Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


『裏切り…そして贖罪』


 これは、裏切りなのだろう。
 わたしを愛してくれている、姉と妹への。
 貴方がわたしの申し出を拒絶したあの日。
 上手く隠す事が出来たようだけど、どれだけショックだったことか。

 あの方の妹になる事を選択した貴方。
 そこで総ては終わると思っていた。
 貴方をこの手にする事を諦められると。

 でも現実は違っていた。手の届かない存在となってしまったが故に
 ますます想いは深く、激しくなっていく。
 狂いそうになるくらいに。

 いっそ、狂えてしまえればどれだけ楽だったか。

 妹は愛している。けれどもそれは偽りの愛。
 貴方に対する嫌がらせ。

 自分を想い慕ってくれている妹の心を冒涜する行為。
 自分にあらん限りの愛情を注いで下さるお姉さまにも……
 出会わなければこんな苦しみもなかったものを。
 貴方の心は誰を想い、誰を求めているの?

 ──志摩子……

─────────────── * ──────────────────

 わたしはきっと穢れてしまったのだろう。
 もう、望んではいけないのだろう。マリア様に守られる事も、愛される事も。
 自分にはその資格は、もう無い。

 狂おしいほどに貴方を愛してしまったから。
 愛する事、愛される事を恐れ、わたしは貴方を拒絶した。
 そして、自分の心を守るためにあの人の妹になった。

 そうする事で自分の心に潜む劣情から逃避した。
 けれどもそれは浅はかな行いだった。

 想いを受け入れる事も、届ける事も叶わなくなった事で更に自分の心は穢れ
 ていった。日を追うごとに勢いを増す貴方への想い。

 このままではいつかきっと、自分は壊れる。
 いえ、いっそ壊れてしまえればどんなに幸せだろう。
 この苦痛から逃れる事ができるのならば。

 姉となってくださった、あの人の愛情がさらに痛みとなって心に突き刺さる。
 わたしの事を、心に隠したはずの想いを知って尚暖かい羽で自分を包み守って
 くれるお姉さまの心。

 あの人への想いが、お姉さまへの想いだったならば。
 こんな苦痛を耐えることも無かったのに。

 ──祥子さま……

─────────────── * ──────────────────

 「お姉さま……」
 「なにかしら、祐巳」
 「いえ、なんでもありません」
 「そうなの?」
 「はい、ごめんなさい」

 祐巳が最近、何かを言いたそうにわたしを見ることが多い。
 でも、今の様に言葉にはしてくれなかった。
 その無垢な瞳は自分の心を締め付ける。
 もしかして、祐巳は気づいているのかも知れない。
 わたしの心に。
 そう自問する度に妹の前から逃げ出したくなる。

 「祥子さま、頼まれました報告書です」
 「有難う、志摩子」

 志摩子はクリップ留めした書類を祥子に手渡し、楚々と自分の席に戻っていく。
 志摩子はあれ以来変わらないように見える。
 それが何故だかとても悔しかった。
 自分は狂いそうなほど志摩子を想っているのに、志摩子は自分のことなど何とも
 想っていないようなその姿が。

 「ごきげんよう、遅れてごめんねー」

 ビスケット扉を開けて白薔薇さまが入ってこられる。
 いつものように笑顔をみせて。

 聖さま。
 まっすぐ聖さまが見れなくなってどれくらいになるだろう。
 聖さまは志摩子を妹にされてお幸せですか?
 嫉妬。なのだろう。
 自分が手にする事が叶わなかった志摩子の心を手に入れられた聖さまが羨ましかった。
 そして、憎かった。

 「祐巳ちゃん」
 「ぎゃぅ」

 それなのに、聖さまはいつも祐巳にばかり構っているように思えた。
 志摩子には、少なくとも祥子が見ているところでは絶対にそんな事はしないのに。
 恐らく、二人きりでもこんなスキンシップはないのだろう。
 そう、想像できる事がますま憎かった。
 自分が触れる事の出来ない志摩子をその手にしておきながら、志摩子には触れずに祐
 巳に手をだす。
 まるで祥子の神経を逆撫でするように。

