番外(計画編)
両親の金婚式を翌年に迎えた頃だった。
「来年の金婚式は、家族全員でどこかへ行こう。招待するよ。」
父が突然言い出した。
私たち子供は、むしろ“連れて行ってあげる”立場だと思っていたので、先手を打たれた感じだった。
が、すぐに“これはいい記念になる。この際ありがたくご招待されよう”と思い直した。
ということで、時期は2005年の8月上旬に行こうと大枠は決まった。
山形にいる兄が東京に出やすい時期にするためだ。
お料理がおいしいことと、風光明媚なことと、適度に近いことで、伊豆や箱根あたりかなぁ〜と、何となく思っていた。
が、4月になって、私に子宮筋腫がみつかり、手術を要することが判明。
仕事先に1ヶ月もの長期休暇をもらわねばならず、それだったら仕事量が少ない8月しかないと思ったし、子供たちが夏休みでお弁当を作る必要がないことから、8月の金婚式のお祝いを7月に繰り上げてもらうことにした。
そこで、5月の連休にみんなが実家に集まった機会に、7月のいつならスケジュールが合うのか、どの方面なら行きやすいのかを検討した。
7月の下旬だと、バレエの発表会があるという理由で、7月の上旬に決まった。結婚記念日が7月11日であることから、7月の9〜10日に決定した。
さぁ、そうなると宿選びだ。山形から来るなら、新潟等の関越自動車道よりも、東北自動車道の方が近くまで高速道路がある分、来やすいと思ったので、福島や栃木の北部あたりがいいだろうとなった。
そうなると、高速から近い那須がいいと、私は思った。姉は裏磐梯やちょっと足を伸ばして仙台あたりまでを考えたようだが、兄の「那須なら4時間で行ける」の言葉が決め手となり、那須で探すことにした。
那須ならレジャースポットがたくさんあるし、温泉はあるしで手頃だろう。
両親の希望は、いたってシンプルで、「和室、和食」だった。
姉は「部屋を貸切にして、身内だけでやりたい」だった。貸切?できるのだろうか?
最近のホテルはレストランで食事をとるケースが多い。また、部屋食にしても、13人もの大人数を一部屋にはしてくれないだろう。残る可能性は宴会場だ。
ネットや旅行社のカタログで宴会場のあるホテルを探し、最終的には電話で問い合わせたら、松川屋那須高原ホテルと那須グリーンパールホテルの2軒が候補に上がった。
両方ともなかなか評判のいいホテルのようだ。が、グリーンパールの方が料金が安かった。ネットでの評判も、上々だった。
グリーンパールに決定!!
これだけ人数がいれば、少しは負けてもらわないと。
予約を入れる時に、ネットで旅の窓口とか、トクー!とかJTBとか、いろんなサイトで調べたことを話し、その上ですっとぼけて料金を聞いてみた。すると一人につき、1500円も安くなっていた。
おお、向こうも心得ているやん!負けてもらう交渉をするまでもなかった。気分良く予約が完了した。
無事宴会ができる宿が確保できて、ものすごくほっとした。
これで、あとは出かけるだけでいいだろう。
<那須について>(那須町観光商工課)
栃木県那須郡那須町は、東京から新幹線で75分(約150km)の位置にあります。
那須高原の魅力は、その景観のすばらしさにつきます。ダイナミックな那須野ケ原、茶臼岳(1915m)を中心とした周辺の山脈、その中にひっそりと息づく、古き歴史の香りを今に伝える史跡の数々。それが一体となって、四季のいろどりを添えて語りかけます。自然と人との対話はつきません。
■那須温泉の由来と伝説
那須温泉神社蔵版「那須温泉由来記」に依ると、その歴史は、今から千三百年前の ”鹿の湯”の発見に始まるとされている。
狩野三郎行広という者が狩りに来て、一頭の大白鹿に矢を放ったが、手負いのまま、山中に逃げられてしまう。現在の元湯付近まで追ってくると、突然白髪の老婆が現われて、”吾は温泉の神なり、汝の索むる鹿は彼の谷間の温泉に浴して居れり、其の温泉は万病を癒して甚だ効あり、鹿の浴する亦其の手傷を癒さんが為なり、汝宣しく之を聞きて万民の病苦を済うべし、”と言って消えてしまった。そのおかげで三郎は鹿を獲えることができた。これは神のご託宣だと思って温泉を開き、名を” 鹿の湯”と名づけ、同時に、現在の那須温泉神社を祀ったといわれている。
■俳人 松尾芭蕉
奥の細道行脚の途中、黒羽に14日間と、長い滞在のあと那須に立ち寄り、いくつかの句を詠んでいる。
高久角左エ門宅に宿泊した時の、
”落ち来るや 高久の宿の ほととぎす”
温泉神社詣で、
”湯をむすぶ 誓いも同じ 石清水”
又、殺生石に行って、
”石や香や 夏草あつく 露あつし”
その後、湯本を発って芦野に向かい、遊行柳にて、
”田一枚 植えて立ち去る 柳かな”
という句を残して白河へと向かった。なお、この遊行柳には蕪村の句碑も残っている。