私の、好きな文学作品の書き出し


 名文は書き出しが素晴らしいと言われている。今までに、私が読んで感動した文学作品のなかで、書き出しの素晴らしい作品(勿論、私の独断と偏見であることは言うまでもない)を思い出しながら抜き出してみた。作家の苦心の程が良く理解できると思われる。御一読いただければ、必ず文章を書く人の助けになると信じている。



                             本橋 秀一郎

1.風景描写からの書き出し

*「火の路」 (松本清張)

 明日香村の中心となっている町なみから南に行くと,人家の集まりがしばらくとぎれてのち、岡の小さな商店街に入る。戸籍のように正統に言えば奈良県高市郡明日香村岡だが岡寺のあるところとして通りがいい。

 明日香の石造遺構から物語はシルクロードへと発展して行く、清張の力作の始まりである。古代人のロマンが伝わってくる素晴らしい作品であり、それに相応しい書き出しである。

*「球形の荒野」 (松本清張)

 芦村節子は、西の京で電車を下りた。ここに来るのも久し振りだった。ホームから見える薬師寺の三重の塔も懐かしい。塔の下の松林におだやかな秋の陽が落ちている。ホームを出ると、薬師寺までは一本道である。

 平凡な風景描写でありながら、奈良の景色が彷彿としていて、これから起きる事件の暗さを感じさせないが、何か、惹きつけるものがある。

*「夜明け前」 (島崎藤村)

「木曾路はすべて山の中である。あるところはそば岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。


明治維新の激動が、信州の山深い里にも波及してくる。木曾路は昔から、数々
の歴
史の流れを見てきた。だが、それより更に大きい変動が起こることを予感させる。そんな感じの書き出しである。

*「密謀」 (藤沢周平)

 信越の国境いに生まれて,北に流れ下る川がある。川は西の空につらなる妙高の山々、東にそびえる黒倉、鍋倉の山塊の重圧から遁れるように、高原の傾斜をいつさんに駆けおりやがて小高い花房の丘陵にぶつかるあたりで、向きを東に変える。川はしばらく丘に沿って流れ、やがて丘を巻くように迂回するとふたたび北に向かうのである。

 名文である。島崎藤村の「夜明け前」、中里介山の「大菩薩峠」に迫る書き出しではなかろうか。関西で挙兵した石田三成と謀って、遠く東北の地で挙兵した直江兼継の物語へと展開して行く。

*「バンダルの塔」 (高杉 良)

 機体は大きく右に旋回し、高度を下げてゆく。炎の柱がみるみる接近し、眼に痛いほど 鮮やかに映る。
   昭和48年(1973)7月22日、午前9時半にテヘランのメヘラバード空港を離陸 したイラン航空国内線のフライトは、葯1時間で目的地のアワズ空港に到着するはずだか ら、あと数分ほど残されている。
   山中正史は、額を窓にこすりつけるように密着させ、息を呑んで眼下の廃ガスの炎を凝 視していた。真っ赤に燃え立つ炎の柱は全部で7本。灼熱の太陽を圧して、空を焦がして
 いる。

   胸の中を感動に似た熱いなにかが走り抜ける。」

  廃ガスを無駄に捨てずに人類の役に立てたい。日本とイラク共同の石油化学プラン トは、ホメイニのイラン革命で挫折してしまう。

  著者の熱い血が伝わってくる傑作の書き出しである。

*「青べか物語」 (山本周五郎)

浦粕町は根戸川のもつとも下流にある漁師町で、貝と釣場とで知られていた。町はさほど大きくはないが、貝の缶詰工場と、貝殻を焼いて石灰を作る工場と、冬から春にかけて無数に出きる海苔干し場と,そして、魚釣りにくる客のための釣舟屋とごったくやといわれる小料理屋の多いのが、他の町とは違った性格を見せていた。

 山本周五郎にしては、数少ない現代ものである。私は、山本周五郎の時代ものはどこか暗くてあまり好きではないが、この作品は、モデルになった浦安の町とそこに暮らす庶民の生活をユーモラスに描いており、その書き出しも、惹き付けられるものがある。

*「不毛地帯」 (山崎 豊子)

 「社長室の窓の外に大阪城が見え、眼下に帯のような堂島川が見える。近畿商事の社長で
 ある大門一三は、あさ、出社すると、窓よりの机に座り、大阪城を視野におさめる。冴え
 た冬陽の中で,天守閣の甍と塗
の白壁がくっきりと空に聳えている。大門一三にとって
 、城は覇者の館であり、戦を連想させ、商社の日々の激しい闘争心が鼓舞される。

 

 瀬島龍三をモデルにしたと言われている、長編小説の書き出しである。山崎豊子は、あまり評判が良くないようであるが、何故であろうか。私には、説得力のある作品が多いように思われるが。