 「かーいーねぇ、祐巳ちゃんは」
 「もう、白薔薇さまっ」

 聖さまが祐巳を抱きしめながら祥子に一瞬視線を向ける。
 その視線はとても冷たく、鋭かった。

 −なん……なの。

 まるで鋭利な刃物で切りつけられるようだった。

 「祥子さあ……」
 「な…んです、白薔薇さま」

 一瞬、その冷たい視線に射すくめられて反応が遅れた。
 平静を装うとしたが、できなかった。

 「祐巳ちゃんのこと……なんだと想っているわけ?」

 突然だった。

 「聖!」
 「白薔薇さまっ」
 「お姉さま!」

 紅薔薇さまたるお姉さまと祐巳、そして志摩子の声が重なった。

 「な…何って…妹に…決まっていますわ」

 今の問い掛けの意図がわからない。
 祐巳はわたしの妹。そんな当たり前のことを、と思う。
 でも、聖さまは「そんなこと聞いてないわ」といってわたしを見据える。

 「聖!もうよして」
 「蓉子は黙ってて、もう限界。このままじゃみんな壊れちゃう」
 「白薔薇さま!」
 「祐巳ちゃんも。今のままだときっと祐巳ちゃん潰れちゃう」

 聖さまは、何を言っているの?

 「祐巳ちゃんだけじゃない、志摩子も蓉子も。そして祥子も」
 「お姉さま!それ以上…」
 「志摩子!」

 聖さまのきつい声に志摩子が「ひっ」と言って硬直する。
 そうして、聖さまは「江利子」といって黄薔薇さまを見た。

 「しょうがないわね。是非見させて頂きたかったけれど」

 そう言って江利子さまは立ち上がり、呆然としていた令と由乃ちゃんに何事
 か伝えて部屋を出て行かれた。
 江利子さまの後を令と由乃ちゃんが続く。
 パタンとビスケット扉が閉じられる。

 「聖…」

 お姉さまが非難するように聖さまを見ている。

 「これで当事者だけになったわ」

 聖さまが部屋の中をさっと見渡して言った。

 「もう、覚悟するしかないのね」

 お姉さまが深いため息と共に仰る。
 一体、これは何。
 部屋の中がまるで凍りつくような冷たい雰囲気で満たされる。
 祐巳は泣き出しそうな顔をして聖さまに後ろから抱きしめられている。
 志摩子は自分の身体を抱きしめるようにして俯いていた。

 「祥子……」

 お姉さまが言う。
 聖さまと同じように、なんの温かみも無い冷たいお声だった。

 「一体なんですの、これは。お姉さま」

 事態が飲み込めないままお姉さまに問い掛ける。
 いや、黄薔薇さまたちが出て行かれた時点で本当はわかっていた。
 これが裁判であることを。
 被告は自分、そして志摩子。

 「貴方の口から仰いなさい。総てを」
 「いやぁ!」
 「祐巳ちゃんだけに辛い思いはさせないから」

 白薔薇さまがそういって祐巳をさらに強く抱きしめる。

 「皆、ご存知だったんですね……」
 「そうよ。令や由乃ちゃんは知らなかったようだけど」

 諦めたように言った。
 もう、逃げる事も誤魔化す事も出来ない。

 「あなたが自分で打ち明けなさい、それがせめてもの情けよ」
 「ふ、ふふふ」
 「祥子…さま?」

 思わず笑ってしまった。志摩子が心配そうに自分を窺う。

 「祥子!」

 お姉さまが咎める。

 「申し訳ありません、お姉さま。でも、自分では必死に隠してきたつもり
  でしたのに皆ご存知なんですもの」
 「解りやすいのよ、祥子も志摩子も。お互い知らない振りをするの、もう
  限界でしょう」
 「そう、ですわね。祐巳には本当に悪かったと思っています」

