天地抄

  • ロボット
  •     シンクロナイズドスイミングの井村コーチが話してました。オリンピックの前に武田選手と立花選手の体格の違いについて問われて、「以前、何としてもロシアに勝ちたくて、動きを揃えようとして身長も体格も同じ選手を選んで、徹底的に練習を積んで、大会に出場しました。結果は最低。ロボットが機械的に演技してる、ただそれだけ。」と。
     技術をつめて突き詰めていってもただ単純に演技の質が上がるわけではないようです。
    居合も同じではないでしょうか?剣先の角度はこれくらい、体の向きは何度、足幅はこれくらい・・・。もちろん、定められた動きは守らなければならないのですがそれだけでは大会では勝てないようです。確実な動きの上にさらなる何かがなければなりません。
     例えば、歌手の世界でもそうなのではないでしょうか?ただ歌が上手い人ならプロを目指すくらいの人は一定以上の水準にあります。例え技術が低くても人の心を打つような歌が歌える人が地位を築いていってるのだと思います。
     では、居合の演武に戻って考えるとそれはどういうことなんでしょうか?どうすれば人を魅きつけられる演武ができるようになるのでしょう?

  • 道場
  •     類は友を呼ぶ ということわざがありますが、場にもそういう力があるようです。そこに惹かれるから集まるのか、そういう人々が集まるからそういう雰囲気になるのか、どちらが卵・鶏かという感じですね。
     いずれにせよ、気持ちよく稽古するためには自分にあった道場を選ぶことが大切です。師匠を選ぶのも難しいのですが同じように道場・場を選ぶことも難しいです。特に最近では何カ所も廻って自分にあったところを選ぶというよりは何かの縁でそこに決まる場合が多いような気がします。だから、ある種、運命的なものもあるのかもしれませんね。
     選ぶときに大事なのは何となく合いそうだなぁという感じがあることです。立派な先生がいるからとか有名な道場だからというのも良いのですが、自分との相性がいちばん大切だと思います。
     厳しいというのは堅苦しいのかもしれませんし、ざっくばらんというのはだらけてるのかもしれません。自分との相性をよく見極めて選べればいいですね。

  • 環境
  •     いちばん幸せなのは、稽古ができること、続けていけることだと思います。
     フツーにできているときには意識しないのですが、怪我や病気を経験された方ならおわかりかと思いますが、ただ人の稽古を見てるだけというのはつまらないものです。(見取り稽古としての意味は別として)下手でもうまくいかなくても、刀を振り回せる(不穏当な言い方ですね?)のはすごく楽しいです。
     大会に出場して、負けたり、選に漏れたり、あるいは審査に臨んで不合格になったりすれば、面白くありません。けれど、参加したくても参加できないことを思えば、やはり幸せなことではないでしょうか?
     もちろん、本人の意思や努力が大事なのですが、それだけではありません。不測の怪我や病気をしたりすることもありますし、仕事の状況や家族の健康などにも影響されます。自分が思ってる以上に周りの環境に影響されることを自覚することが大切ですよね。自分の環りが穏やかで平穏であることが、稽古に結びついていることに思いを寄せて、感謝したいと思います。

  • 上達
  •    上達にはアナログ的上達とデジタル的上達の2種類、大小のことも含めて混在していると考えます。
     アナログ的上達というのは、コツコツと稽古していて、段々と上手くなっていくのがわかるような上達の仕方です。やればやっただけ上手くなり、サボればそれだけ下手になる、ある意味わかりやすい上達の仕方ですね。
     一方デジタル的上達というのは、やってもやっても結果が見えず、いろいろと試行錯誤して、ある時急にそれができるというような上達の仕方です。一度できてしまえば「何でこんな簡単なことでけへんかってん?」というようなものです。ところができるまでは、この方法でいいのだろうか?これだけの努力で間に合うんだろうか?といくら悩んでも、段々と目に見えてということがありません。かなり辛抱と根気のいる稽古になります。
     どちらの上達を望むにせよ、質量をこなさなければならないということには他なりませんが、ね。

