「転倒はなぜ起きる?」



1.ある講演で
 今年の安全週間に、ある監督署から特別講演を頼まれました。打ち合わせに伺って安全衛生課長さんからいただいたテーマは、私の予想しなかったものでした。その監督署は東京の中でも中小企業が多いことで有名なところなので、製造業では一番多い「はさまれ、まきこまれ」について話せということなのではないかと予想していましたが、予想に反して、「滑った・転んだ災害、トラック荷台からの転落災害」というものでした。最近は製造業が少なくなり、三次産業に変わりつつあるのでしょうか。

2.転倒災害の定義
 転倒というのは、人がほぼ同一平面上でころぶ場合をいい、つまづきまたはすべりにより倒れた場合などをいいます。
 車両系機械などとともに転倒した場合を含みます。
 
3.私の経験した転倒災害の例
 ? あるプラスチック加工工場の出来事です。安全診断で現場を巡回していた時、案内して下さっていた事務所の方がすってんころりんと転んで、腰を強打し、しばらくは立ち上がれませんでした。転倒の原因は、射出成型機のホッパーから原料のプラスチック・ペレットがこぼれて床面に散乱し、それを踏みつけたため、転倒したものと分かりました。細かい円筒状のペレットは大変滑りやすく、ちょうど、細かいボール・ベアリングの上に乗ったような状態でした。5Sの清掃と躾、さらには作業方法の改善による原料のこぼれを防ぐ対策が重要であることを、痛感しました。
? これもある電機会社の工場での出来事です。通路の片隅でカッター・ナイフを使って非定常な作業をしていた作業者が、指を切ってしまい、血が噴出しました。その作業者は血を見て仰天してしまい、失神して、通路に沿って置かれていた機械部品の木箱の角に頭を打ってしまいました。それからが大変、頭部を打ったので救急車を呼んで直ちに大病院の脳外科に運んでもらい、治療をしてもらいました。頭部の傷は幸いなことにたいしたことが無く、通院数回で完治しました。一方、指の傷は消毒して、カットバンを張るだけで済み、同僚から冷やかされて、被災者は恥ずかしい思いをしたようです。刃物で工作をしたり、鉛筆を削ったりすることが無くなった若い世代は、出血にも弱いようで、常々、災害擬似訓練や救急法の訓練などで度胸を付けさせておくことも、必要なようです。

4.事故の型別災害件数はどうなっているか?
転倒は図1のように全産業の事故の型としては墜落・転落、はさまれ・巻き込まれに次いで3番目に多く、軽視できない発生件数です。


図1 事故の型別労働災害(安全の指標H15)
 
5.転倒災害はどんな業種に多いのか?
 転倒災害は図2のように、製造業に多く、商業、建設業、
運輸交通業、清掃・と蓄業の順序になっています。
労働災害は建設業、製造業の順序で発生していると固定観念で漠然と思っていましたが、これはとんでもない間違いで、固定観念というのは捨てて、資料でものを考える習慣をつけることが必要なことが、これでも良くわかります。


図2 業種別転倒災害(安全衛生年鑑H15)

それでは、転倒災害が多く発生している製造業、商業、建設業について、その発生が時系列的にどうなっているのかを調べてみますと、図3に示すように減少傾向にあることがお分かりいただけると思います。



図3 業種別転倒災害の時系列変化
   (安全衛生年鑑H4〜H15)

ところが、図4で示すように、ある一部の業種に増加傾向が見えます。
製造業の中の食料品製造業(肉・乳製品、水産食料品、農産食料品、パン・菓子製造、酒製造、飲料製造などの製造業がこれに当たります。)やビルメンテナンス業がそれです。
これらの業種は商業とあわせ、労働集約型の産業と考えられ、人力による労働が転倒災害を発生させるものと考えられます。

図4業種別転倒災害(増加傾向の見られる業種)
             (安全衛生年鑑H12)
6.転倒は年齢と関係があるのか?
 まず、年齢と労働災害の関係を調べて見ます。図5は全産業の労働災害を年代ごとに年千人率で示したものです。
 20歳未満は未熟練のため、労働災害が多く発生しています。これが30代で円熟の境地に達し、それ以後は、加齢による身体機能の低下で労働災害は増加傾向を示します。


図5 年代別労働災害(安全衛生年鑑H14)

それでは、転倒は年代別にどう変わるのでしょうか。
図6に年代別の転倒災害を示します。50歳以上の世代に転倒災害が圧倒的に多いことは、図から明らかに読み取れると思います。


