Adajio
Underworld



フランスのステファン・フォルテ率いる、シンフォニックゴシックメタルのセカンド。
キーボードがリチャード・アンダーソンからケヴィン・コッファートに変化している。
Adajioのひとつの完成形を具現化している。
前作のSanctus Ignisが、ネオクラシカルの進化系で、SymphonyX的だとしたら、今作は他に比較するもののないAdajioオリジナルだと言える。
クワイアをふんだんに取り入れ、教会音楽のような格調の高さを表現している。(あえてゴシックではなく、教会音楽と言わせてもらう)

サウンドは、より重く荘厳になっている。
もはやプログレメタルではなく、クラシック、特にオペラの影響を存分に受けたメタルだ。
ステファンのギターサウンドは前作同様、ヘヴィーに早弾きだし、叙情的でもある。
2曲目の「IntroiTus/Solvet Saeclum In Fadilla」のスローなギターソロは、バロック音楽の影響も受けて美しい。
絵巻物を見ているような高尚さがある。

“鍵盤魔人”リチャード・アンダーソンの脱退は大きいかと思われたが、新任のケヴィン・コッファートは健闘している。
キーボード中心のリチャードに対し、ピアノを多用し、荘厳なオーケストレーションはひけを取らない。
そればかりか、高貴さ・上品さでは勝っていると言えよう。
1曲目のイントロから、ハイテンションで高度でしゃれたピアノを聴かせてくれる。

ボーカルのデヴィッド・リードマンは変わらぬパワフルでダークがかった歌声を聴かせてくれるし、
ドラムスのダーク・ブルイネンバーグとベースのフランク・ハーマニーのリズム隊は強力だ。


ただ惜しいことに、もちろん素晴らしいのだが、音楽性を突き詰めすぎて取っ付きにくくなった。
5曲目の“Underworld”はまるでオペラで、こってりしすぎだ。明らかにやりすぎだろう。
イントロをもっと簡単にしていい。
1曲でも肩の力を抜いて聴ける、なじみやすい曲があれば良かった。
もっとメタルしてても良かった。

違いはまだある。
1stのSanctus Ignisは外へ向かっているのに対し、このUnderworldは内面へ向かっているような気がする。
それは、一緒になって口ずさんだり(彼らの場合少し無理があるが)、発散するような情熱が取り払われ、静かに聴いて彼らの演奏を追ったり、納得することによって曲を認めるといった形だ。
参加型ではなく、一歩引いて周りから眺めると言えばわかりやすいか。
つまり、「すごいな、よく作り上げたな」で終わってしまうのだ。「感動」や「高揚」のレベルまで達していない。
さらに、あまりにも高度に進化してしまって、メロディやリズムを追うのに疲れてしまい、呆然と見守るしかない。
キャッチーさがほしかった。
一本調子でなく、ほっとくつろげ癒される、スローなギターパートがほしかった。

まぁ、これは私の聴く“レベル”が低くて、Adagioに追いつかないのが原因である。
アメリカン・ハード・プログレが好きな自分の限界 ―クラシックは好きだけど、全面的に取り入れるのはキツい― を見た気がした。
これはAdagioへの期待が強かったあまりに出た要望ってもんだ。


それでも、何度も聴いているうちに、メロディ進行を覚えると理解してくる。
3曲目のChosenはすごく好きだ。
クラシックがかったメロスピと、Dream Theaerのようなリフがカッコいい。
流れるようなキーボードソロがSymphonyXのように叙情的だ。
後半のギターソロのハーモニクスを使うあたりが幻想的でいい。ここを倍の遅さ&倍の長さで聴かせてくれれば最高!!余韻がほしい。
つまりは、ファーストのPanem Et Circencesのような静の中のギターソロも聴きたいのだ。それがあってこそ、早弾きが映える!

人によっては、Underworldの作り込まれた美意識が最高であろう。
分厚く重ねられたサウンドの完成度の高さは、誰も追いつけないだろう。
何のことない、私は静と動の対比に重点を置くので、Sanctus Ignisの方が好みだって話なのだ。

。。。。。。。。。。。。
。。。。。あれっ、おかしいな、Underworldを何回も繰り返し聴いた後だと、Sanctus Ignisが物足りなく思えてきた。
ムダを省いた、妥協のない、研ぎ澄まされた作品は、あとになって効いてくるのだろう。
Adajioの魔力に取り付かれたか???