2.気候の描写からの書き出し

*「峠」 (司馬遼太郎)

雪が来る。もうそこまできている。あと10日もすれば北海からの冬の雲がおおい渡って 来て、この越後長岡の野も山も雪でうずめてしまうにちがいない。毎年のことだ まっ たく毎年のことである。あきもせずに、季節はそれをくりかえしているし、人間も、雪で生 きるための習慣をくりかえしている。

  坦々とした描写ながら、北越の名宰相、河井継之助の運命を暗示していて素晴らし い 書き出しである。私の好きな作品の一つである。

*「四十七人の刺客」 (池宮彰一郎)

 昼すぎ、大石内蔵助一行が、藤沢宿の外れ遊行寺の坂下にさしかかるころは、さわやか
な日和だった。
元禄15年(1702年)10月22日・・・。
この年は閏年のため、8月が2度あった。それでも新暦では12月初旬に当たる。秋日和とはいうものの、風は初冬の冷たさを伝えていた。

 のどかな秋の昼下がり、旅の一行ののんびりした道中を描きながら、一転して、苦しい討ち入りの準備へと向かう、赤穂浪士の心境を垣間見せて素晴らしい書き出しである。

3.トピックスからの書き出し

*「最後の将軍」 (司馬遼太郎)

「人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。徳川15代将軍慶喜というひとほど、
世の期待をうけつづけてその前半生を生きた人物は類がまれであろう。そのことが、かれの主題をなした。

 司馬遼太郎独特の名文である。将軍就任前の徳川慶喜に対する世間の期待が簡潔な文章で、明快に描かれている。

 

*「男子の本懐」 (城山三郎)

内閣が倒れた。かねて経済運営の手づまり、汚職の続発,重要法案の流産などでゆすぶられてはいたが、内閣総辞職の直接の原因となったのは、一軍人の謀略であった。

 歯切れの良い文章である。浜口雄幸・井上準之助、共にテロの銃弾に倒れた二人の政治家の、慢性不況打開のために断行した金解禁と、それに伴う非業の死を書いた経済小説の書き出しである。

*「小説日本銀行」 (城山三郎)

日本橋近い本石町2丁目、江戸時代、金貨の鋳造や上納金の鑑封・潰し金を行っていた幕府直轄の金座のあったところである。三井家(越後屋)から買いとられたが,基礎工事で堀り起した土を選鉱した結果、土地代金以上の金が取れたという。そこに、いま日本銀行がある。

 

 これも日本銀行に材をとった経済小説の書き出しである。幕府の金座から取れた金が、土地の購入代金より高かったと言う、ニヤリとさせるような話をを導入部に使っているのが面白い。

 

*「反逆」 (遠藤周作)

御存知か。この日本に最初に黒人が来たのはいつかを。

 それは天正9年の2月のことで、九州から南蛮宣教師の一行が春の京都にのぼってきた折である。

 一行のなかに黒人の召使がまじっていた。宣教師の一人が印度のゴアから連れてきたのである。折もおり、京都の本能寺に織田信長が宿泊していた。

 新しいもの、珍しいものに好奇心の強い信長は都で大評判の黒人の話を耳にすると呼べと彼独特の高い声で命じた。

 御存知かという読者に対する発問で始まる文章は、あまり見たことのない書き出しであるが、読者を惹きつける何かがある。

4.心理描写からの書き出し

*「三屋清左衛門残日録」 (藤沢周平

自身の隠居と惣領又四郎の家督相続。外からみればたつたそれだけのことだが、藩に願いを上げてから、それが承認されて又四郎が城に出仕するまで、実際にはさまざまに煩瑣な手続きとひととの折衝が必要だった。
 だからそのすべてが無事に済み、最後にごく内輪に、親戚の者たちと他家に片づけた子供を呼んで、又四郎の相続を披露する祝い事をおえたとき、三屋清左衛門は心からほっとした。

 我々のように、定年退職を経験した者にとっては、これから襲うであろう寂しさを暗示する書き出しである。山本周五郎と同じ系列の時代小説が多いが、また違った味のある作風である。

 


  「死ぬことと見つけたり」 (隆慶一郎)

 死は必定と思われた。つい鼻の先に、刑務所の壁のように立塞がっていた。昭和18年12月。 僕は9月の末に20歳になったところだった。 学生に対する徴兵猶予制度が廃止され、理工科と医学部以外の学生は、一斉に徴兵検査を受けさせられ,僕は第一乙種合格ということになった。

 佐賀藩の「葉隠」を書いたものであるが、先ず自分自身の体験から説き起し、

「葉隠」を通じて「死」というものに迫った傑作の書き出しである。


ー以上ー


 
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