図6 年代別転倒災害
        (高齢労働者の労働災害の現況と特性)

それでは、加齢によってどんな身体の機能が低下するのかを見てみましょう。図7に転倒に関連する機能で、加齢変化の著しいものを示しました。
?視力
目の水晶体はものを見る瞬間に厚くなったり薄くなったりしてピントを合わせます。歳をとると水晶体が硬くなり、元の丸みお帯びたレンズの形に戻りにくくなります。そこで、目のピント合わせがスムーズに出来なくなり、特に近くのものにピントを合わせるのが難しくなります。これがいわゆる老眼です。
?薄明順応
 目の虹彩は収縮して、目に入る光の量を調節します。この虹彩の動きが鈍くなるため、明るさの変化に慣れるのに時間がかかるようになります。特に、明るい所から暗い所に移ったとき目が慣れるのに手間どるので、階段の陰の部分や暗い屋内に入ったところで転倒することがあります。
?平衡感覚
 姿勢のバランス保持は、姿勢反射と呼ばれる調節機能によって無意識的に行われます。しかし、実際には内耳の平衡感覚器と呼ばれる部分からの体の傾きや動揺などの情報、視覚、皮膚感覚および深部感覚と呼ばれるものからの情報などが加わって、安定した姿勢を保つようになっています。
これが身体平衡機能です。この機能は、神経感覚機能および筋調節機能の加齢による衰えとともに低下してきます。これが「転倒」「墜落・転落」の事故に大きく関係してくるものと考えられています。
?脚筋力
 体重を支えた立位姿勢を保つのは、主に脚の筋肉です。体がふらついても、脚の踏ん張る力(脚筋力)がきけば転倒は防げます。脚筋力は加齢による衰えが著しいのが特徴です。また、瞬時の踏ん張りに対応する足指の動きも鈍くなるため、転びやすくなると考えられています。
 脚筋力のなかでも、つま先を持ち上げる筋力が衰えやすいのも特徴です。歩くときに脚が上がらず「すり足」にちかくなり、ちょっとした凹凸につまずきやすくなります。
 
このほかにも転倒に関係した、加齢による機能低下があります。
?低照度下視力
 歳をとると瞳孔が小さくなるため目に入る光の量が減ります。また、眼球の奥にある網膜が光を感じ取りにくくなります。このため暗い場所でものが見えにくくなります。
 作業場全体が暗い場合、あるいは作業場は明るいが、機械・装置等のために部分的に照度が不足していることがあります。暗い場所で床面に凹凸があればつまずいて転倒の原因になります。(図8参照)


図7 加齢と身体機能(高齢化時代の安全)

図8 年代別低照度下視力(高齢化時代の安全)

?白内障
  高齢者の水晶体は紫外線の長期的な影響で成分のうちの蛋白質が分解して、透明から黄色へ、更に褐色へと進みます。
 黄色に変化した水晶体は、外界の映像が本来の色に黄色を混ぜた色で網膜に映し出されます。したがって、青色は黒色を帯びて見え、黄色は相殺されて白色を帯びて見えるようになります。そのため、見る色によっては区別が難しくなります。階段のすべり止めや、凸凹の標示が区別しにくい色だと気付かずに転倒することがあります。

7.転倒災害はどんなところで起きるか?
 転倒は大きく分けて、次の4種類に分けられるのではないでしょうか。
 ? 機械・設備につまずく。
 ? 材料・荷物につまずく。
 ? 通路・作業床で滑ったり、階段で足を踏みはずす。
 ? 不オークリフト等の動力運搬機が転倒し、はさまれる。








(レッツスタート・シリーズ)   (レッツスタート・シリーズ)



●フオークが転倒

     
(レッツスタート・シリーズ)

これらを図9に示します。通路・階段などの転倒災害が圧倒的に多い
ことが分かります。ただし、動力運搬機械の転倒災害は、発生の割合は低いのですが、死亡災害にもなりかねない、重大な災害につながります。


図9 転倒災害起因物別(安全衛生年鑑H14)


  転倒災害のなかで特に多く発生している通路・階段などの転倒災害について、更に詳しく分析してみます。
表1でお分かりのように階段、作業床、通路の順に滑る災害が増加していることが分かります。また、つまずいて転倒するよりも、滑って転倒することの方が多いことも分かります。

起因物 滑って つまずいて 自分の動作
の反動 その他 転倒
(計)
階段 110 52 10 159 331
屋内作業床 390 167 43 82 682
屋外作業床 46 29 11 13 99
通路 988 464 58 153 1,663
計 1,534 712 122 407 2,775
           表1 転倒災害起因物別  平成13年 製造業
                            (安全衛生年鑑H14)

