横田<miskij>萬や


東京勤め



奈良から千葉へ引っ越した矢先、入社式の案内が奈良から転送されてくる。
大阪で入社式、そりゃそうだ。金曜の9月1日に朝9時前に来社ってーと、前日に大阪入りだわ。
いんたねっとでビジネスホテルを予約。
31日は念のため振動目覚ましを購入しに中野へ寄り道。
時計の電池と振動用の電池が別になっているものをチョイス。
知り合いと少し談話してたら「この方にぴぽぱちゃっとを紹介してやって」と紹介される。
ホテルには迷わずに到着。意外な所、恵美須も徒歩圏。

翌朝。例によって枕まじないが効いて鳴る前に目が覚めてしまう。
荷物をフロントに預けて式を済まし、職場にも挨拶。
夕方くらいまで掛かるかと思ったら予想外の空き時間。
ホテルに戻り、電話ボックスでちょっと着替えて、連絡してフロントのファクスに返事を入れて貰う。
携帯メール様々か…

4日は初出社。
例によって目覚ましが光る寸前に目が覚める。7時過ぎに家を出て8時半に最寄り駅に到着。
事前の訪問である程度は予測してたが、歩道の吸い殻入れが悉くスモーキーマウンテン。
消火水筒が必要かな。



東京へ戻るっつーの



何度かの新幹線での帰省の度に見る品川近辺の景色、
あたかも見せつけるようにゆっくりと流れる夜景。
東京はやはり未完の都市ながらも、情報都市でもある。
そして情報にもやはり重力の法則が適用される。
類は友を呼ぶ、ということわざは今も生きている。
このまま奈良に居続けて私の情報社会における人生はどうなるのか?

奈良に来て3年、ITなお仕事の常か、生活が荒れ気味で、そろそろ一人暮らしも限界かなあ、 と感じてきたのもあり、千葉へ戻るつもりで転職紹介siteに登録したのが縁で、 なぜかまたまた在阪企業の東京にあるシステムインテグレータ部門を紹介いただく。
もっとも、同時期にこの会社が身障者雇用を開始したタイミングも大きいと思われるのだけど、 ようやく7月4日、大雨警報の中、たまたま用意してた完全防水装備でバイクを走らせて帰った晩、 内定の連絡をいただきました。

それにしても「奈良の後ろ髪」のつらきことよ。
ま、居合は「どこでもできる」し、今の生活費を考えれば月2回の新幹線往復通いは安いもんだから。


民主党の衆議院候補公募に応募


Mar.24
「求む、ポスト管。」の新聞広告(奈良新聞)を見て履歴書と演説原稿を送付して応募。
テーマ内容は環境問題。結局は因果応報の世界であるし、税金の使途をよーく考えていきたいものだ。
私の筆記通訳に依存しなければならない立場を逆に見ると、この情報を国民に流すように することで国会などの最高機関の風通しをよくすることも期待できる。

ちなみに家族持ちだと、そうそう立候補できないということで、それなら自由のきく独身、しかも 再就職も比較的容易な若いうちに応募してみるのも手と。
書類審査、どうなるかな。

Mar.28
独居障碍者という理由なのかどうか、一応申請してみた地域振興券が送付されてきた。
てっきり、市税を納入してるから対象にならないと思ったのだが。
日曜なのに郵便やさんとは珍しいなあ、と思ったら。配達のおっちゃんも、 「外見上はとても対象とは見えない青年」だったせいか、当惑したような顔をされる^_^;
さて、1000円×20枚、何に使えばいいんだろう?寺院に寄付できなさそうだし…

May.14
千代田区永田町から封書がきてました。今回は衆議院小選挙区公認候補としては見送り、だそうな。
新聞広告では小選挙区とは書いてなかったけどなあ。普通、民間公募ときたら比例に回すのが順当 だと思ったけど。もっとも、今後も接触したい方は連絡をどうぞ、とのことで。


再就職手当て 受給さる


12月そうそうにVBでおしごと。昔、QuickBasicで作ってたDB型アプリに似てるなあ、と思いながら。
1月に入ってから風邪でかなり休んでしまい、スケジュールに追われるが、 運よく軽い山だったことが判明し余裕で逃げ切る。
2月は寒波で朝が遅くなり、その分夜おそくまでやってるが、時々たばこがひどくなる (って聞いてなかったよー)ので切り上げて帰ったりしてたら、1日の勤務時間が規定値を下回ってしまった--;
ついつい流されてしまう性格を認識。PC、しかも液晶モニタもあてがってもらっておきながら体面の悪い話。
3月、月曜病で1日遅れの心機一転、というか朝がぐんと暖かくなったのに助けられて結構熱心にやる。
…金曜の仕事が済み、やっと休みだと思ったら郵便受けには労働安定所からの封筒。
なんと再就職手当。下手なクルマが買えてしまうくらい。 もっとも、雇用保険と3ヶ月の無収入の埋め合わせでもあるけど。
てっきり、待機期間内の再就職でなければ出ないと思っていたら。残日数は12月の再就職時点で180日、 半年ほど残っていたのか…。(ってどういう意味じゃ)