  • ソルトレーク
  •    清水選手は残念ながら銀メダルでしたね。近頃よく見るのですが、彼の練習風景。もう、すごいの一言ですね。人はここまで自分を追い込んでトレーニングできるのですねぇ。それに引き替え・・・。
     うまくいかないと「自分にはセンスがない。」とか「才能がない。」とか言う人がいますけど、その前に、ってことですよね。少なくても、自分の勝てない人たちと同じことをしてから言いたいものです。

  • 最後のところで
  •    気力・体力・技術力が大事なのはどの競技でもそうなんでしょうが、これら3つのことはお互いに補い合ってる部分も多いですよね。
     体力に余裕があるから、技術が十分発揮できる。技術力があるから体力を温存できる。気力が旺盛だから、体力・技術の不足を補える。
     ただ、最後の最後ってところでは、やはり気力でしょうか?単純な精神主義は好きじゃありませんが何とかしようというストレートな競技力の発揮は気力によるものが大きいと思います。
     先日のラグビーの全日本選手権を観て、その思いを強くしました。神戸はロスタイム寸前に3度も逆転のチャンスがあったのに、1度はエースの単純なノックオン、あと2つは関係ないところでのラフプレーによる反則で、かないませんでした。
     気力が旺盛というのはまっすぐに表れないと意味がありません。反則をしてもというのでは、体力・技術力の補足にはなっていないからです。難しいところではあると思いますが・・・。
     

  • 極意
  •   ある人が宮本武蔵さんに尋ねたそうです。「先生、極意って何でっしゃろ?」
     「そこのタタミの縁、歩いてみとくんなはれ。そうそう、簡単でっしゃろ?ほな、それがめっちゃ高いとこにあったら、どないだ?それでもフツーに歩けるんが極意だっせ。」と答えたそうです。
     普段、何気なく簡単にできることを生死のかかった場面でもフツーにできるのは、なかなかできることではないでしょう。現代で言うなら、何かの試合や審査、試験、講演会、発表会のような場面でしょうか。そこで普段通りの実力を発揮するには何が必要でしょう?
     平常心を得るには自信を持つことが大事です。では自らを信じるためには何が?やはり普段の練習、稽古、勉強が大切になってきます。
     超一流の人はいいこと言います。マリナーズのイチロー選手は「準備が大事です。」とことあるごとに言います。「準備とは何ですか?」答えて曰く「言い訳を排除していく作業です。」あぁ、かっこいい!

  • やっぱり・・・雪印食品
  •   彼だけの、関西センターだけの、今回だけの、私たちは何も知らない・・・。ぜ〜んぶ
    ウソでしたね、やっぱり。
     いちばん最初の広報の、あるいは幹部の対応見ておかしいなぁって思っていたのですが
    何か、こんなとばっちり受けてとゆうか何故謝らなければって感じが溢れてましたから。
     すさまじきものは宮仕えって言葉がありますけど、これだけはやってはいけないってことがあるはずですけどねぇ・・・。これだけ不景気だとクビになるのは誰しも嫌なことでしょうが、いくら上司に言われたからって犯罪に手を貸して平気なわけでもないでしょうにねぇ・・・?
     ホントに親会社の不祥事・苦境の教訓を生かせてないですよね。そこにはたとえグループ企業でもやはり人ごとのように思っていたのでしょう。
     もって他山の石となすって言うのは簡単ですけど、ホントに難しいものですね。

  • 近頃の外務省のお話
  •  「藪の中」おもしろいですねぇ。3人が違うことを言う。誰かがホントのことを言ってるはずなんですが。どうやら、結末が見えたようですが・・・。
     だいたい、次官という本来なら大臣の右腕になって働かなければならない人が、今は全然、外務省とは縁のない(実は陰の実力者らしいですが)人の言うことばかり聞いて、自分の上司は気に入らないから無視って言うのはフツーは通らないんですがねぇ・・・?
     あなたの組織にもいませんか、何か全然名簿には載ってないのにその人通さないと話が進まないって人?そういう人に限って、偉そうなんですよねぇ。何故この話はオレんとこへ持ってこなかった?とかね。で、また司る人がどういう弱みを握られてるのか、よく言うことを聞くんですよね、ホント不思議の世界。あはははは。