"夏穂"だの"るりか"だのという少女たちの名に覚えはなかったが、実のところ妙子にも、手紙の差出人の見当はついていた。 
 そもそも、妙子にしてみれば今の今になって手紙をよこしてくる女など、一人しか思い当たらない。 
 そしてその名は、妙子にとっては忌まわしいものでさえ、あった。 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
第二話 『サイド1 30バンチ』 
 
 
 
 
 「やっぱり、行くの?」 
 あの手紙がきた日から、いや、もっと遥か前から、こういう日が来ることを、妙子はなにより怖れていた。 
 戦争に負けることより、両親を失うことより、なにより。 
 彼女が、護に対して淡い恋心を抱き始めたのは、いったいいつからであっただろう。 
 それを自覚できないほど前から、妙子は護に対して、一途な、だが、決して叶うことのない想いを、抱き続けていた。 
 皮肉な話ではあるが、戦争がなかったなら、間違いなく、この思いは叶うことはなかったはずである。 
 名家の跡取り息子と、執事の娘ではつりあうはずもないというのが、まず第一の理由である。 
 が、それよりもっと大きな問題は、結局護と妙子と、そしてもう一人の少女との微妙な関係にあった。 
 護とて、妙子のことは憎からず思っていたし、兄弟同然といっても、妙子が自分に想いを抱いていると知れば、それなりの感情を抱いたかもしれない。 
 けれど、妙子にはそれは言えなかった。 
 それは身分の違いによるものだけではない。 
 言ったとて、それで護が自分を"女"として見てくれたとして、それでもなお、自分の想いがかなえられないと、そう知っていたからである。 
 その原因こそが、妙子にも護にも分かっている、あの手紙の差出人である。 
 代々続く名家であれば、跡取り息子の最大の役割は、家を継ぎ、血を残していくことである。 
 それも、馬鹿げた話ではあるが、よりよい血を残そうと、老人たちは苦慮する。 
 家柄、という名の、優秀な血を、である。 
 人類が宇宙に生活圏を広げて、その能力を飛躍的に開花させていったとしても、そういう考えは不思議となくならない。 
 いや、宇宙世紀になってからの方が、そういう意識は強まったかもしれない。 
 そして、えてしてそういった意識を持つ者は、宇宙に上がろうとはせず、地球に居座り続けることで己が特権階級であることを誇示する。 
 宇宙を見上げながら、そこに住むものたちを見下すようなものたちであった。 
 そういったわけで、護にもまた、親、というよりもマツナガ家という家系によって決められた、許婚がいた。 
 地球に残る名家であった、ヤシマ家の血に繋がる少女だという。 
 ヤシマ家は、連邦政府の中枢にも食い入るような家柄で、そう考えれば、この二人の婚姻はマツナガ家、どころかジオン公国が後押しをした部分すらあったかもしれない。 
 無論、そこに護の意志などは存在しない。 
 そういう意味では、まだ、妙子にも割ってはいる余地はあった。 
 最大の問題は、その許婚だという少女、本人にある。 
 利発で、公正で、優しく美しい少女。 
 いわゆるお嬢様にありがちな奢りもなく、かといって典型的なお嬢様のようにか弱い女性というわけでもない。 
 自ら武器を持って戦う、という意味での強さを持ちあわせていたわけでも、気が強いというわけでもないのだが、確かに、彼女の中にはある種の、強さがあった。 
 許婚という立場を超えて、そんな少女に護は強く引かれていった。 
 そして少女の方も、護に好意を寄せていた。 
 許婚だの家の事情だのという飾りなどは結局関係なく、つまりはもっと単純な話なのである。 
 単純であるだけに、逆にそれは妙子にとっては辛かった。 
 たとえ許婚でなかったとしても、もし、この少女と妙子の立場が逆であったとしても、護とこの少女は結ばれる運命であったのではないか、妙子にはそうとすら感じられた。 
 そこには、一つの妙子の勘違いもあったのだが、それを差し引いたとしても、妙子のその直感は大きく外れていたわけでもなかった。 
 多くを語らずとも、言葉を交わさずとも、どこか分かり合えるような、そんな雰囲気がその二人の間にはあったのである。 
 妙子とて生っ粋のジオン国民ではあるが、まだ幼ければ"ニュータイプ"という言葉そのものも、そのもつ意味も、分かりうるはずもない。 
 ましてや"ニュータイプ同士の意識の共感"などというものは今でも、そしてこれから先も、分かるはずもないのだ。 
 そんな意識の"ずれ"が、やがて悲劇の引き金となるのだということも。 
 どちらにせよ、そんな小難しい話はその時の、そして今の妙子にとってはさして重要な問題ではない。 
 少年をめぐるライバル、自分には決して勝つことのできないライバルがいる、そして、少年は今、そのライバルの元へと赴こうとしている。 
 重要なのはただ、それだけであった。 
 それでも『行かないで。』というその一言を、妙子は言うことはできなかった。 
 言えばなおさら、自分の負けを確認するだけのような、そんな気がしていたから。 
 そして少年は、運命の地へと、旅立っていった。 
 そして、少年が旅立ってわずか後、安達妙子もまた、ただ一人の弟を残し、スウィート・ウォーターから、その姿を消した。 
 
