重要である)。


◆参考になる、お薦め文献

富士ゼロックス(株)ドキュメントソリューショングループ 1998『デジタルドキュメントの作成・管理技法』日本経済新聞社.1900円. ISBN4-532-40141-0

◆関連サイトホームページ


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