横田<miskij>萬や
舟橋通りを通っていた関西鉄道
車輪碑の銘文より全文引用
関西鉄道大仏駅について
明治二十八年に草津・名古屋間を全通した関西鉄道は、柘植から大阪方面への進出を計り、
二年後の三十年十一月に加茂まで開通した。
ここから梅谷を経て黒髪山トンネルを下り、明治三十一年四月、この地の北側法蓮の交番所の南あたりに大仏駅を設置した。
この鉄道は、市民・観光客にも親しまれ、大仏詣での人達もこの駅で下車し一条通りを通って東大寺に参拝していた。
奈良駅へは、その年の十二月に到達したが、乗り入れが実現したのは翌三十二年五月であった。
その後、路線が木津経由に変更となり、明治四十年八月までの約九年間で廃止された。
昭和三十九年までは、トンネルも残っていたが、現在は取り壊されて当時の面影は今は見られない。
平成四年四月 奈良市
左の石碑には一条通り、法蓮に関する歴史が記されている。
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