 
 
 
 
 
§
 
 
 
 
 
 
 サイド1、30バンチ。 
 手紙の差出人の指定した、再会の場所の名である。 
 サイド1という名の示す通り、ここは一番始めに作られたコロニー群であった。 
 地球と月をめぐる宙域の中にはいくつかの重力の安定地帯が存在する。 
 その部分に、数十基のコロニーが集中して建造され、その集合体が"サイド"とそう呼ばれた。 
 そしてその集合体の中で、作られたその順に、1バンチ、2バンチといった呼ばれ方をする。 
 こういった住所の法則のようなものは、旧世紀から変わることはない。 
 その法則に照らしあわせるなら、ここは一番始めに作られたサイドの、30番目のコロニーということになる。 
 いかに居場所を知ったとて、連邦に属する、それも名家のお嬢様のような人物が訪れるような場所では、スウィートウォーターはなかった。 
 そうであればどこかに護の方が赴く、あるいは互いが訪れやすいところで再会を果たすというのは分かる話であって、そういう意味では、この30バンチを少女が指定してきたのは護にも理解できる話であった。 
 その理由は、30バンチに降り立ってすぐに分かったことである。 
 スウィート・ウォーターが、宇宙の外れに位置するような応急処置的なコロニーはサイドの名も冠せず、言ってしまえば連邦の管轄といいがたいものであるのに対し、戦争で傷つき、いくつかのコロニーも失われ、治安も少々悪くなりつつあるとは言っても、"サイド1"というのは伊達ではなく、しっかりとした連邦の管理下にある。 
 その意味で言えば、連邦政府に属する少女が訪れることに何の問題もない。 
 というより、地球圏の中にあっては、護の方こそ動き回ることに不都合が多すぎたという方が正しい。 
 そしてそこの意味で、この30バンチというコロニーはなにより適していたのである。 
 近年、とある事件を発端に連邦軍内に"ジオン残党狩り"を名目とする一つの部隊が設立されていた。 
 戦争の大元であったザビ家の人間はことごとく戦死していたのだから、いまだ地球などで抵抗を続けている兵の存在はあったにせよ、そこまでの必要があるのか、と言った反論もなくはなかった。 
 けれど、戦争によって深く傷ついていた人々は、そのお題目の名目に、だが、強く反論することもまたしなかった。 
 それが間違いであったことに、人々はすぐに気付く。 
 ジオン残党狩り、あるいは戦争の火種となるものを早期に発見、解消していくといえばまだ聞こえはいいが、ようは、反乱の温床と連邦政府が勝手に決め付けた、スペースノイド、すなわち宇宙移民者たちの弾圧というのが、その部隊のとった行動だったのである。 
 が、結果としてそういった行為というものは、まったく逆の結果を招いた。 
 いや、もしかするとそれこそが彼らの狙いだったのかもしれない。 
 どちらにせよ、"反地球連邦"とまで過激ではないものの、取り用によってはそれに類する可能性もあるような運動が、地球圏の各地で巻き起こることとなる。 
 そして月や、いくつかのコロニーが、今、その運動の拠点となりつつあった。 
 ここ30バンチは、そんなコロニーの一つだったのである。 
 「でも、あのじいさんがよくこんなとこに来るのを許したな・・・。相変わらず食えないじいさんだ。」 
 なにか集会のようなものでも行われる予定なのか、妙に活気に満ちたコロニーに降り立って、護はそう呟いた。 
 彼の言う"あの爺さん"とは許婚であるかの少女の祖父のことである。 
 元々連邦政府の高官であったというのだが、ジオンに属する護と孫娘との婚姻を強く推し進めたのは、実は彼であった。 
 無論、一年戦争の際は元連邦高官として、その名に恥じぬ振る舞いをしたと聞いているが、根本的には、頭の柔らかい人物であるというのが、幼い頃初めて会って以来の、少年の印象であった。 
 連邦政府、そして連邦軍にも、そういう人間はたまにいる。 
 だが残念ながら、そういう人間は主流ではなく、そうであるからこそ、今のような状況が出来上がっているのだ。 
 「バスク・オムとか言ったな。あの時爺さんが、気をつけろといった、あの男・・・」 
 空、正確に言えば円筒形であるコロニーの反対側の壁、太陽光を取り入れるための窓である、を見上げながら、護は一人、そう呟いた。 
 
