Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


『Steping Season』


 その日、瞳子は薔薇の館の1階の部屋にいた。
 いつのまにか倉庫と化してしまったというその部屋には山百合会の歴史とも
 いうべき様々なものが、あるものは丁寧に、またあるものは雑然と並べ置か
 れていた。

 「歴代の薔薇様方って物持ちが良かったのですわね」

 瞳子の記憶にある新しいもの。いつからそこに有るのか想像することすら難
 しく思えるもの。

 目的のものはすぐに見つかった。
 これも随分古くからここに在ったであろう長い物差し。
 それは最近よく見かけるセンチメートル単位のアクリル定規ではなくて、昔
 お祖母さまが時々使っておられたような竹製で目盛りは明らかに瞳子たちが
 よくつかう定規より幅が大きく取られていた。

 「尺定規だったかしら」

 いつのまにかとても遠い存在になってしまった日本古来の長さの単位。
 いつの日か、自分も今と言う時間をこのように懐かしく思い出す日が来るの
 だろうか。と遠い未来の事を思い浮かべてみた。
 名残惜しそうに、秋から冬に移り行く今の季節のように。
 5年後、10年後、20年後…。

 「そろそろ上に行ってお茶の準備をしないといけないかしら」

 瞳子はそう言って見つけ出した尺定規を手に部屋を出た。
 その瞬間。

 「瞳子ちゃん」
 「きゃぁ!」

 聞きなれた甘い声と共に横合いから華奢と言ってもいい細い腕が伸びてきて
 瞳子の首に絡み付いてきた。

 「いつもながら可愛い声」
 「お…お姉さま、本当にいつも突然なんですから」
 「あはは、だって突然でないと瞳子ちゃんの可愛い声聞けないもの」

 いいつつも腕を離してはくれない。
 でも、それは嫌では無かった、お姉さまの腕も、声も。瞳子はそのすべてが
 大好きだった。

 −大好きな祐巳お姉さま。

 「お姉さま、そろそろ離して下さいませんか」
 「え〜。瞳子ちゃんだってイヤじゃないでしょう」

 ふふっと小さく笑みを零しながらお姉さまはおっしゃる。

 −嫌なわけがありませんわ。

 瞳子がお姉さまのなさる事を『嫌』と思うわけが無い事を知っているのに。
 あえてそう言って瞳子をからかわれる。

 「…ありませんわ」
 「聞こえない」

 お姉さまは聞こえているはずなのに、あえて聞き返してこられる。
 わかっているけれども敵わない。
 『惚れた弱み』ってこういう事を言うんですのね。
 瞳子はあきらめて大きな声で答えた。

 「お姉さまのその腕もお声もお心も瞳子は大好きなんです!」
 「ありがとう、瞳子ちゃん」

 そう言ってお姉さまは瞳子のを再び優しく抱きしめる。
 そして瞳子の耳元で甘く囁かれる。

 「わたしも瞳子ちゃんのこと、大好きだよ」

 ずるいですわ。それをおっしゃられたらもう瞳子は何も言えなくなってしま
 うのに。
 階段のところまで来て流石に祐巳さまは瞳子から腕を離して下さった。

 そして階段を昇りだす。
 祐巳さまも瞳子の後ろに付いて階段を昇っていらっしゃる。
 もうすぐ昇りきる。そこで瞳子はさっきのお返しを思いついた。
 階段の途中で足を止め、振り返る。

 瞳子のほうが背が低いので、少し下にいらっしゃる祐巳さまとほぼ同じ高さ
 で向き合う形になった。

 「お姉さま。瞳子はお姉さまにお願いがあります」

 祐巳さまはきょとんとしたお顔で瞳子を見ている。<

 「お願いって、何?瞳子ちゃん」

 ああ、その何の警戒心も無い優しいお顔がどれだけ瞳子を迷わせるのかお姉
 さまはご存知なのかしら。

 祐巳さまのお顔にとろけそうになる心を振り絞って瞳子は言った。

 「いつになったらお姉さまは『瞳子』って呼んで下さるのですか」

 そう。祐巳さまと姉妹の契りを交わしてもう1週間。
 お姉さまは未だに『瞳子ちゃん』としか呼んで下さらない。
 これでは白薔薇のつぼみである二条乃梨子さんと変わらない。
 祐巳さまと姉妹になることを夢にまで見たのに。
 瞳子は祐巳さまを『お姉さまと』と呼べる事にどれだけ幸せを感じているこ
 とか。なのに、肝心の祐巳さまはまだ、瞳子の同級生達を呼ばれるのと同様
 に『ちゃん』としか呼んで下さらない。

 「瞳子は今までお待ちしました。いつか『瞳子』と呼んで下さるのを」

 姉妹の契りを交わしたのはわたくし。
 1年生の憧れの的である紅薔薇のつぼみ、福沢祐巳さまを『お姉さま』と呼
 んで良いのは全リリアン女学園生徒の中でただ一人。瞳子だけなのに。

 「お姉さま」
 「ご、ごめん。怒らないで瞳子ちゃん」
 「また!」
 「あ、ははは」
 「笑っても瞳子は誤魔化されません」

 そうは言ったものの、つい誤魔化されそうになる。それほどまでにお姉さま
 の笑顔は瞳子にとっていとおしかった。

 「…子」

 祐巳さまがお顔をあからめて呟くように言われた。

 「聞こえませんわ。お姉さま」

 瞳子は先ほどのお姉さまのように少し意地悪く聞き返した。

 「…瞳子」

 お姉さまは照れながらもやっとおっしゃって下さった。

 「はい!」

 瞳子も満面の笑みで返事を返した。

 瞳子は嬉しさで気が付かなかった。祐巳さまがかつてここで起きた小さな出
 来事を思い出してはにかんでいらっしゃることを。

 1年前、同じように祐巳さまが祥子お姉さまに『お姉さまと』呼ぶように諭
 された事を。瞳子がそのお話を聞いたのは、ほんの少し後。

 2階に上って、二人で紅茶を頂いているとき祐巳さまは感慨深げに教えてく
 ださった。

 移り行く季節はゆっくりと、でも確実にその歩を進めていた。

 −f i n−


ごきげんよう。
HP立ち上げてから1週間弱で4本目でございます。
すでに別口の1本も半分書きあがってますが(爆)
今回は瞳子と祐巳のすこし先のお話です。
実は最初に思いついたのはこのお話なんですがやはりいきなりって言うのは
ちょっと抵抗を感じたので「ココロ〜」と「Painful〜」を先に書き上げました。
書き上げて瞳子・祐巳の甘甘さよりも季節のめぐりの方に感化されてしまって(汗
原作で祐巳の妹が誰になるか興味がありつつも瞳子以外だったらショック大きい
だろうなぁとか思ってしまいます。
それでも、瞳・祐書き続けるんでしょうけど(笑
次は多分、志・乃です
「Second Strike」の前に当たるお話になると思います。
それではまた近いうちに。


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