ちなみにNetMeetingは結構有意に使えます。チャットに限らず、ホワイトボードでアプリ画面 (エラーダイアログ)を貼り込んだりして。共有はさすがにヘビーなのであまりしませんが。

1999.3.5

ちなみに2月末には徳島大の福祉機器コンテスト'99 にも応募してました。
もう発表したものだしなあ、と思って見送ろうと思ったものの、聞いてみたら「どうぞ」。
うう、また泥縄。さすがに前回の応募の経験もあり、直ぐに応募できましたが。
写真は生憎間に合わないことがはっきりしており、会社のカラープリンタを拝借^^;


再就職決定!


11月7日、生駒にある会社にて社長どのとPC筆記通訳つきの 面接を受け、その場で採用とあいなりました。

この高失業率の中、応募3社目、面接1社目で再就職できてしまっていいんだろぉか?
ってな気もしなくはない。

周囲と仕事をどのように進めてきたのか、を聞かれるのはコミュニケーション障碍をいかに克服 したかを説明する意味もあるのね…。

今度の会社は、比較的勤務形態に余裕があり、私個人で進めている聴覚障害者の情報環境の 向上を目指すロビィ活動も続けられるのは大変ありがたいです。



6月10日付で6年間勤務してきた家電製造業を退職しました。
一つには「明日を考えない業界」において、身内から変えていくのは得策ではないと判断したこと、 自分にとっても目標だったDTMF文字コードリーダの搭載が、社内転職をしたにもかかわらず、 果せないことがはっきりしたこと、 そして自分に嘘を吐きつづけたくなかったことが挙げられます。

財形貯蓄、退職金、ボーナスでにわか成金とはいえ、無収入であるのを自覚しないと。
健康保険、年金を切り替え、あとはやっと来た退職票を職業安定所に提出予定。どこかと思ったら近く。
こないだはボランティアセンターに文字放送の利用環境向上のお手伝いを登録してもらったのだけど、 意外にも徒歩3分とすぐ近く。なんだかお誂えの場所に住まわされてる気がする。こりゃ御仏の導きか??

7月2日
職業安定所の失業認定に関する説明講習。ビデオには手話通訳が入っている。
とはいえ話を聞くのは眠くなってしょうがない。
外に出たら怪しげな商会の営業さんに声をかけられる。話を聞くだけでも、と聞いてみるが、internetを利用していると いいながら、web pageすらないのは怪しい、と遠回しに遠慮。
のちにweb searchで調べたところマルチまがい商法という予感はあたっていた。

7月13日
労働安定所へ出かけて認定を受ける。待機3ヶ月で次回は11月2日・・・う、連休なのに。
それまでに就職するか、自営を決定するか?
正直にボランティア活動によっては呼び出しに応じられない可能性があると申告しただけでも、 失業と認定されなくなるのはなんとなく変。ボランティア活動を通して次の仕事を考えるという意味では、 就職活動の一環とも思えるけど。現実との乖離?
求人票を眺めてみると医療・福祉向けのSEを募集している会社があり、資料を請求しようと担当に持って行ったら、 その場で面接を受けに来てくれ、とのこと。
求人票のファイルを元の場所に戻せない人が多いのが気になる。 些細といえば些細な点であるが、それすらできないでちゃんとした仕事ができるのか?
JIS準拠の履歴書を購入(家族のことを聞くのは人権侵害になりやすいことから家族欄は設けられていない)し、 涼しいサンドイッチ屋で記入して京都へ。

以前、会社の寮長から親の仕事を聞かれたことがあり、この時はそれとなく返事したとはいえ。。。 一応、この会社は本社が関西にある関係か、人権教室もやっているけど、 以前に「手話通訳などの情報保障をつけてください」と要望したにも関わらず、 当日まで情報保障の有無の連絡がなく、その場で受講を拒否。
担当が何か言いたそうではあったが、連絡の不備で準備できなかったのなら、中継した部門に文句をいうべし。 そういうもんよ、情報流通の仕事をしてきた身としては、それくらい当たり前のこと。

ミニビルの一部屋を借り切っての事務所風で、アンケート調査をもとに集計したり各機関へ報告するのがメイン。 DTMF文字コードリーダーの説明をしたせいか、「我が社にはもったいない人材だと思います」といわれてしまった。 まあ、第一印象でちょっと勤まらないか、と感じたのも大きいけど。
つーことで、探せばそれなりに事務職もあるのね。パソコンを扱えることが前提ではあるけど。
形式上、一応試験を受けてくださいとのことで応じて帰宅。なかなか考えさせられる設問だったな。