 
 
 
 
 
§
 
 
 
 
 
 
 護が30バンチに到着したちょうどその頃、反対側の港に、一組の男女が、降り立っていた。 
 「少尉、本当に、ここで・・・」 
 長い黒髪を、ポニーテールにまとめた、おそらくまだ20にもなっていないであろう、その少女は、隣にいる、御世辞にも人相のいいとは言えない、どう見てもその少女とは不釣り合いな、その男に向かってそう話し掛けた。 
 「そうだ、連中は連邦政府に対する反逆を企てている。そういう連中を叩くのが我々の仕事だ。違うか?」 
 「は、はい。」 
 言葉から察するに、彼らは連邦の軍人なのであろう。 
 少女がそんなことを、おそらく上官と思われるその男に聞いたのは、与えられた任務を信用できなかった、というわけではなく、どう見ても経験が浅いと思われるような少女である、もしかすると初任務かもしれず、それに対して、緊張しているというのが正しいところなのであろう。 
 が、緊張に凝り固まる少女を、上官である少尉は気遣う様子もない。 
 それどころか、 
 「まったく、駐留軍の連中もグルになってやがるんじゃないのか。こりゃ、下手すりゃモビルスーツ戦になるかもしれんな。」 
 なおさら緊張感を煽るような言葉を、どこか嬉しそうな顔で口にしていた。 
 実際、この男の読みはあたっていた。 
 護の許婚の少女の祖父を例にするまでもなく、連邦にだって話の分かる人物がいないわけではない。 
 "件の部隊"というもののやり様が、いかにもやりすぎたという意見を持つものは、軍の内部にもいたのである。 
 そして、そういう人物が指揮官であったり、そういう人間が隊に多ければ、そういう隊が駐留しているコロニーなどが反政府運動の拠点となる。それは、当然の流れであろう。 
 「しょせん、"正規軍"の連中など、当てにはならんということだ。」 
 それが、男の考えであった。 
 彼らは自分たち以外の連邦軍の兵士を、どこか蔑みを込めて、"正規軍"と呼ぶ風潮があった。 
 言葉の意味がまるで逆になっているその現状こそが、いまのこの状態の異常さを端的に現していたといってもいい。 
 もっとも、彼らが今ここにいるのは、その"正規軍"のなかの一兵卒の垂れ込みが、あったからでもあるのだが。 
 仲間を売ってまで、おそらく自分も特権階級に上がろうとしたのだろうその男が、その後どうなったかは、誰も知らない。 
 「と、とにかく内情を偵察しましょう。でないと・・・」 
 どこか焦るような声で、少女はそう言った。 
 軍の命令に逆らうつもりも、軍の言うことを信じていないわけでもない。 
 だがその焦りは、経験が浅いがゆえの緊張からだけでは、なかった。 
 「んー。あー、そうだな。では伍長、頼むぞ。」 
 「は、はい。」 
 どこか気のない返事で、男は少女に命令を下した。 
 この偵察の結果次第では、このコロニーは地獄と化す。 
 出撃前に少女に下された命令は、それであった。 
 だが、 
 「ま、あいつにゃいい経験だ。実戦に勝る訓練はないからな。」 
 少女の後ろ姿を見送りながら、男はにやりと笑った。 
 「もっとも、偵察の結果など、関係ないんだがな。」 
 そういって男は踵を返すと、再び、港の方へと、その姿を消していった。 
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