武蔵府中熊野神社古墳

遺跡の概要
概要台地(立川段丘面)の立地。上円下方墳(32m)、7世紀前半。
説明群集墳から懸け離れて単独の立地である。時期の分るような副葬品は失われていた。3段築成で最上部が円形になる。1段目一辺約32m、2段目1辺約23m、3段目直径約16m、高さ約5m。凝灰質砂岩の切り石で作られた、玄室胴張り形の横穴式石室を持つ。玄室の手前に前室が2つある。江戸時代から明治にかけて開口していたようで、古銭が数多く残されていた。上円部と2段目裾は河原石の石積みだが、1段目は凝灰質砂岩の切石が縁石であった。
場所東京都府中市西府町2-9 熊野神社[マピオン地図
写真現地説明会(2004年5月28日)

羨道部から

羨道部右の石積み

上円部裾の石積み

2段目の角(南東部)

北東側から(フェンス内がほぼ墳丘)
西

※古銭が数多く残されていたぐらいだから、当時までに副葬品が持出されていたのであろう。
※一般に神社拝殿裏手に塚のある時は、古墳の可能性を一度は考えるが、もちろん富士塚や中世の塚の可能性もあるので、実際にはよく調べてみないと分らない。ただ、石室などの石材と考えられる石が露呈している場合もあり、注意を要する。古墳が富士塚などに転用されている可能性もある。


WebSiteTop東京遺跡情報2000>武蔵府中熊野神社古墳  [04.6.5掲載]