7月17日
H社の室長さんの計らいで、DTMF文字コードリーダの説明を行いにベンチャー企業に赴く。
結構、製品化に乗り気になっていただけて少し安心。
問題は筐体の金型制作費が結構掛かる点くらい。こちらは室長さんも周囲に掛け合ってくださるとのこと。
紋なし略式正装(半襦袢+小千谷麻+夏の黒袴+足袋)で臨んだのですが、何も違和感な〜し。
歩くと風が通るので、却って涼しいくらい。

7月23日
履歴書の写真用に、再び略式正装で隣の写真屋さんへ。今度は羽織つき。
カラー・フィルムで頼んだのもあり、主人さんがごついカメラを手に何枚かフラッシュを炊いてくれる。

7月24日
13日に面接に赴いた会社から履歴書が返されてくる。

8月7日
「ひょうごリハビリの手作り福祉用品コンテスト」にDTMF文字コードリーダで応募してみる。

9月1日
徒歩でNHK奈良へ出かけて秋採用の応募書類をいただく。

9月3日
昨夜から徹夜で慌てて仕上げた応募書類を速達で送付。

9月7日
ひょうごリハビリから2次審査のため実物を送付してくださいとの連絡。

9月9日
ひょうごリハビリへ、実物および使い方を記した紙をつけて送付。

9月10日
NTTコミュニケーションウェアへ応募書類を送付。

9月17日
NHKからの連絡はありませんでした。どうやら書類審査落ちのようです。

9月25日
ひょうごリハビリから入選もれの連絡。
のちに送り返された作品をあらためたところ、安普請な電池押えが外れていた。
動作させられなかったのが原因だったのかなあ。

9月26日
新聞広告を出している梅田のABLICへ出かけてみる。
とりあえず登録用紙を記入して、資料を漁ってみる。ふーむ、それなりに求人はあるのね。
面接を受けてみたら、のっけから「大阪障害者職業センターはご存知ですか?」
はあ?転職可能性を諮ってくれるところじゃないの?

これだったら面接を受けるだけ無駄だったかもしれない。
この日は春日大社で珍しい槍の奉納演武会があり、結果として見逃してしまった。

9月28日
労働安定所へ出かけて26日の事を聞いてみたら「そこって訓練がメインなのね。 あちらさんは身体障害者を相手にするのに慣れてなかったのでしょう」だそうな。
その後、資料を眺めていたら、先の担当が生駒の情報系会社の求人票を見つけていただく。

9月29日
NTTコミュニケーションウェアのweb を漁って担当に問い合わせのメールを送ったところ、 職種不適合で書類落ちとのこと。2週間も待たせて連絡なしって…
そういえば「技術者には失礼なのが多いようです」って本当らしい。
ともあれ写真が原因でなかったようなのは救い?
しかし、職種で決めるより、その人に応じた新しい職種を設けるくらいのゆとりって難しいのかな?
特に、それが必要とされるものであれば。
なんせNTTのサービスを見ると難聴者を考慮にいれたものが非常に少ないんだから。

身障者求人web 「サーナ」 を覗いてみる。また新たに会社が求人を出しており、再度登録。

10月3日
東芝とDDIから企業案内が来る。
企業規模や公共性を考えると東芝には結構魅力を感じるわな。アンケート用紙が同封されている。 履歴書を要望しないのは、人材の調査段階なのかな?

DDIは私には職種が不適合そうなのでパス。

10月19日
東芝へアンケート回答を送付。
すくなくとも病院、ホテルにはITビジョンを置けるように営業してみたいものだけど。
2個所も入院してて一番退屈だったのが、テレビという情報環境だったもんなあ。

10月23日
生駒の会社へ履歴書を送付。

10月26日
生駒の会社から面接においでください、のファクス。
多少のやりとの後、28日10時で決定。

10月28日
このところ2時就寝が続いており、なんとか起きてジャケット姿、バイクで生駒へ走っていく。
ならやま大通りのおかげで30分ちょいでついてしまった。
入り口まで来たものの、いきなり開けていいのかよく分からず1階の受付に戻ったりして。

NetMeetingを介して企業説明をしていただきました。
社長さんはたまたまお出かけで、年齢が近い代理さんとの対談。
リラックスして受けられたのは良かったんかな。

(つづく)

参考:各社の福祉関連web page
松下電器産業
日立製作所
三菱電機 (1枚だけ)
日本電気
日本IBM
富士通
キヤノン
リコー
三洋電機

東芝は検索で4件。ソニーも検索でいくつか用意している。
さて、ここに出てない「一流企業」とはどこかな?

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