 そういって祐巳に目を向ける。
 祐巳と目が合った、そのとき……

 「嫌!!お姉さま、言わないで!!」

 祐巳が聖さまの腕を振り解き、祥子に抱きすがってきた。

 「祐巳……」

 心が締め付けられる。この無垢な祐巳の心を自分は深く傷つけた事に。
 自分の勝手で祐巳の心を踏みにじった事に。

 「聞いて頂戴、祐巳」
 「嫌です!聞かなければ祐巳はお姉さまを信じていられるから!!」
 「祐巳はわたしの大切な妹、それは本当よ。」
 「おねえ…さま」

 祐巳の顔がぱっと明るくなる。しかし、次の言葉で再び顔色が変わった。

 「でも、わたしが愛したのは…志摩子」
 「祥子さま!!」

 志摩子が悲痛な声を上げた。
 声を枯らして祐巳が泣き叫ぶ。

 「あぁぁ!」
 「祐巳ちゃん…」

 お姉さまが床に泣き崩れる祐巳を抱きしめる。
 惨めだった。
 心に秘め続けようと、決して悟られまいとした想いをこんな形で明かされて。
 目の前で泣き崩れている祐巳に許しを請いたかった。
 けれど、それは出来なかった。してしまえば本当に祐巳の心を弄んだことに
 なってしまうから。
 たとえ、妹以上として愛する事が出来なかったとはいえ、守るべき大切な妹
 であることは間違いなかったから。

 「わた……しも、祥子さまを、愛して…います」

 志摩子が搾り出すように言った。
 涙が溢れた。
 叶うはずのなかった願い。
 伝わらなかったと思っていた想い。
 志摩子も泣いていた。
 その涙は喜びなのか、それとも哀しみなのか。

 「ひどいよ…志摩子さん…お姉さまを…返して。返してぇ!!」
 「祐巳さん…」

 祐巳が志摩子を責めた。
 わたしたちはその非難を受け入れるしかなかった。
 償えるのだろうか。
 祐巳の心を深く傷つけた代償を、わたしたちは償う事が出来るのだろうか。

 「判決は…自分達で出しなさい」

 お姉さまが低く、重々しい声でそう言って祐巳を抱いて部屋を後にした。
 聖さまがそれに続く。

 「志摩子、祥子。あんた達の罪は決して軽くは無いよ」

 聖さまが振り向いて仰る。

 「わかって…います」
 「はい…」

 志摩子と声が重なる。

 「なんとかなるって見過ごしたわたしや蓉子も同罪だけどね」

 そう言い残して聖さまも出て行かれた。
 部屋にはわたしと、志摩子だけが残された。

 「志摩子……」
 「祥子さま……」

 志摩子と向き合った。
 こうして二人で向かい合うのは、志摩子に拒絶されて以来だった。
 お互い、目を赤くして涙を流していた。
 少しの間、沈黙が二人を覆った。

 「志摩子…」

 沈黙に耐えかねたように、二人はどちらとも無く抱き合った。
 互いを暖めあうように。きつく、きつく抱きしめ合った。

 「二人で、償っていきましょう」
 「はい…」

 許しを請うことはできないけれど、二人で償いだけはしなければならなかった。
 祐巳に、お姉さまたちに。
 二人の過ちが、傷つけてしまった心に。

 志摩子が見つめる。
 祥子も志摩子を見つめた。

 そして、唇を交わした。

 ここから始まるのだろう。
 愛する人を手にしたことで、失ったものへの贖罪の日々が。
 愛という十字架を背負った償いの日々が……

  − f i n−


ごきげんよう。
祥子×志摩子…
痛い、自分で書いていてすごい痛かったです。
なんでこんな話になっちゃうかな…
キリリク用に書いたんですけど、痛いのでこっちに流しました。
祐巳ちゃん可哀想(自分で不幸にしたくせに)
それではまた近いうちに。


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