秋の雨は冷たい。
傘を差していても時折吹く小さな風に流されて、雨粒が制服から染みてくる。
冷たい雨。
まるで、外界に居る人間を拒むように、日毎に寒さを増す気温と雨の冷たさが体温を奪っていく。
その日は昨夜からの雨が、朝になっても未だ止む事無く降り続いていた。
白薔薇さまのつぼみ、二条乃梨子は正門から下足箱へと続く道を歩いていた。
マリア様の前に差し掛かると、この冷たい雨の中でもマリア様にちゃんと手を合わせている何人もの
生徒達に出会う。
乃梨子も立ち止まり、傘の柄を肩に掛け両手を合わせる。
肩と首で傘を保持しているので、すこし首が横を向く。
─なんだか、滑稽な格好だなぁ……
自分の今の姿を想像して、心の中で苦笑する。
乃梨子は今もってカソリックを信仰している訳でもないけれど、リリアンのマリア様には感謝してい
る。
志摩子さんと引き合わせてくれたから……
─今日も正しい道へとお導き下さい。
通り一遍のお祈り。
けれど、このマリア様は信じたい。
菫子さんがリリアンの受験手続をしてくれなかったら……
公立高校受験の前日に雪で新幹線が止まらなかったら……
入学式の日、あの孤独な桜を見つけなければ……
そのどれか一つでも違っていたら、きっと志摩子さんに出会うことは無かっただろう。
前の二つに関してはリリアンにすら入学していなかったのだから。
お祈りを終え、再び下足箱に向かって歩き出す。
傘を畳み、下足箱の前に立つ。上履きをすのこに下ろして靴を脱いだ時、後ろから声を掛けられた。
「ごきげんよう、乃梨子さん」
「ごきげんよう、瞳子」
声を聞いた時点で相手が誰だかわかったので、特に畏まる事無く振り返りながら返事を返す。
けれど振り向き終わった時、視界に入ってきたもう一人を見てぎょっとした。
「ごきげんよう、乃梨子さん」
「ご、ごきげんよう。可南子さん」
天敵とも言える二人が仲良く並んで立っていた。
ロサ・ギガンティア・アン・ブトゥン
「なんだか変なものでも見たようなお顔ですわね、白薔薇さまのつぼみ」
「い、いや、まさか二人が仲良く並んで登校してくるなんて思わなかったから」
可南子さんがやや低い声で乃梨子の態度を咎める。
「別に仲良く登校したわけではありませんわ」
今度は瞳子。
「たまたまマリア様の前で一緒になっただけです」
「あ、そう……」
そう言い残して瞳子は自分の下足箱に向かう。
可南子さんも瞳子に付いていくように自分の下足箱に向かった。
細川と松平。出席番号が並んでいるので、下足箱も上下並んでいる。瞳子の後ろに立ち、頭の上か
ら自分の上履きを取り出す。
瞳子のほうはそれを気にすることも無く、靴を履き替えている。
「へー」
「なんですの?」
「なにかしら」
瞳子と可南子さんの声が重なる。
すこし前ならこんなこと考えられなかった。可南子さんが後ろに立つだけで、瞳子は拒否反応を示
しただろうし、ましてやその頭越しに靴を取り出すなんてしようものなら……。
「これも祐巳さまの魔法。かな」
「どうして祐巳さまが出てくるの!」
今度はステレオで聞こえてくる。
「いや、なんでも」
「まったく、乃梨子さんは分かりませんわ」
「本当」
祐巳さまの魅力に虜にされた子羊が二人。
祐巳さまは自分の魅力に気がついているんだろうか。
─志摩子さんにでも聞いてみようかな。
志摩子さんならなんと答えるだろう。
恐らく、乃梨子が今考えた答えと同じだろう。
─それを無意識で出来るところが祐巳さんの魅力なのよ。
志摩子さんの声が、笑顔が頭の中ではっきりと浮かぶ。
先ほどの雨の冷たさが消えていく。それは、校舎の中に入ったからと言うだけではないだろう。
好きな人を思い浮かべるだけで、心も体も温かくなってくる。
一緒にいられたら……
暖かいのを通り越して熱くなってしまいそうだ。
「何をしてるんですの?行きますわよ、乃梨子さん」
「ごめん」
廊下の入り口で待っている瞳子と可南子さんに向かって歩き出した。
親友……。
まだ可南子さんの方はそう呼べるだけの付き合いは無かったけれど、きっと瞳子と同じように何時の
間にかそいう関係になっていくような気がした。
まだ祐巳さまも、由乃さまも妹を作られてはいないけど、学園祭が終わったら…
この二人と山百合会を支えていくような、確信めいた予感が乃梨子には有った。
「今日の一限目の古典、多分瞳子さんの列が当たりよ」
「何故、お分かりになるのかしら?」
「この前、敦子さんの列だったでしょう。あの先生、真っ直ぐ一列で順番道理に指すから」
「なるほど」
二人と何気ない会話を話しながら、乃梨子達は三人並んで教室に向かった。
ほんの少し先にある未来を見ているように……
−fin−
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