田宮流

田宮流は今からおよそ400年前に居合術の始祖と言われる林崎甚助重信の直門であ

る田宮平兵衛業正によって興された流派の一つです。

業正は戦国時代の関東に生まれ、東下野守元治に夢想流を学び、のちに林崎甚助につ

いて神夢想林崎流を修め奥義を究めたと言われています。

その子長勝は大阪冬の陣で池田輝政に仕え、のちに当時浜松城主徳川頼宣の配下にな

りました。元和五年頼宣が紀州藩主に移るのに従いました。

その後、三代目田宮平兵衛長家、四代目田宮三之助朝成、五代目田宮次郎右衛門まで

の直系の流儀を「古田宮流」といい、直系が途絶え、弟子であった中村是右衛門が田

宮千右衛門を名乗ってからの流儀を「紀州田宮流」、始祖田宮平兵衛の流れをくみ水

戸で興されたものを「新田宮流」とよび、これらを総して「田宮三流」とよんでいま

す。

現在の田宮流居合道は寛文十年頼宣の次男頼純が紀州藩の分家である伊予西条藩に移

ったときに長勝の弟子の江田儀左右衛門が一緒に従い、彼によって伝えられ八代目よ

り現在の妻木家が一子相伝の家芸として守られているものです。