8.歩行中の転倒防止方法は?
 ?床面での滑り
 人間の歩行動作は、その人に適した歩幅とリズムで行われます。歩行の時には床面に垂直にかかる垂直力と、水平にかかる水平力の二つの力が働きます。(図10参照)
水平力>垂直力になると、水平力の働く方法に滑ります。すなわち、足を踏み出した方向に滑ります。
 また、物体と床の間に砂があると、砂の粒子がコロの働きをして滑りやすくなります。同様に、水や油がある場合には、薄い水や油の層が出来て、これが摩擦係数を減少させ滑りやすくなります。


図10 滑りに働く力

 歩行による重心移動においても同様に、滑りが起きると、重心位置が前後左右のいずれかに片寄り、体がのめるため転倒することになります。
 滑りを防止する効果として働くものは、履物の底と床仕上材との間に生ずる摩擦ですが、滑りによる転倒は、ほとんどかかとが床に着く瞬間に発生します。床に着いた足が床に与える水平力を床の摩擦が支えきれずに滑り、転倒が起こるのです。
 床面の滑りやすさは、仕上材自体の性質のほかに、床面の凹凸、傾斜にも影響されます。塩化ビニールタイルや平鉄板は表面に何も処理をしていないときは滑りにくいのですが、縞鋼鈑のように表面に凹凸があると滑りやすくなります。これは平鉄板が縞鋼鈑より接触面積が広いため、摩擦が大きくなると考えられます。
また、平鉄板に油を塗りますと摩擦は著しく低下し、大変滑りやすくなりますが、縞鋼板は、平鉄板ほど摩擦は低下しません。
?履物と滑り
 履物の滑りやすさは床材に対する摩擦係数の小さいものほど滑りやすくなります。リノリューム材に対する靴底の摩擦係数の大小を次に示します。

ゴム底靴>運動靴>レインシューズ>ラシャ裏スリッパ>皮底靴>スキー靴

ゴム底靴が摩擦係数が大きく、滑り難い材質だということが分かります。
 また、靴底の模様は、登山靴のように岩角に引っかかって効果を発揮するものは別として、平滑な床で、靴底の模様が床に喰いこまない場合は滑りに関係しません。
?転倒の防止対策
 イ 床面の段差
@ 床からの高さは20cmくらいまではまたぎやすいが、40cm以上では
またぎにくくなります。
A 床の段差は、小さければ気づかないことが多いようです。
 3cm以下の 段差では踏み込んでも転びませんが、6cmを超えるところぶ危険があります。
B 上り段差は、3cmでも足を引っ掛けたり、つまずいたりして危険です。1.5cm以上の段差は、目立つように色を付けてください。
ロ 床面の仕上材
  床面に異なった仕上材で施工をしている場合は、歩いているとき
 の感触によって歩行リズムが変わり、異なった床面に足をおろしたと
 き転倒することがあります。
ハ 床面の状態
@  床面のメンテナンス、清掃を良くしてください。
A  床面の滑りやすい箇所には、滑り止めテープを貼ってください。
B  床面に凹凸や損傷を作らないでください。
   柔道の谷亮子選手(愛称“ヤワラチャン”)は、アテネ五輪の前
 に、練習で足を骨折して出場も危ぶまれていましたが、奇跡的に回復し、金メダルを獲得しました。怪我の原因は、練習場の畳に隙間があり、そこに足を挟んでしまったとテレビのインタビューで話していました。
二 作業者の履物
 安全靴、ゴム底靴など靴底の摩擦係数の大きいものをはかせてください。女性のハイヒールは作業中禁止にしてください。

9.階段における転倒防止方法は?
? 階段昇降時と転倒
  転倒災害は、階段昇降時には経験でも分かるように、降りるときに多く発生しています。

図11 階段昇降時の転倒災害(安研技術資料1976)

 また、男女では女子に多いのは、女子がかかとの高い靴を履いていて、転倒することが多いためです。
? 被災の程度
  階段昇降時の転倒では、平均休業日数は、男子20.8日、女子25.8日となっています。1ヶ月以上休業している者は全体の2割に及んでいます。
? 傷害の部位
 階段で転倒した場合には人体のどの部分に傷害を受けているかを示したのが図12です。傷害の大半は脚部に受けており、次いで胴部、頭部、腕部となっています。
 傷病名はねんざ、打撲、骨折が大部分です。

図12 階段で転倒時の傷害部位(安研技術資料1976)

? 階段の対策
  階段の安全対策を次に記します。
 @ 階段の勾配は30〜35度とします。
A 階段の蹴上げが急に低くなっていると階段下降のリズムを崩して、転倒しそうになることがあります。また、踏み面が急に狭くなっていても、同様にリズムを崩して転倒しそうになります。鉄道の駅などで時々、見られます。(図13参照)
B 踏み面と蹴上げは図14のようにするのが良いでしょう。(図14参照)
C 階段表面は滑り止めを着けた方が良いのですが、滑り止めの角に引っかからないように、埋め込み式にしてください。
D 手すりは両側の付けるのが望ましいのですが、片側だけでも必ず付けてください。高さは段の先端から85〜90cmが適当です。握りは4cm程度の直径のものが握りやすいようです。
E 照明は上から下までまんべんなく明るくなるようにしてください。自分の影が前に出来るのは危険です。




図13 階段の蹴上げと踏み面




図14階段の蹴上げと踏み面の寸法


10.災害事例
? 電気機械器具製造業の例
作   業 現場巡回(歩行中)
事故の型 転倒
起 因 物 L字型側溝
傷害の程度 右足首捻挫、休業5日
発生状況 現場巡回を終えた職長が、現場事務所前に戻って来たとき、電話が鳴り始めたので急いで室内に入ろうとして、事務所入り口前にあるL字側溝の段差につまずいて転倒したものです。



対    策 L字型側溝部分を格子状踏さん(グレーティング)で覆ってつまずくかないようにしました。


 ? 食料品製造業の例
作  業 製品の移動
事故の型 転倒
起因物 作業床
障害の程度 左腕前膊部骨折、不休業、全治40日
発生状況  出来上がった製品を作業台に載せるために運んだところ、作業床の水溜りに足を滑らして転倒し、左手を作業床に着いたため、左手を骨折したものです。

対  策  食料品製造業という業務の性質上、作業床に水を流して清掃を度々行う必要があるので、網目状の滑り止めマットを床面に敷くようにしました。

 ? 商業の例
作  業 書類運搬
事故の型 転倒 
起因物 階段
傷害の程度 右足膝蓋骨骨折、休業50日
発生状況   事務書類を抱えて階段を降りていたところ、バランスを崩して転倒したものです。かかとの高い靴を履いていたことも転倒の原因の一つです。


対  策 1.書類の持ち運びは片手で持てる程度にしましょう。多い時はカゴか袋を使いましょう。
2.片手は手すりにかけましよう。
3.かかとの高い履物の使用はやめましよう。
 ? ビルメンテナンス業の例
作  業 清掃作業
事故の型 転倒
起因物 出入り口の扉
傷害の程度 腰部打撲、不休業、全治10日
発生状況   早朝にビルの掃除をしていたところ、突然、出入り口の扉が開き、社員が室内に入ってきたため、清掃作業員は扉に当たり床面に転倒したものです。


対  策 清掃作業をするときは、出入り口の扉は開けて、ストッパーで固定しておきましょう。

11.参考資料
 ? 安全衛生年鑑(平成元年〜15年) 中災防刊
 ? これからの安全管理 西島茂一著 中災防刊 
 ? 新しい時代の安全管理のすべて 大関 親著 中災防刊
 ? 高齢化時代の安全 労働省安全課編 中災防刊
 ? フエイズ3の眼 柳田邦男著 講談社
 ? 階段・通路の安全性に関する研究  木下鈞一ほか著
産業安全研究所技術資料1976
 ? 木下是雄ほか著 シリーズ“ころぶ” 
安全Vol.32,No1〜12,1981
 ? 安全おもしろブック 「転ばぬ先の安全のチエ」 中災防刊
 ? レッツスタートシリーズ 「これで防ごう墜落・転落、転倒」 
中災防刊
 ? 労働災害分類の手引 労働省安全衛生部安全課編 
中災防刊
 ? 高年齢労働者の労働災害の現況と特性 中災防刊 
― 以上―







本橋安全管理事務所 所長
本橋 秀一郎
もとはし ひでいちろう

1934年 東京生まれ
1960年 横浜国立大学工学部卒業
1961年 TDK葛ホ務
1995年 東京安全衛生教育センターRST講師
1998年 労働安全コンサルタント開業
 E−Mail: makj@amy.hi-ho.ne.jp
URL:    http://www.amy.hi-ho.ne.jp/makj/

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